2008/11/09

同人誌2誌を拝受

Seizaban2Tekuru4 左の2誌を送っていただいた。追って読んでいこう。

感謝いたします。

そして今日は、文学フリマ弊誌は今回出店しないが、残念ながらeuripidesさんはご用がある様子で今回は見送られるそうだが、hiwakiさんが九州から九州・沖縄の各種同人誌を携えて見えるそうだし、「季刊 遠近」のkitaohiさんもみえるというし、「銀座線」の石原さんや、「零文学」のなずみさんに会える。「小説π」さんに、「法政文芸」さんの名も見えるので、手に入れたいし、「法政文芸」が出るなら、春の文学フリマではお会いできなかった中沢けいさんにおめもじがかなうかもしれないので、「木曜日」も数冊は持参するつもり。

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2007/12/03

壷の底―本町靭

第6回文学フリマではじめて手に取った文芸同人誌「星座盤」創刊号を開いてみた。「樹林」の大阪文学学校のお仲間で作っておられるそうで、文学フリマでは、「木曜日」と「樹林」を交換していただき、あとで「星座盤」を購入した。

読んだのは、本町靭さんによる「壷の底」という作品。なんとも野心的な快作。

「私」の一人称であり、「あなた」という二人称もある。一人称のなかの二人称の在りようというテーマを考えてみたい。それは、あなたは誰に語っていますか? という小説の基幹にかかわる問題といってもいいかもしれない。書き手あるいは語り手は、誰にむけて書いて、あるいは語っているのだろう?
このとき思い出すのは、「照葉樹2号に掲載された垂水薫さんの「星垂る飛ぶ」(デジタル文学館掲載→ここ)だが、そこでも、「あなた」と語りかけられながら、その声は「あなた」に届いていなかった。たとえば読者や、読み手として仮想された誰かではなく、すなわち書かれたものとしてではなく、声をもって、あるいは声には出さなくても、話し言葉で語りかける相手としての「あなた」だった。だが、「星垂る飛ぶ」の「あなた」と「私」は時空をとおく隔てていることで、それはあくまでも独り言。自己完結していたといえるだろう。ところが、この「壷の底」という小説では、「私」が語りかける今ここに、「あなた」がいる。それなのに、「私」の言葉は「あなた」に届かない。いかにも語りかける言葉でありながら、「あなた」が「私」の言葉に応えることはない。

 ベッドの上に並べられた四つの箱は、どれも淡いクリーム色の紙に包まれて、桃色のリボンがきちんと十時に結ばれていた。それが何なのか、私にはすぐに分かったわ。だってその包み紙には、流れるようなアルファベットの文字で、あのお店の名前が薄っすらと印刷されていたのだもの。あなた、嬉しいわ。覚えていてくれたのね。あなたのスーツを新調するため、ふたりで街へ出た時に訪れた百貨店。シャンデリアの光が金の粉をように降り注ぐ下で、規則正しく並んだ沢山の洋服やアクセサリーやバッグ。そんな眩しい光景に私の心はすっかり奪われてしまったわ。店内の人々の楽しそうな表情や、ざわめき、流れる軽快な音楽も、ますます私をワクワクさせてくれた。あなたのスーツのことなんて、一瞬で忘れてしまっていたの。ごめんなさいね。目の眩むようなそんな場所で、私を一番うっとりさせたのは、広い広い靴売り場だった。知性的な革のフラットシューズ、花の飾りをあしらった愛らしいサンダル、セクシーな赤いピンヒール……。なんて素敵なの。なんて華やかなの。そこにある靴という靴のすべてが輝いて見えた。私の心はますます躍り、はやる気持ちを抑えきれなくなってしまったわ。そんな様子が愛おしくてたまらないというように、あなたは私を穏やかな眼差しで見つめていてくれた。それで気持ちがますます昂ぶり、あなたが両手で胸に抱えてくれている壷の中から、私は体を出したり引っ込めたり、八本の足をくねくね動かしたりして、もっともっとはしゃいで見せたわ。あなたは壷をゆっくり顔に近づけて、クスッと小さく笑うと、指先で私の頭をくすぐるように撫でてくれた。粘液の絡みつく、ねちゃねちゃという音がした。あなたの乾いた皮膚と私のぬめった肌が触れ合う音と感触は、いつも心地の良いものだった。指先をくるくる回しながら、あなたは静かに語り始めた。

書き出しだが、長い段落のなかで、読者は見事に騙される。だが、語り手の人間ならざることに騙されるなかで、どうじに時空があっさりと摩り替わっていることにも眼をむけるべきだろう。いや、壷の中の八本足の存在に驚きながら、時空の転移を忘れさせるのだ。というのも、「あなた、嬉しいわ。覚えていてくれたのね。」といういかにも語りかける仕草の直後に、「あなたのスーツを新調するため、ふたりで街へ出た時に訪れた百貨店。」といって、思い出しつつ語るようでありながら、これは説明でもある。そのとき、「ふたりで街へ出た時に訪れた百貨店」といったやけにもってまわった口振りになるのも、時空を飛び越えようとするアクロバティックな試みのゆえといってしまうのはあまりに安直だろうか? しかし、ここで起きているのは、じつは時空を超えるだけではない。「あなた」は、「私」のことも、「百貨店を訪れた」ことも、あるいは「街に出た」ことも知っている。さらにスーツを新調するためだったことだってしっているはずだ。だから、「あなた」に語りかけるならば、「私」はこれほどの言葉を必要としていない。体言止めは、そうした息苦しさのなかで、ひとつの段落でありながら、文章の流れを断ち切って、凌ぐ仕草といってもいいだろう。

さて、ちくま文庫の「猟奇文学館」に「人獣怪婚」があるが、見たとおり、これは人間の男と蛸の女(雌)のラブストーリーである。そして、蛸の女のひとり語りなのだ。これは野心的といってもいいだろう。そして、だから、「私」の語りは「あなた」に届かない。とはいえ、「私」の意思がつうじないわけではない。むしろ概ね通じているといってもいいだろう。すると、人間の男と女の在りようとたいして違わないのではないか? といった穿った見方もできなくはない。そして、ふとつい先日読んだばかりの松浦理英子の「犬身」を思い出す。いうまでもなく人獣婚の話だからなのだが、「人獣怪婚」中のなにかを思い出すよりも、「犬身」を思い出す。なぜなら、この小説がセクシャリティの面から人獣婚を書いているからにほかならない。「犬身」がセックスにいたらない関係性をもとめて人獣婚を書いたものだとすれば、ここでは真っ向から人と蛸のセクシャリティを書いている。もちろんそれによって、ふたりの関係が完結してしまう危険性を孕みながら・・・。
このとき、書き振りが苦しくなってくる。それは冒頭の、語り手と聞き手(読み手)のズレと同様の仕儀に陥らざるをえないのだ。

 結局その日はスーツを優先することになり、靴を買ってもらうことはできなかった。だけどあなたは人々の行き交う街の中で、我慢したご褒美だよと言って、私のぬめる皮膚に優しく唇を当ててくれた。それで私は嬉しくなって、壷の中から勢いよく飛び出し、あなたの頭に八本の足をくねくね絡ませ巻きついて、唇や顔や首筋にお返しのキスを沢山したの。キスと言っても人間のそれとはどうやら違う。人間は口で、唇でキスをするけど、私は漏斗(ろうと)でキスするの。漏斗、それはお尻の穴のようなもの。人間のお尻の穴は、隠れてなんだか見えにくいところにあるけれど、私のそれは、丸い胴体と足との間にニョキッと生えている。丸見えね。あなたは、それがまるで小さな子供が唇を尖らせているみたいで可愛い、なんて言うから、私はそこでキスするの。私の口なら、八本足の付け根の真ん中にちゃんとあるのだけれど、なんだかお尻の穴みたいって、あなたはいつもからかうのよね。おかしいわ、実際にはこの漏斗がお尻の穴だって言うのに。だけどいいのよ、私はあなたに従う。そうしたいとあなたが望むなら、私はどこでしたって構わないもの。だけどやっぱり漏斗は漏斗。お尻の穴。繰り返すキスでちょっと興奮気味になると、ドロリとした墨や老廃物が出てきてしまう。糸を引く粘膜もあって、あなたの顔面もシャツもすっかりベトベトになってしまったわ。少し異臭を放っていたかもしれない。ふがふが言って、あなたはとても息苦しそうだった。だけどずっと笑顔でそれを受け入れてくれていたわ。休日の並木道を行き交う人たちは、そんな光景を物珍しそうに見ていたようだけれど、私はそんなことちっとも気にしなかった。粘膜に包まれた私たちの姿は、日差しを受けてきらきら輝いて、きっととても美しかったはずよ。

「お尻」に拘泥する書き振りもなにやら象徴的であり、セクシャリティとしては、非常に工夫された、考えつくされた書き方ではあるのだが、それでも一人称と二人称で書かれた小説だという点に眼を向けたとき、ここでは「あなた」は聞き手たりえず、それでも「私」が語り続けるならもっと独りよがりでよいはずなのに、「漏斗」についても説明せざるをえない。「漏斗、それはお尻の穴のようなもの」といったセンテンスの素っ気なさ。そして、ついには「あなたはいつもからかうのよね」などという文章が表れる。これはまるで、もうひとりの聞き手に語り聞かせながら、「あなた」に同意をもとめるようではないか? そう、「私」と「あなた」の関係ではおさまりがつかないのだ。だから・・・。

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