ふと思いつき、どうやらコメントも出尽くし、人気記事ランキングを見れば記事アクセスの足も止まったようなので、コメントも含め、kairouさんのありがたい記事をこちらにコピーしてしまう。こんなに一所懸命読んでもらえるなんて、仕合せなことだ。こんなふうに読んでくださる方があるのだ、と見るたびに、次の作品を書く糧になる。今まさに、その糧が欲しくて、コピーしちゃう。
kairouさん、このこととこれからに感謝します。
ちなみに、コピー許はここ。
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「ここにあなたがいて、あたしを見ています。あたしは、見られて、あとできっと、あなたの眼で、今のあたしを見ます」
この小説は、週刊誌で語る評論家の顔して、“現代”を傍観しているわけではなかった。ちょっと説明がつかないほどに、“現代”を形作る要素が、ほとんど未整理のままに、強烈に放たれている。私なりに、いくつかの要素を拾ってゆきたいが、その前に、この小説、どんな話なのか、文学界に掲載されたらしい勝又さんの評を、無断で作者のサイトから、コピーしてみる。
よこい隆「肉片柳絮」(「木曜日」22号、東京都)はちょっとケッタイな小説で、評価に迷う。私は面白がった口だが、受け付けない人もあるだろう。若い女性「あたし」の一人称語りだが、ある朝、ごみ置き場で黒いビニールに包まれた女の片腕を拾ってしまう。彼女は驚きもせず、アパートに持ち帰って愛撫したりベッドに寝かせたり、後では少し食べてみたり、削った肉片を高速道路の横断橋から撒いてみたりする。そして車のタイヤに潰され、微塵となった肉片が宙を満たすだろうと空想を楽しんでいる。一方、彼女はアダルトサイトでのアルバイトをしていて、それは自分の部屋に据えつけたカメラの前で裸の姿態を見せて、契約された不特定多数の男たちに配信する仕組みらしい。画面を通じて顧客、男たちと交信もするその仕掛けが私にはもう一つわからないのだが、ある日モニター画面に一人の男が現れて、あの腕はどうしたかと訊ねてくる。男は自分の愛人を殺してあちこちに捨てたバラバラ事件の犯人なのだが、偶然、彼女が片腕を拾うところを見ていたのだという。しかもそれが、見覚えのあるアダルトサイトの女だと気づいて、ネットを通じて面会に来たわけである。驚く彼女に、自分はこれから自殺するから、事件との関わりなど心配しなくてよいと言って、本当に彼女の見ている前で、もちろん画面越しにだが、首を吊って見せる。この後、死んだ男が残した彼のブログに記された男と女との関係が入り込むのだが、次に驚くのは、画面に警官が現れることだ。つまり犯人を突き止め、彼の部屋に来て、そこでパソコンが彼女と繋がっていることを知って、事件の参考人として語りかけてきたというわけである。インターネットにはこういうことがあるのか、可能なのかと、「文學界」編集部の若い人に読んでもらったが、仕組みとしては充分可能であり、有りえないことではないということだった。とすれば、そういう面のリアリティはあるのだろう。メディアの発達とともにさまざまな、間接的な交信の仕方が生れ、発達しているが、一方、それに見合ったように人と人との生な繋がりを苦手とするような若者が増えて、こんな世界も生れてくるのに違いない。しかし、そういう中でこの主人公が終始イメージし、求めているのは、自分の身替りのような女の片腕が微塵となって空に充満することであったり、蛍の光のような存在となって世界を漂うことであったりしている。読みながら私は新井満の歌う「千の風になって」を思い出したりしたが、人は孤独になればなるほど、魂の行方みたいなものに己の存在を託してみるしかないのかもしれない。(引用おわり)
NHKの紅白に、あのバックダンサーは、裸で踊っているのじゃないのかと、わざわざ抗議の電話を入れた人が100人以上もいるそうなので、良識ある方々のために(受け付けない、タイプの方ね)、最初に書いておきたいが、「ごみ置き場で黒いビニールに包まれた女の片腕を拾った」としても、それを「彼女は驚きもせず、アパートに持ち帰って愛撫したりベッドに寝かせたり」したとしても、「後では少し食べてみたり、削った肉片を高速道路の横断橋から撒いてみた」としても、その嫌悪したい良識というやつを、すでに現実は軽々と越えてしまったところに存在し、目を閉じようが開けようが、現代が抱え込んでしまったおぞましさは消えないだろうと、少しヒステリックに書いてみる。ちょうど試験管に掬った現代の、上澄みをキレイに並べて書けば良識は納得し、逆さにして沈殿したものをオモテに出せば、こんなものは書くなと反発する。小説はまず、そういった良識を捨て、すべての縛りから自由になったところで、ありとあらゆる方法を模索してゆくべきだろうと思う。こういう事件がありました。けしからん。そんなこと、小学生でも分かっている。なぜこういう事件が起こるのか。週刊誌や新聞の社説もこれくらいは掘り下げる。そこから更に、もっともっと階層を深めていく必要がある。小説に登場する人物が、なにかしらの動きを見せるが、その元となる岩漿を捕まえて、腕に抱き、書き手はふたたび1階層目まで戻って来なければいけない。そうやって小説は書かれてゆくのだろうと思う。良識の上に胡坐をかいて、いい人ぶっている場合ではないのである。この小説が提示する現代の言葉らしい文章を、いくつか拾ってみよう。
どうしてみんな無視するのだろう/美鶴(※主人公)を見る視線も、美鶴を見ていない視線も、すべての視線が美鶴を脅かした/腕が、美鶴も呑み込んで、部屋を満たして、美鶴を邪魔者にしている/部屋を我が物顔に占領する腕のようになりたいとも思い/美鶴の身体が天井際にある。床の隅にもある。部屋のどこにも自分がいて、どこにもいなくて、空気に溶けて部屋を満たしている/美鶴の眼の前で、小さかった猫がかぎりなく小さくなって、宙に溢れていく。地面がアスファルトだから、地に還るより宙を満たしていくように思う/トラックが通り過ぎる。ワンボックスが通り過ぎる。軽自動車も、高速で走り去る。またトラックが行く。数十秒おきに、車が腕の欠片を踏み躙り、蹴散らす。車が通るたびに腕の破片が空気に紛れ、溶け、ピンク色に染まる世界が見えた気になり、高速道路に背を向けると、手摺りに凭れて煙草を喫う/腕が、この紫煙のように空気に溶けて、世界に満ちるなら、腕はあたしだから、あたしは腕だから、あたしは世界にいる。あたしが世界に満ちていく/恐ろしいと言ったって、いったいこの映像があたしになにをすると言うのだろう。なにもできやしない。しやしない。だけど、背中が寒い
そして、この小説の最後の方、刑事とのやり取りを抜き出してみたい。
「このチャットの男のことが聞きたいんだけど……」
「なにもしりません」
「なにも?」
「入ってきて、いきなり嫌なことを言うから、画面を最小化したままでした。でもチャットは続いていたから、せっかくだからそのままにしてたんです」
「死んでたんだよ」
「しりません」
「驚かないんだね」
年配の男が睨みながら言ったけど、カメラではなく画面の中の美鶴を睨むらしく、視線がずれている。
「驚かないのは、しってたんじゃないの?」
「しりません」
「とにかく一度、署にきてくれないかな。ちゃんと顔を見て話したいよ」
「顔なら見えてます」
「いや、そういう意味じゃなくてね」
ふたりとも苦笑いになった。
「いやです。かかわりたくないです」
「ただの自殺じゃないんだよ。バラバラ事件、ニュースとかでしってるでしょ。あの事件に関係してるんだよ」
「ニュース、見ません。しりません。はじめての客だったし、なにもしりませんから。あたしとその人が関係ないのは、調べればすぐにわかると思います。あたし関係ないですから。それより、せっかくつながってるんだから、このチャット、ポイントが切れるまで切らないでください。あたしの仕事の邪魔しないでください」
美鶴はふたたび画面を最小化すると、スピーカーとマイクのボリュームを切り、カメラのピントを外した。(138p)
精神へと下りてゆき、通り越して、肉体へと戻ってきている。その肉体は、ほとんどモノと化し、精神と混然一体となり、しかも、他者と自分自身とを区切る境界線は曖昧なままで、尚且つ保全の目的によって強引にそこに冷たい境界線を引こうとする。それだけではない。
「かなえは、オレの眼に映っている自分のことがしりたかった。オレのことではなくて、かなえがどう見えるのか、どんな人間に見えるのか、それだけがしりたいのだと思えた」
この文章を読んで、私は苦笑してしまった。まるでネット上でのやり取りと同じだと思った。双方向性など嘘に決まっている。みんな言いたいことを一方的に語っているだけだ。抱きたいイメージを、たがいに求め合って(奪い合って)いるだけなのである。切り離された腕の持ち主・かなえと、彼女が執着する男・オレとは、オフラインでの関係だが、オンラインでの関係と、同様に扱われているところに注目したい。いまやオンラインもオフラインも同じだという状態が、現代の姿として示されているのだろう。かなえが知りたいのは、オレのことではなくて、つねに自分自身のことなのだ。つまり、執着しているのは、自分自身だということになる。かなえは、オレのことなど、ほんとはどうでもいいのに、オレに異常に執着する。オレは奪われまいとして、オレを取り戻すかのようにして、かなえから、かなえを奪ってしまう。このことは、美鶴にも言える。彼女がアダルトサイトで肉体をさらしてバイトするのは、他者とうまく折り合いがつけられないためだと説明されているが、ほんとうの理由は別にあるだろう。自分自身に、執着しなければ保てないほどの、曖昧になってしまった肉体を取り戻すため、オレのように、なにかを、誰かを、奪うような素振りも見せずに奪う必要があるのだ。そしてそれを彼女の場合、体内にまで取り込もうとするほどに、事態は切迫しているのだった。
魂のふれあい。肉体の交わりを介して交感する魂。ここでは、他者は、そういう役割を持たされていない。なぜ他者は存在するのか。ただ自分のために、奪うために、他者は存在しているかのようだ。
精神だけでは語れない。肉体だけでは、もはや太刀打ちできない。そんな現代を小説に書こうとすれば、難渋する。それを正面から書こうとした小説だと思う。ほとんど未整理のままに、いや整理できないくらいに現代は複雑に、且つおぞましいのである。切実な叫びを感じた小説だった。
2007. 01. 06. [ 小説 ] CM12. TB0 . TOP ▲ コメント
これは、いい批評文で、ご本人はまだ気づかないようですが、lydwineさんが涙を流して喜びそうです。
私などはK又さんとおんなじで、今になると苦し紛れに何を書いたんだっけ……。
そうですね。そんなにすっきり整理しなくても、提示するだけでもいいんでよね。感心しました。
------------- euripides. URL│. 01. 06. [ 編集 ] -----
euripides さま
ああ、よかった、怒られなくて…、安堵。
感想文を書くのに苦労しました。どの小説でもそうですが、読み手の方に、出力されたものを解読するだけの、経験値とか、生活史とか、そういったストックがなければ、うまく入って来れないという事情もあります。私は現在、隠遁生活のような暮らしをしているので、リアルな現代から、少し離れてしまい、たとえば、この小説を、ハタチ前後の人々が読んだらどう思うのかとか、そういうところが、うまく想像できなくなっています。読む人によって、引用したい場所も違ってくるのじゃないかなぁ…、とりあえず、自信なげに、空に点を打ってみました。
K又さんの評は、さすがにバランス感覚が優れていて、とても良かったので、そのまま使わせていただきました。「私は面白がった口だが、受け付けない人もあるだろう。」この一文は、入れる必要があると思います。私は更に、押し広げてしまいましたが(笑)。
>そんなにすっきり整理しなくても、提示するだけでもいいんでよね。
私も、そう思います。ただ、この場合、読み手の方が、より多くの出力を求められ、ストックの数が、あからさまになると思います。だけど(←美鶴の口調がうつってる 笑)、わかってもらおうとして、すごく分かりやすい小説が多いと思うので、そんな中、新鮮な気持ちで読めました。
------------- itu:kairou. URL│. 01. 06. [ 編集 ] -----
涙流してます。いや、マジで・・・。
寒気を感じながら読みました。すごく、すごぉく嬉しいです。ありがとうございます。
なんつぅか、こういうときって、いうことがないものですねぇ。ほんとうに嬉しかった。感激です。
kairouさん、ありがとうございます。私の永久保存記事です。
------------- Lydwine. URL│. 01. 06. [ 編集 ] -----
Lydwine さま
おもしろかったです。
Lydwine さんも、euripides さんも、「小説書くゾ」モードに入られたのでは? がんばってください。そしてまた、おもしろい小説を、読ませてくださいネ♪
------------- itu:kairou. URL│. 01. 06. [ 編集 ] -----
kairouさんの文章を、すこし冷静になって、何度も読み返しています。
>精神へと下りてゆき、通り越して、肉体へと戻ってきている。その肉体は、ほとんどモノと化し、精神と混然一体となり、しかも、他者と自分自身とを区切る境界線は曖昧なままで、尚且つ保全の目的によって強引にそこに冷たい境界線を引こうとする。
嬉しいですねぇ。この部分。
>まるでネット上でのやり取りと同じだと思った。双方向性など嘘に決まっている。みんな言いたいことを一方的に語っているだけだ。抱きたいイメージを、たがいに求め合って(奪い合って)いるだけなのである。切り離された腕の持ち主・かなえと、彼女が執着する男・オレとは、オフラインでの関係だが、オンラインでの関係と、同様に扱われているところに注目したい。
ここは驚きをもって読みました。なるほど、そうなのか! と。それに続く部分は、私の思惑どおりに読んでくださっているなぁ、と嬉しいばかりでしたが、オン/オフの関係性ということは、考えていなかったので、驚きがありました。
>精神だけでは語れない。肉体だけでは、もはや太刀打ちできない。
ありがとうございます。精神/肉体、自己/他者、そうした二元論にたいする私なりのもどかしさが、意識するともなく表われてしまったことを、指摘してくださいました。まして、それが「意識するともなく」であるから、「未整理」になってしまったのでしょうね。そのうえで、「整理できないくらいに現代は複雑に、且つおぞましい」ということ。ありがとうございます。でも、逆にいえば、それをまた読めるところにまで、整理していく作業も、小説としては必要なのかもしれないですね。
kairouさんがここに書いてくれたことは、単純にこの小説を書いた私を喜ばせただけでなく、ブログ上で同人誌掲載作などについて好き勝手なことを書いてしまっている私にも元気をくれました。
K又さんの評では「千の風になって」を思い出したというところが、じつは一番嬉しかったのですけれど、といいつつも、当時はその唄をしらず、ネット上で調べ、あげく、我ながら可愛いことに、その後CDを買っちゃいました。
kairouさん、ありがとう。euripidesさんもありがとうございました。
------------- Lydwine. URL│. 01. 07. [ 編集 ] -----
Lydwine さま
>オン/オフの関係性ということは、考えていなかったので、驚きがありました。
美鶴が、なぜこの仕事をしているのか、それを考えました。風俗関係だとしても、他に、いろんな風俗関係の仕事が、ありますよね。そのことと、かなえandオレの関係性で導かれていることとが、リンクしている、二重底になっている、と思ったのです。だから「オン/オフ」なのだろうなぁ、と想像しました。ただ今ふうな、読んで新鮮な風俗の仕事をしているから、“現代”だというわけではないのですよね。物語のなかに、一定の調子を与えている、縦横に組まれた構造の、重要な部分だろうと、解釈したのですが…。でも、Lydwine さんは、好きに読んでもいいよって、思っているでしょう?(笑)、小説の書き方がそうでした。エゴ丸出しの小説は、煩わしいほどに説明します。『肉片柳絮』はそうではなかったので。私も、安心して(無遠慮に? 笑)感想文を書かせていただきました。
>精神/肉体、自己/他者、そうした二元論にたいする私なりのもどかしさが、意識するともなく表われてしまった
ここ、すごく分かります。「精神/肉体、自己/他者」だけでなく、あらゆる二元論は崩壊したかもです。
>読めるところにまで、整理していく作業も、小説としては必要なのかもしれないですね
うーん、ここは、どうなんだろう…。評価されたいと思えば、そう書いたほうが、いいのかなぁ。まずは、ジジイどもを、「うん」と言わせないといけないから(笑!)。
小説は、「こう書いた方がいい」っていうのが、単純に言えないから、難しいですよね。今、ゾラの、『テレーズ・ラカン』を読み終えて、当時の大御所の批評家からの、ゾラへの手紙を読んで、きっちりと整理されて書かれているから息苦しいみたいな、そういう批判を受けていたみたいです。確かに、それは言えているかも、とか思っていたところでして…。すみません、曖昧な、お返事に、なってしまいました、汗。
でも、たいていは、一点に向かっていく、整理された小説のほうが、よく書かれた小説だと、評価するだろうなぁ、とは思います。
------------- itu:kairou. URL│. 01. 07. [ 編集 ] -----
>ただ今ふうな、読んで新鮮な風俗の仕事をしているから、“現代”だというわけではないのですよね。
ドキッ! ライブチャットという職業があることをしったとき、これは使える!
と思ったことはたしかです。引籠もった生活をできる環境がある、と。
>Lydwine さんは、好きに読んでもいいよって、思っているでしょう?
またまた、ドキッ! 出会ってしまう出来事に意味なんてありませんからね。そこに意味を見出したり、勝手に意味づけをするのは、その体験者個々の、kairouさんのおコトバなら「ストック」でしょうか、そうしたもののなかで、捏造されるものですから、私としては、読書が、その契機となる出来事足りえてくれればよいです。
正直にいうと、1/3くらい削りました。当初は5割り増しくらいの長さがあったのです。師匠に1/3削れ、といわれました。
>あらゆる二元論は崩壊したかもです。
境界線にたいする意識が私に付き纏っているのは、そうしたことなのだろうと思います。それでも、コトバの取/捨という二元論を抱えた世界である小説、でもありますね。
かつて「わからない」とか「読者に不親切」とばかり言われてきたのが、最近「わかりやすくなった」といわれてきたところで、これでもむしろわかるように書いているつもりなのですが、小説が「わかる」ということそのものが、不思議な気もしてるんですよね。出来事にわかるもなにもないだろう、ただ出会ってしまうだけじゃないか、と。
「タイドプール」のあの書き出しの、香水の香りが布団の一扇ぎで尿の匂いに転換してしまう、あの空間の出来事との出合い、あれこそが小説だと思うのですよねぇ。
海外旅行しても、テレビや写真など、どこかで見た風景を見て喜び、既知の出来事にしか感情を動かせない人には、出来事との出合いという体験など理解できないのかもしれませんね。故宮にいったとき、「ラストエンペラー」の撮影に使われた場所で写真を撮りたがるのが日本人だけだと現地の方が言っていました。なんと感性の貧しい民族なのでしょう・・・。
------------- Lydwine. URL│. 01. 08. [ 編集 ] -----
Lydwine さま
「これは使える!」、と思ったのですね。小説のなかに、しぜんに組み込まれていました。
>出来事にわかるもなにもないだろう、ただ出会ってしまうだけじゃないか、と。
私も、そう思います。「ただ出会ってしまう」という感覚は、対話する姿勢が、前提として、そこにあるように、思います。ただ一方的に、消費されてゆくばかり、ではなくて。
感想文を書くとき辛いなって思うのは、それを理詰めで埋めていかないと、いけないところですよね。「コトバの取/捨」は、ここでも抱えています。
あらすじは一言で言えるかもしれないけれど、表現したいことは、とても言葉では言えないですよね。それを白日の下にさらすためにフィクションという方法が使われて、表現したいものに従えば、小説は、どんどん分からない・分かりにくいものになってしまい、挙句、奇をてらってるとか、いろんなこと、言われてしまい…。でも、分かってくれる人も、数は少ないですけど、存在すると思うので、その辺は、楽観して、あとは、もうとにかく、どれだけ表現したいことに近づいて行けるか、そのことだけを、今は考えているのですが…。傾向と対策を練って新人賞とって、あとは俺の好きに書くぞと発言した作家がいましたね(笑)。それでもいいと思うし。どういうビジョンを描いているのかによると思います。私なんかは、無駄に苦労しているみたい、とか言われていますが、これはこれで、楽しいのです。
------------- itu:kairou. URL│. 01. 08. [ 編集 ] -----
そっと静かに乱入させていただきます。(←なので、引用者により、文字色反転)
>あらすじは一言で言えるかもしれないけれど、表現したいことは、とても言葉では言えないですよね。
そうなんです。自分の同人誌のオンライン合評会で書いてしまいました。
ストーリー展開に寄りかかった作品が今号は多かった。
もっと「場」や「人物」などの「描写」をじっくり書いて落ち着いて読める作品が欲しかった。
文○界同人雑誌評もそうですが、あらすじを紹介してそれで是非を決められるような創作も批評も、つまらないですよね。
早い話が、極端に言ってしまえば「小説は描写でのみ成立する」、と。
出会うといえば「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の出会い」ではありませんが、ありえないことでも「描写」してしまえば、あり得てしまうし、「描写」には二元論が入り込む余地も無い。
そういった意味からも、小説の草創期と違って今は、ストーリーによりかかった小説からは何も生まれませんよね。
------------- euripides. URL│. 01. 09. [ 編集 ] -----
euripides さま
遠慮なさらずに。こんな雑談サイトでもよければ…
これは小説ではない、あらすじだ、ということでしょうか。
小説を書くのって、難しいですよね。同人誌の方々のお話は、どれもこれも「私にも言えている…」とか思ってしまいます。Oさんは、熱心ですね。しかしこういったことをネットの掲示板でやるとなると、確かに大変かもしれません。進行役が苦労するだろうなぁ、と想像しました。
>もっと「場」や「人物」などの「描写」をじっくり書いて落ち着いて読める作品が欲しかった。
長編で書くべきことを短編で書いてしまい、それであらすじに、なってしまったのか、どういう話なのか分からないままに書いてしまい、あらすじでしか、書けなかったのか…、どうしてだろう、と考えてみました。
euripides さんの、おっしゃるとおり、描写で見せていけば、読みごたえのある小説に、なると思います。というか、そういう小説を読みたいです。私はもう短編には興味がなくて、じっくりと描写できる長編ばかりを選んで読んでいますが、面白いと思う部分は、出来事ではなく、描写されていくなかで、揺れる、動く、弾ける、登場人物そのものが面白いです。設定はどうでもいいかも。ありふれたストーリーだとしても。なにか新味のストーリーを書かなければいけないとか、そういうふうに思わなくても、安心して、登場人物と、そこに立つ場へと潜り込んで行って、書いていいと、思うのですが…。
んー、でもいろいろと、悩んでしまいますよね。
小説書くのって、ほんとに難しいと思います。某サイトの管理人の話ですが、小説書くのをやめて、それと同じ情熱をかたむけて仕事に没頭したら、出世したって話がありました(笑)。
------------- itu:kairou. URL│. 01. 09. [ 編集 ] -----
ストーリーの祖形は神話で書き尽くされ、小説のスタイルは十九世紀に書き尽くされたという言い方がありますね。現在の私たちにできるのは、それらの組み合わせか、そして「描写」しかないわけですね。「尽くされた」というコトバ遣いには、抵抗を感じないでもないのですが、あらすじでは小説について語られたくないことはたしかです。その気持ちがeuripidesさんの「そんなにすっきり整理しなくても、提示するだけでもいいんでよね。感心しました。」ですよね。作品について語る方法、小説を読むこととして、kairouさんの仕方はとても正しいものです。
便器に「泉」と名づけること(デュシャン)は、まさに、観客がその驚きと出会うときに作品となります。便器はただ便器でしかないのに、それを「泉」