渦―納富泰子
「季刊文科」36号が発行されながら、店頭に並ばず、店頭に並ばないのに発行されたというのも、なにかおかしな話だが、例えば定期購読者たちや執筆者の手許にはすでに昨年末には届いていたという。そして、すでに手に入れた方々から聞こえてくる納富さんの作品「渦」の評判に、それこそ、うずうずしながら、「売ってないよぉ」と繰り返していたら、見かねた納富さんがお手許の誌を送ってくださり、ようよう手に入れたわけだが、なるほど店頭に並ばないわけがわかった気がする。そのわけについて、書いてしまいたい気もしたのだが、編集委員の代表格のような大河内氏の病と療養、編集委員のひとりであった吉村昭氏の急逝、それに伴う追悼特集の作成、そうした突発事がいわゆる年末進行にぶつかる、と、不運が重なった上のことなのだろうし、なによりお優しくも納富さんが、「そっとしておきましょう」と仰せなので、納富さんのお顔をたてて、論うことはせずにおく。すでに消去してしまった記事だが、せっかくkatsuさんからコメントをいただいたので、生産管理学的な見方をすれば、編集委員と編集者との二重構造にも問題がありそうに思えなくもない。
ここで論ったところで、鳥影社さんや「季刊文科」の関係者さんの耳に届くとも思えなければ、耳に届いたところで、どうということもないとも思うけれど・・・。
さて、「渦」である。なんともいえない座りの悪さを抱えた小説である、などと書き出すと、いかにも否定的に聞こえそうだが、先般の辻原登「沈黙交易」の、主格と主題が揺れ動くさまにも似て、座りの悪さは浮遊感といってもよく、爽快とはほど遠いながら、けして悪寒を伴うものではない。
例のごとく書き出しを見てみよう。
鍬山の源吾の養家は、筍が終るころから、背後に迫った山林全体に若葉がモクモクと膨れあがってくる。
梅雨時の雑木林も、たっぷりと重く膨らむ。雨水を含んだ枝がずしりとしなだれ、棲みついたカササギが羽音高く飛び立ちでもするなら、下を通る者は頭からずぶぬれだ。屋敷の途中の十段ほどの磨り減った石段にも雨水が溜まり、ぬるりとした水の層に、あやうく滑りそうになる。
はたして鍬山とは源吾の姓だろうか、それとも地名か。そして、いまだ文法学者を悩ませているという「象は鼻が長い」という主格の不分明にも似たセンテンス。「若葉が」という文節が主格たりえていながら、「養家は」と書きはじめるならば、この文節は、このセンテンスのみならず、この小説全体をつうじた主格を印象づけるようである。ましてここまで、源吾という名こそありながら、「鍬山の」という書き出しの文節が、先に書いたとおり、姓とも地名ともつかぬ座りの悪さを抱えたままだから、源吾の正体もしれない。
ふたつ目の段落にいたっては、景色が動き、「ずぶぬれだ」としながらも、そのずぶぬれになる者は「下を通る者」と、仮想的な人物である。それに先立って、「するなら」と、これもまた仮想のなかの出来事なのであり、実態としての人間はおろか、実態のある出来事さえ、いまだ姿を現わなさい。畢竟、この小説の主格、語られる主体として、養家、それも家族関係といった養家というより、建物としての養家が印象づけられよう。このとき、「沈黙交易」にあった読み手のヤドリギたる主格の不在が、座りの悪さを感じさせるのだが、もちろん、小説において、読み手のヤドリギが必要不可欠なわけではない。それでもここには源吾という名が早々と示され、とりあえず、語りの場に登るであろう人物が書きつけられてもいる。
家を主格とする小説といえば、納富さんが「午前」79号に書いた「母屋」が思い出されるが、同人誌「午前」に書かれた小説の読者がどれほどいるか、と思えば、それには触れずに先を読もう。なお、念のために書いておくと、「母屋」は「午前」誌において、小説ではなく、小品(ある記録)として掲載された。
福岡市に住む源吾と深真子の夫婦は共働きなので、週末にしか、佐賀県のはずれにある鍬山の養家には行けない。往復、車で六時間もかかる。福岡のマンションに病気がちな老猫を飼っているので外泊は無理だ。息子は二人とも、転勤で遠方に暮らしている。
養母の龍子さんが老いて死に、源吾が相続をしたときには、江戸時代に建った古家や手入れの要る面倒な山林、すぐ雑草に覆われる畑や過疎化で小作人を捜すのが困難な田など、譲られても始末に困るばかりだ、と深真子は思いあぐねた。
源吾は深真子ほど物事を生真面目に考えないので、なるようになるさ、と言って、家の前の荒れた畑を耕し、畝を作って種を蒔いた。
一行空きを経て前に続く場面である。
最初の段落で、いきなり鍬山が地名であること、そして、源吾・深真子夫婦というヤドリギから、養家と夫婦の位置関係までが示され、一応の安定を得たように思える。だが、この段落にもまだ、なにか得体のしれなさが付き纏っていないだろうか? 先に、家族関係としての養家ではなく家としての養家、とは書いたが、いまだ家族関係としての養家の影は、一掃されたわけではない。そこに住まう源吾の養い親やその家族とその関係が、「養」の文字がいかんともしがたく何事かの気配を漂わせながら、見え隠れしているのだ。
それが、改行されて次ぎの段落に移るやいなや、すでに養母が亡くなっていることが告げられ、と同時に、以降では「古家」「家」と書かれて「養」の文字が消える。それは、すでにその家が、「養」という形容を必要としなくなったということだろう。
ここには注目したい点がもうひとつある。たったひとつのセンテンスで書かれたふたつ目の段落が、「深真子は思いあぐねた」としめられて、その内面を語るさまが、語りの場、読み手のヤドリギを、一気に、深真子に降りたたせたように見える。ところが、続く同様にひとつのセンテンスで成り立つ段落が、直前の「深真子は」に対抗するようにも、いきなり「源吾は」とはじまり、わざわざ「物事を生真面目に考えない」とことわって、そのありさまを語るのだ。「物事を生真面目に考えない」から語り手もその内面に触れ得ないようにも見える。触れ得ないから、触れないのであって、だから、内面が語られた深真子こそがヤドリギなわけではない、と思える。
いまだ読み手はヤドリギを確定できず、源吾と深真子というふたつのヤドリギの間を揺動する。では、夫婦ともにヤドリギなのだろうか? それもまた小説の場なら充分にあり得ることである。そして、「龍子さん」という「さん」付けする仕草。これはなにを意味するだろう? 語り手の顔が仄見えないだろうか? ただ三人称というには、この仕草はあまりにも思わせぶりである。
そして、またしても一行空きを挟むとすぐに、
古い家の厠には、とても入る気がしなかった。扉もひび割れ、灰色の床は斜めになっており、迂闊に入ると床板とともにご先祖様がたの乾いた糞便の上に落ちてしまいそうだった。大工を入れて修理をする気持ちにもなれない。福岡市で暮らしてきてマンションや会社のビルなどの小綺麗な環境に慣れた深真子は、畳が沈む古家に踏み入るだけで黴や汚れが空気感染のように体中に染みつく気がした。
厠の不便と、畑の泥汚れや真夏の全身の汗を洗い流すシャワーが欲しいこともあって、雑木林や竹林から離れた榎の大木の横に、龍子さんが遺してくれたお金で小屋を建てた。厠と台所と風呂場と、体を休められるくらいの狭い部屋だけである。
近くに住む大工は、小学校では龍子先生に教わったと言い、普請に入った日と終った日に母屋の通り土間に立ったまま、つきあたりに見える仏壇を短く拝んだ。
大工はそのついでに金尺で天井板から長押までの壁の寸法を測り、「この家は、確かに百七十年以上は経っている」と言った。
古い「家」の厠に入る気がしないのは誰か、と、迷う。そして、この段落の最後のセンテンスにいたって、どうやら今度こそようやくヤドリギが深真子になったらしい。そう思えば、「龍子さん」という呼び方も、納得がいく。それでもあくまで主人公は家なのだ、というように、ここでも最後は家の在りようが語られる。
さて、延々と、ほぼ1ページに相当する書き出しを辿ってきたが、これ以降、語りの場は、すっかり深真子に寄り添いながら、進む。だが、ここまで辿ったような主格の揺動を引き摺るかのように、深真子のさまも、茫洋として、それは時さえも越えて漂うように、それでもなお存在している。あたかも神のごとき書き手が作中で語りだすメタ・フィクションの仕草にさえ見えながらなお、語られつつある時空を生きているから、神のような不確かな存在ではない。不思議な存在である。
では、本当に不思議な存在だろうか? なぜ時空を超えるのか? 深真子の過去は、上の引用にある部分以外にはいっさい語られることがない。あたかも深真子には過去などなかったかのように、その家族のこともなにも語られない。
そして、なにより物語が、源治の成長を辿るような長い時間の中の、源治の養母・龍子さんと実母・お鶴さんの物語であり、深真子は、龍子さんの「記録帳」を読むものであり、お鶴さんの話を聞くものであり続けている点において、深真子の存在の浮遊感が際立つ。
それはまた、ふたりの母が、源治という支点を軸にして成り立つ関係でありながら、支点は支点に終始するように、ぼんやりと、希薄なままに、ふたりをそっと見ているさまにも、似ていよう。
実母と養母の繰り広げる派手な喧嘩を、小学生の源吾は、どこにも居場所のない気持ちで見ていただろう。深真子は、記録帳のその時代のページをめくるが、子供の辛い気持ちを推し量る言葉は一言もない。源吾はどちらの母親にも愛されることが少なく、気弱で心優しい父親は寡黙だった。
ふたりの母同様に、深真子の視線もまた、小学生の源治に届かず、「見ていただろう」と想像するしかない。
夢中で言い争っている母たちの間で、「筍どろぼう」と呼ばれて竦んで立っている子供の姿が、見えるような気がする。古い写真で見た、坊主頭の、くたびれた木綿のズボンをはいて、いつも眩しそうな眼をした少年だ。
幻視は、「気がする」だけで、深真子はけして源治の子供時代に立ち会えない。
このとき、語るものであるお鶴さんと、書き遺し死んでしまった龍子さんのその在りようの対比も面白いが、すると、なにかが妙なのだ。遡ってみよう。
ずいぶん前のことだが、源吾の実母であるお鶴さんは、深真子と源吾の新婚家庭に入り浸っていて、一ヵ月のうち三週間くらいは長逗留した。深真子を話し相手にして、なかなか佐賀には帰らなかった。
その日々に、お鶴さんからたっぷり聞かされた話と、龍子さんから十五年の空白を置いて聞かされた話や遺された記録帳などによると、源吾は、昭和二十五年、七歳のときに、実父寅太郎の姉である龍子さんの家に、養子縁組で貰われている。転校した先の小学校の担任教師まで、龍子さんだったという。養子を一日中眼の届くところに置いて躾け直すつもりで、上司に頼み込んだに違いなかった。
ようやく物語がその姿を明確にする端緒といってもよいが、さて、いったいこの視線はいったい誰のものか? 前の段落は素直に三人称なのだといってしまえばよかろう。だが、日本語において、純粋な三人称とはいかにして可能だろう。後ろの段落でいきなり出てくる「聞かされた」という受動は、つぎの段落の「という」と聞き手を呼び込む。さらに「違いなかった」という推量のさまにまでいたれば、ここに深真子の声が聞こえずにいない。深真子こそがこの物語の牽引者、主導者であることは、先に見たとおりなのだけれど、なにかが引っかからないだろうか? 上に続く段落を見よう。
寅太郎もお鶴さんも、子供を大声で叱ったり命令口調でものを言ったりするタイプではなかったので、源吾のショックと不安はさぞや大きかったに違いない。
さらに、すこし進んだ先、龍子の家(養家とはいうまい)を逃げ出した源治が実家(とあえて書く)に戻った場面を引用する。
実家では、年子の兄の一郎が熱を出して学校を休んでいた。「源治がね、叱られると思うたのか戸口の蔭でうなだれて立っているのを、手洗いに立った一郎がみつけたのよ。一郎が土間に駆け下りて、ぐしょ濡れの弟に抱きついて、『もう源吾をよそにやらんで。僕たちとずっと一緒におる』と泣き叫んで、二人で固く抱き合ったまま離そうとしても離れなかったのよ」と、お鶴さんから深真子は聞かされたのだった。
「のだった」という語尾が、三人称を強調するような距離感を生み、なるほど、まだ違和感の正体は明らかにならないかもしれない。それなら一気にページを進み、お鶴さんの死の場面を抜き出してみよう。
源吾とふたり、秋の薄ら寒い日の広い家に一人でいるお鶴さんを訪ねた。「一郎とはもう親でも子でもない」と本心ではないことを大声で叫ぶお鶴さんは、おそろしく痩せて、水しか欲しがらなかった。週末ごとに訪ね、どんなに思いを尽くして励まし慰めても、源吾は一郎の代わりにはなれず、お鶴さんは意識を失うまで一郎の名を呼びつづけ、脳溢血で、すとん、と死んだ。
今度は、寅太郎の喪服は、きちんと寸法が合っていた。
喪主代表になった一郎の挨拶が母親を恥じたものであったので源吾が激怒した。深真子は、物陰で源吾をなだめた。
それぞれの車で寺に向かうことになった。全員が車で来ていたので、運転をしない深真子がお鶴さんのお骨を抱えて一郎の車の助手席に座った。
一郎は横目で深真子の膝の上を見たが不意に顔を強張らせて「こんなもの、抱かんでいい」と叫んで骨箱を奪い取り、着替えの服などが乱雑に置いてある後ろの座席に投げた。兄嫁がつんのめるように走ってきて一郎を叱り、「深真子さん、しっかり抱いとかんば」と、骨箱を押し付けた。
龍子と鶴とは一体だれなのだろう? と書いてみたら、違和感の訳がわかるだろう。深真子とは、あるいは語りつつある主体は、一体だれなのか? なぜ龍子と鶴だけが、敬称を纏うのか? それなら、今、引用した場面の直前を見てみよう。
龍子さんが死んで、次の春にお鶴さんが転んで大腿部を複雑骨折した。そのあと腰が直角に曲がってしまったお鶴さんは、この身で広い二軒の家の見張りは大変だと言いだして、一郎との同居を強く望んだのだが叶えられなかった。すると一転してお鶴さんは、自分がこれまで一郎夫婦へ施してきたさまざまな金銭的援助を数え上げて「恩知らず」と攻撃し、会う人ごとに一郎の悪口を告げて、あちこちに手紙を書いて送った。お鶴さんは、過去に龍子さんから受けた仕打ちを、刷り込まれたように、そのまま反復しているのだった。お鶴さんは、「長男らと違って次男夫婦は優しくしてくれる」と要らぬことを言い、一郎夫婦の気持ちをわざと逆撫でする。
かつて同じひとつの出来事を語っても、お鶴さんの科白と龍子さんの文章には、なにをその背後に据えるか次第で、大きな意味の異なりを見せていた。しかし、ふたりは同じ出来事を経験していた。別の立場からひとつの出来事に対峙していた。
そして、また違う場所から、まるでタイムトラベラーのような、異界のからの視線で、それはまた読者や聞き手の視線で、絶えず吹いている風に揺られて、フワフワとその空間を漂うように、それらの出来事を見ているのが深真子だ。
季節になると、筍が母屋の床下にぞっくりと立つようになった。龍子さんに止められ抑えられていた竹林はある日、油断の隙間に気づいたのだ。繁殖する快感を隙間に向け、歓声をあげて押し寄せてくる。深真子の体のうちにもぞくりと筍が立つ。
龍子さんが筍や竹を業者に売っていたのは、吝嗇だったからではなく竹林の勢いと戦うためだったのだ、とようやく気づく。侵略されてしまったあとではもう遅い。子孫が住まない家は崩れるしかない。母屋のなかでは、日記も賞状も手紙も何もかも湿って歪み、灰色になり茶色になり、日に日に意味を失い、つくも神さんすら淡くなって消えてしまった。
深真子は、科白にも文章にも、コトバにならなかったことに気づく。その気づきは、だけど、源治が筍を盗んだことを咎める龍子さんを説明しないが、それは問題ではない。深真子は、龍子さんやお鶴さんを理解した自分に出会っているのだ。いや、龍子やお鶴さんになってしまうのだ。
穴に刀を納めた。落としたとたん、家がかすかに揺れたような気がした。一心に覗き込んだが、あいかわらず沈黙している穴だった。刀の落ちたあたりから見上げると、きっと明るいひび割れの空があって、そこから覗きこんでいる女がいるのだ、と思った。覗きこんでいる女も、いずれ落ちてくるように見えるかもしれない。
何となく立ち去りがたいまま、しゃがみこんでいた。しばらくすると、蛇の山の小道を強い眼をした小柄な和服の男が早足に下りてきて、マムシのように深真子を睨み、ふっと消えた。陰翳が濃く、あまりにあざやかな一瞬だったので、生身の人間ではなかった気がする。そのあとあたりが急に翳って激しい夕立がきた。小屋に走って雨宿りをしていると眠ってしまい、目覚めると、穴に刀を落としたのも和服の男を見たのも、夢だったように思えた。
畑に立てた風車が、風の表情を伝えていた小説のなかで、もうひとつの風が、床下に開いた罅割れのような穴からかすかに吹き上げてくる風だった。ここに引用した場面については、龍子にでもあらかじめ武家の子孫としての誇りといった話が書かれていたなら、より刀が活きたのではないかとは思うが、それはさておき、見聞きするものだった深真子が、その穴から見上げられる視線を思い描く。視線が逆転し、見られている。続く段落でも得体のしれない男の視線に曝される。
そしてこのとき、穴からの風を、深真子は感じていない。穴の呼吸が止まっている。
最後の場面を引用してしまう。揺れ動いていた自他、已今当、此彼の境界が溶解していく。それでも、ただ、穴の中だけが、まだ彼方であり続けているようにも思える。
穴がまた、少し大きくなったような気がする。穴の暗闇を覗き込んでいると、ふっとなかから誘われる。前のめりに落ちていきそうになる。
お鶴さんはあんなにお喋りに夢中だった。龍子さんは一心に弟の家への道を歩いていた。寅太郎は、畑から収穫したばかりの作物を宅急便でマンションに送ってくれて、それはもちろん音たてて張り裂ける水気たっぷりとした大根で、お礼の電話をすると電話口で、ほっほっ、と笑った。「深真子ちゃぁん」お鶴さんの甘えた声が、耳元から肩にまつわりつく。龍子さんの「帰らんでよォ。私のそばにおってよ。明日も、明後日も、明々後日も来んばよォ」と哀願する声が、背中に聞こえる。親たちの声も姿も昨日のことのように親しく鮮やかなのに、なぜ、いま、あの人たちはいないんだろう。どこに消えてしまったんだろう。これはいったい何なのだろう。
柱時計の躊躇うような音が、ゆっくりと時を打つ。源吾が来るたびにネジを巻く磨いた竹の根でくるりと丸く縁どられた振り子時計だ。時計の柔らかに尾を引く音に誘われて、俄かに鳥肌が立ち、穴のふちに足元が不安定になる。
いそいで畑の源吾のそばに行って、素手のまま、玉葱畑の草取りを始める。引き抜いた草の根から土の臭いが、クンと立ち上る。現実が身体の中に戻ってくる。生えたばかりの草は柔らかで抜きやすい。肥えた黒い土が、粘るように指にまつわりついてくる。
土って気持ちがいいだろう? と源吾が言う。地面と身体が繋がって新しい力が流れ込んでくるだろう? 空っぽになるだろう?
不意の風に、雑木林がざわめき竹林がしなった。庭の木々を覆った蔓が、曇天の空に向かってぶわっと膨らんだ。色褪せた風車がどれも激しく廻っている。
立ち上がって眺めると母屋は小さくうずくまり、裏山に溶けるように繋がりかけている。
源治の科白から鉤カッコが消えている。「これはいったい何なのだろう」という叫びにも似たセンテンスを見ても、たしかに深真子に寄り添っているはずなのに、なお、いまや三人称の書き手は、だれともしれない。
畑をいじる際の、まさに今を語るらしい語尾と、源吾の問いかけ。過去は字のとおりに、過ぎ去ったのだろうか?
ところで、深真子という名だが、家の奥行きと穴があれば、ときに紙面に「深」という文字ばかりが浮き立つほどで、まして、深真子という名がはじめて紙面に表われたときにはわざわざ「しまこ」とルビを振るのだから、その名まえは際立つ。「深さ」を強調するのは、あざといのではあるまいか?


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