購入記録
一昨日、買ってきた本の記録を残しておく。
ちょっと前のことだったようだが、昨日しった。上野師匠のご著書「紙上で夢みる―現代大衆小説論」が再版されていた。というより、新装版になって、新刊扱いされていた。
映画関係が多い師匠の本のなかでは、数少ない文芸関係であり、なおかつ親しみやすいエンターテインメントの評論集で、たしかにすでに初版は手に入りづらく、私もひとに借りて読んだのだった。
乱歩論などは、ここでも参考にさせてもらっている。
来年春の第10回文学フリマに参加できれば、ぜひ持っていこうと思う。
えっと・・・、すっかりご無沙汰していて、それはもう、いただいたメールにも返信していないというテイタラクなわけで、それはまぁ、家庭の事情とかなんとかかんとか、言い訳しようと思えば、それもないわけではないのだけれど、やっぱり所詮は言い訳だし、なによりマンガは読んでもいわゆる小説等は全然読めていなくて、今もまだ読んでいなくて、だけどその間にも入手した本などがあるので、記録だけでも残しておこうと、ひさしぶりにココログの管理画面を開いたわけさ。
いやはや、ほんとに、同人誌を送ってくださったみなさん、不義理、ごめんなさい。
また、euripidesさんも、某日、ここの停滞に触れておられ、それもあっさりスルーしている始末。ごめんなさい。そして、小説を書いているわけでもないのです。
というわけで、入手本。
残念ながら、現在休刊中の同人誌「頌(オード)」を率いておられた小原優さんだが、小説集であった「メタモルフォーズ―十一の変身譚」以来(多分)2冊目のご本を上梓された。それが、映画論であり左の画像の「イニャリトゥ、トリアー、是枝 ―今世紀の映画作家たち」。
メランコリーに過ぎるかもしれない。まして、綾波レイや、ゴスロリ・ファッション(黒ゴス?)などによって、繃帯姿の少女に今様のなにがしかが纏いついた現代であればなおのこと、この小説を賞揚しようとすれば、気恥ずかしさが拭えない。
都市の中心部にぽっかり穿たれた、草が生い茂る場所。そこにははっきりと眼に見えぬ小さな生命が蠢いている。なにとも明確にいえないものの追跡を恐れながら、生きている都市生活者の「若者」は、それを、少女に教えられる。少女は、ほとんど肉体を持たないように、全身を繃帯で覆っている。
視力も衰えて、もうぼんやりとも見えなくなったようだ。だがそれにつれて、視力以外の感覚がますます研ぎすまされてゆくのがわかった。繃帯の中は肉と骨ではなくて、白く光る神経のからまりだけではあるまいか、と若者は思うこともあった。
少女が語る生命は、しかし有機物のことではない。おおむね音だ。だが、それは自然界の活動として、生命的なものの比喩が読み取れてしまう。そして、少女は、都市のなかで上の引用にもあるとおり、次第に衰弱していくのだから、あたかも妖精のようでさえある。
繃帯姿の少女に、ゴットフリート・ヘルンヴァインを思い起こし、まして、こうした少女と都市の在りように、ふと、発表誌を見てみれば、84年7月の「海燕」だった。妙に納得してしまった。
というのも、近年の嶽本野ばらをはじめとする乙女ブームに先立って、1980年代には、ちょっとした少女論のブームがあったと言える。例えば我が家に、1983年に出版された「少女図鑑」という本がある。錚々たるメンバーが名を連ねるここに、伊藤俊治が書いている。
「あの夕陽・牧師館―日野啓三短篇小説集」巻頭の「向う側」を読んでみたら、これはまた、面白いじゃないか!
この小説が、1966年に書かれた日野啓三のデビュー作であり、日野啓三はかつて読売新聞社に在籍、ベトナム戦争真っ盛りのサイゴンで特派員だったとしってしまえば、なるほど、内容的にも書きぶりも、まだ若書きの私小説かもしれない。だけど、面白かったよ。
この小説の物語を要約すれば、内戦中の東南アジアとおぼしき国に、特派員として派遣された「私」が、姿を消した前任者を探すお話だ。だとすれば、おそらくは私小説ではない。日野啓三がサイゴンで特派員をしていた事実があったとしても、その前任者が真実姿を消していただろうか? それを私はわからない。そんなことはどうでもいい。だけど、内戦中の国で、自分が生きている場所(世界)に閉塞感を感じ、「向う側」を夢想する「私」の在りようは、いつの時代でもどんな場所でも誰にでも、ありそうな、ある種普遍的な自分の居場所、すなわちアイデンティティ発見の物語としては、いかにも小説的な物語だ。
ところが、「私」はすでに、日本という場所を離れている。
――あそこのように長い植民地化と内戦の続いた土地の人間というのは、われわれのような島国の温室育ちとちがって、性格的に微妙な屈折と陰影が多く、簡単には理解できないところが多いのですが、それだけに非常に興味深い人間がいます。その男もそういう人間のひとりでした。決していい加減な男ではないと言っていいと思います。
はっきりとは書かれていないが、「私」は本国に電話かなにかで報告しているらしいのだが、ところが、この書きぶりは、なんとも不思議である。「私」の科白であるはずだが、「あそこ」と言うのだ。「土地」とはいっても、「長い植民地化と内線の続いた」というなら、ここで話題になっている「男」がいる場所を「あそこ」というのでもないだろう。
それなら「私」は、「島国の温室」に帰ってのちに事後報告しているのだろうか? そうではない。あくまで経過報告である。それなら、電話ではなくて、言ったり来たり、定期的に帰って報告しているのだろうか?
その詳細はしれない。なんといっても、これらの報告の遣り取りは、一行空きを挟んで唐突にはじまり、前後にも間にも、科白らしき文章のほかに地の文章はまったくないのだ。対して、ここで「あそこ」と呼ばれた舞台になっている風景は、絶えず、うるさいほどに描写されている。例えば、書き出しを見ても下のとおりだ。
古ぼけたタクシーは私をおろすと、ほとんど舗装のはげた凸凹の通りを、はげしく揺れながら逃げるように走り去った。いかにも場末の裏通りといった名も知らない一画
半分戸をしめた自転車屋、ペンキ屋の二階は恐らく私娼窟だろう。タイヤをはずした(あるいは盗まれた)小型自動車が赤く錆びついて並んでいる修理工場らしい町工場(人気はなく恐らく休業中だ)。薄暗い漢方薬屋の隣りが葬儀屋らしく、ヘビのもつれたような気味の悪い飾りを恐ろしくごてごてと張りめぐらしたひどく大きなからぽの霊柩車が、ほとんど人通りのない通りの半分以上を占領している。
箇条書きのような描写や、ことに霊柩車の描写などは、下手といってもいいだろうし、書き出しなのだから、この小説の世界をすこしでも早く読者に教えようとする身振りとしてわからなくはないにせよ、さらに数ページを経れば、下の段落がある。
乾季の盛りだというのに、水は広い川幅一杯に青黒く悠々と流れ、船首のひらく上陸用輸送船が甲板にジープを一杯に積んで、中流でゆっくりと向きを変えていた。その向う岸の、強い陽ざしを照り返す椰子の林に囲まれて、小さな教会がひっそりと立っているのが見えた。そしてその教会堂の頂きの小さな白い十字架が、まわりの椰子の群の動物的なまでになまなましい濃緑色の生命力の渦巻きの中に、ひどく際立って、というのも決して毅然としてという意味ではなくむしろ弱々しく頼りなげだが、この陽光の下でわれわれが安心して認知し話し合い証明できる世界だけが、世界ではないことを、懸命に訴えかけ証しだてようとしているように、私には見えた。
「私」の名のもとに、「私」の見え方のもとに、風景を語っているそこが、今「私」がいる場所であるだろう。対して、一切の風景描写を廃して交わされる会話が、「あそこ」というひと言から類推されるように、もし日本でおこなわれているのだとしたら、それが部屋のなかにせよ、なぜこうまで一切省かれるのだろうか? いや、問いの立て方が間違っていよう。日本でおこなわれた会話だからこそ、その風景は省かれる。例えば、「ここ」と「私」が言うなら、その会話は電話だろうと読者は考える。それをあくまで「あそこ」と書き、なおかつ、描写の過多と省略によって、両者を分かつ。この小説の場所、「私」の場所は、ここ(あそこ)なのだ。
だが、ことさらに「私」の科白として書かれた「島国の温室」でさえない「ここ」であり、その風景描写は、いかにも私たち日本の読者には彼方の場所でありながら、さらなる「向う側」を探すのだ。消えた「彼」(前任者)は、「向う側」に行くといって姿を消した。
では、向う側とはどこだろうか? 向う側と言いながら、それは明確である。すなわち、ゲリラが自由に往来している場所である。町を離れればそこはもう向う側なのだ。だとすれば、むしろ向う側に閉じられている場所がここである。
それなら、「ここ」とはなんなのか? 日本でも大いにかまわないはずではないか? 「島国の温室」でもなく、「向う側」でもない「ここ」は、なぜ、これほど執拗に描かれたのか?
そんな話もしたし、何も話さないこともあった。よく二人でこうやって長い間、黙って坐っていたよ。二人とも、だんだん通行禁止時間が近づいて、車の流れが少しずつ減って、まわりのレストランやキャバレーの灯が次々と消えて、広場が暗くからっぽになってゆくのが好きだった。妙に聞こえるかもしれないが、おれは広場がからっぽになるにつれて、気持ちが充実してくるんでね。反対に車や人間やいろんな物が動きまわったりさわぎまわったりしてる中にいると、妙にイライラしてくるんだ。
ぼくだってわからないことはない、と私は言った。静かなのは好きだ。
静かというのとはちがう、と男はきびしい口調でいった。静かというのは単に音がしないというだけのことだ。おれの言うのは、何もないことなんだ。
カギ括弧のみならず、先のようなダッシュさえ省かれて、交わされる会話の相手は、先の引用で「その男」と呼ばれた消える以前の「彼」をしる男である。男はなにもないことを望む。そしてそれは「向う側」にあるという。しかし、男はそれを求めて「向う側」に行くわけでなく、なにともしれないものを待っているともいう。そうした場所が「ここ」だ。なぜなら、向う側に消えた「彼」もまた「むなしい」ということばを使っていた。この小説ではそれを平仮名で書いているが、「虚しい」あるいは「空しい」と書く言葉だ。「空虚」。あるいは「何もない」というなら「無」。「虚無」。ここには仏教の匂いがする。
まぁ、こうなれば、この物語が最終的にどうなるのか、およその見当はつこうというものだ。
この先は、これから読むひとの興を削ぐかもしれないので、そのつもりで・・・。
だいぶ以前の話だが、私たちのゼミで後藤明生の作品を取り上げたことがあった。その際に、私は、あまりに繰り返されるくどい語尾に反感を覚えて、否定的な発言をしたのだった。
すでに彼の死から10年が経過して、今では講談社の文芸文庫の数冊ぐらいしか入手は困難な状況になりつつある。
じつは、ゼミの課題になったときには、すでに彼の本は書店で見つけにくかった。課題にいたく感激した御大の同人が、他も読もうと書店で探したが、まったく見つからなかったというので、私の本棚にあった4・5冊を貸すことになった。ゼミで否定的発言だった癖に、ずいぶん持っているじゃないかと言いながら、その場で借りパク宣言されたのだった。そして、私もそれを承諾した。
ところが、最近、あらためて読んでみたくなっている。今読んだら違うんじゃないかなぁと思えてきたのだった。
でも、文芸文庫って、「挟み撃ち」と「首塚の上のアドバルーン
」、どっちも長篇だよね・・・。まずは短篇を読んで様子を見たいんだけどな。ちなみに「挟み撃ち」は貸したなかに入っていたはずだなぁ、ね、T姉?
「無駄な描写」って、何だろう、と考えている。悩んでいる。「人間」にも「物語」にも依存しない小説のなかの「描写」は、どうしたときに無駄になるだろう? と。もちろん、無駄な描写を排することが目的なのだけれど、無駄とは依存するものにとって過剰であることではないか、と思うと、依存するものなきものには無駄なんてあり得なくなってしまう。
ちょっと見方を変えてみるなら、描写を読み飛ばす読書がまかり通っていることもまたたしかだ。物語依存の読書には往々にしてある。しかし、描写のなかで、物語の伏線を張ることも、例えば推理小説などにはよくある話で、描写を読み飛ばしていたのでは、物語がわからなくなる小説も多々ある。だが、描写が伏線足りうるのは、物語の必要から要請された描写、すなわち物語依存の描写の謂にほかなるまいが、このとき、推理小説を思い浮かべておけばわかり易いと思うが、すべての描写が伏線であるならば、それらは伏線としては弱すぎる。無駄な描写のなかに紛れ込めばこそ、伏線は活きるだろう。どれが伏線なのか迷わせるようにカモフラージュして、読者を引きずりまわす。描写にかぎらないが、それらしいもののなかから有効なものが伏線なのであり、その抽出が、探偵小説における探偵術なのだと言い切ってしまってもいいかもしれないし、推理小説で犯人探しやトリック解読を楽しむ読書の方法だとも言える。
では、物語の伏線足りえない描写は、物語にとって無駄だろうか? すくなくとも推理小説にとっては、上に書いたとおり、無駄ではない。伏線足りえないからこそ、伏線をカモフラージュするために必要な描写になる。物語が要請した無駄なのだ。そしてこのとき、書き手にとっての書く対象の置きどころが問題になるのではないか?
例えば、この際だから探偵小説の在りように依存して、江戸川乱歩の「パノラマ島綺譚」を考えてみよう。物語は単純極まりない。自分の夢想する世界ばかりを描き続ける売れない作家の人見広介が、旧友にして億万長者の菰田源三郎になりすまし、夢の世界を実現するが、唐突に現れた明智小五郎に正体を見破られて、自死する物語だ。そして、この小説の読みどころといったら、なにより菰田源三郎(こと人見広介)が作り出した夢幻境の描写だろう。しかし、もちろんそれらは、物語や推理小説としての謎解きになんら寄与しない。そのなかには、千代子殺しの伏線となる箇所もあるし、会社組織として資産の濫費を有無をいわせなくさせる仕掛けも盛り込まれてはいるが、海中トンネルや地平線まで見晴るかす平原、天にも届くと見える階段、それらは、仕掛けたり得ていない。だが、これらこそが、「パノラマ島綺譚」という小説で、乱歩が実現しようとしたものだったとしか思えない。ポーの肖像を部屋に飾っていたという人見広介とは江戸川乱歩のことに他ならず、人見広介が書いた小説とは「パノラマ島綺譚」なのだ。もちろん、最終的には、乱歩と人見広介は分裂する。明智小五郎によって暴かれる謎とは、乱歩の分裂だといってしまってもいい。なにより、明智小五郎のあまりに突然の登場振りといい、謎解きのあっけなさといい、物語は完全に破綻しているではないか。
そう、物語依存ではない描写、物語にとっては無駄な描写が、物語を侵食してしまうのが、乱歩だ。いや、描写するひと=人見広介と、見るひと=乱歩の分裂だったかもしれない。
例えば、千代子はなぜそれが菰田ではないと気づきながら、言い立てなかったのか、とか、なぜ人見は千代子をなかなか殺さず、それでもやがて殺すことになるのか、とか、人見はなぜ死ぬのか、といったことのなかに、人間のなんたるか、何某かを見出すこと、なにかを語ってしまうことだってできるわけだよ。だけど、この小説は、そうした人間や物語より、なによりも描写が目的化していたはずなのだ。それでも、そこには、人間や物語が現出する、それが小説ではないか、ということ。
今は、丸尾末広のマンガを念頭に書いているが、原作をちゃんと読まないといけない。むか~し読んだはずだが・・・。そういえば、光文社から文庫版の乱歩全集が出ているのだった。でも、短篇はちくまの「江戸川乱歩全短篇」全3冊を持ってるんだよなぁ・・・。
ちなみに、師匠の「紙上で夢みる」というご著書に乱歩論があり、これを参考図書にあげておこう。
ところで、「無駄な描写」だが、描写が目的化しているならば、無駄はあり得ない。ただ、読書にとっては、うるさいとか、しつこいとか、およそバランスとでもいえばいいのだろうか、そうしたものがあるようにも思うし、だけどそれも個人差があって、境界線はなかなか確定できない。基準になるなにかはありそうに思えるけれど、今のところ、こう思うよと提示できるなにも見出せていない。
もうひとつ。
花田清輝という小説家がいる。徹底的に描写を排した小説を書いたひとだ。評論ではイメージ喚起を志しながら、小説では、イメージ喚起を嫌った作家。まさに、ありえたはずの対極的な小説。もうひとつの小説。描写だけが小説なわけではない。それでも、「鳥獣戯話」も「小説平家」も面白かったんだよなぁ~。そんなこともしてみたい欲求を覚えるが、今はまだ・・・。
今回は、候補作のうち一作も読んでいなかった。途中まで読んで、止めてしまったのは、みっつあるけど、読了にいたった小説はひとつもなかった。
最近は日本の新しい小説が全然読めない。それは、作品がどうこうというよりも、こちらの問題なのだろう。
それでも、いつものことながら、読まないままにもなんとなく予想を立てたりしていて、今回なら、1.田中慎弥「神様のいない日本シリーズ」、2.鹿島田真希「女の庭」、3.津村記久子「ポトスライムの舟」と予想していた。
津村記久子は、つい先日野間文芸新人賞を受賞したばかりだし、最近の文學界新人賞の傾向から、文藝春秋社がこれからの日本文学に求めているもの、なんてことを考えて、ちょっと可能性が薄いだろうと思っていたのだ。それでも、3人目に名まえを挙げたのは、キャリアと実績からで、だけど、それなら鹿島田真希が先という気がしていた。ただし、鹿島田真希はすでに三島賞を獲っているというバイアスがあり、その点では、津村記久子にも可能性はあるだろう、と・・・。
一度だけ、競馬場に足を運んだことがある。その際もそうなのだが、とにかく、ちょっとしたズレで外すのだな。いい線にいっていながら、結果は外れ。それは競馬にかぎらず、あらゆるゲームで、その手の運びには、周囲も納得するのに、結果がついてこないのだ。そして、運がないとしか言いようがない、と周囲に言わしめる。また、こうしたあと一息というあたりは、後を引く。次こそは、と思ってしまう。これは危険だ。
そんなわけだから、いわゆる賭け事は、手を出さないと決めているのだった。ほんの遊びの領域を超えない、と決めている。
読みもせずに、予想するほうが、どうかしているのだけれど・・・。
とはいえ、「文學界」(あれっ? 「文學界」2008年12月号は、AMAZONで「現在お取り扱いできません」だ・・・。やっぱり「全国同人雑誌リスト」の威力では? まだまだ同人誌関係者が購買層だったんじゃないの?? それとも、新人賞が目当てなだけかな???)掲載だったからすこしだけ眼をとおした、墨谷渉「潰玉」や山崎ナオコーラの「手」が候補になるようでは・・・。
いや、だからといって、他の作品も悪いのだろうというわけではない。その差が激しいということだって充分に考えられるのだから。
ちなみに、「神様のいない日本シリーズ」も「文學界」掲載作であり、読了はしなかったが、ちょっとだけ眼をとおして、その上で、候補中の第一に挙げていた。・・・ってことは、一番ですら読了に達し得なかったってことじゃん。フォローにならない・・・。
ひさしぶりに、小説を読んだ。そして、大いに楽しんだ。第107回文學界新人賞の「射手座」上村渉なのだ。
ところが、記事の書き方を忘れている。さてさて・・・。
最初に文句をつければ、これで「射手座」というタイトルはいかがか? と思う。例えば、織田作之助に「六白金星」という小説があるが、この小説にとって、なにが射手座なのか? たしかに作中に、一人称の書き方でありながら、その「わたし」ではないにもかかわらず、主人公とも言える加賀が、射手座であることは語られているし、この人物の性格も射手座にかなっているかもしれないが、しかし、「六白金星」が、六白金星らしい性格が絶えず問題化していたのに対して、この小説では、射手座的であることが問題化されることもない。作中に出てきた言葉を適当に拾い出しただけにしか思えない。それともこれから上村渉は、さまざまな星座に沿った性格づけをなした人物を12あるいは13個、書くつもりなのだろうか?
楽しんだのだから、悪口はこのくらいにして・・・。

新宿の地下街サブナードで恒例の古書市「古本浪漫洲」がたっていたので、覗いて、2冊買ってしまった。9月1日からやっていたのだなぁ・・・。
永井荷風「雪解」が300円、野坂昭如「姦」は1000円。しめて1300円。
「雪解」の状態はかなりよろしくないが、これは、見つけてしまったからには、買っておかざるを得ないでしょう。
野坂は「マリリン・モンロー・ノー・リターン」のハードカヴァーも同じく1000円で出ていたのだが、我慢した。岩波現代文庫・野坂昭如ルネサンスの③に入っていることだし・・・。
私のもとに、とある出版社からメールが届いた。
届いたアドレスから判断すると、サイト「文芸同人誌案内」さんを通じて送られたようだから、当該サイトに連絡先がある同人誌関連の方々には届いていると思われるが、それ以外で文芸同人誌にかかわっておられる方々にも、この場が媒介になれるなら、役に立とうなどと、殊勝なことを考えてみる。
ただし、どうやら「文芸同人誌案内」というサイトの存在をしりながら、掲示板などを利用するのではなく、個人宛のメールということなので、先方の住所やメールアドレス、電話番号、さらに個人名などは、伏せておく。ただし、HPのアドレスは公開しておくので、そちらにアクセスすれば、充分な情報は得られるだろう。なお、メール発信者のお名まえは、当該会社の代表取締役社長の御名である。
また、「木曜日」は明日にでも発送するつもり。
以下、メール転載。
「文學界」2008年7月号に掲載された牧田真有子の「湖水浴」が、とても面白かった。デビュー作を散々腐してしまったのだけどな・・・。谷崎由依の新人賞受賞第一作「冬待ち」を読みかけて手が止まったのに、こちらは読みきってしまったよ。
部下のような同僚のようなアルバイトの女の子の死からはじまる物語で、サスペンス仕立てに組み立てられているが、そうしたサスペンスの組み立てとしては、謎解きの仕草にがっかりしたものの、前作とは打って変わって力が抜けた描写でありながら、静かなるものと荒れるものの対比のなかで、絶えざる描写が風景を見せている。また、静かなものと荒れるものは、風景と同時に、それを見る人間たちの在りようでもある。
死んでしまった関本小夜から、連日手紙が届いて、物語は進行していく。同時に、7日に亙る手紙の到着の間にも、「私」は生活し、だが、ただ漫然と過ごすわけではなく、じつは関本に彼氏がいることをしって諦めたのではあれ、一時は「気があった」から、その死に不審というほどではないにせよ、不明なままの死の原因を探るでもなく探るように、関係者を訪ねたりしている。
約束の7通を超えて出てきた8通目の手紙の説明振りには、上に書いたとおり、サスペンスの謎解きのようで、冗長さもあって白けたが、それでもそこで終わらず、まだまだ先に続いていったのも、好感がもてたが、「私」の内面化された独白に終始したのも残念ではあったし、「私」の姉の死の話は、全体の構成としては、バランスを欠いているように感じられた。だが、荒れたものである姉と、静かなるものとしての関本の父の対照的なようで、特殊性においてやはり似ているものという対比は、とても面白いし、そうした特殊な近親者をもった「私」や関本が、だけど彼らの傍観者としてあるのではなく、事件(出来事)に出会ってしまうものたちでもあり得たことと、その背景に姉や父の存在があること、巧妙に練り上げられていると言えるだろう。なにより、関本に起こった事件とは・・・。いや、急ぐまい。
他界した人間から手紙が届き始め、途絶えて、半月が経つ。
この書き出しはいただけない。またしても、インパクト頼りの無意味な一行ではなかったろうか。まして、これとほとんど同じセンテンスが、先でふたたび書かれるのだから、必要だったとは思えない。それでも、これをここに書かずにいられなかったのは、おそらく、時間の在りようなのだ。語りつつある今、語り手の立ち位置を確定する身振りだろう。しかし、この一行は、この小説の全体を回想にしてしまう。いや、正確に言えば、上に書いたとおり、ほとんど同じセンテンスが表れるのだから、そこに至る一瞬のような時間が長々と書かれた上で、あらためて、もう一度、今という場所から眺めることになるのが、2度目の文章だといえるだろう。
しかし、そこまで先を急ぐこともないだろう。
一通目が届いたのは関本小夜の葬儀の朝だった。
と上に続くなら、このふたつのセンテンスを組み合わせれば、よいだろうと思える。ところが、一通目の手紙は保留されて、関本小夜が何者で、「私」が彼女をどう思っていたか、さらに、彼女の死体があがる前日の様子までが語られることになる。
関本の遺体は夏の朝の湖から引き上げられた。翌々日の木曜、私は葬儀に参列するため早くに目覚めた。彼女は県内で最北端のN郡出身だった。式はその実家近くの寺で行なわれる。
入水自殺と聞かされても、にわかには信じられなかった。前触れらしきものがあるとしたら、勤務態度に落ち度のなかった彼女が、月曜だけろくに理由も告げず早退したことくらいだ。
何月でもなく夏とだけ言い、あるいは翌々日などと遠回しに言いながらも、木曜の前々日なら火曜にしかなり得ず、すなわち早退した日の翌日に湖から引き上げられたのであり、葬儀は木曜であり、その日に一通目の手紙が届いた。
「益井司郎様。これをお読みになっているということは、私はもうこの世にいないのでしょう。あなたは朝から黒いネクタイを締め、私の葬式のため家を出るとき、郵便受けにこの手紙を見つけてくださったところかもしれません。お数珠はちゃんと持ちましたか? 白いハンカチは? 死んだ人間がこうもぺらぺらとまくしたてるのはいささか具合の悪いものですね。それとも、この程度のことは意外とありふれた出来事かもしれません。私なんて、生きているうちから自分の挽歌を歌われていたのですから。しかもそうとは知らずに、そのリズムに合わせて踊っていたんですから、実にのんきなものです。
今日を含め七通の、お手紙を差し上げてもよろしいでしょうか? といっても、私が遂げた謎の死の真相を書くつもりはありません。代わりに私の父の話を書こうと思っています。益井さんにはよく、お姉さんのお話を聞かせていただきましたね。私はそのおかげで、今自分のいる位置が、はっきりとつかめたんです。」
上が一通目の手紙の全文である。だとすれば、語りつつある今とは、夏の木曜日から一週間(7通の手紙)が経ってから半月後としれる。すなわち、関本の死から1か月に満たない時が今だ。そのはずなのに、
手紙はそこで終わっている。最後に記された日付はちょうど十日前だ。私は晴れた往来にくらくらと出て駅へ向かった。挽歌とは何なのか、どうして父親の話が彼女の「謎の死」の代わりになるのか。
「十日前」とはいつのことだろう? もちろん、関本の死から1か月未満の今日から十日前ではなく、彼女の葬式に出掛けた日(木曜日)の十日前だ。巧妙といえば巧妙だし、迂闊といえば迂闊な時間移動があっさりと成し遂げられている。だが、このとき、すでに「自殺なんかじゃない。ただその予感だけが体中にひしめいていた。」といった文章が先に書かれていたことと相俟って、この小説をまさにサスペンスに仕立てている。サスペンスに仕立てるのは悪いとはいわないが、この挽歌の謎や、父親と「謎の死」の連関といった謎の提出はいただけない。のちのちそれらが謎解きを余儀なくされるし、余儀なくされるほどに、物語のなかで伏線たり得ていたのだから、こんなことを書くまでもない。とにかく前半は、例えば、関本の同僚の矢淵の科白「高校のとき、小夜のせいで自殺した子がいたんですって」や、封書の「〆」の筆書きなどなど、とかくいかにもサスペンスフルな前振りを繰り返している。物語構成についていえば、下手だな、と思わずにいられなかった。
母が掃除機をかける手を一瞬とめた合間に、遠雷が聞こえました。父ががらがらと窓を開けます。私はひざからおり、幽かな音が轟くだけの虚空を凝視している父の後ろから腕を回し、目隠ししました。父はそのままで「行こうか」と言いました。父が斜向かいのおじさんに怒られるのが嫌で私はかぶりを振りました。その人は昔、畑仕事の最中落雷に当たった後遺症で腕が動かなくなったんです。それで、用もないのにのこのこと雷に誘い出される父を常々たしなめていました。しかも子連れで、その上全然忠告を聞かないので、ただでさえ村で評判の悪い父はますます怒られっぱなしになるんです。そういう話も山盛りにあります。私の小学校の友達の家で火事がおきたときも、父は真っ先に駆けつけました。炎の勢いがすさまじく、もとより誰もろくに手伝うことはできませんでした。とはいえ火を見るのに熱中して、しかるべき気遣いを一切しなかった彼は、ここでも「役立たず」「変人」「とうへんぼく」というレッテルを景気よく貼られたものです。友達一家は無事でしたが、私はその子から絶交されましたし、学校で後ろ指をさされたりもしました。
そして上のような、関本の父が台風や落雷、あるいは火事といった事故を好んで、幼い関本を連れて見物に行く、という奇癖ぶりを書き記す関本の仕儀に戸惑う「私」についても、姉の話がはじまってみれば、妙に納得できるはずで、それに戸惑う「私」の姿こそ滑稽ではある。
姉を一目で問題児だと見破れる人はまずいなかった。校則どおりに着た制服、低く詰った重たそうな黒髪やそっけない目鼻立ちは、ごく平凡な女生徒そのものだったのだ。成績は中の上、学校から帰ってくるとたいがい自分の部屋に引っ込んでいた。ところがどういうわけかときどき突拍子もないことをしでかすのだ。そのため彼女はつかみどころのない問題児として近隣一帯では少々名の通った存在だった。
両親が家をあけていた夕方、自宅に火を放とうとして近所の人たちに取り押さえられたことさえあった。ガレージの周辺から燃えだし、私が友達の家から帰ってきたときは丁度、自転車のカバーに引火するところだった。すでに始まっていたバケツリレーに加わろうとした私は、鋭く振り向けられた姉の双眸に射すくめられた。彼女は十五で、制服を着たままだった。強烈な夕焼けに街中が赤い光を湛えていた。その一隅で燃えている小さな火は、なぜかひどく非現実的に見えた。「こんなことしたらお金やものだけじゃなく今までの大事な思い出がみんななくなるよ」「お父さんたちも本当に悲しむよ」と彼らはヒステリックに声を嗄らして説得した。物置に火の手が伸びて、嗅いだことのない怖い匂いが立ち込めていた。ライターを取り上げられた姉は、覆いかぶさってくる彼らを手当たりしだい殴りつけながら、たった一言静かに「だから何」と訊いた。火に照らし出されたその表情は、その場の誰よりもしんとしていた。彼女に応える人はいなかった。知らない人が消火器を持って駆けつける。火は残らず消し止められ、両親は謝りすぎて寝込んでしまった。
もちろん、そうした納得が、そのまま関本の死を納得させるわけではない。しかし、かつて「私」と関本の仕事以外の話題は、関本のダンスであり、「私」の姉だけだったなら、関本が「私」にその父の話を聞かせようとすることは、むしろ自然なことに思えるのだ。それは関本の死がきっかけではあっても、死の謎とは無縁なところで、納得できる。それをことさらに謎めかしているのは、「私」であって、それはまた、どうやらこれも伏線なのだろう、と、この小説は関本の父に収斂していくのだろう、と予感させてしまう。このとき起きているのは、「私」と書き手・牧田真有子の近すぎる距離だ。この時点では、一度本を閉じた。なんでそうなるかなぁ! という怒りをもって。
だけど、それでも先を読みすすめたら、面白かったのだ。
一度閉じた本を開いたのは、上のような、関本の父や「私」の姉を語るときの、その情景を楽しんだからではある。
『眠れない夜はよく、ペンキ入りの缶を自転車に積んで晩の広場へ疾走するお姉さんのお話を思い出します。そして艶々と黄色い彫像を想像します。前日まで誰かの立派な作品だったのに、一夜にして意味を奪われ、全く別の存在に塗り替えられてしまったものたちについて。』
姉は革命者であり、創造者だ。対して関本の父は、傍観者だ。
九つの初秋にも、やはり嵐は訪れました。家々の屋根の上で、豪雨の飛沫が一枚の布みたいに見えました。そこの吹きつける風の強弱によって瓦は白く煙ったり黒光りしたりする。不揃いな丈の雑草たちは、風が渡る順番どおりに、みんな同じ踊りを踊ります。アスファルトの表面に張った水の膜へつよい風が落ち、ざあっとしぶきを上げて波紋が押し寄せる。長靴をはいていても自分の足元をちゃんと見られません。それは、去年も一昨年も一昨々年も目にしたのと、同じ風景です。一体自分がいつにいるのか、記憶が冷たく麻痺してくる。
「お父さん!」
私はわけもなく大声で呼びました。間近の父の耳に届かず、何度呼んでも届かず、父の耳朶の白さがどんどんくっきりしました。いつもは烈しい光景ばかりに目を奪われるのですが、その日私は父をよく見ていました。
父は眉間にしわを寄せて目を細めていました。降りかかる大粒の雨を防いでいるのとは違います。近寄りがたいほど硬質な視線でした。目の回りそうな速さで用水路の水が流れていました。
「お父さん!」もう一度、あらん限りの声を張り上げました。父はまだ、思い出せそうで思い出せないといった表情を浮かべていました。記憶力の悪い父は自分のそういう面をあっさり見捨てて暮らしていましたので、そんな姿はめずらしかった。思い出したらこの人は狂うのでは、とひそかに予感しました。
いや、関本の予感が正しいなら、関本の父は、自分を変えようとしていることになる。だから、なにかを変えようとすることにおいて、「私」の姉と関本の父は似ている。それを看取しているのは、関本だ。関本には、そうしてひとの狂気にも似た行動を読み解こうとする必要があった。なぜなら、彼女は自殺したものである。自己と世界を乖離してしまうものだ。それには、自己と世界の距離を測定しなければなるまい。自分に先駆けて、世界との距離に疑問を持ったものたちの仕儀を眺め、意味を見出そうとする。
さて、かたや「私」は、なにものなのか?
年譜によれば森敦は13歳くらいから、詩や小説を書いていたらしいが、今回読んだ「酩酊船―森敦初期作品集」収載の「酉の日」は昭和7年、20歳のときに発表された小説だ。1月に発行された第一高等学校校友会の「校友会雑誌」に載ったのだから、十代のときに書いたのだろう。
いかにも、まだ若いし、短い。もの足りなさは否めない。その一方で、13歳から「古今東西の思想書や文学全集を耽読し(年譜)」、小説を書きはじめてすでに6・7年のキャリアを踏んだ、達者な書き振りではある。私自身の20歳そこそこの頃を考えるまでもなく、戦前くらいまでと比べて、それ以降の日本人の精神年齢は70%程度ではないか、などと言われたが、書かれている内容を見ても、小説の書き方を見ても、たしかにある時期以降の20歳とは大いなる格差を感じさせる。
彼女は私をつれて、一軒家のところまで来ると、ちょっと待ってねと云い残して闇のなかに消えた。しばらくして私は冷たい鍵の音を聞いた。窓からよわい電灯の光が流れてきた。
「どうぞ」
「はいってもいいの」そう云いながら私は、ちょっと躊躇して見た。
「ええ、誰もいないのよ」
「じゃ遠慮なく」
書き出しだが、最初のセンテンスが、なんとも絶妙だ。「彼女」という三人称を主語にしながら、直後にそれを語るらしい「私」という一人称が書きつけられる。「私」は「彼女」を見、描写する。「彼女」の科白もカギ括弧を省かれてしまう。語りは、「私」なのだが、語られつつある「彼女」のアクションこそが、ここにある。このとき、「私をつれて」というひと言がなかったら、どうだったろう? 文章としては、なんの問題もないが、次に続くセンテンスで、ひとり取り残された「私」が、音を聞き、さらに続くセンテンスで光を感じる、そうした感覚の出来事が、唐突に浮き上がってしまったのではないだろうか。まして、「私」はつれられているという、受動性が、その後の闇の中に立って、やがて感覚の事件に晒されるものを際立たせているだろう。「私」は躊躇するものである。「彼女」につれられてきた一軒家を前にして躊躇する。あくまで受身のものだ。だから、「じゃ遠慮なく」と言いながらも、下に続く。
でも私はぼんやりと敷居のところに立っていた。
「ずいぶんきたないでしょう…………」
そう云われて見れば、畳も襖も、何だかすすけて、茶色ばんでいる。それに気のせいか、十六燭の電灯がこの六畳の部屋にことさらあわれなみすぼらしさを思わせる。
彼女は茶湯台(ちゃぶだい)を部屋のまん中にすえた。二人は茶湯台をはさんですわった。すわっては見たものの、さて、何から話したものかと、私はもじもじしていた。
私は彼女の指を見た。以前はあれ程美しかった指が、しもやけでみにくくふくれ上っていた。それに、すこし紫がかったようにさえあった。(カッコ内原文ルビ、斜体字原文傍点)
「私」は躊躇ったまま、その場を見る、いわば視点になりきってしまうようでさえある。「彼女」の促しのままに、見、座り、それでも、能動的になろうとして話のネタを探るが、やっぱり「もじもじして」しまう。そして、またぞろ傍観者になって彼女を見るばかりなのだ。
そういえば、私も子どものころは毎年冬になるとしもやけになっては、赤紫に腫れあがった指の痒さに悩まされたものだ。
なんてことはどうでもいいが、それでも、「私」はなんとか、話しかける糸口を見つけて、語りかけるが、なんともとりとめがない。寒くないか、とか、何か食べないか、とか、とりとめもなければ、たびたび沈黙がふたりの間にたゆたう。このふたりの関係は「あれ程美しかった指」というひと言のなかにしか、ヒントがないまま、間が持たないまま詰らない会話だけが続く。
そのはぎれのいい言葉をきいていると、いま、彼女の結っている酌婦髪がへんに思えてしようがなかった。私の知っていたのは断髪さえしかねまじき彼女の顔であった。ひいでた額、すじの通った鼻、あのウエイブをかけた髪の下に何とすばらしく見えたところのあの顔が私にはかなしかった。実はさっき始めて顔を見合したとき、どうしてあんな女がこんな酌婦髪を結わなければならないのかと驚いたのであった。黒繻子の襟は垢じみていた。白粉は妙にてらてら光っている。飲んだのではなかろうかと思われる程である。いや、連中のおあいてに、むりにでものまされない筈はない。そうしてそんなところではやはりこんな風にしていなければならないのだろうと私は考えた。
ふたりの関係は断片だけが、「私」の感慨のなかでそっと告げられていく。だが、いつまでもそうもしていられなくなってしまう。「彼女」が酒を飲もうといって調達に出かけ、「彼女」を見る「私」という立場を失うと、「私」はここまでの成り行きを説明することになってしまうのだ。
今日の九時頃、わたし(ママ)は彼女の手紙を受け取ったがほとんど半年ぶりだったので、その名前すらすぐには頭に浮んで来なかった。しかし、彼女だとわかって見れば、以前はまんざらでもない仲だけに、何となく、あいたくなったのである。それにあれからの話をきいても見たかったし、云っても見たかった。
だが、ここまでに、その電車代を友人に借りたことも書かれており、「彼女」の姿からも、この小説が書こうしていることは、ふたりの関係であるより、貧乏ひいては、社会のことかとも思わせる。だが、貧乏だから、ふたりの関係はなにごとかになるのだし、社会の在りようが、ふたりの関係にある種の律しを強いるのでもあるだろう。
先を急がず、上に引用した場面を見ると、「私(わたし)」はこの物語を説明しているが、そのまま店を訪ねあて、彼女と再会する直前までを書ききると、下になる。
「ね、あんまり飲まないほうがよかないこと。」そこで私はきき覚えのある声を聞いた。やはりそうだったのだ。
酒と書いた赤い提灯が風にゆらゆらしていた。
そんな連中のなかに彼女の顔をえがきながらいろいろな考えに追われ追われしていた私はからころからころとだんだん近づいてくる跫音にふとわれにかえったのである。しかし、彼女ではなかったと見えて、そのまま通りすぎて了った。
今「私」は「彼女」の部屋にいる。「彼女」の部屋にひとりでいながら、だれにともしれない読者に向かって語っているから、説明は、「私」の回想の身振りにならざるを得なくなる。読者なる聞き手など「私」の眼前にはいない。だから回想せざるを得ないのだ。すると、そうした身振りは、今まで傍観者のようにさえ「彼女」を見るばかりだった「私」ではすまされなくなる。「私」に目が向き、「私」を語り出さずにいられなくなる。だから、跫音は、「彼女」のものではなかったのだ。
私はバットの箱をとり上げた。が、火鉢のなかにいつの間にか十本近くの飲みさしの煙草がならんでいたのに気がついて、そのまま箱を茶湯台の上においてしまった。半分からさきがうまいためでもあるが、夜中ひょっと眼をさまして煙草がほしくなったりした時(そんな時こそ煙草がないことは堪えられない)飲みさしの煙草をさがしてすうのがくせになっていつも飲みさしのまま灰に立てておくんだが――
私はいまさらの様に部屋のなかを見廻した。私は立って面白半分に押入れをあけてみた。何もない。唯一、一組のじめじめした夜具だけがあった。ごつごつした木綿ではあるし、ずいぶんよごれてもいるんだから、そんな気が起るわけはないのだがなんとなくしっぽりとした、と言った感じが私にはぴったり来たのである。「濡れ場」とはよく云ったものだ。私はきたなさ、しめっぽさ、うすぐらさの中に「濡れ場」を想像することがよくある。私はふと彼女の酌婦髪を思い出した。私はいま始めて、酌婦髪をこんな場面と結びつけてなんだかわかったような気がした。そう云えば、この半年の間いろいろな仕事に追われて、女を男として思い出したことはついぞなかった。(この頃はへんに悪酔をするんだし、いっそのこと思いきってよっぱらってそうだ)と思っていると、
「大分、待ったでしょう、お客さんがはなさなかったもんだから…………」と云いながら彼女は障子をあけて入って来た。
ここぞというときにかぎって、現実に突き戻される仕草には、少々鼻白む。今ここで起きている事件としての、独語だから、その中絶には、やはりまさに今起きる事件が必要になってしまうわけだ。
さて、「彼女」が帰ってきて、酒も入れば、会話主体で、「彼女」の身の上話を聞くことになる。
「カム」誌の編集人を担当しておられる芦原瑞祥さんが、「APIED」誌vol.11に書いた小説「恋する胞子」が、とても短いし、当該誌の尾崎翠特集に寄せられているということで、尾崎翠へのオマージュを含む、というより、「第七官界彷徨」から想を得たと言ってしまっていい作品なのだが、それに留まらず、とても気もちのよい可愛い文章で、心地よく、また、楽しく読めた。
物語といい、文章でさえが、尾崎翠を髣髴させるが、尾崎翠の閉じられた世界に対して、「恋する胞子」には広がりがある。
私が通っていた高校の古い校舎には、小さな中庭があった。そこには、ビワの木やバラ、ツツジといった、色々な植物たちがいた。この小さな花園を手入れしているのは、生物の小山先生だ。彼はいつも、よれよれの白衣を着ていた。中庭を通る生徒に、「ほら、シンビジウムがきれいだよ」と、嬉しそうに声をかけるのだ。他の先生に、「小山先生は植物が恋人ですな」とからかわれても、目尻に皺を作って「はい」と真顔で言うような人だった。
はじめに言ってしまうと、この書き出しは残念だった。植物たちを「いた」と書くあたりは、とても好感を覚えたが、他の先生の科白などはあまりにステロタイプに過ぎる気がしたし、なにより、最初のセンテンスが、この物語の全体を過去のことにしていることが、残念でならない。読み終えたあとにもそう思う。
とはいえ、
花の名前をたくさん知っている男の人は、なんて素敵なのだろう。先生と接しているうちに、これまで背景でしかなかった植物たちが、鮮やかな緑色をまとって自己主張をはじめた。
小山先生をつうじて、男性一般を見る目を教えられるような最初のセンテンスは、同時に、冒頭の段落があれば、先生にたいする仄かな恋心の表出にもなっているが、そうした恋をするという自己の変化が、世界を見る目を変えて、相対的に、すなわち「私」にすれば、世界が変わる。それもまた凡庸といえば、凡庸だが。
「このビワ、先生になついてますね」
枝を先生の腕になびかせるビワの木が、人間の足に頭をなすりつけて甘える猫のように見えたのだ。先生は、ぱっと花が咲いたように笑顔になった。そして、一冊の本を取って来て、私に貸してくれた。オレンジ色の表紙をしたその本の題名は、『恋する植物』。
ねっ!? いいでしょ? ただし、「恋する胞子」「恋する植物」と言われれば、またぞろ戸川純の「蛹化(むし)の女」や、田中恭吉の「冬蟲夏草」を思い出さないでもないが、もちろんこの本が尾崎翠にオマージュを捧げていれば、ここで思い出すのは、「第七官界彷徨」の蘚の恋愛だ。えっ? 思い出さない? そう、それなら私はあなたとは話をしないわ・・・(euripidesさん、ごめんなさいm(_ _)m)。
思い出すはずの「第七官界彷徨」をここでは出さず、あえて「恋する植物」を持ってきてはぐらかしてみせるところも、心憎い。といいつつ、「恋する潜水艦」(ピエール・マッコルラン)というタイトルを思い出していた私でもあるのだけれど。
さて、「恋する植物」を読んでいた「私」に話しかけてくるのが、和泉である。そして彼女は、傍らにちゃんと尾崎翠の本を抱えているのだ。
「おかしくないよ。植物も恋愛するもの」
彼女、和泉とは、すぐに仲良くなった。和泉は、小説に出てきたという「蘚の恋愛」に異常な執着をみせ、所属する文芸部の部室で実験をしていた。部会のない日は私も部室に入らせてもらい、小皿の上に鎮座したたくさんの蘚、赤いもやしのようなものが生えた蘚、黄緑色の長い蘚、一見もっさりしている蘚も、拡大してみると、同じ形の葉が整然と並んでいたり、もやし状のものが小動物の群れのようだったりと、存在感があっておもしろい。
この場面は、急ぎ足に説明にしてしまったきらいはある。最後のセンテンスなど、脱臼したように、文脈を欠いてすらいる。蘚の描写は、「第七官界彷徨」に書き尽くされており、それを知っている瑞祥さんは書きようを見失ったのではないか、などとまで邪推してしまう。
和泉の科白は、尾崎翠を読む文芸部員としては、あまりに独創性がなく、「第七官界彷徨」中の人物・小野町子そのものだ。
「私ね、まだ誰も表現していない、でも確かに人間の中にある、そんな感覚を詩にしたいの。蘚ってのは、藻から進化して陸に上がった最初の植物でしょ。人間が忘れてしまった、太古の記憶を持っているはずよ。それこそ、私が求めるものなの」
いや、小野町子そのものではない。最初の科白こそ、町子のいう「第七官」だが、それに続く科白は、小野二助の感化でも受けたのちの町子のようである。そのうえ、和泉は生物部ではなく、文芸部員なのだから、やはり小野町子なのだ。
しかし、上のような迂闊な段落もときに紛れながらも、いざ出来事となると、美しくかわいい。上の和泉の科白に続く段落を見よう。
私は、ふうんと言って、鞄からチョコレートを出し、和泉に差し出した。和泉は、こやしのついた手をこちらに向けて首をすくめたので、私は彼女の口にチョコレート玉を押しつけた。こげ茶色の玉は、薄い桃色の唇を割って、つるりと口の中へ消えた。
文芸部員ならざる「私」が、詩的な言葉を紡ぐ。だが、和泉も負けてはいない。

すでに昨日のことだが、瑞祥さんから、「カム」誌のvol.3と、「APIED」vol.11が届いた。ありがとうございます。「APIED」は、何度か、例えばジュンク堂などで見かけた雑誌で、各号ごとにテーマを持った評論誌のような本だ。評論誌といっても、テーマに沿っていれば、かならずしも評論の形にこだわらず、詩や小説もありらしい。vol.11のテーマは尾崎翠で、瑞祥さんも文章を寄せておられる。いわずもがな、私も愛する尾崎翠、それゆえこの本を送ってくださった。この本なら、言ってくだされば、ジュンク堂ででも、自分で買いましたのに、すみません。その代わり、といってはなんだが、「カム」vol.3の目次に瑞祥さんのお名まえはない。それでも、8作品が並んでいる。
追々、拝読する予定。
雨降りの日は危険だ、と前から知っていたはずなのに・・・、やってしまった。書いた記事が消えた。けっこう頑張って書いた記事だったのに・・・、ショック。
なので、この記事は一度、Textファイルで作成してからUP。
さてはて、どこまで再現できるか、心許ない。いや、再現は諦めて、簡単にすませよう。
タイトルのとおり、二〇〇八年上半期同人雑誌優秀作として、「龍舌蘭」172号から「文學界」2008年六月号に転載された、鮒田トトさんの「犬猫降りの日」を読んだのだ。
鮒田トトさんのお名まえは、かねて同人雑誌評等で目にした記憶があり、おそらくは常連なのだろう。いや、もしかしたら、その恥ずかしいペンネームのゆえに記憶に残っているのかもしれないが、だとしたら、恥ずかしいペンネームもそのインパクトゆえに、あながち悪くないのかもしれない。
消えた記事では、伏線に満ちたこの小説から、小説の「作為」について考えてみたのだった。というより、このブログで再三使っている「作為」という言葉について、定義づけをしようと試みたのだったけれど、それを再現する気力はなく、「水子」「落下」「数えること」といった反復されるものの多さと、それにしては書き出しに表れる直子の病気がその後の展開のなかで弱かったということを指摘しておくとして、だが、それ以上に行を費やしたのが、前半の説明に見るこの小説の脆弱性だった。
「群像」5月号に掲載されている円城塔の「烏有此譚」を読み終えたのだが、例によって、途惑っている。いや、正直に書こう。さっぱりわからない。
小説が、わからないことについて肯定的でありたいとかねて思っている。むしろ、小説をわかる、ということにこそいかがわしさを覚える。積み重ねられる出来事が書かれた世界に出合うこと、出来事に出合うことが小説なのだ、と思えば、そこから意味を汲み取るのは、読み手の二次創作に過ぎず、そうした二次創作のなかで、小説は完成するのであり、小説の完成は読者に届いたときにはじめて成る、と思っていれば、わかるというコトバには、多大な違和感が伴う。
それなら、今までだってわからないままに小説を読んできたはずであり、そこに二次創作的な読みを展開してきたのが、このブログだとも言えるだろう。すくなくとも、そうあろうとしてきた。
などと言いつつ、むしろ、現代国語の延長で、高校生レベルの読解に過ぎない、という思いもまたある。
そんな私には、荷が重かったということだろうか。
まず、この小説は、ふたつの章に分かれている。「二」と「曰」という章である。ページを開いて、最初に「二」とあれば、二章からはじめるのか、と思わされるが、「一」はない。すると、「二」とは見出しだと考えたほうがよさそうではある。だが、「二」という数字ならざるコトバがこの章の見出しになる謂れがわからない。
例えば、この章の物語だけを辿ろうとすれば、至極簡単に済むだろう。
曰く、
「僕」がかつて拾った女・緑と結婚した末高という友人が困った事態に陥り、「僕」に助けを求めてきたが、「僕」の部屋は末高を匿える状態ではないので、安ホテルのリストを渡すことと、緑を預かることを了解し、動物園で末高に会う。だが、緑は姿を見せない。
と、大雑把に言えば、それだけのことだ。なぜ、末高を匿えないかといえば、ゴミ溜めと化した部屋に住んでいるからであり、緑は、生ゴミの山で拾ってきた得体のしれない女で、その後しばらくは「僕」の部屋を根城にしていたこともある。
さて、「二」の梗概を書いてみて、ふと、「ん? 充分純文学的な物語ではないか?」と思う。緑と「僕」の出会いや関係も書かれているし、末高に盗られた経緯も書かれている。盗られたわけではないが、伝統的な私小説的な物語に換言すれば、そうなるだろう。とすれば、これは純文学≠私小説のパロディ? 物語を見れば、そうかもしれない。書き様を見れば、ゴミ溜めと化した部屋を延々と描くが、それはかならずしも描写とはいえない。むしろ説明と言いたくなる。いや、言い訳だろうか。
末高の裡には灰が降り、僕の部屋には雑多なものが堆積していく。六畳一間の雑多なものたちに埋められつつあり、捨てるということがないのだから当然そうなる。生ものは部屋に保存しない。菓子パンなどを買って帰っても、全てその日のうちに平らげ、飲料水を放置しない。ただそれだけのことを守るだけで、虫は湧かない。部屋がある程度新しく、二階や三階にあって風通しが良ければそうなる。冷蔵庫などを持つと中身が大変なことになるに決まっているし、炊飯器というのはあれはあれで大変に危険な利器ときている。冷蔵庫は気温を低く保つのを身上としているのでそれほどの心配は要らないが、炊飯器などを放置しておいた日には、ひょっとしてある日造物主と指名されるおそれが生じる。念のため、炊飯器とは、自動的に米を炊いて徐々に腐らせていく器械の極東における呼び名である。三度三度米を食べ続ける民族がそうしたものを発明することに不思議はなく、ある程度以上腐敗の進んだ米を食べてしまう機能を付与しないところに奇妙さはある。
二三年を区切りとしてあちこち転々とする暮らしを続ける間、数種の虫との同居を経験してきたが、あれは飽きるものである。自炊と同じく始めだけが物珍しく、継続の先が単調でいずれ種類の別もつかなくなる。どこまで増えるのかと放置してみて、この時点で何かがおかしい。別に害もなくば構わぬのではないかと思う。
これが書き出しだ。これに続くのは、各種の虫と同居した経験に基づくそれらの生態と、それらに飽きる経過である。物語だけを見れば、重要であるはずの末高の名を書き出しに据え、だが、「裡に灰が降り」というわけのわからないコトバのままに、絶えざる言葉遊びの中に埋没していく。もちろん、こうした「僕」の部屋の在りようは、綺麗好きであるという末高を拒絶する理由として、意味を成すが、すなわち、物語の伏線が延々と書かれているとも言える。あるいは伏線だけで成り立っているような小説なのだ、といってもいいかもしれない。
この章の終わりが下だ。
腹を据えてこれ以上の移動を続けることを諦めた僕の部屋が雑多なものに埋め尽くされるまでには、そこから五年の歳月が必要だった。これを誰か、僕の精一杯の努力と認めてくれても良い。
此れはただそれだけの譚である。
なぜ二三年ごとに部屋を移していた「僕」が五年以上をひとつのところにい続けたのか、と問えば、姿を見せない緑を待つようで、いかにも私小説である。だが・・・、やはりパロディに思える。
「文學界」五月号に掲載されている木村紅美の「月食の日」を読み始めたら、おや? と思わされたので、終わりまで読んでみた。
なにが、おや? なのかといえば、単純に三人称ながら、固定的な寄り添いどころをもたず、都度寄り添いどころを替える、復元的な書き振りだったからだが、読み進めてみれば、復元的でありながら、物語の中心を占めるいわば主人公といえる有山隆が盲人であり、このとき語りが彼に寄り添うときには、視覚によらない描写、あるいは、語り手が盲人に寄り添うことそのものの困難にもチャレンジしている、意欲的な作品なのだ、といえそうだ。
だが、このとき、そうしたチャレンジを読み手にチャレンジだと感じさせてしまうほどに、ぎこちなさも見えなくはなかったが、そのぎこちなさのなかに面白みを感じてしまうのは、捻くれ者だろうか。それでも、頑張ってるなぁ、などと不遜な言い方をしたくなった。
有山隆の暮らすアパートの外壁は、卵色、という呼びかたの似合う淡い黄色をしているらしい。
「このアパート、卵色、って感じだよ」
と隆に教えたのは、以前、交際していた路子だ。
「おいしそうな色。角のケーキ屋で売ってるレモンのムースにも似てる」
青森出身の路子は、隆と別れたあと、まもなく、実家へ帰り、親戚の紹介でお見合いした市役所の職員と結婚した。東京をはなれるときの仲間同士の送別会にも、青森での披露宴にも、もちろん、隆は呼ばれなかった。
有山隆の盲目がいまだ読者には知れていない書き出しのセンテンスで、「有山隆」というその名まえは明かされるが、それは連体修飾語のまま、センテンスの主語は「アパートの外壁」であり、語尾は「らしい」と結ばれる。「卵色」は自明のことではない。このとき、誰にとってそれが自明ではないのか? 語り手あるいは語りが寄り添う相手だろうけれど、次に「と隆に教えたのは、以前、交際していた路子だ」というなら、今語りが寄り添っているのが、どうやら「隆」なのだとしれるが、「教え」られたなら、すでに「隆」にとってもその「卵色」は自明のはずである。いや、「隆」が暮らすアパートの色なのだから、教えられるまでもなく自明のはずだとも思える。すると、色の表現として、それが「卵色」と呼ばれるのが相応しい、ということかとも思える。「卵色」とは「レモンのムース」の色のことだ。いや、そうではない。このとき「角のケーキ屋で売っている」レモンのムースという特定がされているのだから、路子が言うのは、レモンのムース一般の色ではない。読み手は、ここで語られていることを、戸惑いのままに読み進むことになる。ましてその直後に、主語は路子になり、次のセンテンスは同じ段落のなかでふたたび隆が主語になるが、それぞれのことというよりもむしろ隆と路子の関係が主題になった段落だといえよう。アパートの外壁の色を巡る謎がはぐらかされる。私にとって、この小説の面白さは、こうした主格や主題の転換のなかにあった。
先週、ぶじ赤ちゃんが産まれたのだとは、共通の友だちの里奈から聞いた。元気な女の子だそうだ。名前も聞いたけれど忘れた。盲目ということで余計な警戒心を持たれないためか、隆には女友だちがやけに多い。
上に続く段落だが、この4つのセンテンスの主格の変転振りは、だけど、話を聞いたのも、赤ちゃんの名前を忘れたのも隆にほかなるまいから、先の3つのセンテンスは、隆の独語のようにさえ読めながら、最後のセンテンスは、語り手が隆を紹介、説明してしまう。この説明の身振りを誤魔化すように、「盲目ということで」などという口振りになるのだが、このときに先の色を巡る謎が明かされてもいる。というより、謎のままにされていたものを説明している。語り手は、「隆は盲目である」と直接的に書かないための手の込んだ仕掛けとして、それを自明のこととして書き始めたのである。だから「ということで」などと言うわけだ。
小説は、その世界を絶えず読者に説明し続けなければならないといってもいいだろう。書くこと、言葉を使うことは、あるいは表現とは、なにかを説明することにほかならない。だが、いかにも説明的な文章など読みたくもない。ところが、この小説は隆が盲目であることをあらかじめ自明なこととして書きはじめた。
この小説が先に書いたとおり、復元的な語りをまとっていることを考えれば、これは、かなり冒険的だと思える。なぜなら、語りの場が絶えずその寄り添う対象をたがえていくなら、その対象を絶えず説明しなければならない宿命を負った小説でもあるはずだから。そう考えてみると上に続く下の段落は、なにか思わせぶりだ。
二〇〇〇年七月十六日、隆は六日ぶりで仕事が休みだった。日曜日だった。目ざめると真上からは掃除機の低くうなる音がこぼれてきた。身体の左側の一〇二号室からは携帯電話の着信メロディーが響いてきた。右側の一〇四号室の住人はテラスに出て布団をはたいていた。小鳥の鳴き声も聞こえてきた。
2008年に発表する小説が、2000年を舞台としたお話なのである。もちろんこの小説のタイトルが「月食の日」であれば、なるほど2000年7月16日とは日本で皆既月食が観測された日にほかならない。だが、この小説がはたして皆既月食を巡る小説と言えるだろうか? なにより隆は盲目である。もちろん、終盤近く、目の見えないものに皆既月食を感じさせようとする場面があり、それに先立ち詩織は、隆が再三使う「見た」という言葉を巡って、その感覚の在りようを探っていたのでもあった。だが、先を急がずここを見たとき、この物語全体に、過去の話にしてしまう抑制が働いていたと思える。畢竟、過半のセンテンスが「た」と終わらずにいられなくなる。ところが、書き出しのセンテンスは、「しているらしい」だった。あたかも今のことのように読める。まして、上に続く下の引用を見ると、
一〇二号室には四月から男子学生らしいのが住んでいる。ときどき、電話で大声で喋っているのが、壁を突き抜けてくる。笑いかたに品がなく、あまり賢そうではない。土日も平日も関係なく、しょっちゅうだれかが遊びにやって来ては、深夜まで莫迦さわぎをしている。
もちろん日本語に現在形とか過去形といった確たる決め事はないが、この書きぶりは、まるで今のことである。そう、語りの場は、都度どこにでも出現可能だ。たとえそれが、過去の物語であろうとも、語りそのものがその時空にいれば、そこがその小説の、あるいはその場面の今ここになる。
先日の日曜日、日本文芸振興会というところが開く、第25回日本文芸大賞授賞式と祝賀会なるものに、難波田節子さんのご招待で、出席してきたので、レポートなどしようかな、と思ったら、昨日は一日中ココログがメンテナンスだった。なので、気力がなくなり、簡単にすませる。
なにより、難波田さん、「晩秋の客」の小説功労賞ご受賞、おめでとうございました。そして、ご著書「アラビアの白い薔薇―小説シェバの女王―」をありがとうございました。300P超の大部。「季刊 遠近」29号に掲載されていた「アラビアの白い薔薇」とは明らかに違うようだ。
なお、受賞者は9人に及んだ。茂木健一郎氏、小山明子氏、石井和子氏、といった有名人たちもおられ、ことに小山明子さんは、華を添えておられた。だけど、9人の受賞者の受賞式典は、やはり長い。煙草は喫えず、痛み出す胃に脂汗を流しながら堪えた。
受賞の言葉で面白かったのは、よりによって元TBSアナウンサーで気象予報士石井和子氏が誰よりも緊張して、しどろもどろになっていたことだろうか。
「黒い裾」所収の「勲章」という小説である。
例えば、体言止めは難しい。ましてそれが風景描写のなかで重ねられると、あたかも描写の怠慢にも見える。しかし、ただ風景描写ではなく、そこに込める、篭るなにがしかの多様さ、大きさに取り巻かれながら言葉を選ることのなかで、ある種否応なく選択された体言止めは、美しい。
バスは日比谷を過ぎて築地まではもう一ト息、新橋側の屋根の稜は皆ぴかぴかと光って、まぶしく見あげる眼に暗く、お日様はどこにいるのやらもう沈んだのやら、京橋側は一面にただ明るいばかり。数寄屋橋。一条の水、夕映の水、離れて久しいふるさとの水、隅田川、郷愁が水につらなり胸に流れた。一波千波、とろりと静かな残照のそのなかに、輝きなきせせらぎが、こめかみのあたりにちりちりと流れて見えた。はっとした。ねじりきった身の眼の限りに、ロハンという字が顫え顫え消えた。脳溢血! 朝日新聞だ。ニュースだ。尾張町から夢中で駈け戻った。十字路。
体言止めは、ときにリズムを生みもし、そのとき、文章がスピードを纏う。だが、スピードがついてきたその矢先に、「郷愁が水につらなり胸に流れた」といって、ふっとスピードを緩めつつ、風景を心情へ摩り替えると、ふたたびの「一波千波」と体言止めから静かな描写へ移る。だがそれも「こめかみのあたりにちりちりと流れて見えた」というなら、今見ている風景ではないようでもある。その先は、はっきりいってわかりづらい。「ねじりきった身の眼の限り」とはなにか? あるいは、「脳溢血!」というひと言はなにを言っているのだろう?
だが、この緩急を纏った段落は、すでに3Pほども過ぎたさきに書き付けられたものである。
身にはまっくろな〈しきせ〉縞を纏っていた。帯は更紗の唐草が薄切れしていた。その帯の腰へ、その著物の膝へ、楯の如くギプスの如く遮断機の如く、ぎりっと帆前掛がかかっていた。三十四歳、私は新川の酒問屋の御新様から、どしんとずり落ちるや〈とたん〉にしがない小売酒屋の、それも会員組織といえば聞えがいいが謂わばもぐりでしている、常規の店構えさえないうちのおかみさんになっていた。昭和十二年四月末、世は前年の二・二六事件を不消化のままに、やがて三月後に起る日支事変を孕んで、漸うに劫風の軸は旋っていたし、つれて起る大小さまざまの渦巻き風になぐられて、おもわぬ隅の芥まで誘われて舞いつ揉まれつ、はじのはじの一塵が私だった。(〈 〉内原文傍点。以下同)
上が書き出しである。直喩を重ねながら自分を描写するところからはじまりながら、やがてそれが未来に起きる事件までも語り、語りつつある場が、すでにこの物語が遠く過ぎ去ったときであることを示唆している。この語られつつある時間と語りつつある時間の往還の身振りが、なんとも上手い小説だ。なぜ、これが可能になっているのか。語りつつある場が、背景の説明を引き受け、かといってその時空は書かれていないことのなかにあるように思える。
電話一本、小僧一人をたよりにする商売は、青黄色い亭主の顔と対いあってる暇を無くするためにも、私は神経と身体をふんだんに酷使していた。そのとき行ったのは堀の内の奥、私のはじめて行く得意であったが、小僧君の怱卒に書いてよこした地図はまったく東西を顚倒していたので、むだな努力に時を費やし、そこの奥さんは明らかにおそい私の配達に腹をたててい、帰りには意地悪く一度に五本の空罎をひきとらした。空罎をひきとることは〈きめ〉であったから否やはないが、自転車に乗れない私を察して五本一度にかためて出す家はまあ無かった。用意の細引に三本と二本と二タ荷にくくった。
冒頭に続く段落なら、先の時代背景を踏まえたそのころの「私」を語り、それは背景としての「私」の立場、在りようなのだが、「そのとき行ったのは」と書いて、語られつつある時空を限定していく。にもかかわらず、次の段落ではふたたび「私」の在りようを説明して見せるのだ。
私には腕力があった。露伴さんのお嬢さんと云われて、もやしみつば育ちのようなふうにあしらわれ、風にもたまらぬ性に扱われるのがいやさにばかな力業に堪えた。四斗樽は普通二十三四貫あるものだが、どうやらこつを覚えて人を驚かした。一升罎は約八百匁あった。註文とあればエレベーターの無い五階へ六本一度に運びあげもした。五本の空罎は何でもないが、一句のことばにも人情は左右された。いくら振りすてようとしても露伴家育ちの高慢ちきと御新様あがりのあまったれは交互に頭を出し、労働はめきめき上達しても、心がらの入れかえはたやすいものではない。この姿! 小僧の著るしきせ縞は心から底に木綿を配すれば互に噛みあうのである。帆前掛、船の帆布でできているからその名がある。まわしのように幅が広くて、まんなかに酒の〈しるしまえ〉がでかでかと印刷してある。一種の広告も兼ねているから、酒界之華とか飛切極上とか名声布四海とかは無論、醸造元やら扱店やら盛り沢山にべたべたと、およそ見ざめのする華やかさである。櫛巻でない洋髪の女が、小肥りでない背高な女が、それを掛けていることは宣伝であった。もっと云えば露伴の娘が掛けてこそ帆前掛の効果は最も挙がるのであった。これは私の夫の提案であった。未熟な心を裏む著物というものはこわい。逆に云えば著物は人の心をあやなすものである。しきせ縞は私にユニフォームであり、職業への精進と誇りをもたせ、前掛はあらゆる矢を防ぐ楯であり、人生の骨折を庇うギプスであり、内心の憤悶をうちに隠す遮断機であった。
説明でありながら、そのなかに「この姿!」というとき、この場と語りの場が一致する。それでありながらなお、露伴の娘である「私」を語る仕草が、語りの場を客観的な視線たらしめてもいるのに、それもまた夫の科白に依拠しているというのだ。そして、最後のセンテンス! これは冒頭の直喩連続の説明である。同語反復といってもいい。
あらためて、お勉強してみた。
これはかなり興味ぶかい。
原告側最終準備書面
http://osj.jugem.jp/?eid
被告側最終準備書面
http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/syomen-saisyu.html
小説ではないが、「文學界」四月号掲載の大座談会「ニッポンの小説はどこへ行くのか」を読んだので、思ったことなど書いておこう。
ほんとうは、「文芸誌をナナメに読むブログ」のkenzee氏が記事を書いておられたから、コメントを入れようかと思ったのだけど、書いているうちに長くなってきて、申し訳ないので、ここに記事にすることにしたのだった。
したがって、kenzeeさんがこだわった山崎ナオコーラ(←このHPを見たら、この人の書くものなど読む気がしなくなってしまう)の「芸術」というところからこの論ははじまる(といいつつ、上のHPを見ると、この人が「芸術」とかいってもなぁ、と思ってしまう)。
山崎ナオコーラは言う。
私としては、小説を書くことで言語芸術を作りたいと思っているので、純文学という概念はこれからも打ち出していきたい。自分がこれから時代を創っていきたいと思っています。
ところが、この話題に司会の高橋源一郎をはじめ、だれも喰いつかない。話題は、作家論と作品論という場に移っていく。「芸術」あるいは「言語芸術」とはなにか、という問いが問われない。ふと思い出されるのが、谷崎潤一郎である。彼も文学という芸術を声高に叫び、芸術のためと言ったが、まさにそこに谷崎のいかがわしさがあった。谷崎の言う芸術が、それなら「芸術」とはなにか、という問いを保留し続けて、ただ「芸術」という言葉があったからである。まして、「陰翳礼讃」を書くことと、明らかな西洋趣味の混交といういかがわしさは、ゴチック趣味にも似て、どうにもいかがわしい芸術観が谷崎には付き纏っていた。そうしたいかがわしさこそが谷崎の面白さであり、私はそれを愛するが、では、山崎ナオコーラの「芸術」とはなにか?
使命感という話で言えば、私はテレビとか映画にできない、小説しかできないことをやりたいんです。言いたいことはないけど、やりたいことはある。言葉だからハッとする、というような体験を作り出したい。それが今の文学の中で私のやりたい仕事です。そのときに私一人だけが目立つ必要はなくて、文学シーン全体が盛り上がることが重要なんじゃないかなと思います。その一部分を私がやっていけたらいいです。
私個人の小説観としては、小説を書く理由は仕事だからでも、自分のためでも読者のためでもないのです。要は芸術だから頑張っているという気持ちです。でも芸術が完成するのは読者の中ですから、そこを目指しますし、読者の協力は必要です。だから読者が今までどんな読書体験をしてきたのか、今の時代の中でどういう言葉のセンスを維持しているのかにはすごく興味があります。
「言いたいことはないけど、やりたいことはある」「芸術が完成するのは読者の中ですから、そこを目指します」という言い様には、たしかに芸術にたいするなんらかの意味づけがなされている。これらの発言には、大いに共感を覚えながら、なお、これらの発言に対しても、話題は「芸術」ではなく「読者」の問題になっていく点に、微妙な疑問を覚える。もちろん「読者」の問題はそれはそれで興味深いが、50年前の座談会「日本の小説はどう変るか」を念頭に置いて開かれたこの座談会であることを思い出すとき、そして、古井由吉の下の発言を読むとき、なにか、違和感がある。
(50年前の座談会を読み返したときに気にかかるのは)三番目にね、諸々の観念、概念に関してですね。たとえばまず「文学」、「芸術」、それから「思想」、「良心」、「形式」、「様式」なんていう言葉が立派に踏まえられているんですよ。もちろんこれだけの知力のある人たちだから、そういう観念に対する疑惑、疑念はきちんとお持ちになったと思うけれど、いざ話すとなるとね、ほんとに堂々と踏まえてしまってるんです。それに比べてわれわれはどうか。これらの概念の、その名が表すところの体が非常にあやふやになってる。近年の作家たちは、酒を飲んでも文学上の議論をしないと言われて久しいですね。僕らがデビューした頃からですが。
共通言語としての概念の不在がいわれながら、山崎ナオコーラの「芸術」についても、より明確な言語化がなされないまま議論が進むのだ。それは、山崎ナオコーラの「芸術が完成するのは読者の中」などの言葉が、彼らにとって「芸術」の共通言語足りえているからだろうか? 古井由吉の科白は、違う、と言っているのではないか? 例えば、出席者の中で創作をしない唯一の評論家田中弥生は言う。
今は、広告的な文章が氾濫していて、テレビはもちろんですが、ポスターや中吊り広告に囲まれて生活している。そういうところで主流となっている言葉に違和感を覚えた時に、昔の本を通してしかそれを確認できないのは、いびつだと思いますし、それを現在形で考える場として、文芸誌的なものがあるんじゃないかと思うんです。たとえば自動車市場の中に、公道でのマナーに一見反する、F1があるように。
手前味噌にこの記事など思い出して苦笑つつ、さらに、「いったい赤入れでどれだけ直したの?」と聞きたくなるような、気恥ずかしいほどペダンチックな発言をくり返す諏訪哲史の、発言も引用しよう。
ロラン・バルトはかつて作者を殺し、読者の自由を唱えましたが、未来の読書環境に関してはとても楽観的だったと思います。彼の言うテキストと幾重にも戯れて多様な快楽を得ることのできる理想的な読者は、最低限のリテラシーを備えた、いわば素養のある読者のことです。でも現代日本の読者の大半は、開かれてあるテキストではなく、その中の筋を辿ることでしか快楽を得られなくなってしまったんじゃないでしょうか。
定年後の団塊の世代がこの世の名残にと、無闇な自費出版ならぬ「自慰出版」に走り、片や高校生がケータイともっぱら親指を使って「自慰小説」にふける。自分が書いたものしか読みたくない、自分が書いている現在がこの世で最も快い読書体験だという自慰の時代ですね。この書くことが即読むことであるという事態は、独りカラオケに酷似していると思います。歌う(書く)イコール聴く(読む)というある種の自己陶酔で、もう起きてることなんじゃないでしょうか。
作家が作家たりうるのは、こうした書くことの恍惚から距離をとって、自分の手で書かれたものに対して別個の醒めた目でそれを読み返し、自己批評、自己批判することができるからだと思うんです。作家は書いた瞬間に書かれたものから遠ざかるんです。ジャック・デリダも「書くことからすぐ身を退く」なんていうことを言っています。書かれた言葉から突き放される、安吾のいう「文学のふるさと」のようなところに作家の創作の本懐があると言えるのではないかと思っています。
同人誌で小説を書いたり、あるいはこうしたブログに文章を書きつけているオナニストには、まったく耳の痛い発言だ。
それはともかく、高橋源一郎は、これに対し、「文学的文盲者が増えている」という言葉を与えているが、なるほど、文盲率が極めて低い現代という状況が、文学を不毛地帯にしている気がしないでもなく、識字率が低かった頃には、文字が読めるのは教養がある者だけだっただろうなどとも思わないでもないし、そうしたとき、島田雅彦が上の発言を受けて、「諏訪さんのアジテーションには、たいへんなノスタルジーを感じてしまいました」と言うことに面白みがあるが、だが、この島田の言うノスタルジーとは、そうした識字率のことではなく、むしろ、「文学」なるものの置かれた状況について、そう、情況ではなく状況について、50年前以降の教養(?)を踏まえてアジテーションをぶち上げる様にこそ、ノスタルジーを感じているだろう。
たしかに、高橋源一郎は、「まず、今小説が置かれている状況についてどうお考えになっているか、お一人ずつお聞きしたいと思います」と、はじめている。だが、作家たちはおおむね自分の置かれている立場(情況)を語っている。「小説=作家(自分)」と言うがごとくである。あくまで俯瞰の身振りとしては、ケータイ小説は脅威かといった話題もなくはないが、一蹴されているといえよう。このとき、田中弥生という小説家ならざるものの発言が、もっとも俯瞰の身振りになることはむべなるかな。
さて、こうして見渡してみると、やはり「共通言語」あるいは、古井由吉が引く吉本隆明の「共同幻想」の不在が、際立つのだ。吉本隆明にせよ、諏訪が引くロラン・バルトやジャック・デリダにせよ、ましてや「芸術」にせよ「文学」すらが、共通言語にはなりえない。だからこそ「ニッポンの小説はどこに行くのか」と問われる。それこそが、現代の在りようである、わけではない。なぜなら、50年前も「日本の小説はどう変るか」と問われたのだ。まったく同じことである。だが、50年前の座談会の参加者の顔ぶれを見ると、驚かされる。
堀田善衛、大岡昇平、伊藤整、遠藤周作、高見順、中村光夫、石川達三、山本健吉、福田恆存、石原慎太郎、野間宏、江藤淳、司会・荒正人
小説の向かう方向性が問われている座談会にもかかわらず、評論家の比率が極めて高い。そして、50年後の現代に開かれた座談会では、評論を書く作家もいるにせよ、評論家と呼ばれているのは、たった一人なのだ。そして、江藤淳と高見順という評論家と小説家が討論を演じたのが、50年前である。抜粋を読んでも、小説について語るとき、「ならない」とか「ものです」、「絶対にそうじゃない」などといった、断定が彼ら、ことに小説家たちにはある。
どうゆうことか? 50年前には、今後文学の向かう方向なるものを共有しようとしていたのではないだろうか? 共通言語化が可能な向かうべき方向が模索されたのが、50年前だったのではないか、ということだ。そして、現代では、それは細分化され、個々の作家たちのそれぞれの姿勢のなかにしか見いだせないという前提が、すでにその召集の場に働いていたのではないだろうか? 座談会を終えて、そうした結論に達するのだが、もとより、今回の座談会では、すでに、共通言語はない、という前提のもとに、語られているのではないか?
大江健三郎の「沖縄ノート」を巡る裁判について、某所でやりとりしているうちに思ったことがあるので、書き留めておこう。
まず、裁判についても、ろくに経過をしらないし、あるいは大江がそれについて書いたらしい「すばる」の文章も読んでいない。今月号の「群像」に掲載された木村紅美のエッセーは軽く眼をとおしてみたが・・・。
そのうえで、この裁判があまりに迂濶な曽野綾子の誤読、というより読み間違いに端を発したことは、笑い話のようだが、事実だろう。大江は「巨きな罪の巨塊」と書いたのであって、「巨きな罪の巨魁」とは書いていない。「巨塊」と「巨魁」は明らかに違う。「巨魁」と読み間違えた曽野は、必然的に「巨きな罪」を犯した“人物”を想定し、その出来事のゆえに、それを(勝手に)赤松隊長のことと断じてしまった。たしかに大江の文章はいつでも狷介ではあるが、小説家の曽野が「巨きな罪の巨魁」などという言葉に立ち止まらなかったというのも不思議といえば不思議だ。人物を表そうとするときに「罪の」という連帯修飾語に違和感を感じなかったのだろうか? まして「巨」の重複に。人物であるとするならば、罪と体躯がそれぞれ巨きいということになるが、そんな恥ずかしい同語反復を、平気ですると思われたなら、大江も見くびられたものだ。まして「大きい」ではなく、あえて「巨きい」と書いているというのに。「塊」であっても事態は変わらないとも言えようが、ここに曽野と大江の言葉に対する姿勢の違いが露呈している。すなわち、「巨きな罪の」という連帯修飾語をただ大江流の狷介な修飾として、それはとりもなおさず、修飾語をただ飾りとして文章をつむぐものと、語り得ぬものを語ろうとする、そのやみがたい逡巡の結果としてたどりつく狷介な言葉をつむぐものの違いに私には思えるのである。沖縄の島民と日本軍兵士の関係、当時の教育、などなど、さまざまな語り尽くせぬ要因がそこには内包された「巨塊」が戦時下という「巨きな罪」によってもたらされた、その語り尽せなさと対峙するとき、読み取り損ねるほどの言葉が必要になる。
さて、ではこの裁判は、ただ「塊」と「魁」の見誤りだけの問題なのだろうか? 原告団は曽野ひとりではない。誰もがそうした誤読をしたのか? そうではあるまい。もちろん、原著を読んでいない原告が多々いるらしい様子は見て取れるが、それだけでもあるまい。あるいは、曽野は、自分の勘違いにいまだに気づかずにいるのだろうか? それほど迂濶なひとなのか?
そこで、ここにちょっとした謀略説(?)を披露しよう。むしろ迂濶なのは、大江ではないか、という疑問。
人類の一面は確かに動物的たるをまぬがれざるなり。此れ其の組織せらるゝ肉體の生理的誘惑によるとなさんか。將た動物より進化し來れる祖先の遺傳となさんか。そはともあれ、人類は自ら其の習慣と情實とによりて宗教と道德を形造るに及び、久しく修養を經たる現在の生活に於いてはこの暗面を全き罪惡として名付けるに至れり。欺く定められたる事情の上に此の暗黒なる動物性は猶如何なる進行をなさんとするか。若し其れ完全なる理想の人生を形造らんとせば、余は先づ此の暗面に向つて特別なる研究を爲さゞる可からずと信ずるなり。そは實に、正義の光を得んとする法庭に於て、必ず犯罪の證跡と其の顚末とを、好んで精査するの必要あるに等しからずや。されば余は専ら、祖先の遺傳と境遇に伴う暗黒なる幾多の慾情、腕力、暴行等の事情を憚りなく活寫せんと欲す。「地獄の花」の一篇、又此の目的に對して企つる所、しかも不幸にもあが藝術は全き自由を許されざるなり。加ふるに、未だ猶ほ、其の研究の極めて不完全なる、思想の甚だ淺薄なる、描寫の常に未熟なる、遂に其の豫期せし所の半ばをだに現す事能はざりき。然れども、同情ある讀者よ、無謀なる此の年少の作者が、其の鈍き才能の如何を顧みず、新に企てし大膽なる研究に對して、永く多大の教示を惜しむ勿らん事を、此れ著者の偏に切望する所なり。
三十五年六月 逗子海邊豆園にて
三十五年は明治三十五年だろうから、明治十二年十二月生まれならこのとき荷風22歳。ゾラに傾倒していた荷風が、ゾライズム、すなわちゾラの作風を模して書いたらしい「地獄の花」の序文。ゾラは短篇を昔に読んだように思うが、あいにく記憶に残っていない。ゾラは、itu:kairouさんにおまかせする(勝手なことを・・・)として、この序文でいうところは、この気概、「若いなぁ」と思うとともに、ドストエフスキーを思わせないでもない。ちなみに、作品(「簾の月」)を携えて広津柳浪に弟子入りしたのはこれより遡ること4年だから、18歳。
ちょっと、リセット中に、かたわらにあった本を手にして、気が向いたので、書き写しただけ。本編を読みたい、と思ってしまったが、今は我慢。
ようやく帰宅してみたら、拙宅に「季刊 遠近」誌の第33号が届いていた。ありがとうございます。6人の同人の方々が小説作品を寄せておられる。ちょっとさみしいのが、「サンゾー書評」がなくなってしまったこと。でも、そのかわり、逆井三三さんは小説を書いておられる。
また、送ってくださった難波田節子さんのお手紙によると、難波田さんの「晩秋の客」が、文芸振興会による文芸大賞の小説功労賞を受賞されたという。おめでとうございます。私小説だといわれれば、「なるほど」と言ってしまいそうなリアリティを孕んだ市井のひとの物語は、だけど難波田さんのイタコのような憑依を招き寄せる創造力のなせる業だ。それは、例えば、「太陽が眠る刻」(PDF)を読めばわかるだろう。ともあれ、おめでとうございます。
授賞式にお招きまでされてしまった。どうしたものか・・・。私なんかがそんな晴れがましい席に出ていいものやら、かなり迷う。ちょうど〆切直前のことだし・・・。
なお、「季刊 遠近」33号では、北大井卓午さんがオオトリをつとめておられる。タイトルは「手賀沼は本当にきれいになったか」。北大井さんは、社会派として、ご自身の文学の方向を見いだされたようにお見受けする。こうした文学の在りようも、あるのだ。まったく文学って多様。だから、面白い。
さらに、「読書人」第2725号の「文芸同人誌評」(白川正芳)によると、「婦人文芸」84号掲載の陶山竜子さん「知っている」が第四回森田雄蔵賞を受賞したという。正直にいうと、残念ながら「婦人文芸」誌さんに触れたこともないし、私には文芸振興会という団体の実態もわからず、森田雄蔵賞はおろか森田雄蔵というひともしらないのだが、同人誌掲載の小説が取り沙汰されるというのは、やはり喜んでおきたい。
「文學界」二月号に掲載されている高橋順子の「ペンギンたちは会議する」を最後まで読んでみた。ぬいぐるみを怒らせて、姿が見えない存在になってしまった若い女うららの物語を、三人称のですますで書くという試みがなにかを期待させながら、結局面白くもなかったけれど、この物語をどう終わらせるのだろう? という興味で最後まで読んだ。
まったく、仕事の決着のつけ方といい、恋人の発狂といい、そしてなにより興味の対象だった終わり方といい、どれも安直の極み。この安直さこそが、この小説の要だったのだろうか? 私にはそうは思えなかった。もし記事にするとしたら、ですますを三人称で書くことからはじめるだろうけれど、それ以上に広がりそうもないので、これくらいで終わっておこう。
いよいよ本格的な雪降りのせいか、どうにも接続が不安定で、YouTube徘徊も途切れがちなら、「文學界」二月号を開いて、玄侑宗久の「ホテイアオイ」を読みはじめたら、あれっ?! 意外に面白いではないか、というわけで、読みきってしまった。
といっても、簡単に済ませようとは思うが。
いや、面白いというのは、かなり憚られる。どちらかといえば、その物語作りにはかなり文句をつけたい。だけど、読みきったのは、なにか?
三人称ではあるが、ほとんど一人称と見紛うほどに、七十を越えたうえに脳溢血で少々身体の自由を欠いている元は大学や高校の先生だった窪木に寄り添った語りで、窪木がともに暮らす大学生の孫娘と、昔関係のあった女性に会いにいく話だ。畢竟、ここには、たびたび回想が紛れ込むわけだが、そうなればまた回想場面に移るその場面展開のお話か、というと、そうでもない。玄侑宗久の手腕は、そんなことに工夫もなにもない。ただ一行空きを挟むだけで、あっさりと時間を越える。ただここで、その回想シーンがいいんだな。葉子という高校の一学年先輩にあたった女性が、すなわち昔関係があった女性なのだが、とても魅力的だ。結局、そうゆうことかもしれない。魅力的な人物のその先を読みたい、と思えば、さきに進む。
文章の味気なさを、『徒然草』など引用してカッコつけて見せても、その引用部といえば、誰でもしっている冒頭部分ていどで、「高校で教えた」とは但し書きがあるとはいえ、まさにほとんど高校生レベルだから、これが元大学講師か? と情けなくなるし、孫の園も悪くはないのに、その科白はあまりに出来過ぎで、いかにもこの物語のための科白にしか思えない。
「ほう、園を振る奴がいるんだ。……交際を申し込んで、断わられたのか」
「ううん、……女の子が振られるって、たいていそういうんじゃないよ」
「え」
「だから、……なんていうか、相手が勝手に作り上げたイメージに合わせてると、疲れるじゃないですか。そうすると、突然おりたくなったりするの。私たちはそういうのも、振られるって言うよ」
もちろん小説は、なにかと出会うことで成立するといってもいいだろうし、そのなにかとは、「気づき」であっても一向にかまわない。というより、なにかに気づき、それによって、自己が更新される、というのは物語としては、とても自然なことだろう。いや、物語にかぎらない。そうして、絶えず更新されていくのが人間だといってもあながち無茶でもない。だが、訳が分からないまま突然姿を消した葉子であり、その謎を抱えたまま数十年を生きていた窪木の前で言う、そんなことを知りもしない園の科白は、やはり物語のための科白に思える。ズレがないのだ。もちろん70の老人が孫娘に女心を教えられるというのは、それはそれで面白いと言えるかもしれないが、私にすれば、滑稽にしか見えない。すくなくとも、ズレのなかになにかを見いだす驚きが欲しい。これではストレートに過ぎるだろう。
それに較べれば、最後の園の意味不明にして唐突な行動は、悪くないだろうが・・・、う~む、やっぱり唐突に過ぎるよなぁ。ここでも終わりのための終わりが演じられた気がしてしまう。
そもそも、昔の女から突然短い手紙が届いて会いに行く、なんて、今さら陳腐も甚だしいお話なのだが、それもこの短さに纏めようとしたら、型にはめただけ、という感じがしないでもない。
そういえば、「徒然草」の話だって、後半にでももう一度くらいあってもいいんじゃないか? それから、脳溢血で鈍った頭というのも、もうすこし気の利いた使い方があるだろう。けして象徴主義も好きではないが、タイトルにまで使ったホテイアオイの使い方も中途半端で、けして上手いとはいえないし・・・。
うわっ、腐しっぱなし。
葉子の魅力だけで読まされた小説だったということだろう。
藤野可織は前作の「いやしい鳥」でも「爆笑」という言葉の使い方がおかしかったが、今回の「溶けない」でも、「文句を言いたげな北本の顔色がめくるめく変わる」などという文章を書いている。「めまぐるしく」と書きたかったのか、あくまでも「めくるめく」なのか・・・。「めくるめく」は「眩暈がする」さまを表すのだから、「眩暈がするほどの勢いで、顔色が変わった」と言いたいのかもしれないが、やはり日本語としては間違いというべきだろう。この号には、「群像」の編集長として「鬼の大久保」の異名をとったという大久保房男と阿川弘之の対談も掲載されているというのに、文藝春秋社も情けないんでないかい?
というわけで、ようやく藤野可織が新人賞受賞第一作になる小説を、「文學界」二月号に書いている。つい昨日、その事実を私の巡回ブログのなかで記事を書いている方があって知り、読んでみた。
面白かった。
まず、前回の「いやしい鳥」に触れたときに、章立ての読点にこだわってみたのだが、今回も、「一、」という章立てではじまっている。とすると、「いやしい鳥」というひとつの作品に固有の意味づけというのはなかったのかもしれない。これを常態化して、藤野可織の作品の標のような意味合いを持たせようとしているだけかも。だとしたら、なんだ、くだらない。
夜になると、体中にきりきりと血がめぐった。グラスが金色のビールでぴかぴか光って、小さな気泡がぽこぽこ上がって、それを追いかけて浮上すると、雲。でも、私がグラスに鼻をくっつけんばかりに見入ってるにもかかわらず、父と母はいつだってこともなげにグラスを取り上げ、ごぼごぼと飲み干してしまう。だから私は、ふたりの胃袋が夕暮れの海みたいに金色に満たされる様子を思い浮かべ、いまに二人のお腹のあたりが輝きだしやしないかとスプーンを舐めながらちらちらと盗み見るけれど、もちろんそういうことにはならない。飽いた私はスプーンに関心を移す。ケチャップの汚れや湯気の曇りを丁寧に舐めとったばかりのスプーン、私の手のなかにある私専用の銀色のまんまるなスプーン、そのスプーンは真上の電灯を跳ね返してオレンジ色に輝き、傾ける角度がうまければ青、黒、白に、ときには青にも、ちかちかと点滅する。光源は、テレビ。放映しているのはたいてい時代劇だった。私が気に入っていたのは、大立ち回りのあと、刀の血をぬぐって宙に投げ捨てた紙が画面一杯に降り注ぐシーン。夕ご飯を食べ終えると、早速ティッシュの箱を失敬し、次々に引っ張り出しては空中に投げ出した。けれどテレビのようにはいかない。ティッシュをいい具合に投げるのはとても難しい。理想のかたちを実現できないまま、私はついに妥協する。床のティッシュを踏み分けて胸を張り、鞘に刀をおさめる所作をものものしく模すのだ。その際、ちん、と、口で、言う。鍔が鯉口にぶつかる音。母が背後で、わっ、もう、こらっ、と声を上げる。
書き出しの段落だが、この時点で、楽しみになった。これは読み切ろうと決意した。子ども視線そのものになるようでさえあるビールの描写の、その目線に魅了されたし、オノマトペの氾濫と同時に、かといって子どもには相応しくない言葉遣いでもある、語り手「私」の、あたかも精神薄弱者か発育不全者かと見紛うような口ぶり。だが、仔細に見渡せば、このなかには「放映しているのはたいてい時代劇だった」という書き込みがあり、今まさにビールを眺め、スプーンに反射する色を見ていた「私」は、いつか、すでに過ぎ去った時間のなかにあることが、そっと示されている。
すると、最初の「夜になると、体中にきりきりと血がめぐった」という、なんとも不自然なセンテンスが、より際立ってくる。はっきりといってしまえば、このセンテンスは意味不明である。あえて意味をとろうとすれば、この後にも入浴や就寝のさまが書かれていれば、少女であったそのころの「私」にとって夜こそが、「血がめぐ」る時間だったということになるだろうが、しかし、読みはじめた当初の違和感が拭えぬまま読み進み、話題が就寝に至り、下のワンセンテンスからなる段落にいきつくと、「血がめぐった」のはまさにここだったのか? と、思わないでもない。
早く寝ないと、恐竜に食べられちゃうんだから、って。
書き出しの段落を見ても、これまで長い段落を書き連ねてきたものが、いきなりこれだけを投げ出すように書き留めたとき、まして、このあとに章は変わらないながら、二行の空白を空けてあれば、やはり投げ出すようで、強い印象を残す。
単純にいってしまえば、最初のセンテンスは、不要だったと思える。ビールが注がれたグラスの描写からはじまれば、それでよかったと。
それでもなぜ、このセンテンスが書かれたのだろう? やはり少女になり損ねた語り手の、それなら、ならないこととなることの間に立つことの表明にも見えなくはない。
ところが、こうしてなにやら稚拙な文章ともとれかねない文章で語りはじめてしまった「私」は、その語りのリズムを捨てきれなくなってしまう。そう、幼稚なままの十九歳の「私」が現れるのだ。
物語を見たとき、恐竜という象徴のもとに、自分が悪いコだったから失われたと思えた母が、だけど、失ったのではなく、自分こそが母と乖離していたことに気づく物語といえばいえなくもなさそうだけれど、例えば、最近ここで再三触れている回想の身振りといった時制を取り上げてもなにごとかは語れそうなのだし、それよりも、自己発見的な読みでは見落としてしまうのが、上の引用にも見える細かい描写の面白さだろう。
例えば、恐竜を書くその書き方には、そのあまりの大きさを装って、首から下をまったく書かずに、目と肌と舌ばかり、それも色ばかりを書いている。いや、それと空気。この書き振りにはなにか怪しい気配が漂っている。なぜなら、テレビのなかに恐竜の特番を見る場面があり、そこにはティラノサウルスなどといった名まえが書かれているのだし、わざわざ、恐竜の皮膚の色はわかっていないのだ、と父の言葉として書かれている。そして、人類は恐竜の吐く息に触れたことなどないだろう。
そう、それは母が言った恐竜であって、ほかのなにものでもない。そして、こここそがこの小説の要だと思える。
もちろん、恐竜などいないのだ、と言えば、それで事足りるだろう。
織田作之助の小説の中でも「六白金星」はかなり傑作だと思っている。そもそもこんなタイトルをつけて、主人公の性格付けをするならば、いわゆるステレオタイプに堕するだろうし、短いなかにあれだけの時間を書いてしまうその文章の流麗さ、リズムは、なるほど、前にも書いたとおり、その真偽のほどはしれないけれど、野坂昭如が小説を書くにあたって織田作の作品だけをくり返し読んだと伝えられるのも頷ける。
とにかく「六白金星」はとても好きな小説のひとつだが、私たちが知っている作品が発表される以前、昭和15年に書かれながら、発表を許されなかった原稿が見つかったのだそうだ。途中までしかないらしいけれど、読んでみたいものだ。
http://www.kobe-np.co.jp/knews/0000813740.shtml
しかし、あいかわらず「夫婦善哉」で知られた作家なのだ・・・。「夫婦善哉」は織田作の小説のなかでは出来が悪いと思うのだけど・・・。
「文學界」二月号掲載の佐伯一麦の「せき」という小説が短かったから読んだのだけど、記事を書くかどうかは気分次第にすることにして、今回は記事にしない。ただ読んだという記録を残しておく。
正直に書けば、面白くなかったから、記事にする気にならないということだけど・・・。
itu:kairouさんが、今、書こうとして、書くことの、書かれるはずの世界の広さ深さ多様さに眩暈を起こし、見えぬ眼のかわりに両手を突き出す手探りの身振りにも似て、hkのお名まえで旧作をネット上にアップされた。kairouさんがみずから書くとおり、それはおよそ小説とは呼び難い。これを褒めれば、私は自己矛盾に陥るしかない。それでもなお、これこそ文学なんじゃないか、とさえ思える。
私は以前、「かつて一度も小説など読んだこともなく、小説というものが存在することさえしらず、もちろん書いたこともない。そんなふうに小説を書きたい。」と、このブログ上に書きつけた。その反面、とある小説のあまりの国語力の欠如に呆れても見せた。というより、それを優秀作とした某誌こそ、槍玉の対象だったのだが。
そう、匿名の(?)評者が書いた「技巧に背を向けた技巧」という訳の分からない評価は、「両手にありがとう」ではなく、「結婚前」にこそ相応しいということだ。国語力のなさと、小説力のなさを一緒にしてはいけないよ、誰かさん。
いや、「背を向けた」わけではない。それは本城氏にしてもそうだし、itu:kairouさんにしても同様だ。それは「技巧」ではない、という点に、面白みがあるのであり、ところが、評者がなお「背を向けた“技巧”」と書くとおり、やはり「技巧」でもある。
ここで思い出すのが、「アサッテの人」だ。言葉だけに頼ることに挫折したようにさえ、フォントを拡大したり、図解したりする仕儀は、だけどそれで、言葉以外の表現手段の導入で、表現する対象に言葉のみの表現以上に対象に近づいた、あるいは表現しつくしてみせた、とでも言うようでさえある。言葉や文章では足りない、だから、図を描き、表を描き、文字の大きさを変えた。
もちろん、「アサッテの人」が小説的作為では書き尽くせないなにがしかを、小説的作為を排することで書こうとして、なお書き損ねること、すなわちそれもまた小説的作為の網の目に絡め取られていくという重層的な試みであったことを思えば、それを論うことは不当だと言えるだろうが、ここに「結婚前」という小説ならざる散文を前にしてしまうと・・・。
いや、それでもまた、ここには落とし穴が待ち受けているのだ。itu:kairouさんが零すように、これは創作だ。よしんばそれが私小説であったとしても、なおやはりここには「作為」があるのだ。「作為」を排することで、切実さや真実らしさが生まれるなら、切実さや真実らしさを表出するための、それもまた「作為」なのだ、といってしまってもいい。
私小説を、作家の実体験に基づくと保証するものはなにか? と、以前問うた。それを私小説と呼ぶ根拠は何なのか? 私小説だから、女の残り香に咽び泣くことが感銘を呼ぶのか? それなら、すべての小説を、現実のこととして読めばいい。幻想小説であろうとSF小説であろうと、その世界のなかに立てばいい。私小説だって、作為によらないならば「小説」たり得ない。作為を排することの作為、作為を排していると見えることの創造性。すくなくとも、近代小説が培ってきた制度とはパラレルにあり得たはずの小説の可能性を、もういち度探ってもいいのではないか? これは小説なのか、という問いがない場所で散文を紡ぐこと。
私小説的な文章を書いているひとたちにこそ、その作為を、もう一度問い直して欲しい気がする。
といっても、「結婚前」は素晴らしい、というのは憚られる。かといって、この方向、いわゆる小説の在りようとパラレルにあり得た、別の作為なら、こうすればいい、といったなにかも、すくなくとも今はまだ、私にはない。
かつて唯一手塚治虫によらないといわれた岡田史子のマンガが、もしかしたらなにかを教えてくれるかもしれない。こう書いたせいだろうか、ふと、「結婚前」の風景が、岡田史子の絵で思い浮かんだ。
何度でも書くが、読書は、小説(≠作者)と共犯的な創造行為なのだ。収入に見合った予算で自動車を買い、道路交通法を守り、通勤や買い物に使うなら、カローラに満足すればいい。きっとそれがエンターテインメントだ。レーサーになろうよ。自動車の性能を極限まで引き出し、さらに創造的なシフトワーク、ハンドル操作を操ろうよ。そのために作られるレーシングカーが、芸術なんじゃないだろうか? 純文学と通俗文学を、とりあえずそう考えてみる。もちろん、レーシングカーではない市販車によるレーシングだって可能なのだ。通俗文学による創造的な読書もまた可能なはずだ。
なんとも、とりとめもなく漠然とした記事になってしまった。
itu:kairouさん、作品に踏み込めないまま、結局は自分の思うところを書き付けるばかりの記事になってしまいました。こんな記事でごめんなさい。
第105回文學界新人賞 辻原登奨励賞作・牧田真有子「椅子」を、苦労して読み終えた。苦労するくらいなら、放りだしたっていっこうにかまわなかっただけど、某所で取り沙汰されている点について、私なりに思うところを、その文章からいえないだろうか、と頑張っちゃった。正直、2・3Pごとに、一行空きがあるたびに、本を閉じて、息をつき、気を入れなおさないと読みきれなかった。
一瞬前と一瞬後をつらぬく、鋭い釘のような鳥の啼き声で我に返った。部屋はもう暗い。電気をつけようとかなづちを床に置いて立ち上がる。この五月の連休いっぱいをかけて作った小さな椅子は、薄闇の中、形を得たばかりのもの独特の淡い光を帯びている。
先月就職したばかりで、待望の長い休みは眠りに眠って過ごす予定だった。にもかかわらず結局椅子作りに精を出してしまった。叔父のため、空前絶後のスピードで椅子を量産した去年の冬の、ふとした照り返しみたいだ。
書き出しだが、まるでネット上に溢れる中高生の小説を読むような大仰に凝った言い回し。これが書き出しの気負いかと思いきや、こうした五月蝿いばかりの、だけど文章を練るという、まぁ小説家然とした姿勢といってもよいだろう文章を終始持続し続けたことは、立派といえば立派だろうけれど、これがまた科白さえが、やけに白々と気どっている。
「じっとしてる鳩って、工芸品みたいやな。丸いのに硬質で、端整に乾いて」
「うん、生きてる感じがしないほど丁寧に彫り込まれた模様に見えるね、羽根」
関西弁の橘は少々変わり者だし、叔父はとりわけ変わり者なのだといえば、なるほど気どった口ぶりも変わり者ゆえかもしれないが、大学の友人季美子の科白は、どうにも違和感が否めない。
「頭が小さくて手足を長々持て余した感じで、ごくありふれた若人の形なんだけど気配だけが異常にすっきりした人? 財布は渋く友禅染」
「変な言い訳。どうせまた椅子作りに熱中してるんでしょ? ちはるのおかげで最近私までよく椅子に目が行っちゃうのよね。私バスに乗って帰るでしょう。あのバスから見える景色の半分は、伸び縮みしたって誰も気づかなそうな田園地帯なんだけど、そこにかろうじて目印として刺された杭みたいに、木製の椅子があるの。ある畑の片隅に、雨晒しで、人が座ってるとこなんか見たことないし、早く処分すればいいのに」
そして、こうした凝った言い回しは、だけど練ったというにはやはり迂闊さが露呈してもいる。描写を凝れば凝るほどに、言葉遣いが大仰になる。大仰さは形容の多用だけでなく、強調を呼び込んでしまうのである。「実に」「実は」「異常に」「異様に」といった強調のコトバがいったいこの小説にいくつ出てくるか数えてみようかとも思ったが、そこまでこの小説に付き合う義理もないのでやめておくとして、「ように」「ような」「みたい」といった直喩と、隠喩の多用が、説得力としての強調語を呼び込んでしまう。かといって、そればかりでは単調になるから、一方で「案外」などといってはズラす素振りを見せるのだが、それもまた強調の身振りにほかならない。
ところが物語を見ると、やけに周到なのだ。たとえば、そんなことどうでもいいと思うのに、「私」(ちはる)の図書館志望をとつぜんのように兄が出てきて説明するのだが、一方で、あと3ヶ月の命という叔父に椅子を次々と作る「わたし」がいて、だが、その椅子作りとなると、上のような凝った描写で誤魔化して、椅子作りのなにごとかは見えてこない。椅子を作る姿が見えてこないのだ。走る「わたし」も、その走ることの意味をとくとくと説明はしても、走っている「わたし」が見えない。描写がチグハグなのだ。
店の外も薄く黄みがかっている。私は走り出した。最初は半信半疑でぎこちなかった私の肉体も、昔とった杵柄というのか、一旦ペースをつかんだあとは私を乗せて文句も言わず走った。今だって実際に会えば相変わらず、彼を百パーセントは信じられないかもしれないが、私を彼をどう思うかなどたいした意味はない。ただ見たかった。時々歩きながらも足は動かし続け、そのうちに大会のため通行止めになった車道が見えてきた。
沿道は歓声が入り乱れてにぎやかだった。選手と一緒に走る人、手作りの旗を振る人。目と鼻の先を走り抜けた選手の背中に視線が結びついたままどこまでも見送る人、すぐに次の選手へ目を移す人。叫ぶように名を呼びかける人、黙って祈るように見つめる人。マラソンの方向と逆走している変わり者は私くらいであった。
描写というにはあまりに安直な体言止の多用はここに留まらず随所に見えるが、黄砂ごしの望遠鏡のなかに叔母の自殺を見た、その黄色い景色に呼応させる最初のセンテンスの周到さもあって、前の段落は悪くもないけれど、続く段落になると景色にかまけて、走る「わたし」さえが風景のなかに埋没し、あたかも三人称のように外側からの視線になってしまう。
こうした文章の稚拙と周到さが、時間に追いつこうとする「私」の物語であるこの小説を、そのテーマに照らして考えてみれば、どうにもチグハグだ。望遠鏡を使って遠近感を喪失し、叔母の自殺を目の当たりにしながら、実際の距離の遠さを思い知り、走り続け、時間を越えようとしているものが、なんとも悠長かつ回りくどい文章を書いている。むしろこの文章は、叔父にこそ相応しいようにさえ思う。時間と距離をテーマにしながら、叔父の入院後の変異についても、書き込みが足りない。書き込むところが違うと思えて仕方ない。この甘さは、たとえば、決定的な会話の安直さにも表れていよう。橘の財布にせよ叔父の放火にせよ、問い詰めるときには、やけにあっさりと書いてしまうのだ。くどく大仰な文章を重ねてきた結果、それを超える大仰さを見失ったようでさえある。それは、乱歩の「人間椅子」を思い出させる美しいはずの場面や、終わり近い橘の決め科白の唐突さにも表れているだろう。
私はかつての叔父を、失われた王国の面影を髣髴とさせる椅子を、作ろうとして失敗した。その、私が椅子として抽象したいと願いながら抽象できなかったものを飛び越えて、叔父の方から生身で飛躍してくれた来てくれたのだった。彼が「この間からやろうとしていたこと」? 利かない薬を飲み続ける。3Dを拒む。無意識の放火。それが偶然描く必然の形。強迫観念的に整合性を求める。カセットテープまで手作りすると言い出す。捨てたものを取り戻そうとすること。取り戻して自分の王国が崩壊すること。八つ当たり。変装。脱走。猫の視線になって見えてくるもの。
これでは説明なのだ。変装にしてもなぜ母の笑いだけですませてしまうのか。それを読者に現前化しないのか。
さて、ではこの稚拙と周到のチグハグがなぜ起こったのか、ということを考えることで、当初書いた、某所で語られる疑惑をもとに考えてみよう。
これに続いて、寺内邦夫さんからご著書「島尾紀―島尾敏雄文学の一背景」が届いた。私なんぞに「著者 謹呈」なんて、なんとも恐縮です。ともあれ、ありがとうございます。
「『島尾紀』参考文献目録」が巻末にあるが、なんと15Pにおよぶ。項目数は316! 初出を拝見すると、最初が「タクラマカン」33号で平成12年1月とある。寺内さんは昭和3年のお生まれ。え~!? 古希を過ぎてから、これだけの力業をものされたのですか??? だって、島尾敏雄の足跡を辿って南島巡りまでするこのフットワークは・・・。
古希くらい今となればなにほどのこともないのだろうけれど、寺内さんの御歳は、今や古希どころではない。私の父(昭和5年生まれ)を見ると、畏敬きわまる。
パラパラ捲ってみれば、豊富な写真や、いまだ健在の同人誌「VIKING」の当時の号に掲載された例会会場としての庄野潤三や島尾敏雄宅の富士正晴による手書き地図などもある。また、島尾敏雄の長男にして写真家島尾伸三も「文化会館時代のぼくのおとうさん」という文章を寄せている。
「あとがき―敗残の哀しみ」から一部を引用しよう。
「文学を系統的に、アカデミックな世界から指南を受けたことのない、我流で悪戦苦闘してきた在野人にとって、変則的ではあるが文学作品に噛みつき、しがみつきながら、感じ、考えてゆく研究方法を取らざるをえない。あちらこちらと迷い、無駄足と力不足を嘆きながら対象に肉薄して読破することだ」とは、富士正晴の門弟・三沢玲爾に連れられて訪れた、高槻近郊の農家の一室で、洋酒とともに頂戴した教えであった。
この「島尾紀」は富士正晴流に島尾敏雄全集を噛みくだいた集積である。ただ長崎高等商業学校時代と東欧紀行の領域は未踏である。
在野人は私も同じだが、幸運にも私は研究などという大層な作業をしているわけではないのだけれど、ふと最後のセンテンスを見れば、このひとが、島尾敏雄の作品世界に留まらず、その理解のために、島尾敏雄というひとりの人間の人生すべてを見尽くそうとして、今もなお意気軒昂であることがしれる。「未踏」とはこれから踏むぞということだろう。
私の読書とは相容れぬ作品理解ではあるのだが、これはこれで凄い。
あらかじめ書いておこう。「ワンちゃん」にしてもそうなのだが、この小説について、選評を読んでいない。
早川阿栗という人の第105回文學界新人賞 島田雅彦奨励賞作「東京キノコ」を読んだのだが、味も素っ気もないような楊逸作品の文章に続いたこの文体は、読みはじめには、大層な戸惑いさえ覚えた。
わたしが部屋を留守にしている間、キノコが生えていた。キノコは出窓に置いてあるアロエの鉢の中で、いつの間にか育っていた。わたしが出かけていたのは二日ほどだったのに、たったそれだけの期間でキノコの柄はひょろりと長く伸びていたし、小さくて丸っこい笠の表面には白いぶつぶつのイボがあった。同じ鉢に植えられたアロエは遥か上から居心地悪そうにキノコを見下ろしているようだった。
書き出しのセンテンスなど、不自然ですらあるし、「た」で終わる語尾の連続で、単調極まりない。「わたしが出かけていたのは二日ほどだった」といい、改行されたこの後には「旅行に出かける前にアロエに水をあげたのだけれど、そのときはキノコなんて生えていなかった。」というあいかわらず素っ気ない文章からはじまる段落があるのに、「いつの間にか育っていた」というのも、論うことができるだろう。「いつの間にか」ではなく、あきらかに「わたし」が旅行していた二日のあいだに、キノコは育ったのだ、と。
旅行に出かける前にアロエに水をあげたのだけれど、そのときはキノコなんて生えていなかった。どうしてアロエの鉢なんかに生えているのだろう。わたしはそう思いながら、アロエの鉢を部屋の中央まで運んでテーブルの上に置いた。笠は茶色がくすんだような色合いで、その表面はつやつやとテカっている。柄の白さがアロエの脇にあると余計に目立っていた。わたしはレスポートのボストンバックを開けて旅行の荷物を片付けながら、時折アロエの鉢をちらちらと眺めた。アロエは薄緑色の葉を力いっぱいでたらめな方向に伸ばそうとしている。葉全体に厚みがあって、隅々にまで生命力が張り詰めているようだった。なんでキノコ。わたしは何度かそう思いながら、半ば口に出していた。使わなかった下着がバッグから出てきてわたしはため息をついた。ふうううう。わたしの唇が震えて音を鳴らす。それは不愉快な音で、当然のことなのだけど、唇をしばらく震わせてみても少しも楽しくなかった。わたしは下着を一度開いてからまたたたみ、収納ケースの中にしまった。
上に続くこの段落では、この単調さが、しかし、どこか不安定なさまが見て取れよう。最初のセンテンスでは「のだけれど」と文語的でありながら、最後からふたつめのセンテンスを見れば、「なのだけど」と、より口語に近い軽さを纏っている。そもそも「なんか」などという軽さを纏った文章を使うかと思うと、おなじセンテンスのなかで「生えているのだろう」と書く。「生えてるんだろう」とか「生えているんだろう」でもよかったはずだ。ところがその直後には、「わたしはそう思いながら」と書く。そう、この小説では、「わたし」は「わたし」のままでいないのだ。いや、思うことを眺めずにいられない、「わたし」を発見し続ける物語なのだ、ととりあえず言い切ってしまう。「わたし」という理不尽な存在をただ眺めやる「わたし」。新たな「わたし」のなにかを発見してもそこには理不尽しか見出せず、意味づけを欠いたままただ受け入れる存在の話だ。「ふうううう。」などと、擬音まで使って「わたし」そのままのコトバであろうとしながら、「少しも楽しくなかった」といって自分の仕儀を否定するのだが、そこにも「当然のことなのだ」という但し書きがつく。「わたし」は「わたし」を理解しているつもりでありながら、「わたし」のなかにズレを見つけてしまう。もとより稚拙にすら見える「わたし」のコトバ遣いは、「力いっぱいでたらめな方向に伸ばそうとしている」といった文章にも表れているだろう。常識的に考えれば、「でたらめな方向に力いっぱい伸ばそうとしている」とするだろうに、「力いっぱい」という形容を「でたらめ」さにかかるかのようにも見せるのだ。
ところで、この「わたし」の語りは、商品ブランド名なども頻出させるといった技を駆使しつつ、上のとおりの文語と口語のあわいを手探り、だが、あくまで「わたし」であらねばならなくなる。文語の客観性を嫌っていくのだ。それというのも、強いても「わたし」であろうとしなければ、「わたし」のなかの理不尽が明らかにならないからだ。すると、カギ括弧さえ省かれてしまう。
ささささっと音を立てて、ユウトは芝生の上を走った。わたしはユウトに声をかけた。ユウトはわたしのほうを振り向いて笑った。そして庭にぽつんと一体だけ建てられている銅像の前で止まった。銅像は女性の裸体で、両手を水平にぴんと広げていた。古い銅像だったけれど、鮮やかな芝生の庭にはひどく場違いに思えた。ユウトは銅像と同じ格好をした。ユウトは、どうだ、という具合にわたしのほうをちらりと見た。わたしは笑わなかった。かなり強い風が吹いて、敷地内を囲んでいる木の枝や葉が揺れた。さわさわと音が立体的に響いた。ユウトは同じ姿勢のままでわたしの名前を呼んだ。それから銅像のつるりとした形と照らし合わせて、わたしの胸が小さいことについてからかった。本気でバカにしているわけではなくて、これまでもそういう類の冗談はあった。定番になり過ぎていて、腹立ちもしなかったし、そのようなからかいは普段からお互いに言い合って笑っていた。それでもわたしはそのときひどく頭にきた。手の先が一瞬にして冷たくなり、頭の一部だけがどくどくと激しく波打つように震えた。それは憎しみにも近い衝動的な怒りだった。わたしはそのことで混乱さえした。あれ、どうしてなんだろう、と思いながら別のところで破壊的な気持ちが膨らんでいた。わたしは何か言葉を返さなくては、と思って、ぐっと手を握り締めた。それでもわたしは何も言わなかった。じっとユウトを睨みつけていた。
描写の稚拙さを保持しながら、「わたし」のなかの理不尽が動きはじめるとき、ユウトという他者の科白さえが「わたし」の文章の中で処理される。カギ括弧に括られた科白という制度が、その場を小説的な場たらしめ、「わたし」の心内から遊離してしまうことを嫌ったのではないだろうか。この場面は、先に語られた旅行のひとコマだから、回想であり、だからかもしれないが、続く段落が下だ。
ユウトはわたしの変化に気づいたようで、あ、ごめん、と言った。ずっと伸ばしていた両手を下ろした。ユウトはもう一度繰り返した。わたしに近寄ったほうがいいのか迷っているように見えた。謝られたところでわたしはまだ混乱していた。理由はまるでわからなかった。胸がどうとかいうことで腹を立てているのは分かっていたのだけれど、どうしてそれがこれほどまでにわたしを苛立たせるのか理解できなかった。何かのタイミングでわたしにスイッチが入ってしまったのだ。何ですと、とわたしは言った。冗談めかして言ったつもりだったけれど、わたしの声は怒りで震えていた。わたしはわけがわからなくなって、さらに混乱した。そして混乱すればするだけ、わたしの腹立ちは強くなっているようだった。ユウトが驚いてどのように対応していいのか考えあぐねている様子にも腹が立った。足の先までが冷たくなっていた。どうしてなんだろう、旅行に来てからずっと楽しく過ごしていたのに。
ユウトの科白が地の文章に溶け込むならば、「わたし」の科白もまた特別扱いを避けるしかなくなる。そしてここで起きているのは、そうした文章と「わたし」の一体化に反比例するようにも分裂していく「わたし」だ。「わたし」が「わたし」を理解できない。だが、理解できないことをいうためにこそ、「わたし」は文章と一体化しなければならなかったのだ。
「わたし」は怒りのわけがわからないままに、旅行を切り上げてしまい、ユウトを置き去りに帰ってきてしまったのが、冒頭だった。
さて、ネタバレの領域に入る。
ひさしぶりに読書の記事を書こう。「文學界」十二月号掲載、105回文學界新人賞受賞、楊逸の「ワンちゃん」だ。
しかし、残念ながら、あまり書くこともない。というのも、書くべきこと、あるいは、そこいら中で言われるであろうことくらいしか見出せないのだ。すなわち、いかにも正統的な純文学、ということであり、中国人が書いた小説である、ということ。ところが、中国人が書いたという在日中国人の物語ながら、その文章は、適当に日本語を書き慣れたひとが書いた、適当に上手い文章というレベルに落ち着いているように感じられる。外国人が日本語という他国語に触れたときにずれてしまう驚きや、日本人なら日本人であるがゆえにあたりまえのこととして見損なうなにかを突きつけられるといった驚きもなかった。もちろん、作者が外国人なのだから、日本人とは違う視線をもつべきだ、というわけではないし、そうした驚きがなければ、外国人が日本語で小説を書く意味はない、というわけでもないだろう。それでも、中国人であり、日本に住むワンちゃんという女性を描く小説であれば、そこになにかを期待してしまうのはしかたないのではないか? それは、日本人が書いたとしても同様だろう。もちろん、中国へ見合い旅行にいくすでに初老の男が、半分買春旅行のような気分だとか、あるいは中国人女性の側の、日本に嫁にいくことにたいする認識のズレといったお話は面白くないわけではないのだが、それではルポルタージュの域をでない。そう、島崎藤村の「破戒」が、当時アンタッチャブルであった世界の人間を描いたことで、驚きをもって迎えられた、そうしたもの以上のなにかが感じられなかったのだ。「破戒」にアンタッチャブルの新しさがあったとしても、それだけではなかったはずだ。よしんばそれが、やはり近代小説の、自己意識と社会の乖離、葛藤だと言い切ってしまえば、「ワンちゃん」のなかにそれを見出せないわけではないし、楊逸が描いているのは、日本ではなくむしろ中国という社会と自己との乖離とも見える。かといって日本に馴染んでいるともいえないが、いずれにせよ、「破戒」で書かれていた在り様とかわらないということだ。結局、文章力の脆弱さとでもいうしかないのかもしれない。その点を見てみよう。
その上で、あえてこの小説のなかに、面白さを探し出すとすれば、三人称とはいえ、すっかりワンちゃんに寄り添う語り手が、上に書いたとおりの適当に達者な文章を流暢に操りながら、いざワンちゃんが話しはじめる科白は片言の日本語である、といったところは、なるほどドキリとしないではない。たとえば書き出しが下だ。
こんな田舎に、星が付いているホテルなんていうまでもなく、ホテルという名がついているところすら珍しいぐらいである。親戚の秋姉(チュウジュ)に連れられて、鎮の唯一の招待所に入ったワンちゃんはそう思いながら、下手な日本語で同行の日本人に説明し続けている、「ここよ、ここ、一つだけ、ホテル、ここ、来て、来て」(カッコ内原文ルビ)
「そう思いながら」というならば、それ以前の文章は、すべてワンちゃんの心内語だと考えてよいだろうが、流暢な日本語で書かれている。もちろんワンちゃんの心内語とはいえ、それは日本語ではなく、中国語で考えていたのかもしれないが、このギャップに、当初ドキリとさせられたことはたしかなのだ。惜しむらくは、「下手な日本語で」とあらかじめ予言されてしまったことだ。そう、こうしたひと言が、まさに「適当に書き慣れた」文章の域というものを感じさせてしまう。
こうした「適当」さは、説明になると際立ってしまう。
一夜明け、すっかり初夏を感じさせる麗らかな日差しである。遅く起きたワンちゃんは、朝食も取らずに真っ直ぐ王府井に向かった。別になにか買いたいわけではなく、ウィンドーショッピングとでもいえよう。商売していた時からの習慣で、仕入れに行った都市での時間潰しだ。特に洋服屋を見回るのが好きで、気に入った洋服があると、値段もサイズもなにも構わずに買ってしまう。自分が着るためというよりは、デザインを真似て服を作って商売するのが目的だ。そのようなよく言えば「デザイナー」の仕事もしていた。
ワンちゃんが仕事を始めて四年経ったころに、政府の国営企業の改革で、以前勤めていた縫製工場が廃業する窮地に陥った。それを聞きつけたワンちゃんは、すぐ「請け負う」という名乗り出た。当時、彼女は露天の経営以外にデパートにも進出していた。デパートの一角をちょっと高級感の漂うブティック風にして、時代の成金が好むような服を気取ったポーズをするマネキンに着せて、照明も程よい暗さにしてグレードを上げる、そんな店十二、三軒を持つようになった頃で、ワンちゃんの商売の最盛期と言えよう。そういう訳もあって遠い広州で月の大半を費やすのもままならないほど商売の規模がどんどん大きくなっていた。工場をもつことで服だけではなく、デザイン生地などについても考えるようになった。
王府井も大分変った。泥大根みたいな格好をしたおのぼりさんが少なくなって、その代わりに青い目の外人が目立ってきた。道端には、「中国」という雰囲気とは一味違う、シャレたカフェテラスも増え、モダンでエキゾチックな情緒さえ感じる。五月の暖かい日差しを浴びながら、金髪の外人に交って、カラフルな日傘の下で、コーヒーの香りに浸るのって、何と優雅でお洒落なのだろう。ワンちゃんは内心から湧きあがる羨ましさを抑えつつも、ゆっくりと通り過ぎていった。自分がそこに座って、そんなに優雅にしたら、きっと涙が溢れてしまうに違いない。そこに座るのが何故か怖い。
これほどコトバに工夫のない小説も今どき珍しいかもしれないが、「そのような」とか「そんな」「そういう」「わけ」「という」といった言葉遣いの頻出はやはり迂闊というか、間延びした文章というしかない。余談だが、秋姉にルビを振りながら、王府井(ワンフーチン)にルビを振らないのは何故だろう?
あとさ、淡い恋のお話を盛り込むあたりもいかにも近代文学だよなぁ~。いや、近代文学でもよいのだけれど、その決着もつけず、義母の死で終わるというのも、いかにもだし、なんとも、在日中国人を主人公に据えて、近代文学のチャートに当てはめました、という印象が拭えないのだ。
それから、タイトルにも不満を覚える。日本人にとって「ワンちゃん」といえば、王貞治が思い出されるが、それはともかく、ワンちゃんは日本人と結婚し、木村の姓を名乗っている。それはそれでよいし、ワンちゃんが働き者で、今も勤労に励んでいるのもかまわないが、勤労の場が物語の主軸を占めるだけに、彼女を「ワンちゃん」と呼ぶひとが皆目あらわれない。概ね彼女は「木村さん」と呼ばれているのだ。かといって、「ワンちゃん」と呼ばれたいなどといった、その名に拘泥する素振りがあるわけでもない。いたって安易なタイトルといえるだろう。大島弓子も「いちご物語」という傑作の連載開始当初に、どうにでもなるタイトルとして主人公の名を冠したといっていたが、連載という先行きの漠とした物語と、この長さの小説では事情がまったく違う。書き上げてから替えることも可能だったのだから。
すでに昨日になるが、神戸時代の島尾敏雄の門人たちによる同人組織「タクラマカン」の代表・寺内邦夫さんから、左の冊子と、各種島尾敏雄関連の資料パンフが届けられた。ありがとうございます。
パンフレットの内容は下記。
企画展「島尾敏雄の文学 神戸から・・・」神戸文学館・11月3日~3月25日
第15回 島尾文学研究会・神戸大会・甲南大学511教室・11月10日13時
島尾伸三写真展「生活」・甲南大学ギャルリー・パンセ・11月5日~11月17日
しかし、島尾敏雄って、いい男だ・・・。「死の棘」を思い出し、妙に納得。
この本ではじめて島尾敏雄に触れたときには、面白くない、と、ほかを読む気を失ったのだけれど、「死の棘」を読んだときには、心底敬服した。この一冊で、充分な存在感だろう。
なお、寺内さんは、和泉書院より「島尾紀 ―島尾敏雄文学の一背景―」を上梓される由。
休日ということはあるが、「犬身」を一気に読みきってしまった。たしかに楽しんだ。楽しんだのだけど、これは・・・、エンターテインメントを楽しんだていどの楽しみだったのではないか??? 松浦理英子がこれでいいのか?
たしかに、自由間接話法によって、しばしば「わたし」にもなるフサは、梓に踏み込んでいった。いままで、人間同士では見えなかった他者の、孤独な時間に寄り添い、その行動を目の当たりにした。まして、最大のカタストロフを呼び込んだこともたしかだろう。それに、踏み込んだとはいえ、やはり、言葉にされない梓の心理に、フサは迷ってもいれば戸惑ってもいる。もちろん、理解し切れないことこそが松浦理英子であり、そのままにあり続けなければならないのだ、などというつもりはなく、犬になることで、より踏み込み、ついに他者を見、知る存在としての語り手が出現してしまったとしても、いっこうにかまわないのだが、どうにも物足りない。
もちろん、彬という梓の兄とふたりの母の在りようも、じつに生々しく、また、次々と姿を消した兄嫁や父、さらには、叙述のうえで姿を消す久喜や未澄の、その潔い消えっぷりとか、朱尾が呑んでいるカクテル〈犬〉の正体とか、そもそも朱尾の正体とか、わからないことをわからないままに投げ出してみせるその仕草も、メールやブログといった現代的ツールの使い方、すなわち物語は、存分に楽しみ、だからこそ、500P超のこの本をこんな短時間で読み切ってしまったのだが、結局は、ドッグセクシャリティというのも、そうしたツールに成り下がって、梓の家族間の関係を犬の目をとおして見た小説、すなわち、視点が変わっただけの小説に堕したように思える。
そうした不満は、文章にも感じられた。出来事がつぎつぎ起こるのはいいが、下のセンテンスなど、迂闊に過ぎないか?
久々の日記も予想通り気味が悪いことに、まるで期待が叶えられた時のように小さな満足感を覚えたフサは、確かに不快なものでも待ち受ける気持ちになることはあるなとうなずきながらも、書き手の彬は文中の妹に「兄に会いたい」と言わせたいがために無理矢理理屈をひねり出している、と感じないではいられなかった。
こんなわかりづらい文章を書くひとだったろうか? これは、下手といったほうがいいのではないか? 中盤以降は、やけに素っ気ない文章が目立ち、まして上のような文章があるのだから、息切れしたようにさえ見えてしまった。
それでも、変身の場面などは、やはり感覚を書かせるとなんとも粘着的で凄いな、と思ったのだ。
全く意識のない時間もあった。が、半醒半睡の時間も長かったように思えた。時々、水飴を思わせるぬるりとした液体が降りそそいではねっとりとまつわりつくような感覚があるのに気がつき、また別の時には、その水飴のような液体が血管をぬるぬると流れて行くような何ともいえずけだるい感じが訪れ、そうかと思うと、不意に液体が砂に変わって、ざらざらした重いものが体内を時につっかえたりしながらめぐり、遠くに近くに低い音を響かせた。液体や泥が眼鼻から涙のようにずるずるとろとろと噴きこぼれる時もあった。獣臭い匂いが人間らしさを洗い落とすかのように、打ち寄せては引くのを繰り返したのも憶えている。
最後のセンテンスの、面白さはどうだろう。
そしてこのあと、「房恵」は「かつて房恵と名乗ったもの」などという奇妙な名になり、やがて、「仔犬」と呼ばれ、梓に「フサ」と名づけられるのだが、絶えずべったりと寄り添った語り手は、一貫してこの存在の目線でしか語らない。
うぅむ、欲求不満だ。ラスト・シーンのおめでたさといい、なんとも物語を楽しむだけに終始したように思える。これなら程度のよいエンターテインメントにしか思えない。松浦理英子を読む体験としては、物足りない。物語にかまけて、小説が疎かになった、などといっては失礼か。「裏ヴァージョン」も仕掛けで読ませる小説ではあったけれど、その仕掛けがちゃんと仕掛けに終わらず、仕掛けをとおして人間同士の関係の困難さが書かれていたのになぁ・・・。犬という第三者になってしまった。梓の人間関係は、家族のことになってしまった。いや、それでもいいのだけれど、それが、フサの眼をとおる。結局、語り手フサによる三人称の小説となんら変わらない。わけではないのだけれど、梓の家族関係が悲惨を極めるだけに・・・。あの最後のカタストロフで、梓とフサの関係性が完結しているならば・・・。おや? 私があまりにヘテロなセクシャリティに侵されているということなのか??? いくらなんでも「ドッグセクシャリティ」なんてわからない、といってしまうのはずるいが、もとより犬好きの松浦理英子のこととはいえ、人間同士より人犬関係のほうがかくも完璧足りうるという話では、物足りない。
そういえば、ずいぶんあとのほうになってから、梓の科白のなかで、馬琴の「南総里美八犬伝」に触れ、八房がどうのといっているのに、八束房恵の名まえについてはなにも触れないのは、そのころすでに房恵は梓に忘れられた存在ということかもしれないが、玉石梓という自分の名まえに言及しないのは、やっぱりなんともわざとらしい。ジャコメッティだのなんだのと、犬に関することならなんでも知っているような連中なのだから。ちなみにしらない人のために書いておくと、「八犬伝」の悪役に、玉梓という女性がいるのだ。
きっと松浦理英子としては、「親指Pの修行時代」同様に、売れるのだろうし、評判もそれなりに獲得するのだろう。
松浦寿輝の「川の光」もそうなのだけれど、私が、大好きな作家だけに、多くを期待し過ぎているということだろう。これが松浦理英子の作品でなければ、ずいぶん褒めたと思う。こんな言い方をしたら松浦理英子は怒るだろうが、「癒し系」の小説として、パウロ・コエーリョあたりを読むよりも、よっぽどよい読書だとは思うが、それでもやっぱり残念。
〆切迫る追い込み中のはずのHさんが読みはじめた(いいのかなぁ???)ということだし、350P近く進んだところで、この小説についてというよりも、この物語設定について、松浦理英子という文脈のもとに、ちょっと書いておきたい。
かつて松浦理英子の小説といえば、ひたすら「関係」を巡る物語だった、と、とりあえずいい切って見る。すなわち、概ね一人称「私」で書かれてきた主人公たちが他者との距離を測る物語だった。
というのは、正しくない。微妙に正しくない。たしかにデビュー作「葬儀の日」はそうだったといえるし、「セバスチャン」にせよ「ナチュラル・ウーマン」にせよ、単純化してしまえば、そうではあった。だけど、「裏ヴァージョン」であからさまになるまでもなく、「私」たちは、むしろその距離を距離のままに、他者を他者のままに、そうまさに距離を測るような、その間に揺蕩うものを手探りながらも、ふと気づけば、それらの他者にとっては「私」こそが発見され探索されるべき他者である事実を突きつけられてきたのだった。「私」たちがおこなってきた完璧な関係の構築とは、相手(他者)をしることではなかった。
このとき、その為のバイセクシャル(セックスによって完結しない関係)なのであり、マゾヒズム(自分からははたらきかけないもの)だった。「ナチュラル・ウーマン」の花世の苛立ちとは、曝け出すばかりの自分に対し、受け取るばかりで一向に差し出さない「私」に向けたものだったろう。すると、互いに差し出し合い、差し出し尽くし、それでも尽くし得ぬことで、ゆき詰まってしまった、あまりにも観念的な小説「葬儀の日」の「私」こそ、誠実であったというべきかもしれない。
さて、三人称で書かれた「犬身」を見たとき、主人公の房恵は、フサという犬になってしまった。梓は、フサの人間性、全人格を理解しようとするものではないし、フサはこれまでの「私」たちよりなお身近に他者である梓のもとにいる。必要以上に梓を知ってしまう。そう、これまでの松浦理英子の「私」は、相手を知ろうとしながら、実は必要なことだけを知ろうしていたに過ぎなかったのだ。そうした身振りに、相手は苛立ち、ついには逃げ出していたのが、これまでだったといえる。「裏ヴァージョン」で、語り手いや書き手が入れ替わってしまった7年後に、「私」が「私」のまま関係を探索する存在が、他者を、好むと好まざるとにかかわらず探索するものになった。すでに人間同士の関係すら、ここには失われている。
こう考えてみると、想像の範囲だなどと書いた昨日の記事が悔やまれる。一体、この物語はどうなるのだろう・・・。私と貴方だけの2人の世界は、「親指Pの修行時代」で、すでに壊れている。梓には家族がいる。まだまだちっぽけな世界ではあれ、梓の他者は、フサではない。そういえば、ネタバレだが、フサは牡犬だ。まして去勢されている。まさに親指Pかもしれない。
松浦理英子の「犬身」がとまらない。電車の中で立ったままでも、あの重たい本を開いてしまう。面白い! そうきたか、という感じ。いや、物語でいえば、そうだろうね、というところでもある。どちらかといえば、松浦理英子が、犬になって好きな人に飼われる話を書いたと聞けば、おそらくこうなるだろう、と想像させる範囲ではある。というのも、見えなかったはずのその人(他者)を知りすぎるほどに知ってしまうことと、それでもなお、知り得ないことのなかで悶えるフサなわけで、ところが、ちょっとずるいんじゃないと思わせる朱尾という第三の眼もあって、先へ先へと読まされている。読書が遅い私が、すでに分厚いこの本の半分以上に達している。
うぅ~む、夏目漱石の「吾輩は猫である」を読み返したくなってきた。あまりに遠い昔に読んだ本だから、さっぱり覚えていないが、猫の視線の小説と犬の視線の「犬身」を読み比べてみたい誘惑が湧いてきた。
そういえば、水村美苗の「続 明暗」を読んだ後には、思わず内田百閒の「贋作吾輩は猫である」を読み返したのだった。読み比べたくさせるなにかがあるのだろうか???

まず左の「照葉樹」の4号が、水木さんから届いた。ありがとうございます。水木怜さんが2作に、垂水薫さんが1作。追って拝読しよう。
右側が、買ってきた本。いかにも面白そうだったので・・・。
おや! 今(11/1,13:00)気づいたら、池澤夏樹の世界文学全集の第Ⅰ集8巻に入る予定だ。
それはさておき、カバーの紹介を引用しておこう。
ここはアフリカの底なしの森。10歳の頃からやし酒を飲むことしか能のない男が、死んだやし酒づくりの名人をとりもどしに「死者の町」への旅に出る。
頭蓋骨だけの奇怪な生き物。地をはう巨大な魚。指から生まれた凶暴な赤ん坊。後ろ向きに歩く死者の群れ……。幽鬼が妖しくゆきかう森を、ジュジュの力で変幻自在に姿をかえてさまよう、やし酒飲みの奇想天外な大冒険。
これはなんとも面白そう。エイモス・チュツオーラは、ナイジェリアの作家だそうだ。差し詰め、アフリカのマジック・リアリズムってところだろうか?
鞄を替えたおかげで、分厚い「犬身」の持ち歩きが可能になり、とはいえ、こんなもの電車のなかで立ったまま読める代物ではないから、通勤時には読めないけれど、通勤電車のなかで本を読めないのはいつものことなれば、それはまぁいいとして、ようするに今は「犬身」を楽しんでいる。まだようやく100Pを越えたくらい。
「わたしもです。魂は合意の上でいただくものだ」
まじめくさった顔で現実離れした科白を平然と吐く、この人のこういうところがほんとうに気味が悪い、カクテル作りの腕は抜群なのに客が少ないのは、こういう気味の悪さのせいなんじゃないか、と房恵は朱尾に同情した。朱尾がしきりにわたしを呼び出すのも、普通の人間には相手にされず心を打ち明けられないからなのかも知れない、朱尾とわたしはきっと寂しい者同士でお互いを慰め合っているんだ、そう考えて房恵は納得し、いつしか朱尾と週に最低一、二度はメールの交換をするほどの仲になったのだった。
あきらかに悪魔の科白を吐く朱尾。ところが、その科白に反応する房恵の、この距離感! これこそ松浦理英子の凄さだなぁ、と思う。朱尾の科白でこの章を終わらせるのが、小説的洗練だろう。きっと私ならそうする。逆に、ここでくだくだしく朱尾の科白を引っ張って見せれば、おどろおどろしくも、あるいはファンタジックにも、エンターテインメントになるだろうけれど、松浦理英子の器用な自由間接話法にかかれば、それもまた朱尾と房恵という人間(いや、悪魔と犬? でもなんでもかまわないが)同士の距離の問題になる。房恵に見える朱尾という男の在り様であり、その在り様をいかに受け止め、交歓を作り上げていくのか、という謎掛けと謎解きになっていく。
この小説でも、房恵は「種同一性障害」なんて、なんとも怪しい人間で、いわゆる普通の人間同士の関係を構築し損なっているわけだが、それというのも、こうした他者を見、自分とその人との距離・関係を絶えず測っているような、なんとも厄介な人物だからにほかなるまい。そして、それこそが、松浦理英子の描く人物たちだ。といっても、房恵は、社会と関係を構築し損なっているわけでもない、というあたりも、忘れてはならないのではなかろうか。かつて、たとえば「ナチュラル・ウーマン」や「葬儀の日」といった小説の登場人物たちとは、いまや違う。とりあえずは、ちゃんと社会生活を営んでいる。それはまるで、松浦理英子自身に反するようにも・・・、なんて書き方はよろしくない。
ようするに、社会生活と人間関係は、まったく別物だ。社会生活ぐらいなら営めても、人間関係は構築しがたい。いや、完全な人間関係など、構築不可能だ。他者の完全な理解など、できるわけがない。「葬儀の日」以来、松浦理英子は絶えず、他者の完全なる理解を目指しながら、その不可能を思い知るしかない人間を書き続けている。それなら、人間同士ではなく、犬になってしまった今回は、どうなのだろう? 犬になれば、他者(人間)を理解できるだろうか?
ベッドに入ってから、思い出し、思い浮かんだことがあり、備忘の意味も含め、ポチポチと携帯電話から投稿する。
すでに昨日だが、ある友人に、円城塔という驚きに満ちた作家が現れたのだ、と、このブログ記事など見せながら話していて、気づいたのだ。
「つぎの著者につづく」の後半で起きていた、世界の崩壊とコトバを巡る言説の交錯は、コトバの運動の描写だったのだ。一概に、情景を描写するために使われるのがコトバだが、そこではコトバを描写するために情景が使われていた。語弊を覚悟のうえで極端な言い方をすれば、シニフェのためのシニフィアンを顛倒し、シニフェによってシニフィアンを喚起していた。もちろんそれもまたコトバ、あるいはシニフィアンによっておこなわれていることには違いなく、自己言及的なパラドックスを孕むだろう。
とはいえ、この点について、追って再考したい。今はベッドの中なので、ひとまず・・・。
できるだけ今日中にこの記事を改めたい。
AM11:00に自分の記事にある引用部を見直してみたが、やはり前後を見直さないと、まだなにもいえない。これでも職場で仕事中なのだ。やはり家に帰ってからだな。
↑と思っていたのだが、迂闊にも帰らず、今日(31日)に帰ってから、更新しようと思ったのだけど、なんとなく、上に書いたことでもういいや、って気になってしまった。以上。
持ち歩くにはあまりに重いので、家ですこしずつ松浦理英子「犬身」を読み進めているのだけれど、さすがに、犬犬犬で、辟易してきた。現在52Pほど。酒を呑めばソルティー・ドッグにブルドックで、八束房恵に玉石梓ですか! 朱尾献って名まえを説明し、あまつさえ「献」の字の由来なんかまでとくとくと書くのはどうかと思うなぁ。「犬身」が「献身」を思わせることくらいまともな読者ならわかっているのだし、逆を言えば、これほど犬絡みのなかで、八束房恵とか玉石梓という名まえがでてきてもしらん顔をするのはそれはそれで白々しいのではないか?
と、まだ途中ながら、文句をつけはじめているのだが、それというのも、やっぱり長すぎる気がしているのだ。自転車で帰ってくるところなど、ずいぶん刈り込めると思う。冗長な部分が多い。もちろん松浦理英子といえば細部の粘着質な描写が楽しみなのだけれど、粘着質ではない凡庸に無駄な描写が多い。
かなりの長篇ということで、松浦理英子最大のヒット作「親指Pの修行時代」が帯でも引き合いに出されているが、「親指Pの修行時代」も私にとっては残念だったわけで、ちょっと警戒しはじめている。
とはいえ、500P以上のうちいまだたったの52P。「裏ヴァージョン」も読みはじめは大層ガッカリしたものの、読みすすめたら、恐れ入りましたとばかりに感激したのだったから、最後まで読むつもり。
まず、残念なのが、中原淳一の流れを汲む最後の少女絵作家、瞳に宇宙を描き出した少女マンガの原型のような絵を生み出した内藤ルネ老が亡くなった。内藤ルネの絵を熱心に追いかけてきたわけでもないけれど、あのインパクトのある絵を見るたびに、妙にザワザワと胸をくすぐられたものだった。
つぎに嬉しいのが、「山尾悠子作品集成」の第四刷が出たこと。高いから、ちょっと手が出ないのだけど、待っていた。近いうちに買ってしまうだろう。でも、高すぎ。
持ち歩けないから自宅でちょこちょこと読み始めた松浦理英子の「犬身」が、楽しい。なにやら犬に纏わる地名が頻出するのは、なんともうるさいし、そもそも主人公の語り手の名が「八束房恵」ときた。日本文学史上もっとも有名にして恋する犬の名を思い出させる名なのだから。
とはいえ、臍のゴマの話なんかはじめたと思ったら、匂いの記憶を辿っていくその文章は、凄い。もちろん犬だから匂いが重要になってくるだろうけれど、松浦理英子が匂いを語りだせば、なんともいやらしい気配が漂ってくる。それがまた臍のゴマの匂いなのだから、驚く。
これだから、松浦理英子はさんざん待たされることを許せる。
匂いって、書きたくなるんだよねぇ・・・。
耽美・幻想の作家佐藤春夫は、読めばそのたび面白く読むのだけど、この小説は日本文学史のなかで名高き醜聞、かの「細君譲渡事件」を題材にした、いわば私小説なので、あまり期待していない。文壇ゴシップとして、楽しめるかもしれない。期せずして、先般谷崎潤一郎の「文壇むかしばなし」を読んだばかりだ。そう、譲渡したのは谷崎、されたのは千代、受け取ったのが佐藤。この事件に関連する「この三つのもの」「一情景」「僕らの結婚」の三作が収録されている。
松浦理英子「犬身」は、書店の平積みから取り上げて驚いた。500P超の分厚い本だった。つい二ヶ月前に松浦寿輝の新刊にガッカリしたばかりだから、こちらには大いに期待してしまう。期待してしまうのだが、この厚みでは持ち歩くのが辛い・・・。
itu;kairouさんによる円城塔「つぎの著者につづく」の記事を読み、そうなのだ、と思う。つぎの著者など読む気にならないのだ。これは、かなり罪な、嫌味なタイトルといえる。堀江敏幸の文章が、なんとも陳腐に見えてしまったのだから。だが、もちろん「つぎの著者につづく」というときのつぎの著者とは、模倣をテーマに据えたこの小説であれば、おそらくつぎの模倣者としての著者、R氏にとっての「私」、「私」にとっての、「私」の模倣者を指しているのだろう。
それでもやはり、罪作りなタイトルではあり、実際あれ以来まともな読書の記事が書けずにいる私でもある。あの小説にあてられてしまった今、読めているのは、フアン・ルルフォ「ペドロ・パラモ」と残雪「廊下に植えた林檎の木」。このくらい凄くないと、読めないということ。
そういえば、このところアナトーリー・キムとか、曲者にばかり付き合っている気がする。
また、あるサイトの「コレラの時代の愛」について書かれた文章に、大変な示唆を受けた。原題で「愛」に、不定冠詞ではなく、定冠詞「El」が使われているということ。また、定冠詞と不定冠詞の違いが、どれほどの意味を持つか、ということ。すなわち、「コレラの時代の愛」とは、あのふたり、あるいはフロレンティーノ・アリーサ固有の、「コレラの時代にあった(起きた)愛」といった、特別なものではなく、いうなれば、「コレラの時代の愛の在り方」とでもいうべきで、その時代については固有性があり得たとしても、そうした時代にあれば、ある種の普遍性をもった愛として語られていた、ということになるらしいのだ。もちろんそれが普遍的と言い切ることには、問題がある。たとえば、フェルミーナ・ダーサの周囲が、批判的だったことを見てもそうだし、なによりそうしたタイトルをつけなければならなかったことのなかに、一般化できないという思いが込められているはずだ。このある種反語的なタイトルが、愛の形ではなく、愛の在り様を指していたと見える。コレラの時代にあれば、愛はかくあり得た、ということになる。であれば、コレラの時代とはいえないだろう現代には、あり得ない愛なのか? おそらくはそのとおりだろうけれど、このときさらに、コトバの意味がズレる。愛というコトバの普遍的ならざることが暴かれるのであり、概念の恣意性が示されるわけだ。そして、ガルシア=マルケスは、「知の考古学」(ミッシェル・フーコー)を実演したことになる。
だとすると、コレラの時代と現代の愛の在り様の違いを読み取ることが、求められていたのかもしれない。それをあえてコレラの時代というならば、コレラが身近にあるときの愛と、そうではない現代の違いというべきか。
なにはともあれ、あのタイトルは気になっていたので、冠詞の指摘は大変な示唆だった。
とりあえず、単純化することからはじめてみようと思うが、小説を単純化することは、小説の書き換えであって、単純化などということはできるわけがない、という前提のもとに、あえて嘘になることを承知のうえで、「つぎの著者につづく」(「文學界」2007年11月号掲載)を単純化してみる。
私にこのどれかの賭けを、それとも三つ全ての賭けを一緒くたに開始することを決意させたのは、たまたま開いた雑誌で見かけた、ほとんど他愛もない一文である。正確な文面はもう忘れてしまっているのだが、そこでは、私とR氏なる人物の類似性が指摘されており、余りに自明なことであるので改めてとりあげるのも躊躇われるのだがと一息置いて、筆は本論へと踏み込んでいく。私の書き出す文章には、文体にせよ内容にせよ構成にせよ、リチャード・ジェイムス氏の影響が顕著に認められるのだと評者は言う。法螺に法螺を重ねて否定を転々として何も語らず楽にすまそうとする話法がまず第一に類似のものであって見え透いており底が浅いと、その評言は私の不見識を糾弾する調子を高めていく。様々罵倒の叱責を経て、それでも評の末尾において、情状の余地は存在するとされるのは、私のとある著作の中の二人の登場人物が氏の名前を分け持っているという事実による。リチャードとジェイムス。それぞれ個別の人格とされてはいるものの、ここまであからさまな名前を付与されているからには、著者も自分の、リチャード・ジェイムス氏に対する負債を知ってのことなのだろうと論は締め括られる。ひとつには、私はリチャード・ジェイムス氏の稚拙な模倣者である。ひとつには、私はそのことを承知している。ひとつには、私はそのことを表明している。よって私がその著作で行ったのは、リチャード・ジェイムス氏への敬意を込めた本歌取りということにしてよろしく、他力に依らず自力の本願で一層の精進を期待したいということになるらしい。
小説(あるいは文章)の剽窃の問題からはじまる物語なのだ、と、とりあえず単純化してみる。「私」はリチャード・ジェイムスという人物をしらなかった。このとき、たとえば井上ひさしが「吉里吉里人」を書いたときにも、同様の批判と反論があったことを思い出した。井上ひさしの反論に対しては、よくも恥ずかしげもなくしらなかったなどといえたものだ、と嘲笑で迎えられた。もちろんそれは、嘘だというのではなく、しらないことを恥ずべきだという嘲笑だが、さて、「つぎの著者につづく」の「私」は、そこでリチャード・ジェイムスを調べはじめる。ところが、すでに死んでいるリチャード・ジェイムスという人物だが、これがまた存在したその痕跡がまったくといってよいほどない。そのさまはヘンリー・ダーガーにも譬えられているが、その比ではなく、むしろ現実離れしている。このとき、「私」は、あえてR氏と呼ぶリチャード・ジェイムスの著作を読まない。なぜなら、上の引用の冒頭部分にある「私」の賭けとは、ここで書く(書きつつある)小説「つぎの著者につづく」という小説が、R氏の小説の剽窃というより、それとまったく同じものになることを目論んでいるからだ。ところがここにも不思議がある。すなわち、R氏は大量の著作を残して死んだと伝えられながら、発表された本は6冊のみで、いまだ「つぎの著者につづく」という作品は発表されていない。すなわち、「私」は本歌取りを越えて、R氏そのものになろうとしているといってもいいだろう。
猿が気儘にキーボードを叩いたものがシェイクスピアの作品になることと「私」がR氏の書いた「つぎの著者につづく」とまったく同一の作品を書くことは、まったく別である。「私」はコトバをしっている。複数の小説の最初のひと言が、同じであることは往々にしてあるだろう。たとえば、「私は」とか、「その日」といったコトバではじまる小説はいくらでもあるだろう。では、この小説の書き出しを見てみたらどうだったろう?
「ベコス。
こうして私たち二人は話しはじめる。
エジプト王プサンメティコスの命により無作為に抽出されて羊飼いへと預けられ、人の言葉から隔離されて養育された、二人の幼子と同じ作法からこうしてはじめる。
まず、カギ括弧ではじまる小説は、すくなくない。むしろ多くの文字や記号の中でも、極めて多いといってもいいだろう。この開始カギ括弧をあえて閉じないならば、そこからはじめることには、なにがしかのメッセージが読み取れるはずだ。だが、続くのが「ベコス。」。意味不明だ。このコトバではじまる小説は、きわめて稀だといえるだろう。もしかしたら文学史上はじめてかもしれない。そして、それに続くのが「こうして私たち二人は話しはじめる。」という至極まともな文章である。至極まともな文章が、「私」という語り手を告げる。と同時に、「たち」、複数であり、その数は「二人」だという。もちろんそのうちの一人はほかでもなく「私」である。だが、もう一人とは? 先を読んでから舞い戻った今、このワンセンテンスによる段落を見るならば、それがおよそ「R氏」であろうと想像されるが、R氏が書いたはずの「つぎの著者につづく」という小説(?)を一字一句模倣しようとする小説が、こうしたはじまり方をすることは、妙だ、といえる。だが、それもまたR氏の小説の在り様なのかもしれない。そうかもしれないが、このとき、R氏の「つぎの著者につづく」という文章における「私」はR氏本人による語り手であり、二人目がR氏による語り手ではなくなる。
いや、このここで語りつつある「私」がR氏による「私」と同一でありかつ別であるならば、そもそもリチャード・ジェイムス氏云々という人物の物真似だという文章は、誰の文章なのか? ここにも巧妙な仕掛けがある。「私」がわざわざR氏と呼ぶとおり、リチャード・ジェイムスという名もまた、彼の存在が曖昧であるのと同様に、不明のままだから、その原稿にあったRという署名らしきものからとりあえず名づけられたものにすぎないのだというのだ。
そもそも、リチャード・ジェイムスなる名前自体が、出版にあたり便宜上つけられたものであることは特筆しておくに値する。ジェイムスなる姓は実のところその遺稿管理人のものであり、R氏の姓名は、ただRとしてしか伝わっていない。このRにしてからが、発見された草稿一枚一枚の隅に手書きの文字として認められた文様であるに留まっており、真実名前なのかは断定できない。Rの一字だけでは咄嗟の意味が取りにくかろうと、出版社の手で遺稿管理人の姓が充てられ、ただRから手近なところでリチャードの名が命名されて、以降それが彼に対する呼び名として定着したというのが真相である。
だから、R氏の文中にリチャード・ジェイムスという人物が登場することもまたなんら不思議はないといえるかもしれないし、もしかしたら、R氏の著作である「つぎの著者につづく」のなかに現実にリチャード・ジェイムスという登場人物が、R氏の元ネタとして登場してしまったがために、いまだ遺稿管理人の手を離れられないのかもしれない。
先を急ぎ過ぎた。「ベコス」だ。円城塔は、新人賞受賞作で芥川賞候補になり、同様に新人賞受賞作で芥川賞候補だった諏訪哲史の芥川賞受賞を見ることになった。などと考えてみると、「ポンパ」を思い出さずにいられようか? まして、上に引用したとおり、R氏の文章もまた、「草稿」だという。「アサッテの人」が自身の草稿なのだと書いていたことを思い出さないだろうか?
すると、「ベコス」は「ポンパ」であり、アサッテなのか? もちろん、そうではない。「ポンパ」ではあっても、アサッテではない。「ポンパ」がアサッテであろうとしながら、キョウがアサッテに追いついてしまったのに対し、そもそも「ベコス」はキョウであろうとして発せられる。
この小説の単純化なら、たとえば、コトバの始原とコトバがつぎのコトバに繋がっていくその連鎖の有限性がなお、あたかもフラクタルのように無限を内包することとでもいってしまおうか。プサンメティコスから吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」とその批判や類人猿がシェイクスピアを書いてしまう可能性にまで話は広がり、絶えずうねり、どこへ辿りつくともしれないような硬質の文章を、力技というにはやけに流れよく処理しつつ、だが、やはり単純化すればするほど、見失うものがある。
「私」はR氏ではないままにR氏と同一の文章を書くことを目論みながら、それは、すでに上に見たとおり、「私」と書くことがR氏になることでもある。「私」はコトバのなかに埋もれていくしかないのだ。
かつて私は高橋源一郎を崇拝していた。好きというより、崇めていた。これからしばらくは、円城塔を信奉しよう。「文學界」11月号掲載の「つぎの著者につづく」を読了直後の今、そう思う。
柄谷行人がいうとおり、近代文学が終わったのだとしたら、文学は近代を超克し、ポストモダンにいたらねばならない道理だが、高橋源一郎はたしかにポストモダンだったかもしれないけれど、いかんせん、アサッテの不可能に嵌まり込んでいるように見えてならない。あるいは、ライトノベル? ところが、はたしてポストモダンが(「近代」文学でなく)文学の終焉を回避する唯一の方法か、といって、そうではあるまい。近代文学とパラレルにあり得た文学が模索されてもいいのではないか。もちろん、近代文学の終焉といった新たな神話につき合う必要はないし、近代が担った問題意識が語り尽くされたとも思わない。なぜなら、小説よりも現実世界が、つねに更新されており、かつ、情報化社会だろうがグローバル社会だろうが、はたまた個人の時代だろうが、近代の延長にあり、戦争が起こり、殺人が起こり、恋をし、子どもが成長している世界なのだから。
そのうえで、小説は、もっと違う在り様があり得たのではないか、と、問い、実践してみせることには、充分な意味があるはずだ。
「つぎの著者につづく」というタイトルは、あまりにあざといけれど、この小説の文章を見たとき、硬質な熟語が頻発しながら、常套句や四字熟語を分解し、科白からカギ括弧は省かれ、およそ、小説らしからぬながら論文調でもない、そして流麗に、リズムというよりメロディーとも呼びたい流れがある、なんともきわどいバランスを具えている。この文体ひとつ見ても、なにごとか、事件だといえそうだ。そもそも、書き出しが下だ。
「ベコス。
冒頭のカギ括弧は、閉じられぬまま、一行空きが続き、いつまでたってもこのカギ括弧は閉じられない。
とりあえず、読了直後で、まだ頭が整理できていないから、今日のところはこのくらいにしておこう。といっても、この小説について語るコトバというものが、私にあるだろうか? はなはだ疑問だ。ただ、「世界文学のフロンティア」的なアンソロジーにはこの小説が加えられてもいいのではないだろうか。そう、世界レベルで。
後日「つぎの著者につづく」について書いた記事はここ。
おそらく、これが谷崎潤一郎が書いたものでなければ、編集者は突き返しただろう(嘘。そこまでひどくない)。すくなくとも、文章教室のようなところで、こうしたエッセイを書けば、仲間からの批判は免れまい。もちろん、ゴシップの類はたいへん興味深い。そして、だからこそ、今さらながら、文庫収録になったのだろうとも想像できる。先日買った「夢の浮橋」の巻末を飾っているのが、「文壇むかしばなし」だ。私ごときはしらないものも少なくない、たくさんの名まえが登場している。劈頭徳田秋声が尾崎紅葉を持ち出してはじまり、紅葉から鏡花、あるいは「紅露」と並び称されたという幸田露伴に話は広がっていく。もちろん、紅葉が明治時代の大人気作家だったことはしっているし、硯友社を率いて、多くの弟子を育てた大立者であることはしってはいても、明治といえば、漱石・鷗外という巨人がいれば、梨園の「團菊」に比する「紅露」というコトバさえあったというだけでもちょっと驚く。で、梨園を持ち出して、声音を聞いたとかなんとかこじつけて、わずかなつながりの文壇人を思い出していく。ようするに、きわめて自由奔放に、思い出すままつらつらと書き連ねた、といった随筆だ。
これが気持ちいい。けして上手くはない。下手な随筆なのだが、ひとつひとつのセンテンスのさりげなさといい、読まされてしまう。もちろん、もとより、谷崎潤一郎といえば、かなりいい加減な散漫さはある程度承知のうえで、だからこそ許せてしまうともいえるだろう。「吉野葛」のいかがわしさ、計画性のなさを装う身振り、いっぽうで、戦中から戦後にかけて書かれた「細雪」の周到さと、破綻。「細雪」の緻密さに紛れ込む敗戦のときを思うと、谷崎潤一郎の文章とは、まさに書きつつあることが語りつつあることとして、その場、その時、今ここを生きることの顕現だったように思える。
すると、「文壇むかしばなし」というこの文章の中にもあるとおり、鏡花を好みながら、鏡花が敬愛してやまなかった紅葉を、好まなかったというのも、私自身の好みもあるが、大いに共感する。
ところが、思いつくままに書いていくと、やっぱりというか、喧嘩の話や、嫌なやつの話になってしまう。これは、ゴシップ的で少々鼻白む。鼻白むが、私のしらない名まえのひとつである生田長江の話は、ゴシップがゴシップを越えて落ちがつくところは、まぁ、流石といえば流石。
野坂昭如を読むまでもなく、ときに、文章にリズムを持たせたくなるし、ふと気づくとコトバが弾むようなリズムを持っていて、思わず、そのリズムを保ちたくなるときもある。たしか、山本昌代「居酒屋ゆうれい」だったと思うけれど、ほんの数行だけ、リズムが生まれてしまった文章が紛れ込んでいて、妙な違和感を醸していた。だから、私の場合、まれにリズムが生まれてしまったときには、むしろそのリズムを排除している。というより、私は、リズムにせよ流れにせよ、どうもしっくりきそうになると、はぐらかしたくなるへそ曲がりだ。もちろん、中途半端なリズムなら、ないほうがましだ。
「目玉」は短い小説だが、果敢にリズムに取り組んでいる。果敢に取り組んでいるのだが、はたして、それが当初の思惑通りだっただろうか、という疑問もある。
花粉症の時期でもないのに、やたらと目が痒い。指先でこりこりと掻いてみる。手の甲でこすってもみる。しまいには瞼を閉じて、上からパンパン叩いたりする。それでも痒みは収まらない。どうも目の内側からもぞもぞは来るらしい。
書き出しのこの段落を見ると、リズムになりきらぬままに、むしろ流れのよい文章に収まっている。このとき、この流れのよさに小原さんが同調してしまったのではないか、と思える。すなわち、小説の構想として、物語があったわけだが、いざ書き始めてみたら、文章が動き出し、その文章の動きに書き手が引きずられていったようなのだ。
野坂昭如は、一度書いたら書きっ放しのように言うが、はたしてそれがどれほど真実か、疑わしく、推敲はしているだろうけれど、それでもやはり、野坂は生まれ動き出す文章に書かされているような感があるし、それは、泉鏡花が書き始めたら向こう任せというのに似ているだろう(野坂昭如の泉鏡花賞ほど、相応しい賞はないとさえ思う)。
道端に白木蓮。吹き初める寒風には抗いがたく、枯葉は競うがごとく舞い落ちる。僕はひょいとその傍らに寄り、肩掛け鞄から目薬を取り出す。そうして抜けるような秋空に顔を預けて、まず右目に一滴。二滴三滴つづけて垂らす。ひやっとする感触。たまらず顔を伏せ、目を閉じる。爽快な感触をじんわり味わっていると、やあ、もう五時か。鐘の音が響いてくる。カラーン、カラーン……
上に続く段落だが、最初のセンテンスがいきなり体言止になり、明らかにリズムを意識している。リズムを意識するとき、さらに「がたく」が「ごとく」を呼び寄せるように、なにか韻さえも「やあ」といった意味のないコトバさえ生まれてくる。
さて今度は左目にと、再び青空に顔面さらす。と、はるか上空で、なにやら真っ黒い一点が生まれ、染みのようににじんだ。いや、これはにじむんじゃない、近づいてくるんだ、と思ったのも束の間、そいつは物凄い勢いで落下してきた。と、顔面をさらう一瞬の旋風を残し、再び鋭く舞い上がる。
普通の語り口調を交えた一人称の文体に落ち着くように見えながら、句点こそありながら、「と」を多用して、センテンスに連続性を持たせて、いまだ文章の流れを保っている。
このとき、こうした文章に要求されるのが、語呂を合わせる語彙力だったりするのは、前の段落にも表れているのだが、残念なのが、それを維持できているとはいいがたい。なんとも直接的な形容の凡庸さが、惜しまれる。
なんとか気もちを引き立たせようと、読みかけたままだった小原優さんの「メタモルフォーズ 十一の変身譚」を開き「ミノムシの夏」を読んではみたのだけれど、面白く読めそうなのに、やっぱり乗れない。どうもこちらの気分の問題に思える。
ペースを取り戻すための、私のリハビリ的な記事になりそう。
変身譚にこだわるにせよ、それは書き手の思惑にすぎず、読み手は、変身にこだわる必要はない。それでも本書のタイトルをしっていれば、変身を期待しながら読む。そこで、そうした期待をはぐらかす手立てが生まれてくる。すなわち、変身を先取りしてしまうといった書き様が「ミノムシの夏」だ。
ミノムシの「ぼく」が語りはじめるとまもなく、変身が告げられてしまう。
ミノムシになる前は人間の男の子だったのです。生まれたのはここからずっと遠くの南の町、東京です。物心つく頃には戦争が始まっていて、小学校の高学年になる頃には、夜ごと空襲警報に起こされました。ついに同級生らと共に群馬県のN村に疎開したのは小六の時です。ぼくには就学以前の幼い双子の弟妹がいましたが、二人と離れるのはつらかった。
すると、それでも、変身をテーマに据えて読もうとするなら、変身の過程か、そのわけに読み処は向かうだろうし、この小説も上の引用の前に下がある。
「なぜ、君は五十年もミノムシのままでいるのか。決して袋から出ようとしないのか……わけがあるんだろう。もちろん、わしには何もしてやれない。ここに佇むだけだ。でも、聞いてあげられるよ」
ヒノキの声には、気の遠くなるような長い時の重みがあった。それはぼくの半生をずっと凌駕し、それゆえに温かく抱擁してくれる。
しばらくして、ミノムシは語り始めた。
というのだから、この段階では問題はミノを出ないことではあれ、その直後に変身が言われているのであれば、その変身がこの小説の中心的主題に座る。
とはいえ、このとき表れた三人称が気になってしまった。最後のたったひとつのセンテンスで構成された段落だ。自由間接話法というには、唐突感がいなめず、もし、これを自由間接話法と呼ぶならば、一人称に紛れ込む三人称という、少々珍しいケースの自由間接話法といえそうで、なおのこと気になって、こうした技法的な面における今後の展開を期待してしまった。期待してしまったのに、なにもなかった。とするならば、「しばらくして、ミノムシは語り始めた。」というセンテンスこそ、失敗だっただろう。
さて、ミノムシの独り語りになると、疎開先における少年のひと夏の物語として、面白くないとはいわないのだけれど、都会育ちの少年が田舎で過ごすノスタルジックなお話としては、戦時という特殊さがありながらなお、やはり凡庸といえば凡庸だろう。ノスタルジックで凡庸なお話が悪いわけではない。ただ、それが変身譚という特殊性を纏おうとするとき、物足りなくなるのではないだろうか?
それでも、少年のひと夏の物語としては、それなりに楽しんだのではある。それでも、その背景にミノムシの変身というものがあったからこそ、ではあるのかもしれない。すなわち、互いが補完しあう形で、物足りなさを免れたのかもしれない。ミノムシの話なしに、ひと夏の物語として提示されたなら、やはり物足りなかったのではないか、ということだ。変身譚に特化するとは、すでに書き尽くされてしまった物語を、物語、あるいは仕掛けを重層化することで、克服する試み? 重層化という深みの幻想の試みには、じつをいうと共感してしまう。「肉片柳絮」には、多分にその思惑があった。
第137回芥川賞受賞作・諏訪哲史「アサッテの人」は、一言でいえば、世界に対する違和感のお話だ。「アサッテの人」は、一言でいえば、メタフィクションだ。というわけで、第50回群像新人文学賞を受賞した諏訪哲史のデビュー作は、一言でいえば、2重構造になっている。
世界に対する違和感は、叔父のものだが、吃音によってあたかも世界から疎外されていると感じていたものが、いざ吃音を克服したとき、世界の内側に達することで、世界そのものの境界線を見失う。
もちろん、吃音者が世界の外側にいるわけではない。明らかに世界の内側にいる。ここで問題になるのは、世界を統べている秩序、眼に見えない制度だ。
言語障害による「世界から疎外されている」という意識。
そしてショーペンハウエル風な「世界に囚われている」という意識。
吃音が幅を利かせていた頃の叔父のうちには、この両者が矛盾し合いながら併存していた。より正確に言えば、一方が他の一方を制御するという相互的な危うい均衡を保っていた。彼の青春期の群像がこの奇妙な均衡によってかたちづくられていたのである。
すると、言語障害を克服したとき、ショーペンハウエル風の意識が浮上してくるだろう。だが、このとき、疎外感をしるものの特権的な身振りとして、世界という牢獄の外部をしっている気になる。いや、この「両者が矛盾し合いながら併存してい」られたのは、言語障害者だった彼の立ち位置が、その両者を跨いでいた、境界線上の存在だった、すくなくとも叔父は自分の立ち位置を境界線上に見出していたからだろう。
ところが、彼が言語障害という均衡を保つ術を失ったとき、ショーペンハウエルばかりが叔父をとらえることになる。
しかし、ここで先を急がず、吃音に悩まされていた彼の疎外感を見てみると、「キツツキ」という言葉に疎外感を高め、「ドチリナキリシタン」という言葉では、疎外されなかった。こうした言葉の多様さのなかに、世界と自己の距離を測っていた、あるいは、世界と自分を隔てる境界線に穴を穿っていたわけではない。いくつかの言葉は彼の舌を淀ませなかった。それらの言葉が彼を世界につなぎとめていたように見えなくもない。しかし、それらは、概ね意味を持たない言葉ばかりだ。そう、彼の身振りとは、意味の剥奪に偏っていく。世界から意味を剥奪すること。チューリップ男のように。
そして、「アサッテ」な行動は、「意味を剥奪する」という意味を帯びる。世界の秩序のなかに組み込まれる。
そうした過程を、今は亡い彼の妻の言葉や、彼を小説にしようとして書き溜めた草稿と、彼の日記によって辿るのが、「私」である。ここで、それらが、妻の「発言」であり、自分の「草稿」であり、彼の「日記」であって、「小説」が立ち現れていない、わけではない。それらの寄せ集めであるこの文章を、「私」は再三にわたって「小説」と呼んでいる。この「小説」を書くことの身振りについても書くことにおいて、この小説はメタフィクションである。そして、それを要請しているのが、ほかでもない、叔父の身振りである。
要するに、私の書きたいのは叔父の話であり、叔父の話とはつまるところポンパを含めた大きな意味での「アサッテ」の話であり、この「アサッテ」が性質上あらゆる「作為」を拒むものであるからには、元に戻って小説自体が破綻せざるをえない木阿弥にたどりつく。
すなわち、「小説」の態をなさない形でしか「小説」たりえないのが、「アサッテ」であるというわけだが、なぜ、「アサッテ」があらゆる「作為」を拒むのか? ほかでもない、「アサッテ」が「作為」「秩序」「意味」の剥奪を目的としていたからだが、上に見たとおり、その試みは失敗に終わっている。この「小説」は叔父の失踪後に書かれている。すると、彼の失敗は「私」にとって自明である。それならなお「作為」に加担してもよい。
ここにもうひとつの顛倒がある。
高原英理の「神野悪五郎只今退散仕る」を読み終えた。
まえにも書いたが、高原英理は、その評論3冊のうち2冊を読んでいる。物足りなさを感じながらも、2冊目に手を出しているのだから、あながち詰まらないとはいわない。
その高原英理が「神野悪五郎只今退散仕る」というタイトルで小説を書くならば、稲垣足穂を背景に、稲生平太郎のお話が展開されるかと思ったが、高原英理としては、そうした衒学趣味に走るより、広く読まれるエンターテインメントを目指したようだ。ちなみに左に掲げた本には、稲垣足穂の稲生家妖怪譚に纏わる三つの文章「懐しの七月―余は山ン本五郎左衛門と名乗る」「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」「稲生家=化物コンクール」と、高橋康夫による解説「動くオブジェと平太郎少年と山ン本氏と」が収載されている。当時は、稲垣足穂の書いたものを読みたくても、なかなかなかったのだ。それはさておき、稲生家の伝説といえば、泉鏡花の「草迷宮」が有名だし、最近では、大部2冊におよぶ「稲生モノノケ大全」などという本が出ているから、その概要くらいは知れ渡っているのだろう。
だけど、「余は山ン本五郎左衛門と名乗る」があればこそ、「只今退散仕る」だと思うのだが、「神野悪五郎只今退散仕る」というタイトルはどうだろう? ここはやはり「余は神野悪五郎と名乗る」ではじめて欲しかった。まさか、高原英理が「懐しの七月」をしらないわけではないと思うのだが、第九章見出しが「神野悪五郎今参る」、最後の第十二章が「神野悪五郎只今退散仕る」となると、おや? しらないのかしら、と疑いたくなる。ただし、「懐しの七月」と「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」は、ほとんどおなじ内容を書き直しただけ、といってもいいのではあり、「~只今退散仕る」が完成形だと考えることもできる。でもなぁ・・・、私としては、この物語を飛行機の話から語り起こす「懐しの七月」のほうが断然よいと思うのだよなぁ・・・。
と、タイトルに拘泥するのも、この小説中にもちゃんと「稲生物怪録」に対する言及があるのだ。第七章では、冒頭から長々と紹介している。もちろん「稲生物怪録」のなかから神野悪五郎なるものに言い及んでいくわけだから、当然といえば当然かもしれない。
さて、いいかげんで、「神野悪五郎只今退散仕る」の話にしよう。
七月が半ばを終わり、梅雨過ぎて明日から夏休みを控える、終業式の日の朝はよく晴れた。
学校へ出ようとするところ、近所の家の前に初老ほどの男性が佇んでいた。
一帯は昔からの住宅街で、住人としては見知らぬ人がいたさい、ともあれまずは不審の眼を向けることとしている。その人は地図か図面か、新聞紙程度の大きさのものを広げて熱心に眺める様子である。グレーのスーツ姿が地味で特別らしいところは見られない。
この、下手の見本のような文章が書き出しでは、引いてしまう。さらに、敬語の使い方などにも間違いがあったが、それでも、しだいに落ち着いていったのは、むしろ書き出しだからこその力みであったかもしれない。教養や趣味の方向が澁澤龍彦や中井英夫であったとしても、あるいは、デビューにあたって彼らの推挙(高原は、ふたりが選を務めた第一回幻想文学新人賞を受賞)があったとしても、こうした文章を書いているかぎり、私としては彼らの後継とは言いたくない。冒頭のセンテンスなど、ほとんど「頭が頭痛で痛い」と言っているようなものだし、「明日から夏休みを控える」? 「明日から~控える」では文脈が通じていない。「明日からの夏休みを控える」か「明日から夏休みを迎える」だろう。それぞれのセンテンスひとつひとつにいいがかりをつけたい点があるが、面倒なのでよしておこう。
そのかわり、というわけでもないが、この小説は物語ること、物語の生成の物語だといってしまう。それにしては、この小説そのものはずいぶん単純明快な物語なのだが・・・。
まず、物語の主人公紫都子が最初に出会う妖怪が、上の引用の男性なのだが、「舌長」という、やけに舌が長い妖怪だというのも、なんとも象徴的ではある。といっても、後から思えばの話で、舌先三寸なんてものではない長~い舌の妖怪というのは、象徴的といえる。
「この樹の根の下に、白辰という大妖怪が眠っている。それは一千年を眠って過ごすが、その間、いくつか夢を見る。すると、それは地上で不完全ながら伝説として伝わる。その夢のひとつが、室町の頃、京にあった位高い青年僧を恋う娘の夢である。地下の理脈というものを伝い、それは細部を違えるさまざまな形として、時期も別々に、この列島のあちらこちらで伝説を残した。最もよく知られるものは、女が蛇となって男を追ったという安珍清姫の伝説である。
だがこの楠の木をめげっては、やや異なる。娘の側を哀れむ物語として実現し、江戸の頃、この樹こそ自害した娘であるという物語を見出した。以来、これを偲の大楠と呼ぶ。
そうした伝説をまとうことが、この樹に人の執念を呼び寄せることにもなった。人間の意識は自らをより望ましい形で見出す場所に近づきたがる。自己を惜しむ強い思い込みに囚われた者であれば、たとえその詳細を聞かずとも、偲の大楠が発する女への憐憫を感じ取り、誘われるかのようにここへ辿り着く。それゆえ、ここは悲恋に絶望した女たちが多く自殺した場所でもある。
神野悪太郎の科白だが、もちろんすべての伝説が白辰の夢から発したというわけではないながら、往々にして白辰の夢が実態もないままに、伝説化して物語られていくというのだ。
さて、ここから先は、結末にかかわる
「メタモルフォーズ 十一の変身譚」の8つめ、「鉗子」を読んだ。
これも非常に短いが、とても面白かった。
腹中に鉗子が置き忘れられていた男なのだが、すでにそれから2年が経っているところから物語りははじまっている。このときなぜX線照射がなされ、その事実が判明することになったのか、そのきっかけは明らかにされていない。そして、そのX線写真に写った鉗子の姿が、亡くした息子・一郎を思い出させたというのだが、この一郎の死のわけもまた語られず仕舞い。それが、気持ちいい。
そして、すでに2年前から鉗子はあったはずなのに、その姿に一郎を見出して以来、まさに鉗子は一郎になる。自由に動き回って、「俺」を翻弄する。このとき、ふと私が思い出したのは、私の父の話だ。父はむか~し、利き腕だった左腕をほとんど粉砕される事故にあっている。骨を砕かれて、ギプスをしていると、ときどき腕がくすぐったくて仕方ない。ギプスを開くと、骨の砕片が皮膚の下から皮膚を突き上げているのだそうだ。邪魔なものを体外へ排出しようとして、自然に浮いてくるらしい。砕片はひとつやふたつではないから、それはたびたび起こったという。この小説で、一郎になった鉗子が皮膚の下から突き出てくるたびにその話を思い出してしまった。それはともかく、その無邪気なさまが一郎なのだし、だが、それを一郎と認めたのは「俺」であり、妻なのだが、それ以来それが一郎になってしまう、変異の契機が、「俺」なり妻なりの認識に依存しているあたりは、なんともいえない説得力がある。妙に納得してしまうのだ。
X線検査のきっかけや息子の死のわけといった語らないことの面白さは、もしかしたら「少年」で語りすぎてしまった反動かもしれないし、あるいは、発見かもしれない。ますますこの先が楽しみになってきた。
「メタモルフォーズ 十一の変身譚」にもどり、「少年」を読んだ。
一人称のこの小説に「少年」というタイトルをつけるとき、私たち(読者)は立ち位置を見失うのではないだろうか? 少年とはだれか? おそらくは、Kなのだ。しかし、「僕」はKを少年と呼ぶもの足り得ない。なぜなら、「僕」もまた中学三年生のKの同級生なのだから・・・。まして、事件はKのところで起き、あるいはKが起こし、「僕」は傍観者どころか、彼からのメールでその事件をしる。この小説のスタイルは、本書の巻頭にあった「ロゼッタ」と同じだ。
しかし、この小説では、Kは気配だけは見せる。
たしかに人の気配がする。が、窓には厚くカーテンが垂れ、呼び鈴を幾度押しても遠くかすかに空しい反響がするばかりだ。玄関の扉を叩いても、近づく足音はない。
だが、扉の向こうにKの気配を確かに感じる。彼はこもっていた部屋を出て、足音もなく階段を滑り降り、裸足で三和土に降りる。そうして荒い息遣いを懸命に押し殺して、扉の内側に片耳を押し付けている。あるいは覗き穴から僕の表情をじっと窺っている。
Kはいつもそうだ。外界に怯えるあまり、内側から出ようとしないが、そこに自分がいることを誰かに知ってもらいたがる。
書き出しだ。最初の段落で、ただ一軒の家のまえに立ち竦む語り手を思い描いた私たち(読者)は、つぎに、気配という漠然とした存在が、「彼」と呼ばれたことで実体化し、扉の影に辿りつくまでの道程を見せられ、ところが、おなじ段落の最後のセンテンスで、「あるいは」という他の可能性が示されることで、思っていた映像が所詮想像にすぎないことを思い出される。ましてこのときに「僕」と人称が明かされて、眼の前に扉だけを見ることになる。Kはあくまでその影の気配でしかない。
すると、この小説はその扉を超えていくことこそが要諦になる。だが、さきを急がず、あくまでこの冒頭の、気配と想像のKでしかないながらも、一度は文字に描かれることで現前したKの姿を記憶にとどめておきたい。いや、いやがおうにも、記憶に残るだろう。なぜなら、この本は「メタモルフォーズ 十一の変身譚」というタイトルなのだ。誰かがなにかに変身することは約束されている。もちろん、この時点では、変身するのは「僕」かもしれない。あるいは、ほかの誰かかもしれない。だが、上に引用した最後の段落で、「僕」はKを説明している。Kはこの小説にとって特別な存在だというがごとく。
ところが、上に続く場面になると、少々事情が変わる。
僕がKに出会ったのは、三カ月前、中三の春だ。僕らはお互いが同種の生き物だとすぐに悟った。周囲から浮き上がった異質な空気を共に漂わせていた。進級し、新しいクラスに慣れるにつれて、親密な小グループが自然に生まれる。Kと僕はどこからも招かれず、自分でも避けた。成績も中くらいで部活もやらない。六限目が終わるといつの間にか姿を消す。目立ちもせず邪魔にもならない。Kも僕も無色透明な空気のような存在だった。
「僕」とKの関係が明かされるようでもあり、だが、それよりも、「僕」とKの近似性が語られる。すると、「僕」はいつでもKになりえる。
Kも僕もしょっちゅう学校を休んだ。遅刻・早退も多い。もちろん親はうすうす感づいていただろう。が、毎朝晩、定刻に家を出て戻って来る限り、その間の一人息子の行動に関心を示さなかった。教師も僕らが不登校にならない限り、特に注視しなかった。いわば教師と親と僕らの関係は淡い無関心によって保たれており、その微妙な均衡をくずさぬ限り、互いに口出ししないという暗黙の了解があったわけだ。
テンポよく状況説明を処理する手振りは、そうしたテンポにかまけすぎたか、「定刻に家を出て戻って来る限り、その間の一人息子の行動に関心を示さなかった」といったセンテンスには違和感を感じざるを得ないものの、それはさておき、Kと「僕」はほとんど一心同体に語られる。ところが、Kが「僕」ではなくなる。
それだけにKが今日で三日連続で欠席したことは、どうにか保たれていた均衡を壊すものだった。だから、教師が心底心配するわけでもないのに職務上、不承不承Kを呼んで注意する前に、僕はKの家を訪れ、身体だけでも学校に運ぶよう勧めに来たのだ。
違和感も辞さず文章にテンポを生んでいた上の段落に続くこの引用部であれば、このまどろっこしさはいやでも眼につく。教師は、まだ注意したわけでも、「僕」になにかを言ったわけでもない。そうあるはずだと「僕」が想像しているだけに過ぎない。それにしてはご丁寧な描写である。そう、ここで起きているのは、「そうあるはずだ」と想像する「僕」の現出である。おそらくはKもおなじように考えるだろうと、読者さえが思えるなかで、なお、「僕」という個体が立ち現れる。すると、「僕」とKを隔てるものは扉だけではなくなる。
が、Kは中にいるのに扉を開けない。自分の気配が通じていると知りつつ閉じたままだ。僕は「仕方がない」と一言つぶやき、猛暑の中、けだるい体でKの家を後にした。背後を強く見られていることを意識しつつ。
「が、」にはじまり、「しつつ。」で閉まる段落というのは、なにかちゅうぶらりんの印象が残る。たしかに、ただひとつ「猛暑の中」という言葉を除けば、この段落は丸々不要だといってもいい。しかし、上の流れのなかでとらえたとき、いまだ「僕」とKの間にたゆたっているものが、Kの視線とともに、文章にも浮かび上がったのだとも思える。
進学から三カ月後のだから、それが夏であることは容易に想像できていたが、あえて「猛暑の中」と書く理由がここにはある。惜しむらくは、訪ねる道中やKの家で立ちんぼを強いられた間も、「僕」に、その猛暑が感じられなかったことだ。あたかも場景描写を嫌ったようにさえ、書かれていない。それこそが、「少年」の世界認識の在りようだろうか? もちろん、風景描写がなければ小説たり得ないなどというつもりはないが、「僕」が「猛暑」というならば、その不快感は書かれてしかるべきではなかったろうか。そのときにこそ、「 汚いし、臭いし、家中が氷室のように凍えている。」「 とても寒い。震えが止まらない。セーターを二枚重ね着しているが、毛布を体に巻いてキーを叩いている。」というKのメールも活きてきただろう。この言葉を異常にするために、そのときを夏(進学から三カ月後)にし、「猛暑の中」と、後から書き加えたのではなかったかとさえ、疑われる。そして、そうした齟齬は・・・。
物語を見てみよう。
一昨日、二人とも殺した。何度も殴り、引っ掻いた。のどを咬み切った。台所と居間は血だらけだ。壁にも血しぶきが飛び散っている。彼らを残して学校へ行けない。今朝から家中がひどい臭いだ。腐らないように、三つあるクーラーを最強にした。冷蔵庫も開けっ放しだ。氷ができる度に彼らの上に撒いている。体をまっすぐに横たえようとしたが、もう固くてだめだった。それに僕の手では物をうまく握れない。今の僕は他人に見せられない姿をしている。
Kは、母と義父を殺したとメールを寄越すわけだが、そのとき、Kは熊のぬいぐるみに語りかけ、自身が熊に変身して、ふたりを殺したのだという。さて、首が傾げる。上のメールを見れば、「僕の手では物をうまく握れない。今の僕は他人に見せられない姿をしている。」という。それなら、変身したKはいまだに変身したままではないか? さらに、Kはメールを寄越す。
僕はもう外に出られない。死のうと思う。つまらない十四年間だった。でも、僕もこの世に十四年間籍を置いていたのだ。その証を書き残すくらいは許されるだろう。君が証人になってくれ。これから僕の十四年の人生を書く。読んだら消してくれ。
とすれば、「少年」とは、とりもなおさず、十四年しか生きなかった、すなわち、「少年」でしかいなかったKのその人生ということになり、上につづくKの十四年間こそがこの小説のテーマであったことになりかねない。とはいえ、そのまえに、このKの言い草も気にならなくはない。「君が証人になってくれ」といい「読んだら消してくれ」というのだ。このとき、「僕」とKの関係が揺らぐだろう。
さて、Kの十四年だが、この物語のなかにあれば、いや、この物語のなかでなくても、きわめて凡庸な孤独な少年の物語だ。世界との違和感、死の独り遊び(「死んだまね」というと、私は丸尾末広を思い出す。っと、あれは「死んだふり」だったか・・・)、リストカット、ドメスティック・バイオレンス、どれもが、小説的でありながら、それをただなぞっていくばかり。それでも十四年をたどれば短くもない。すると、いかにもこここそが小説の核のようにも見えてくる。「少年の孤独」の物語だ。畢竟、この小説のタイトルが「少年」になってしまったのではないか。しかし、Kを少年と呼ぶものとは、語り手でもなく、書き手だろう。タイトルがそうした位置取りであるなら、書き手の位置から物語に入って、「僕」が現れたとき、どうだろう? やはり、いかんともしがたい違和感がある。
だが私にはこの部分が、むしろ付け足しに見えて仕方ないのだ。その凡庸さもさることながら、親を殺す動機、そこにいたる過程を語り出さずにいられないという呪縛が、そこにはなかっただろうか。Kが語らずにいられない、というよりも、物語が語らずにいられなかったのではないだろうか。そして、そうした、書かずにはいられない、あたかも推理小説の探偵の謎解きのように、物語が呼び込んでしまった部分こそが、肥大して、核めいてしまったように思える。
推理小説といえば、犯罪の5W1Hを明らかにすること、といった原則があるようだが、なかでも、日本でいえば松本清張あたりからに思えるが、Whyばかりが書かれるようになったように思える。動機なんてものは、なんとでもつけられるはずで、探偵小説などと呼ばれていたころには、謎解きとしてはそれ以外の要素が主軸だったように思えるのに、犯罪トリックが手詰まりになったのか、どうも動機ばかりが前面にでてきたように思えてならない。そして、それを「社会派」と呼んでいるように・・・。
と、話が逸れたので閑話休題。
そう。この小説も社会派に読めてしまうのだが、ほんとうにこれが書きたかったのだろうか? と首が傾げるのだ。
外界はこの重たい膜によって、僕から隔てられている。向こう側では、何かしゃべりながら板書する教師がいて、生徒たちがノートをとったりひそひそ話をしていたりした。また、おしゃべりしながら給食を食べたり、あわただしく清掃したりしていた。それらの動作は早送りしたコマのように大変なスピードで動いていた。僕は全然追いつけず、ウワーンという混濁した反響の中で茫然と見送るばかりだった。膜のこちら側は向こう側の数倍の重力をもち、まるで深い水底にいるようだ。僕の体は重くだるい。動きが意のままにならず、ただ暗い水底から上を仰ぐだけだった。
なにもこれらのKの話が悪いわけではない。凡庸とは書いたが、上に見るとおり、いうところは凡庸でも、その表現や出来事にはそれぞれに面白さがあるのだ。死んだまねにせよ、フィギュアを焼く遊び、はじめてのリストカット、教師の無理解、それぞれに面白いと思う。ところが、義父と母のセックスを覗き見、義父のリストラ、ドメスティック・バイオレンスといった家族が絡むにいたっては、なんともありきたりに思えて仕方なかった。もういいよ、と食傷したのかもしれない。
だが、それだけだろうか・・・。Kの十四年をたどる物語は、Kのメールである。上の引用を見てもわかるとおり、当然のように、Kの一人称「僕」である。「僕」がふたりいるのだ。Kの十四年こそが核に見えてしまうなら、Kのメールだけで成立している。語り手の「僕」は必要がない。ところが、ここにはもうひとり、KをKと呼ぶ「僕」がいる。
メールを読み終えた「僕」は、「ロゼッタ」の「ぼく」とおなじように、Kの家に駆けつけるのだ。そう、名まえもおなじ「K」だ。「ロゼッタ」のKは自分を「私」と呼んでいたが。
さてそれなら、おなじ構造をもつ「ロゼッタ」と「少年」の、二重の語り手は、この小説になにをもたらしているのだろう。客観性? 動きを欠いた小説にせめて最後に駆けつける「僕(ぼく)」という運動の導入? 彼らは最後になにをしただろう? 駆けつけたのだ。「ロゼッタ」の「ぼく」は「しばらく茫然としていた。が、突然或る疑念が浮かび、飛び起きた」のだし、「少年」の「僕」は「しばらくの間、僕は何も考えられなかった。頭の中が真っ白だった。始めに戻って再び読んだ。さらにもう一度。ようやく今すべき事がわかった。部屋を駆け出して、Kの家へ急いだ」。彼らは、まず茫然とする。異常な世界から正常の世界へ戻ってくるようだ。そしてそれは、とりもなおさず、読者の仕草である。ほかでもない、「僕(ぼく)」がKの日記やメールの読者だったのだから。ところが、もう一度、彼らは立ち上がり、駆けていく。確認にいく。そして、Kの書き記したことが真実であったことを告げるものになる。ふたたび語り手になりながら、語り手であると同時に、事件の現場に立ち会う当事者として、自らによって語られる者になる。
すると、「僕」とKの関係は・・・。最後の「僕」の科白はいただけなかった。
うううむ。Kの十四年を語るメールが惜しい。タイトルが惜しい。ラストが惜しい。
それから、熊のまんまのKがセーターを二枚重ね着してるの? ぬいぐるみの熊ならありってことか?
20日21時、加筆した。
ちなみに、小泉今日子さんは、この小説について、かく述べておられる。
結局のところ、松浦寿輝はとても上手な小説家ではある。ネズミの家族3人が、棲処を追われ、冒険の旅に出かけて、敵役にイタチが現れたときはいよいよ「ガンバの冒険」を思い出したけれど、それはさておき、3人はときに離れ離れになりもするから、語りの場はそのつど寄り添う相手を替えて、自由間接話法さえ使いこなしながら、いや、のみならず、3人以外にさえ寄り添いながら話を進める。
この物語のなかで、人間の特殊さが再三語られるが、なかでも人間の特殊さとは、ネズミたちが出会う生き物同士が、たとえ敵といえども会話を成立させているのに対して、ただ人間だけが、彼らの言葉を理解しないことかもしれない。ネズミたちは人間の言葉を理解しているにもかかわらず、人間だけが、ネズミも犬も猫も、それらの言葉を理解できない。かといって、人間が主格になることすらある小説なのだ。
そのとき、プロローグに表れた「あなた」という言葉を思い起こす。「あなた(=読者)」とはすなわち人間にほかならないということだろう。ところが、私たち(読者)はいつまでも「あなた」ではいさせてもらえない。第一部第六章のふたつめとみっつめの段落をみよう。
とはいえ、何かの理由で夜遅くまで起きていて、ふとコンビニまで散歩しようなどと思い立ち、そのガードレールの内側を歩いているといった通行人もいないわけではない。そんな人が、もし仮りに、ごくごく注意深く地面に目をこらしてみようなどという気を起こしたならば、道路のきわをちょろちょろと動いている三匹の小さな動物に目が留まったかもしれない。
二匹は濃い灰色で、一匹はほとんど白に近い薄い色。大きい方の灰色が先頭に立ち、小さな白がそれに続き、中ぐらいの大きさのもう一匹の灰色が最後に来るという縦一列になった三匹は、ちょろちょろと走っては立ち止まり、先頭のリーダーがあたりを見回し、空気のにおいを嗅ぎ、大丈夫と判断したらまた走り出すということを繰り返している。植え込みの樹木だのポリバケツだの、姿を隠せそうなところがあれば必ずその蔭に回りこんで、しばらく様子をうかがう。それから大きい灰色がさっと走りだし、小さい二匹が後を追う。列の真ん中にいる白いのがいちばん目につくが、幸いここまで彼らに気づく人間はいなかった。
「何かの理由で夜遅くまで起きていて、ふとコンビニまで散歩しようなどと思い立」つのは「あなた」ではない。だから、さきに「あなた」と呼びかけられていた私たち(読者)は、夜遅くにガードレールの内側を歩く通行人にはなれず、道路のきわをいく彼らを目にすることもない。いや、言葉をとおして彼らの仕草を見ているのだから、むしろ私たち(読者)は、「幸いここまで彼らに気づく人間はいなかった」という、その世界の人間ならざるものになっている。すでにこの時点であれば、「三匹の小さな動物」が主人公たちであることは、いわずもがなである。もう物語は、私たち(読者)の世界とはべつのところ、「川の光」という小説世界のなかだけに閉じこもってしまった。こうして、「あなた」と呼びかけられたことで、この世界のなかでこの世界を見る存在になった私たち(読者)と、この世界の人間を分け隔てる。私たち(読者)は、その世界にいながら、その世界の人間ではない特権的な存在になっているのだ。だからこそ、私たち(読者)は、さまざまな生き物たち同様に、彼らの言葉を理解するのかもしれない。
さてすると、プロローグで予言されていた語り手が現れてしまう。ここで、ショックを受ける。

今日は、左の2冊の本を買ってきた。いよいよ諏訪哲史の「アサッテの人」と、高原英理の「神野悪五郎只今退散仕る」なのだけど、高原英理は、「ゴシックハート」と「少女領域」を、物足りなさを感じつつも読み通していて、小説にチャレンジしようと思ったのも、なにより表紙の宇野亜喜良のせい。帯にある「澁澤龍彦、中井英夫の後継と目される」といった科白は、かねての評論の帯にもあったから、けしてそれに踊らされたわけではない。中を覗きもせずに衝動買いしてしまったのだけど、今数行読んだら、これははずれのようだ。この文章はかなり危険。これが考えて書かれた文章だとしたら、驚きに繋がるかもしれないけれど、彼の評論を読んできた身としては、そうした試みが期待できるとは思えない。思えないけれど、もうすこし読んでみよう、いつか・・・。
ちなみに、これがはじめての小説かと思ったら、そうでもないらしい。「闇の司」をはじめ、ほかにもアンソロジーに数篇、秋里光彦の筆名で書いているそうだ。
松浦寿輝の「川の光」を読み始め、プロローグを読んだところ。なのだけど、「あとがき」も読んでしまった。なぜ松浦寿輝がこうした小説を? と思ってしまったから。
川辺に暮らすねずみの一家が、突然人間たちが木を切り倒して、川に蓋をはじめ、しかたなく住み慣れた土地を捨てて旅立つまでが、プロローグだから、なにやら環境破壊にたいする声高な身振りが見えるようだから。
物語のなかで、当局は木を切り倒し小動物を追い立てて、強引に川にふたをしてしまいますが、現実には、最近のお役所は案外と環境への配慮があり、道路を通すためにむやみに川を潰したり生態系を破壊したりといった野蛮な所業はしなくなってきているようです。まことに結構なことと思います。また、動物学や植物学の知識に照らすと、あまり科学的とは言えない叙述も紛れこんでいるかもしれません。こうした寓話的なお話のなかのことですので、現実との多少の不整合はどうか大目に見ていただければと思います。
そうだろうね。ほっとする。
そもそもこの小説が書かれている場所を見れば、じつに巧妙な仕掛けが施されていることにきづくはずだ。
静かだった。
西の空はもうきれいな茜色に染まりはじめていた。川の水面はもうなかば土手の影に入っていたが、西日を浴びてきらきら輝いている部分もあって、そのあたりに目をこらすと、水中に転がる石や岩の回りで大小の渦を作りながら、水が意外に速く流れているのがわかった。いつの間にか空気が冷たくなっていた。
新聞小説の読者がだれかと考えれば、子どもを対象にしているとは考えづらいが、子どもに読み聞かせることも考えられないわけではない。とはいえ、この書き出しは、松浦寿輝を読みなれてきた読者には戸惑いを呼ぶだろう。かならずしも子どもにむかうわけでもなく、かといって、彼一流の、いいようによっては狷介孤高ともいえそうな文章でもない。ごく自然な風景描写ではじまっている。
そんなことはできないに決まっているけれど、もしあなたがまったく足音を立てずに歩けるのであれば、土手の急坂から川原に下りて、水ぎわの近くまで行ってみるといいと思う。静かに静かに歩いてゆくのだ。
「あなた」とは誰だろう? 読者かもしれないけれど、語りつつあるものの傍に誰か特定の「あなた」がいるのかもしれない。だが、そうした特定の誰かもまた今読みつつある「川の光」という小説の読者にほかならない。
どんなに足音を忍ばせても、靴で草むらをかき分けるときに葉と葉が擦れ合う音だの、踏みしめた小石が他の石に触れて軋む音だの、その他どんなかすかな音も、何ひとつ立てることなくそこまで歩いてゆくなどというのは、たぶん不可能に違いない。でも、もし仮りにそんな芸当があなたに可能であるのなら、どうか抜き足差し足で水ぎわまで近寄って、かがみこみ、足元の草の葉を、そおっと、そおっと、かき分けてみてほしい。すると、そこには不思議なものがあるだろう。やや大きめの平たい石のうえに、直径十五センチほどのむくむくした灰色の毛のかたまりがのっかっているのが見つかるだろう。
そもそもある固有の風景の描写ではじまった物語のなかで、「あなた」といわれても、その水ぎわにいくことができるだろうか? まして、「そんなことはできないに決まっている」というのに・・・。このとき起きているのは、私(読者)が、「川の光」という小説の場で、人間離れした「あなた」になって、草の葉のなかに入り込んでいくという事態の、小説の場の現前化だ。すなわち、私(読者)たちは、小説の場のなかで、足音をたてずに草むらを進む。すると、「できないに決まってい」たことが、「不可能に違いないだろう」こと、曖昧になる。
だが、このとき、忘れてはならない。私(読者)たちは「あなた」であって、語り手ではない。語り手に同化、寄り添うことを封じられている。導かれていくものとして、他者であり続けている。それなら、導くものとして、語り手がその存在を、秘めやかに告げていることになりはしないだろうか? 人称を欠く身振りに、秘める身振りが見て取れる。語り手(≒書き手)は、なんとも微妙な距離の中に身を置いている。
それがいったい何なのか、最初は見当もつかないかもしれない。では、もっとしゃがみこみ、息を殺して、ゆっくり、ゆっくり、顔を寄せていってみるといい。くどいようだが、絶対に音を立てちゃいけない。相手はとても耳ざといから、ほんのちょっとでもあなたの気配をさとられた瞬間に、すべてだいなしになる。午後の最後の陽光が急速に薄れてゆくなかで、最初はなかなか見分けにくいかもしれないけれど、じっと目をこらしているうちに、その毛玉のかたまりの真ん中あたりが、呼吸に合わせてかすかにふくらんだりへこんだりしていることに、あなたはだんだん気づいてゆくだろう。やがてそれが、体をぴったり寄せ合い、互いに相手のお腹のなかに自分の顔をうずめて、一個の球のようになって眠っている二匹の仔ネズミであることが、ようやくわかるだろう。
語り手に諭されるままに、息を潜めながら読み進めば、前段に引き続いて、「だろう」を繰り返す。語り手は、確証をもって言えない。それは「あなた」にかかわることだからだ。「あなた」がなにを見、何を感じるのか、語り手にはしり得ない。それが二人称だ。
このあと、一行空きを挟んで、物語はいよいよ二匹の仔ネズミに寄り添っていく。
うたた寝から覚めるともう夕闇が広がり出していた。ネズミのタータはまず、頭だけ上げて耳を澄ませてみた。
「できないに決まってい」たはずの事態がついに実現して、一気に視点はタータを見つめるのだが、「耳を澄ませてみた」とまで言いながら、それでもなお、まるでカメラを通した画面を見るように、外側から見て、タータに寄り添えずにいる気がしないだろうか? ここには石の上で顔をあげていかにも耳を澄ます様子のネズミのカットが添えられていることもある。しかし、ここで、新聞小説なら毎号添えられていたはずのカットのうち、なぜこのカットが選ばれたのか、と問うこともまた可能だろう。タータを見る視線、外側からタータを見続けている。もちろんそれは、一行空きにいたるまでの視線の移動によるだろう。
しかし、それならこの小説はあくまで外側からネズミを見る外部の視点であり続けるのだろうか? そうではない。
なかでも面白かったのは、ペットボトルの口に頭をつっこむことだった。もちろんその口はタータやチッチの体がまるまるくぐれるほど大きくはなく、ボトルのなかに体ごとすっぽり入りこむことはできなかったけれど、頭だけつっこんで、半透明のプラスチック越しにぐるり四方の外界を見るのはとても面白かったのだ。
プラスチックの樹脂を透かすと、草や石が歪んで見える。空から落ちてくる光が乱反射して、きらきらしたさざ波のようにあたりを満たす。そっと囁いたり、大きく叫んだりしてみると、ボトルの内部にくぐもった反響がこだまして、ぼあぼあした妙ちきりんな響きになって耳元に返ってくる。
さらには、自由間接話法によって、あっさりと「ぼく」(タータ)の心内語を書く。
夏の終わり……。でも、終わるっていうのは、いったいどういうことなんだろうとタータはふと思った。ぼくはまだ、どんどん大きくなっている。夏の間毎日走り回って、体もずいぶんがっしりしてきた。そのうちぼくもお父さんみたいになるだろう。それから……それからどうなるのか。一日が終わるように、いつかぼくも「終わる」んだろうか。今まで考えたこともないそんな思いが不意に心をよぎって、急にタータは何だかとても淋しい気持ちになった。
やがて物語は、例えば弟のチッチでも、ほかの誰でもなく、ひたすらタータに寄り添う。三人称でありながら、チッチの様子も見えるとおりにしか語られることはない。あたかもタータの一人称のようにさえ、寄り添う。寄り添うのだが、語り手の語彙はまだ幼いタータのそれをはるかに凌駕している。すると、やはり語り手はタータ以上に彼を取り巻く世界を知るものでもある。この距離が、ときに明らかにされる。
ゴールデン・レトリバーが仔ネズミ二匹の前でゴロンと芸を披露しているさまは、なかなか味わい深いものであった。
このワン・センテンスによる段落には、「味わい深いもの」などという、およそ松浦らしからぬ安易な言葉遣いにも、なにか、語り手の自己主張が表れているようでもある。
川がなくなる。
そんなことはタータの想像を超えていた。タータが生まれたときから川はそこにあった。タータが老いても、死んでも、ずっと川はそこにあって、相変わらず澄んだ水が流れつづけているだろう。死んだタータの体は細かくなってその水に溶け、遠い広いところまで流れていって、この世界ぜんたいの一つになるだろう。タータの体と魂が染みこんだその水は、蒸気になって天にのぼり、雨になってまたこの大地に降りそそぐだろう。そのしずくが寄り集まり、小さな流れになり、そのきれいな流れがどこかでまたこの川に合流するだろう……。
そんな言葉で考えたわけではないけれど、タータはそんなふうに感じていた。そんなふうに深く信じていた。
「だろう」を繰り返すさまは、前段を思い出さないか。もちろんここで留保されているのは、タータでも「あなた」でもない。留保しているのは、語り手ではなくタータだ。だが、そこに「言葉」を与えたのは、語り手だという。
さてさて、プロローグを終えて、これから本編に入っていくのだが、こうした語り手とタータの距離感がどうなっていくのか、そして、「あなた」である私を知り得ないままの語り手に、語りかけられ誘導されている私はどこにいくのか、そう、私(読者)は、メタフィクションの身振りでもなく、語り手とともに、この小説のなかにいる。先が楽しみだ。
マルセル・シュオッブという人物が、澁澤龍彦のお気に入りだったというので、「フランス短篇傑作選」に入っていた「ある歯科医の話」を読んでみたのだけれど、残念だった。フランスには短篇小説の伝統がないというのが、妙に納得できる。エスプリを利かせたコントの域をでない、というのが、読後感。コントなら、日本には落語の小咄という気の効いたものがあるしなぁ・・・。イギリスの下劣なジョークを思えば、綺麗なエスプリだけど、それだけの小説だったとしか思えない。シュオッブというひとがこの程度のひとだと思えないのだけど・・・。
同じ本に入っていたシャルル・ルイ・フィリップの「アリス」は、まぁ、面白かった。だけど、とりたてていうこともない。
短篇小説がなくて、掌篇というべきコントがあったのがフランスだと解説の編訳者・山田稔が書いているが、ここに収められた小説も、短篇小説といっても非常に短いし、ようするにコントを超えて短篇小説になっているとはいいがたいのではないか? 19世紀末から現代まで、広く扱って、後半にはデュラスやグルニエといった名まえがあるから、そちらを読んでみようかな。
さらに、「文學界」9月号を眺めたら、横尾忠則の名を見つけた。「ぶるうらんど」という小説。これは途中で投げ出した。
もちろん、冷房が効いた場所で読書しているのだから、暑さのせいではない、はず。
「メタモルフォーズ 十一の変身譚」中の「Mの追跡」だが、大変面白かった。変身といっても、なにか特殊なものに変化するわけでもないのだが、たしかに変化がある。その変化の過程にドキドキできたのだから、満足だ。とはいえ、すべてに満足したとはいえない。
M君じゃないか?
耳元で声がした。振り返ると、紺のスーツを着た細身の男がこちらの表情を探るように覗いている。うなずくMを見るや、相手は相好を崩した。ああ、やっぱり。僕だよ、中三で同じ組だったNだよ。
語りかと思わせて、じつはカギ括弧を省かれた科白だと、すかさず明らかにするこの書き出しは、書き手の巧妙な仕掛けである。ふたつめの段落のなかでも、Nはカギ括弧抜きで話しはじめている。
N? そういえば名前に覚えがある。が、二十余年前のこと。当時の容貌は浮かんでこない。Mの戸惑いも気に留めず、Nは心底嬉しそうに、また懐かしそうに肩をポンポン叩いた。いい所で会った。まだ夜も若い。M君は酒は好きか。そうか、そうだろう。僕も喉がからからだ。近くで一杯やろう。
上に続く段落だが、上でも「耳元で声がした」というとき、その主格が省かれた様から、あたかもMと呼ばれた人物の一人称の小説とも思いながら、「うなずくMを見るや」と書かれて、あくまで三人称だと気づくのだが、それでも、この段落を見れば、またしても一人称と見紛うばかりに、語り手はMに同化している。むしろなぜこの小説を三人称にしたのか? と悩むほどに、寄り添っている。だが、カギ括弧を省かれたNの科白がこの段落にも紛れ込むのだ。Mの心内語にはじまって、ひとつのセンテンスがその場を描写すると、Nが語り出す。
さて、ここで、以前にもすこしだけ触れたイニシャルについて、またまたすこしだけ触れておきたい。MとN。アルファベットの順番でいえば隣り合い、形も音も似通い、そして日本人の姓としてはとても一般的なイニシャル。星新一は「N」にこだわり続けた。名まえにつき纏う個々人の記憶や意味(漢字や地域性)を嫌い、日本人の姓のなかでもきわめて一般的なイニシャルとしての「N」を使っていたという。小説を書くとき、登場人物の名づけは、非常に難しい、というか、悩まされる問題で、例えば、「植物診断室」を書く星野智幸のような開き直りにも、そうした困難が表出しているといえる。どこまで信じていいのか、疑わしいとはいえ、ロラン・バルトは、小説を書くつもりでいたし、書くことも決めていたが、登場人物に相応しい、それこそ「失われた時を求めて」のように完璧な名まえが浮ばないから、書きはじめられないといっていた。そうした名まえさえ見つかれば、いつでも書きはじめる、と。小原さんが、イニシャルの名まえを選択することに、どういった理由があるのか、今のところは、こうした星新一やロラン・バルトの発言を思い起こしながらも、「?」のままでいようと思うが、「M」と「N」の近親性は覚えておいてよいのではないだろうか。読了した私がいうのだから、なにかあるな、と思われるだろうけれど。
Mの逡巡をよそにNは右手に黒鞄、左手にMの二の腕をつかんで近くの縄暖簾をくぐった。勝手知ったる様子で「おやじ、大生ふたつ」と声を張り上げた。そうして座蒲団をパンと叩いて、君はそっちで、僕はここ、と指示してどっかり座る。
かならずしも、すべての科白からカギ括弧を省いているわけではない。
いやあ懐かしい。こうして偶然会うのも何かの縁。今夜はとことんやろうじゃないか。君、今何してるんだ。何、失業中? 解雇された? そりゃまた何故。なんと、毎日四、五時間の残業つづきで心身症と診断されるや、依願退職を勧められた? ひどいなあ。いや、そう自分を責めちゃいかん。日本国中に溢れる不運な大多数の一員だ。才能と勤労意欲の生殺しだよ。無策の政府が悪い、リストラし放題の企業が悪い、貸し渋る銀行が悪い、増え続ける老人どもが悪い、凶悪化するガキどもが悪い……。Nは悪者一つを指弾するたびに握った拳を木製テーブルにドンと振り降ろし、そのたびに大ジョッキや焼き鳥の皿や灰皿がガチャンと鳴った。
Mに寄り添っていたはずの語りなのに、あたかもNのひとり芝居のように、Nばかりが語る。その様はまるで落語でも見るようだ。いや、Nが落語家のようなのではなくて、語り手が落語家のようではないか。語り手が、ひとり芝居でNになり、まくしたて、機を見て客席に眼を向けると「Nは悪者一つを指弾するたびに・・・」と景色を語る。
すると、語りはあっさりNに寄り添うことをやめてしまったようでもある。
久し振りの酒にMの酔いは早く、かつ深かった。が、日頃の鬱憤を急ぎ埋め合わすかのように気分は上々、解放感この上ない。Nの大言壮語に競うがごとく声をからしてまくしたてた。いわく、前の会社の不誠実、再就職の困難、己の溢れる才能を注ぐ場のない虚しさ、そして愛妻・愛娘からのやさしい励ましを語るに及んで、喉詰まり、涙さえ浮かべた。ここでNは友の肩を抱き、額を擦り合わせて共感共鳴の意を表していわく、M君、今日はとことん飲もう。どこまでも付き合うぞ。さあ語れ、僕も大いに語らん。
Mもまた大いに語っているのだが、説明の身振りで、Mの語りとしては表れず、そのまままたしても地の文に溶け込んだまま、Nの語りが表れるのだが。さて、そろそろ「M」と「N」というアルファベットの相似性が、ふたりを、どちらがどちらとも判断しにくくしてきやしないだろうか。いや、それでもふたりは、大きな口を利くスーツの男と失業中で涙さえ零している情けない男なのだから、映像的な対称ぶりがなんとか、彼らの区別を支えている。支えているはずだが、では、スーツ姿がNだったか、Mだったか・・・。そして、この名まえの混迷は怪しげな風貌を見せることになる。看板まで呑んだ呑み屋を後にして、ふたりは肩を組んで歩いている。
或る小さな扉の前でNは歩を止めた。「BAR LUNA」の光文字が浮かぶ。おや、この店には以前何度か来たな。Nの行きつけの店なのか。いや、偶然かな、と独りごちていると、M君、実は折り入って話がある。馴染みのバーで静かに聞いてもらおう。そう言ってNは扉を押した。「あら、Mさん、しばらくね」という女の声に愛想笑いを向けたまま、Nに奥へと引きずられた。店内は七、八人ほど座れるカウンター。奥に一つだけテーブル席がある。Nは目指す席につくや、フッと大きな吐息をもらした。自動的にボトル・セットが置かれ、女が去るのを待つ。
三つ目のセンテンスはNの科白。次はM。さらに次は? Nの科白のまま「と、独りごちていると」と地の文を挟んで、ふたたびNの科白になる。しかし、「独りごちると」という言葉遣いはまるで、語りの場がNに寄り添ったようだ。そして、店の女の科白である。カギ括弧をふられたそれは、「M」に「しばらく」と言っているのである。店に歩を止めたのはNである。だが、よくよく見てみれば、Nは「以前何度か来た」かもしれないといった口ぶりでありながら、「馴染みのバー」と言っている。これはなにごとだろうか? 考えようによっては、ここには省かれた会話があり、Mの馴染みのバーが、Nも訪れたことがある、とも読めるし、それなら「偶然」という少しくこの場にふさわしからぬ言葉の意味も通じるのだが・・・。
Nの話とは、Mに妻の浮気調査の依頼だ。そして、Mはそれを引き受け、相手のゴルフのインストラクターを突き止める。だが、その報告を聞いたMはさらに相手の男の身許を調べろといい・・・。
さて、一気にページを飛ぼう。したがって、いわゆるネタバレの領域に入る。
「メタモルフォーズ 十一の変身譚」に入っているふたつの短篇「赤い球」と「対面」を読んだのだけど、短篇というよりは掌篇と呼んだほうがよさそうな短いもので、物足りなさばかりが残った。変身そのものを楽しむならば、オウィディウスやリーベラーリスのように、この1冊の本を通じて、その累積のなかに面白さを見出すべきなのかもしれない。カフカ(カフカとしては「変身」は面白くないと思うけど・・・)などを経てきた現在に、変身だけを楽しむのは、物足りなさが否めない。
とはいえ、オウィディウスやリーベラーリスが生きていた時空と我々、いや、小原さんが生きている時空はまったく異なるのだし、小原さんなり我々なりを取り巻く状況を踏まえ、そのなかの変身を描くということはある。それは、カフカとだって違う。かといって、その偏差を読み取るよりは、それぞれの小説をそれぞれに読んだところで、偏差抜きで浮かび上がってくるものを感じたいのだが、そういい切ってしまうのもまたなにかが違う。なぜなら、リーベラーリスはまだしも、読んだかどうかは別にしても、オウィディウスやカフカの知名度は現代の日本できわめて高い。そうした知的な状況もまた、現代の在りようにほかならない。
さて、こんなことを書くのも、小原さんの創作に、かつて描かれたものに対するオマージュが溢れているからだ。「メタモルフォーズ 十一の変身譚」という書物の劈頭にはブルフィンチ「ギリシャ・ローマ神話」から引用があり、各短篇のそれぞれの冒頭にも、さまざまな書物から引用されたエピグラフが置かれている。こうした引用の在りようについては、全篇を読み終えてから、改めて考えたいと思っていたのだが、今回読んだ2篇で、少々引っかかってしまったのだ。
Kは不意に、これと似た悔悟の声を聞いたことがあるように思った。すぐに思い出した。手塚治虫の『火の鳥』の老人マサトの声だ。永遠の命の血を得たマサトは、全人類が滅びた後も、一人生き続ける。ある日、朽ちた建物の中で一個の人体収納ケースを発見する。蓋が開き、中から同胞が現れる日を、老人は待ち焦がれてる。が、何年たっても開かない。忍耐の極に達した老人は、ついに電気ドリルで強引に開ける。その結果、中身は焼け焦げ、粉々になってしまう。老人は髪をかきむしり、叫ぶ。「ああ、なんという事をしてしまったのか。いつ開いてくれるのか。それを待つ間、わしは楽しかったのに!」
「赤い球」にある文章だ。そして、下に引用するのは、続く「対面」の冒頭の3つの段落である。
古いイタリア映画を見た。二度の大戦を耐え忍び、ひたすら家族のために働いた老人の葬儀の場。三代が同居する家は貧しく、彼が横たわる部屋もただ広いだけで装飾もない。が、開放された窓や扉から明るい朝日が降り注ぎ、部屋は爽やかな光に満ちている。棺の中の死者は色とりどりの花々に埋まっている。赤、黄、白さまざまな色の饗宴。花園に眠る安らかな人。
棺の外ではこの世の喧騒が甚だしい。喪服の老妻は同じく黒衣の老女たちの肩にすがり、声を絞ってすすり泣く。幼い孫たちは棺の周囲で駆けっこし、彼らをつかまえ尻打とうと母親たちも追いかける。故人の息子たちは遺産相続で反目し、酒の勢いから殴り合いの始まる気配。
ああ、この世の騒々しいこと! 昼寝を邪魔された人のように棺桶の死者はつぶやいているだろうか。しかし、彼の瞼は安らかに閉じ、指先には平和が浸透し、口元は微笑みさえたたえる。もはや現世に戻れぬ彼には、老いた妻の繰り言は懐かしく、豚児たちの遺産争いは微笑ましく、孫たちのやんちゃぶりを見るのは心底楽しい。この世の果てなき騒々しさ、人々の賑やかさこそが、死者にとっては何よりの慰めなのだ。
「赤い球」の「火の鳥」の引用には、書き手の怠慢を感じてしまう。一切れのパンを食べてしまった悔悟(比喩であって、この小説が一切れのパンの話というわけではない)といういかにも小説的、あるいは松浦寿輝なら存在論的とでもいうだろうか、そうしたものを語るとき、先達の表現に頼るのは、やはり書き手の手抜きのように見えてしまうのだ。
だが、次の「対面」でいきなり古いイタリア映画の一場面を辿る。その際「色とりどりの花々」といった少々眉を顰めざるを得ない文章もあるが、それはさておき、いきなりの引用。ところがこのあと、語り手の「私」は自分の葬儀を夢に見るのだ。すなわち、それが冒頭に置かれていたことが象徴的とでもいうべきか、ひたすら引用された場面を背景に漂わせている。このとき、小原さんには、それを古いイタリア映画にもとめる必要はなかった。例えば、現実に見た、あるいは体験した出来事として、そうした出来事を置くことも可能だった。それでもなお小原さんは、それを映画の引用に求めた。
変身譚といわれれば、オウィディウスを思い出さずにいられない。とすれば、オウィディウスからでさえすでに約2000年の蓄積をもつ現代の文芸、さらにマンガや映画といった蓄積ももつところで、新たななにかを語るときの、そうした蓄積に晒されている現代の在りようが語られていると見るべきなのかもしれない。
だが、これは危険だ。それなら新たな書き手など必要ない、という結論に達しそうだ。いや、そうではない。原子力発電所で事故が起き、いじめが社会問題になり、さしたる理由もなく親子が殺し合い、一方で戦争が行われ・・・などなど、さまざまな現代的状況のそのひとつに、こうした表現の蓄積という状況もある。テクストの網目に絡めとられたなかで、そうしたテクストをあえて参照しながら書く、いわば「引用の織物」(宮川淳)を目指したのかもしれない。ボルヘスのように? そういえば、「対面」のエピグラフは、ボルヘス「一九八三年八月二十五日」からの引用だった。織物は大袈裟か? この本1冊を読み終えたとき、また違うものが見えてくるような気がするけれど、とりあえず、ここまでの道標に置いておこう。
ふと、「?」が私の頭に浮かんだ。「古いイタリア映画」とはなにか? ここに描かれている場面は、確かにどこかにありそうではある。まして、「頌」誌で、映画評を書き継いでおられる小原さんなのだから、およそ「これ」といえる映画があるだろう。しかし、「火の鳥」のマサトという名を明確に書いた小原さんが、あえて「古いイタリア映画」というとき、その匿名性は・・・? 引用の意味がまたすこし揺らいできた。やはり、先を読み進めないと・・・。
「海牛」26号から、同人雑誌優秀作として、「文芸思潮」18号に転載された名村和実氏の「ばら屋敷」という小説を読んだ。たしか、どこかの同人誌評で取り上げられていて、その記事から面白そうだな、と思っていた小説だ。かねて面白そうだと思った同人誌小説に触れられるのはありがたいことだ。そして、概ね面白く読んだ、といっておこう。
伊垣村、上ノ井地区の外れに、ばら屋敷と呼ばれる家があった。敷地の周りを野ばらで飾っていたからだ。飾るというより、伸び放題と言った方が当たっている。杉下は、幼馴染みの、植松の後に付いて、シシ狩りに出かけた帰り、ばら屋敷の噂を聞いた。ひと山越えた反対斜面の一軒家だから、村人も訪れることがない。滅多に顔を合わせないのは、ばら屋敷に限ったことではない。地区が異なれば、年に一度か二度、祭りの時に会うくらいである。だから気にしなくていいのだが、新聞を止めたという一言が、どうも気になる。
なにか漠とした書き出しだ。かなりひっかかる。「からだ。」という語尾が、いかにも説明を強調するようで、どうしても好きになれない、というより嫌いだから、いきなり使われると抵抗を感じるのだけれど、それは個人的な事情ということにして、さておいて、どうやらこの小説の主人公であるらしい杉下は、いまだばら屋敷を訪れたことがないようすなのに、冒頭でいきなりそれを描写してみせる。まして、「飾るというより、伸び放題と言った方が当たっている」とは、まさに見てきた素振りである。だが、そのあとに、噂を聞いたというのだから、なるほど、冒頭の3つのセンテンスは噂話だったようでもあるが、ところが、杉下にかぎらず、「ひと山越えた反対斜面の一軒家だから、村人も訪れることがない」というのだ。
ところで、ここで「滅多に顔を合わせないのは、ばら屋敷に限ったことではない。」というセンテンスが、「村」や「山」「シシ狩り」といった言葉に囲まれたなかで、家がすなわち人を意味する土俗的な世界を象徴していることも忘れずにおきたい。
しかし、これに続くいくつかの段落が、説明に終始して、その説明の手振りもどうも生硬といわざるを得ない。試みに3つめの段落を引こう。
井ノ垣は、下ノ井から山の斜面を登って、上に出たところの台地で、伊垣村の役場があり、人口も多い。役場まで徒歩なら四十分くらいだが、車で行くとなると、幾つもの山裾を大きく迂回するので一時間半はかかる。道路は、山の反対側の県道三十五号線を用いるので、川沿いの三ノ井地区とは生活圏を異にする。下ノ井、中ノ井、上ノ井の三地区を併せて三ノ井と言った。逆に下ノ井から下流に、車で五十分も下れば猟師町に出る。国道をさらに十分上ると人口三万の、亀井市の市街地に出る。日用品や衣料は、この亀井市まで出る。
「出たところの台地」といったもって回った書き振りに続いて、「役場まで徒歩なら四十分くらい」というが、はたして、どこから四十分なのか、わからない。そして、最後のセンテンスでも大胆な省略がされている。絶えずなにかを語らない、まして、語らずにいるなにかを仄めかしながら、一方で、過剰な説明を施しているようでさえあるが、最後のセンテンスにさりげなく紛れ込む言葉遣いが、またしても気になる。「日用品」を買いにいくというのだ。なにか閉鎖的な、断絶された村を連想させながら、絶えず人口三万人を誇る亀井市に出かけていることになる。ちなみに、亀井市までは車で1時間ということになる。
杉下は、村に帰ってきて三ヶ月になる。まだ日が浅いので戸惑うこともある。しかし高校を卒業するまで住んでいたのだから、知らない人たちではない。遠慮することなく聞けば快く教えてくれる。来たときは、みんなに歓迎された。何と言っても二歳下の植松が一番喜んだ。同年代の殆どは外に出てしまって、植松だけがこの村でがんばってきたのだ。
ようやく杉下が前面に現れるのは、およそ原稿用紙にして3枚ほどを費やした後だが、この段落を読むと、さすがに、仄めかしの術というよりは、ただ単に下手なのではないか? と疑いが芽生える。「遠慮することなく聞けば快く教えてくれる。」といったセンテンスなど、仄めかしというにはあまりにひどい省略振りではないか? それでも、これは口語と文語のあわいを探る試みか? などと好意的に読み進める。
杉下は、高校を卒業すると街に出た。就職を都会に求めたのだ。山の上にある井ノ垣の叔父の家まで脚で登って三十分、預けてある自転車で高校まで一時間かかった。クラブ活動も充分に出来ず不便だった。だから田舎が嫌いというわけではないが、一生をこの地で過ごすという気にはなれなかった。都会へ出てみたかった。あこがれていたのだ。両親と妹を残して大きな街へ出た。
「就職を都会に求めたのだ。」などと、いまさら都会へ出ることを「のだ」などと強調されても鼻白むが、これはいよいよ田舎者青年の立身出世物語と、田舎へもどる敗走あるいは錦の御旗の物語がはじまるのかと想像させる。ところが、この小説の時間軸はこのあたりから迷走をはじめる。
職場結婚をし、子どもが出来て妻は会社を辞めた。郊外に家を立て、いつの間にか定年退職し、妻と二人きりに戻っていた。熟年夫婦が、過疎地の空き家となった農家を買い取って、住んでいることをテレビ放映していた。何か物足らなさを感じていた杉下は、妻の美代子に田舎で暮らしてみたいと話を持ちかけた。「あーら、その歳になってお義母様のお乳を飲みたくなったの? どうぞお一人で」と、取り付く島もない返事だった。父は既に死に、妹は嫁いで、八十歳になる母が一人、今もかくしゃくとして暮らしている。
立身出世物語は、たったセンテンスふたつで処理され、まして定年退職は「いつの間にか」訪れたといい、帰郷も、敗走でもなければ錦の御旗でもなく、テレビに影響されたのだという。このとき、タイトルであり、冒頭で表れた「ばら屋敷」が頭を擡げる。
先日夕食のとき、ばら屋敷のことを言い出した。「昌ぼう」。杉下の名は昌明で田舎では、昌ぼう、で通っている。「藤子さんとこ行っちゃいけん」という。ばら屋敷の娘は藤子と言った。牽制球を投げて来たのだ。娘と言っても杉下より五歳下だから、数えてみれば五十六歳になっている。藤子の家は先代から山持ちで、住んでいるところから奥へ、ふた山とも自分の山だ。時代とともに山の仕事も実入りが少なくなって、手入れが行き届かず、今は殆どが荒れているという。
杉下の家と藤子の家はなぜか、昔から仲が良くない。理由はわからない。人が死ぬとあそこの家は祟られていると噂するのだった。
この引用部にいたるまでには、妻・美代子と母の関係や母の現況が、慌しく、あるいは器用にといってもいいが、やはり説明の域をでずに語られているが、この引用部にいたって、ようやくこの小説の謎らしきものが、立ち表れてきたようだ。それはなにも「藤子」や「ばら屋敷」あるいは杉下と藤子の関係といった物語の話ではない。もちろんそれらもようやく姿を現したのだが、なぜこれほど、この小説は説明的なのか、あるいは時間が自在というのは憚られながら、ともかくも、いったりきたりを繰り返すのか、といった、語りの場の問題である。ここで、「先日」というのだ。とすれば、「当日」あるいは「今日」、もっと言えば「今」が連想されよう。「今」とはいつか? 語りつつあるときだろう。だが、この小説は三人称である。杉下が語っているのではない。にもかかわらず、あまりにもこの小説は杉下に寄り添っている。その寄り添い振りこそが、上の引用部の最後のセンテンス「人が死ぬとあそこの家は祟られていると噂するのだった。」という、またしても口語かと見紛うような省略にあからさまだ。三人称であれば、「人が死ぬと」といわれれば、誰であれ、村の誰かが死んだときかと読めるのに、祟られている家の話になり、それはとりもなおさず、仲が良くないふたつの家の話だろうが、それでもなお、噂とは果たして、どこで囁かれる噂かといえば、杉下の母であり、「あそこの家」とは、杉下家とばら屋敷の両家ではなく、ばら屋敷に限定してしまう。いや、この段階では、両家がたがいに噂しあっていると読めなくもない。むしろ、わからないといってしまったほうがよいだろう。
そして、ここに、杉下に寄り添う三人称という語りの場の、不安定な足場が露呈したのだ。
とにかく前半部分が長すぎる。杉下の一人称語りにすれば、まだ、語りの面白さを創り出せたかもしれないが、三人称で、これをやられたのでは、時間を往還するから、繰り返しも多く、いかにも説明にしか見えない。だから、杉下に寄り添い、まるで一人称にさえ見える書き方になるのだろうが、そのとき、語りつつある場所を見失うことになる。半分の長さにできると思える。
そして、最後になってフリーデリーケなんて持ち出すのは、なんともカッコつけた仕儀で、厭らしい。「野ばら」のレコードを「見るまでもなく」などというのも、唐突さもあって、いかにも厭らしい。ゲーテとフリーデリーケの恋物語を知っているか? と読者を挑発する身振りは、もう一度、厭らしい。ゲーテとフリーデリーケに擬えるのは、けっこうだが、もっとやりようがあっただろう。
まぁ、フリーデリーケのような女性の話を男性が書くことが、すでに、よくもまぁ恥ずかしげもなく、と思わなくもないわけで、そのあたりを包み隠したまま書いてきた結果ともいえるかもしれない。
左の肖像画を見ると、フリーデリーケって、斜視だったのかな・・・。もしかすると、生涯独身をとおしたというのも、田舎娘がゲーテなんて女好きのよそ者に傷物にされてしまったということかもしれないねぇ・・・。
それでも、この小説は、概ね面白く読んだほうなのだ。というのも・・・・・。
「メタモルフォーズ 十一の変身譚」所収の「透きとおる人」と「GB型」を拝読。「頌」26号掲載同誌の既刊総目次によれば、「透きとおる人」は先の「ロゼッタ」とともに17号、「GB型」は18号に掲載された作品だそうだ。
さて、「透きとおる人」だが、なるほど「ロゼッタ」と同時掲載されたということに、妙な納得を覚える。面白くはあるのだけれど、だからなに? という気にさせる物足りなさが、「ロゼッタ」同様なのだ。というのも、人が水になるというのは、とても面白いと思う。そして、水になることに、寓話でも精神分析なりなんでもいいが、なにがしかの意味づけを読み取ることは可能なのかもしれない。私にはそれが見出せなかったが、だからといってそれがこの小説を貶める理由にはならないだろう。もちろんそうした在りようで小説を成りたたせることもまたひとつの手立てではあるだろうし、あるいは、この小説からそれを読み取れないのが、私の教養なりセンスなりの問題である可能性も否定できない。
その上で、私としては、なにかを感じさせるか、あるいは水になることの過程に、ゾクゾクさせられたかったのだが、あっさりしすぎていた気がする。掌篇ともいえる短さのゆえかなぁ・・・。なにか、変身譚のなかで、水に変身する、ということの珍奇さに満足してしまった感が否めなかった。たしかに水に変身するというのは、面白くなりそうなのだから、練って欲しかった。
ところが、「GB型」は、非常に面白かった。
手術中、Kの意識が二度戻った。仰向けの顔面に巨大な光の円盤が迫ってくる。中央の大きな光の球を取り囲むように小型の電球が八個並んでいる。一瞬、眼を開けると、無数の光の矢が突き刺さった。片手を眼前にかざそうとしたが動かない。眩しさに困惑していると、突然上半身の影が間に割り込み、光を遮った。一息ついた。と、そのまま昏睡に落ちた。
「一瞬、眼を開けると」の前に、眼前の照明を描写してしまうのは、迂闊ではないか? と思うが、この書き出しで、ふと、「木曜日」同人のひとりが、中学生だったか高校生だったか、いずれかのころに盲腸手術をしたが、手術途中に麻酔が覚めてしまったという信じがたい経験を聞かせてくれたことを思い出した。ちなみにこの同人のご父君は医師で、その手術に立会い、麻酔が切れたときには執刀医に「いいから、そのまま続けろ」と指示を与えて、みんなとともに激痛に暴れる患者の身体を押さえつけたそうだ。とはいえ、この小説からこうした記憶を呼び覚まされることは、私の事情。しかし、この書き出しは、読了後に全体を見渡したとき、必要だったろうか? という疑問は残る。
二度目に意識が甦った時も、光の中にいた。瞼の向こうが真っ赤だ。全身の細胞の一つ一つが光に晒され侵蝕されている。眼を開けようとした途端「カンシ! 強く押さえて!」という切羽詰まった声が鋭く飛んだ。Kは怯え、ひょいと首をすくめる感じで再び闇の中へ帰った。
この二度目の覚醒には、その切羽詰まった状況がのちに意味をもつともいえるし、それより、「Kは怯え、ひょいと首をすくめる感じで再び闇の中へ帰った」というのは、とても面白い。「すくめる感じ」という言い回しには首が傾げるものの、動かないはずの身体を動かしかける身振りが、前段といい、夢幻境と現実のあわいを示して心地よい。
物語を見たとき、豚の肝臓を移植された男の物語である。動物の内臓を移植された人間の物語といえば、筒井康隆がいくつか書いていたように記憶する。すくなくともひとつは間違いなくあり、私の記憶では、筒井康隆がこうした物語を書けば、やはり、としか言いようもなく、その男は動物めいてくるのだが、この小説で、豚の肝臓を移植されたとしれば、おのずと筒井の小説を思い出し、ましてレトロウイルス云々といわれると、レトロウイルスといえば逆転写酵素のことで、DNA云々といいつつ、RNAということばがでてこないなら、なおのこと、逆転写が起きるのではないか、と疑うよりもなお、Kは、移植用に飼育されている豚を見て、「おまえは俺だ。苦しみが痛い程よくわかる」と口にしているのだから、どうしようもなく・・・。それだけではない。この小説が収められているのが「メタモルフォーズ 十一の変身譚」という本である。すなわち、変身譚なのだとしっている。
ところが、Kの変身は、豚に変身するのではない。豚でもなく人間でもない、新たな存在だ。それは移植用に特別に飼育されているGB型という血液型をもつ豚ともまた違う。違うのだし、その新しい存在の在りようを言い表す術としてGB型があるのだが、このとき名づけることが新たな存在を派生させるようでさえある。豚のGB型ではなく、人のGB型(という言葉)が誕生すると、それは、世界のなかで新たな種となる。そのために、もうひとりのGB型にして、女性(雌)が導入される。ニュータイプでもX-メンでもいいが、新たな存在の誕生だ。
うぅ〜む、1962年生まれだという小原さんは、新人類と呼ばれた世代。ちなみに私もそのあたりに生まれているのだけれど、それはさておき、GB型がGB型を見分けてしまうことのなかにしか、作中に彼らの特異性は見出せない。ひたすら内省化された変身だといえる。すると、例えばここに同和の問題を持ち出すこともできそうではあるが、私はそれほど無節操ではない。むしろ内省化された変身という点について、内省化さえもスラプスティック化、暴発してみせた筒井康隆との差異のなかに、またしても小原さんの抑圧の身振りを感じてしまう。というのも、じつは、GB型がGB型を見出す能力だけではなく、彼らの嗅覚は他者が感じない腐臭をコンビニ内に嗅ぎつけるし・・・。
女が「後ろから」と言った。Kは女の体を裏返し、背後から突き刺した。この獣的な姿勢がまたKの癇に障った。が、女は弓なりに背を反らし、尻を規則的に押し付けてくる。女の体内で寄せては返す潮の干満がKに伝わってくる。やがて大きなうねりが押し寄せ、耐え切れず射精した。汗まみれの体を女の傍らに投げ出す。互いに荒い息遣いのまま無言でいた。ようやく女が言った。「私、大きな声出さなかった?」「出してたよ」「恥ずかしい」「いいじゃないか」「久しぶりなのよ」「ご主人は?」「いるけど、手術後はしてないの」「なぜ?」「なぜ? わかるでしょ」「そうだな。俺も妻を避けてる」「あなたの横にいると落ち着く」「うん」
豚的な存在であることの気配を漂わせながら、なお、それを癇に障るといって退ける。このとき女の身振りさえが、「豚になってしまった私」を自虐的に装う内省の結果のようにも見えてくる。だが、それでもなお、忘れてはならない。ふたりは人並み外れた嗅覚を身につけているのだ。人間ならざる豚的な肉体になっているのである。ここに、筒井的なスラプスティックを回避しながら、内省のみにとどまらない肉体的な変身を描く、小原さん的な抑圧の身振りを感じてしまう。そして、それこそが、言葉の、語ることの、不自由さではなかろうか? とさえ思えてくる。これから先を読むのがじつに楽しみになってきた。
ところで、人名をイニシャルで書くことについて、どこかで考えてみたい。これからこの本を読み進むうちになにかを感じるかもしれないが、感じないかもしれない。
追って、考えているうちに、精神と肉体とふたつの変身について、例えば、筒井康隆のやり方は、内臓が入れ替わることと同時に訪れる肉体の変化につれて、その事実を追認することから内省がなされるわけだが、小原さんのこの小説では、内省が先行しているといえそうだ。だからこそ、言葉による世界認識のズレ、GB型という言葉の誕生・認識によって世界が新たなものになる、新たな種としての自己を発見する物語に読めたわけだ。世界が変わったのではなく、自己(K)が変わった? そうではない。Kの認識世界が変わったのだ。すると、精神の変化につれて、肉体までが変化したかのようである。後背位を求める女の仕儀など、まさにそのようだし、すると嗅覚さえも。
「デジタル文学館」さんの縁で、「頌(オード)」の小原優さんが「頌(オード)」誌の直近号の3冊と小原さんご自身のご著書を送ってくださった。小原さん、ありがとうございます。じっくり拝読いたします。「頌(オード)」さんは、かねて「文芸同人誌案内」さんのページで、その表紙に感心しきりだった。オリジナル版画による表紙。こうしたお仲間がいるのは、羨ましいかぎりだ。
いただいた3号のうちもっとも古い25号に掲載された唯一の小説が、「デジタル文学館」に掲載された森野ことさんの「雪おんな」。
「頌(オード)」さんは、小説がすくないのが、小説好きとしては、ちょっと残念。なお、「執筆者紹介」を拝見すると、私と同年代の方々。
気がつけば、芥川賞がもう発表されていた。かといって、受賞作を読んでいないので、なにもいうことはないのだけれど、新人賞即芥川賞なら、円城塔も候補にあがっていたわけで、すると選考基準として、例えば柴崎何某らとは違い、おなじスタートラインに立っていたといえそうで、選考が複合的だとはいえ、まさか円城塔がSF作品ですでにそこそこに有名になっているといったことは、考えていないだろうし(・・・よね? そう信じたい)、ということは、「アサッテの人」はさしずめ「オブ・ザ・ベースボール」を凌駕する作品ということになり、たいそう期待できるということになる。芥川賞となれば、単行本がそのうちに出るだろう。読んでみよう。
ちなみにkairouさんも期待を込めた記事を書いておられる。
意味不明の言葉を撒き散らすと聞いて、ちょっと引いてしまっていたのだけどね。
SF作家円城云々については、じつはやっぱり微妙かもしれない。そんな線引きに意味はないと思うけど、賞って、やっぱり制度だから・・・。あっ! いや、線引きが無効だというなら、すでに発刊された著書の有無で、おなじスタートラインとはいえないか・・・。
なお、円城塔氏はかく述べておられます。
じつはまったく小説を読んでいないわけではなく、ネット上の小説をはじめ短いものを4・5本読んでいるのだけど、あまり記事を書く気になれない。読んだのは、左の本に入っている永井荷風の「人妻」と太宰治「恥」、それから昨日紹介した「フランス短篇傑作選」のアルフォンス・アレー「親切な恋人」。「人妻」と「恥」は、ちょっとした確認目的の再読で、もしかしたら後日その確認事項をふくめて記事にするかもしれない。「親切な恋人」もとても面白かったけれど、いかんせんあまりにも短い。全文ここに載せられそうなほど短い小説なので、むしろ書きようがない。
これを読んだという個人的記録だね。
「世界文学のフロンティア5・私の謎」から
わたしのまなざしはヒマワリのように鮮明だ
――アルベルト・カエイロ(訳:菅啓次郎)
わたしのまなざしはヒマワリのように鮮明だ。
わたしはこんなふうに道行くことを習慣にしている
右を眺め 左を眺め、
ときどき後ろをふりかえりもする……
そして一瞬ごとにわたしが見るのは
それまでには見たこともなかったものばかり、
わたしはそれをどう味わえばよいのかよく知っている……
どんなふうに本質的な驚きを味わえばいいのか
いま本当に生まれてしまうのだと気づいた
出生時の子供のような驚きを……
わたしは一瞬ごとに自分が生まれるのを感じる
「世界」の 永遠の新しさにむかって……
わたしはキンセンカを信ずるように世界を信じている、
なぜなら それは目に見えるから。でもそれを考えることはしない
なぜなら考えるとは理解しないことだから……
「世界」はわれわれに考えられるためのものではない
(考えるとは目を病むこと)
ただわれわれがそれを見つめ ありのままに同意すればそれでいい……
わたしに哲学はない。あるのは感覚……
わたしが「自然」について語ろうとも それは自然とは何かを知っているからではない、
それを愛しているからだ、ただ愛するためだけに愛しているからだ、
愛する者は愛する相手をけっして知ることがない
あるいはなぜ愛するのかも、あるいは愛するとはどういうことかも……
愛するとは永遠の無垢にして無知、
そして唯一の無垢とは考えぬこと……
ふと手許にあった大阪文学学校「樹林」vol.508を手にとって、掲載されている小説を手当たり次第に見回してみた。そして思った。俗に教室同人誌と呼ばれるものがある。「木曜日」もそのひとつといってもいいだろう。すなわち、カルチャースクールをはじめとする小説、創作、文章教室の類の仲間たちで発行している同人誌を指すわけだが、われわれが上野さんという師匠のもとに月2回のペースで通い、その仲間たちで「木曜日」をだすなら、とりもなおさず教室同人誌といえるわけで、教室同人誌を腐すつもりは毛頭ないのだが、「樹林」vol.508に掲載された3つの小説の書き出しを見て、「おやっ」と思ってしまったのだ。
環状線の電車が新今宮駅に着いた。耕太は大勢の乗客と一緒にホームに押し出された。乗客たちは二手に分かれ、耕太はどちらについて行こうか一瞬迷ってから、左に足を向けた。
上り階段の手前に来て表示を見ると、南海本線新今宮駅とある。耕太は立ち止まった。西出口の文字もあるから降りられるはずだと思いながらもためらい、引き返して反対側の改札口から出ようかと思った。
(「通天閣に跨がれて」津木林洋)地下鉄を降りて外に出ると、ビル街には低い雲が広がっていた。今にも降り出しそうで、まだ昼下がりなのに視界が暗い。スカイブルーのシャツは、出がけに抵抗を感じながらも袖を通したのだけれど、やはりいかにもそぐわない。
気後れがして足もとを見ると、アスファルトの割れ目から枯れ残ったツリガネソウがのびている。
(「雨曇り」石村和彦)坂道を下るにつれ、ピアノの音がかすかに聞こえてきた。もやがかった空は、青を透かしながらも、夕日に照らされ、ところどころ桃色にかすんでいた。空気は冷たかったが、首筋を撫でる風は朝よりも柔らかになっていた。目の前では、西日に伸びた影が歩調に合わせ、ひらひらと跳ねている。その影の動きに、ピアノの音は重なったり、離れたりしていた。丸みを帯びていたり、鋭さがあったりと、それぞれに響きが異なっていた。感じられないほどの風の変化のせいか、それぞれの音階の持つ性質なのかと考えながら、一つ一つ拾い集めるように耳を澄ませた。家の門扉と、傍らの花水木の丸いつぼみが見えるころには、音はつながりあい、旋律が浮かび上がった。ピアノを弾いているのは母だ。それで、大が遊びに来ているのだとわかった。
(「家をのぼる」岩代明子)
移動の途中で、坂や階段(地下鉄から外に出ることも同様だろう)といった上下運動という特殊性があたかも移動のなかの特異点のような場所から語り起こして、新たな風景を描写してみせるこれらの書き出しが、それ自体よろしくないとはいわないが、こうまでも反復されることに、「小説作法」といったものが垣間見えてしまわないか? こうなるとこの先も、適当な小説的出来事を、まるでチャートに当てはめるように並べて、上手な小説がハイ一丁上がり、といった調子だろう、と思えてしまう。1枚1万円+消費税(?)くらいの風景画職人の仕事だろうと・・・。
それだけではないのだ。「通天閣に跨がれて」と「雨曇り」の続きはこうだ。
乗客の流れを邪魔する恰好になっていた耕太は、ホームの端に寄って駅の外に視線を向けた。ネットで見た職業安定所の建物が目に入る。あそこで見つかればと耕太は思う。しかし見つかればその後どうするか、耕太には何の考えもない。自分が父親に何を求めているのか、全く分からずにここまで来てしまった。
――摘んだらいかんよ。これは、雨降り花やきに――
そう教えてくれたのは祖母だったか。意味もなく傘で潰すと、僕は楊さんの鍼灸院を目指して歩き始めた。
「家をのぼる」も含めて、身近な描写のなかから血縁者が呼び込まれるという構造までが、まったく同じなのだ。もちろん、岩代さんには、音と風という異質なものの導入が見られ、それなりの面白さを見せているが、やはり、身近な描写を動きのなかに描くという方法論にかなっているらしい。私は大阪文学学校に通ったことがないし、すでに20年以上昔のことだが文芸創作専攻科に在籍しながら、そうした小説作法を教えてくれる丁寧な先生に、幸いにして出会わなかった(あるいは避けた)から、ほんとうにそれが、小説作法なのかどうかはしらないが、どうにも気になってしまった。玄月だっけ? 読んだことがないのだけれど、読んでみようか?
とはいえ、ほかはともかく、じつは「雨曇り」は最後まで読めた。
僕は夜な夜なあるゲームに参加していた。大勢の人間で、インターネット上に仮想の社会を作っているのだ。それが面白くて仕方がない。死ぬまでやっても飽きないだろう。この三年間そこで築いた地位や富は、何か現実のそれより貴重な気がするのだ。現についつい睡眠を削った結果、仕事にも身が入らない。その仕事がまた徒労感しか与えられないので、ますます自分は夜の異界にのめり込んでいくのだ。さらに悪いことに自分には家族がなかった。そして生前贈与された財産は、おそらく慎ましく暮らせば一生は安楽に過ごせるものだ。いっそ、すすけた学校現場とは手を切ってもう一つの世界に没入したいと昼間は願うのだが、いざ現実世界と手を切ろうと夜になって辞表を書きかけると、これでいいのかという自問が首をもたげて決意にいたらない。恐らく昔聞かされた怪談のメタファーがあって、死霊にとりつかれた人間を自分にかぶせる思念もある。現に職場での自分は全くの昼行灯で、他の教師同様、鬼火のように漂うばかりで虐待されいじめられる子がいてもほとんど無力なのだ。
これこそ、余計な小説作法に則った描写なんぞにかまけていないで、もっともっと枚数を費やして書くべきところではないか。なにもその社会性のゆえに言うのではない。「メタファー」だの「思念」だの、訳のわからない使い方だし、あるいは、自分の特殊性を言おうとしながら「他の教師同様」などと言い出す始末。「他の教師同様」に無力であることが現実世界からの逃避を願わせるなら、そこには社会に対する違和感があるはずではないか。単純に、言葉が足りない。この段落は書くべきことを書いていないのだ。
あれっ? 最後まで読ませるだけの面白さを感じていながら、思いっきり腐しているな。
それでも、上を踏まえて、最後に現れる少年と少女は不気味でよいのだ。まったく不気味なまま終わるのも面白かった。
でもなぁ、占い師、ゲーマーの教師、薄汚れた兄妹(?)という、それぞれに充分小説になりそうな話をひとつにする、そうした力技が見られたか、というと、やはり力不足の感がいなめなかった。それぞれおいしすぎるのだ。ここをもっと読ませろ、と思わせたままなのだ。残念。
雷雨の日曜日、だからというわけでもなく、いつもの週末どおり、てれんぱれんと過ごして、「文學界」七月号掲載の辻原登作「チパシリ」を読んだ。ちなみに、「てれんぱれん」の語は、同誌に掲載の青来有一の小説のタイトル。「てれんぱれん」の次に「チパシリ」があり、意味不明のタイトルが並んでいるわけだ。「てれんぱれん」は九州の北部の方言で、チパシリはアイヌ語だから、かならずしもすべての人にとって意味不明ではないが、一般的ではない。こうした言葉をタイトルにすることと、ましてそれを小説の巻頭から続けざまに置く雑誌の在りように、なにかをいうことも可能かもしれないし、「てれんぱれん」と「チパシリ」それぞれのタイトルに、方言を使うことの差異を見比べるのも、また一興かもしれないが、「てれんぱれん」は、途中まで読んで、それ以上読み進めることができなかった。「ですます」調が読みづらいわけではないよ。単純に退屈だっただけ。
さて「チパシリ」だが、上に「てれんぱれん」とそのタイトルの在りようを比べてもよいかもしれない、などと書いたのは、このタイトルの甘さのゆえでもある。辻原登は前に「沈黙交易」について書いたときにもそうだったけれど、タイトルのつけ方が下手、というか、手抜きとしか思えない。ちなみに、「チパシリ」は「網走」の語源としてのアイヌ語であり、「われらが見つけた土地」の意だそうだが、それがなにか? と、タイトルにまでするなら聞きたくなる。あげくに、巻末には、「※地名アイヌ由来小辞典」なんてものまで置いているのだが、では、この小説がアイヌの物語、あるいは北海道という土地の物語だったか、確かに舞台として網走が出てくるが、その土地固有のなにごとかというとそうでもなく、小辞典は、タイトルを「チパシリ」としてしまったついでというか、言い訳くらいにしか見えない。それとも、椿早苗なり、婆サマのなかにアイヌ的なものを見出せない私の教養不足のせいだろうか?
と、タイトルについては腐したが、中身はとても面白く読んだのも、「沈黙交易」と同じ。史実らしきものを提示して、さらにそこから物語の位相に入っていくのも同じだが、それなら伝奇小説ではないか、という気がしないでもない。この方法でどれだけ書くつもりかしらないが、伝奇小説を越えるものが立ち表れているだろうか、と、面白く読みながら戸惑ってもいる。
昭和八年四月十二日、岩手県九戸(くのへ)郡軽来(かるまい)町の雑貨商で土蔵荒しがあり、主人と番頭が気付いて駆けつけ、賊を組み伏せたが、もみあううちに番頭が短刀で刺され、取り逃がした。番頭は病院で二時間後に出血多量で死亡した。
二年後の昭和十年八月、犯人は弘前で逮捕され、翌十一年、盛岡地方裁判所で死刑の求刑を受け、盛岡刑務所に収監中、六月十八日未明、脱獄、逃亡した。五日後、雫石の共同墓地でお供えの食べものをあさっているところを怪しんだ墓参の村人が警察に通報し、駆けつけた警官に逮捕された。その際、犯人は警官の左二の腕に噛みついたので、肉片がちぎれた。
戦時中という時代背景からも、およそ昭和の脱獄王・白鳥由栄がモデルであろう椿早苗の犯罪と脱獄を辿る、上に引いたまるで記録のような書き出しが、延々と3Pあまりも続くさまが、やはり、「沈黙交易」の構造そのままである。辻原登の小説の熱心な読者ではないから、それ以前はしらないが、工夫がない、と言いたくなる。
目隠しをされ、首に縄がかかったとき、椿早苗のまぶたの裏に、ふっとあの神楽の丘のふたまた道が浮かんだ。
そうか、あれを右手(めて)に行ってもよかったんだ、という考えが、崖から石が転がるように脳中に落ちてきた。……そうすれば、あの百姓を殺さずにすんだ。そうすれば……
1章の終わり、椿早苗の死刑執行の場である。それまで、まったくではないにせよ、ほとんど科白もなく記録に徹する身振りで書かれていた1章に、自由間接話法で椿の言葉とともに終わる1章だが、このとき、句点(。)が省かれている。端的にいえば、この省かれた句点、すなわち、「そうすれば」に続く物語が、2章以降なのだが、急がず、2章の書き出しを見てみよう。
「ああァーッ、双葉山は松ノ里に負けたんだって。三十七連勝ならず、だったねえ」
日当りのいい母屋の縁先に正座して、二本の毛糸針をゆっくり巧みに操りながら、鼻メガネの婆(ばば)サマがいうと、
「あんた、そりゃ六十九連勝のまちがいでねえすか」
と外から来て、同じ縁先にちょこんと腰かけて、親指一本で鼻緒にひっかけた下駄を、地面すれすれにぶらぶらさせながら、婆(ばっ)チャマが反問した。
記録文が、そっと死刑囚の独語に寄り添って、章を改めるといきなり老婆の叫びのような世間話の声が響くと、足先のようすを描写して映像を現前させる。たしかに上手い。ここには、ゾクッと来た。椿早苗の呟きを、一気に忘れさせる。このあと、老婆ふたりのところに巡査が現れて、婆サマとふたりになってから、椿早苗が網走を脱走し、椿に手紙を書き送っていたという婆サマの孫を慕って訪れるかもしれないと告げて、ようやく、1章と2章が連結するが、その際、その巡査が以前、椿を取り押さえようとして腕を噛み切られた巡査であると、そう、上の引用にサラリと書かれていた巡査が、物語のなかに現れる。これは余計だった気がしないでもない。そして、3章の書き出しが下だ。
満月に近い月光に照らされて、小高い丘を巻く道を、男は法華経を唱えながらのぼって行った。あたり一面、ジャガイモ畑である。丘の頂上で道はふたまたに分かれていて、男はためらうことなく右に曲がった。このことは、すでに何者かによって決定されていて、ただ無意識に従うかのごとく、男は右に曲った。
だが、曲り切ったとたん、おや、こんなことが以前にもあったぞ、とつぶやいた。はるかな昔、あるいは夢の中で、これとそっくりな光景の中にいて、ふたまたの道があって、おれは左に曲がった……。
男はふり返った。すると、反対方向へと歩いてゆく自分の背中がみえた。その映像はすぐ煙のように消え去った。
では、あり得たはずの、パラレル・ワールドとしての右と左の話だろうか? それよりも、ここで、「男」という人称ならざる主語はなにごとか、と問いたい。明らかに椿早苗そのひとでありながら、この章では、「男」は「男」であり続け、「彼」とは書かれても、「椿早苗」という名はいっさい表れてこない。いや、一度だけ、婆サマが書き付ける文字として、「椿早苗様」とある。それでもなお、
同じ夜、男はあらたに入れられた特別懲治監房で、うしろ手錠をかけられたまま、じっと正座をつづけていた。時折、雪隠詰めの夜の恐怖を思い出して、ひたいに脂汗をかき、ここのほうがよっぽどましかもしれん、とつぶやいた。
「男」に寄り添いつつも、語り手はあくまで「男」と呼ぶ。このとき、起きているのは、きわめて客観的といえる1章の記録的な書き様と、2章の三人称とはいえ、あくまで婆サマに寄り添った語り、そして婆サマと椿の関係が明らかになっていくその揺らぎであるとは言えないだろうか。また、この時空は、1章の終わりにも連結している。すると、椿は右にいったのか、左にいったのか、曖昧になる。上の引用のあとに1行空きを挟んで書かれているのが、下だ。
あらためて独房の中を見わたした。ゆっくり右をみて、左をみて……
男は二者択一のなかにいる。いや、「ここのほうがよっぽどましかもしれん、とつぶや」くなら左の選択が正しかったようでありながら、やはり、迷っているというよりも、どちらでもよかったようでさえある。
右手に行けば……
左手に行けば……
同列に呟く。そして、さらに1行空きを挟んで…… ここから下は、まさにラスト・シーンを丸まんま書き出すので、そのつもりで読まれたし。
今、外は土砂降りの雨。
昨日は赤坂で、ランチ・ビールにはじまって、午後のすべての時間を酒とともに過ごしてしまった。赤ワインて、呑めちゃうんだよねぇ~。スペインの濃厚なワインが、いつの間にか空いていた・・・。
最近、読書のペースがすこぶる鈍いのは、きっと読書のバイオリズムが低迷期にあるのだ、きっと。
「文芸思潮」17号に掲載されている第3回「文芸思潮」銀華文学賞奨励賞受賞、相川柊子「消えない音」を読んだ。
低迷期のゆえか、この小説についても、面白さと物足りなさの両方を感じながら、具体的な言葉にならない。簡単にいってしまえば、アイデアを盛り込みながら、活かし切れていない物足りなさ、すなわち、もっと長くなるべきではなかったか、と思うが、それなりに楽しみながら、それを言葉にできない。楽しんだことを言葉にできないほうが、精神衛生上よろしくない。
例えば、冷蔵庫の音ではじまるこの小説が、「消えない音」というとき、終盤のカタストロフを呼び込むピアノは、それなりの面白さなのだが、では、この小説の全体を見渡したときに、消えない耳障りな冷蔵庫の音が鳴り響いていただろうか? 物足りない。絶え間なく、といってもよいようなペースで次々と誰かなにかが死んでいき、あまりにもあからさまに死の気配を漂わせて、最後の場面で妹の失踪を書けば、言わずもがなにその可能性を示すだろうし、そのとき、あらかじめ一卵性双生児のふたりが、たがいの異常事態を感知しうることを示していれば、およそ最後のカタストロフの意味もよくわかるけれど、そうした異常事態感知の能力にしても、あるいはふたりにとって、あるいはふたりの関係にとって決定的な存在であったはずの夫の存在にしても、物足りない。最初の電話の相手も、投げ出されたまま、冷蔵庫の音を物語りのなかに呼び込むためだけの存在だし、そう考えれば、夫も母も父も、「わたし」と妹「亜紀」の関係を語るための方便に過ぎない。この小説にとって、問題なのはふたりの関係だけだ、というなら、彼らの在り様があまりに五月蝿いというべきだろう。亜紀が鬱病で、強い薬に依存していく一方で、母がパーキンソン病になる、というのも、向精神薬の副作用として往々にしてパーキンソン病があるのだから、母と亜紀の関係にも、書かれている以上のもの(コノタシオン)の気配が漂ってしまう。もちろんここには、夏目漱石の「それから」で、すずらんの一輪挿しの水をあおる三千代の美しさを、すずらんが毒草であることを知っているか、あるいは対談で江藤淳に教えられるまで知らずに読んでいた渡部直己さんのようにあるか、といった、読者の教養の問題はあるけれど。
大胆に削るか、あるいは思い切って伸ばすか、いずれかによれば、とても面白くなりそうだとは思うが、中途半端な感が否めなかった。
潜水で泳ぐような息苦しさが、心地よくもあるのだからこそ、いっそのこと、綺麗にまとまった物語に依存しないで、奔放に書いて欲しい文章でもある。葬式にしても、結婚にしても、景色も、いっさい描写らしい描写を省いて、それはあたかも独白を思わせないでもないのだから・・・。
賞を意識して、ちゃんとした小説を書こうとして、堅苦しくなってしまったのではないか、という気がする。抽象的な言い方だが、もっともっと観念的に書いたほうが、この人の文章は活きて、さらに面白くなるように思えた。惜しい。
とはいえ、きっと、私が手放しで面白いと言ってしまうような小説は、銀華文学賞では鼻も引っ掛けないだろうな・・・。
「日々の泡」を読み進めるばかりで、ほかにはなにも読んでいない、というのは嘘で、花田清輝の「随筆三国志」に手を伸ばしてしまった。
やっぱり花田清輝というひとは、面白い。最初の「蜀犬、日に吠ゆ」を読んだけれど、もちろん当時と今では違おうけれど、すくなくとも地形のおよそはしれようから、蜀、今の四川にいってしまえばいいようなものの、そうはせず、文献を漁って、蜀の国の在り様に想像を巡らせるところからはじめる。当時にあっても、花田清輝が中国に取材旅行することが、それほど困難だったとは思えない。そうでもないのかな??
さて、すると、畢竟その仕儀は、細部にたいする執拗な読み取りがおこなわれ、やがてそれが諸葛孔明の人柄に及んでいく。面白いなぁ~。花田清輝は、小説を書くときにはイメージが湧かないように、評論を書くときにはイメージを湧かせるように、書いたのだそうだが、人物や物語のアクションはなくても、なにか小説的なのだ。文章のアクションなどと書くのは迂闊すぎるだろうけれど、ひとつの場所の場景を次々と変容させつつ現前させる。これはもうやっぱり小説的出来事ではなかろうか。書き出しから、蜀犬というときの犬について想像を巡らせて、あれやこれやと中国犬たちに吠えさせてみせるのだから。そして、そうした最初の段落につづくふたつめの段落は、「のみならず、日のほうが、犬にむかって吠えるばあいもまた、ないとはいえない。」だって・・・。笑える。
せっかくだから、最初の段落だけでも、引用しておこう。
「蜀犬、日に吠ゆ。」という。蜀の国は四方をけわしい山々によってとりかこまれ、秋から冬にかけて霧が深く、日の目を見ることが稀なので、たまたま太陽に出会うと、犬があやしんで吠えるのだそうだ。おもうに、その犬は、漢代の土偶によくみかけるような、ピンと立った耳と、大きな口と、まいた短いしっぽとをもった、いわゆる吠犬だったのであろう。なかには、頸のうしろにふさふさとしたたてがみのある、ちょっと獅子をおもわせるようなたけだけしいやつもまた、いたかもしれない。成都の墓から掘りだされた土偶のなかに、褐色のうわぐすりをかけられて、にぶい光りをはなっている、そんなどうもうな一対の犬があったが、あれこそ蜀犬のなかの純血種であろう。なるほど、狆の日に吠える図といったようなものもまたそれなりに愛嬌がないこともないが
しかし、あらためてことわるまでもなく、犬は大、狗は小、であって、やはり、蜀犬というばあいには、犬のなかの関羽や張飛を連想するのが自然ではなかろうか。むろん、ひるがえって考えるならば、「蜀犬、日に吠ゆ。」というのは、蜀の風土的な特色を一言で要約するために、犬をダシにつかっているだけのことであって、犬そのもののかたちの大小など問題外であるといえばいえよう。にもかかわらず、あえてわたしが、そのかたちにこだわるのは、いまもなおあざやかにわたしの眼底にのこっている、頸から胴にかけて鋲をうった革紐でしばられた二千年前のたくましい犬の土偶だけが、かつての蜀の片鱗を、あるがままにつたえているからであろう。いや、単にそればかりではない。「蜀犬、日に吠ゆ。」とは、批評家を侮辱するさいの紋切型のセリフでもあった。しかし、批評家にもピンからキリまであるのだ。いささか大小にこだわってみたくもなろうというものである。
花田清輝はかつて中国を訪れているわけだし、それを明らかにしている。それはともあれ、最後は批評家たる花田の意地の様相さえ見せる。おちゃめな人だ。
予言しながら、書かずにいた谷崎由依「舞い落ちる村」について書こうと思う。円城塔「オブ・ザ・ベースボール」とともに第104回文學界新人賞受賞作だ。
あまり期待せずに読んだのだけど、非常に面白かった。ところが、タイトルの意味がわからない。人が降ってくるという小さな町の物語だった「オブ・ザ・ベースボール」のあとに「舞い落ちる村」というタイトルが並んでいるのも、なにか滑稽だが、それはともかく、なにが舞い落ちるのか、わからなかった。
ことし、数えで二十六になる。
書き出しの段落の全文だ。この物語は、年齢が物語のなかの何者かとして機能しているが、年齢というより単に時間と考えたほうがいいようでもある。とするならば、このセンテンスが、殊更にも平仮名で書かれた「ことし」という言葉ではじまっていることを考えてみたい。そのあとに読点を置くならば、漢字が連なることの煩わしさを嫌ったとも思えないこの書き出しの一語の平仮名は、「今」を強調するようではないか。
暦の曖昧なこの村では、生まれた日など誰もろくろく気にしていないし、憶えてさえもいないから、年があらたまると皆いっせいに年を重ねる。ひとつ重ねるものもあれば、みっつ重ねるものもある。誰かが、何かがどこかで産まれたということすらも、ほとんど気付かれないことがある。柱の陰に頭の毛も疎らな見慣れぬ生き物がいたり、茶碗や履き物が一人分増えていたりして、あれはなに、これはどうしたのと上のものに訊くのだけれど、かれもまた言葉を澱ませて、あれは去年、とか、昨日の祭りで、などと断片的なことしか言わない。去年、祭り、丹塗りの椀、産まれたのは去年で昨日買ったのは草履の椀にデンデン太鼓、幾つか問いを重ねるうちに、やっとその子が私の妹であるとわかる。妹、なんて言ってもこの大所帯のこと、母が、多いときで五人、
少なくとも二人はいつもいる、祖母ともなると十人近くもいて、だから、この妹はわたしとどのくらい同じ血を分けているのか定かではないのだ。柱の陰からこちらの様子を覗っている、円い眼をしたその曖昧な塊は、抱き上げると意外に重く、甘酸っぱい乳の匂いが鼻をつく。
「ことし」とはじめながら、次の行で、さっそくのようにも「暦が曖昧」という。そしてその「暦が曖昧なこの村」の在り様にかまけるなら、「ことし」とはいつか? 語られつつある今はいまだこの段落にはないといえる。それなら、最初の「ことし」とは語られつつある今であるよりも、語りつつある今ととらえたほうが自然だろう。さらにいまだ語り手を示す人称はあらわれないままに、それでもなお、「二十六になる」というならその主格は省かれたまま、語り手の存在は示されている。
それにしてもふたつ目の段落のなんと不穏なこと。もちろん、「年があらたまると皆いっせいに年を重ねる」というのも、それほど驚くことではない。「ことし」がわれわれが暮らすこの平成の世とは限らなければ、以前の日本の在り様だったことをしっていれば、驚くにはあたらないのだが、「この村では」という言葉は、その特異性が語られている。ほかとは違う、といっている。では、この小説はその村の特異性をテーマにしているのだろうか? ほとんどすべての小説は、なにかがなにかと違うこと、その差異に戸惑うこと、その差異を超えていこうとする格闘、差異と出会うこと、そうした差異の物語だと言い切ってしまうことも可能だろう。
引用のふたつ目を見渡せば、その言葉遣いに怪しげな気配が漲っている。なにやら民俗学や風俗的な気配のなかで、子どもと物が並列されて、人間と物の境界を曖昧にしてみせる。それは曖昧なのが暦(時間)の在り様だけではないというようでもあるが、しかし、「去年、祭り、丹塗りの椀、産まれたのは去年で昨日買ったのは草履に椀にデンデン太鼓。」と説明してみせる身振りの中で、その曖昧な世界をはっきりさせようとしてみせる。世界の区分け作業の仕草ともいえよう。このときいまだ人称を明らかにしない語り手は、さまざまなものが曖昧な村の在り様を明確化しようとしているようでさえある。
お前もそろそろね。
二つ上の姉、これも正確には姉ではないが、その二つ上が、わたしに言う。タチジャコウの匂いを嗅ぎ当てたり、長く緑やかな髪を持っていたりする姉で、昔は私の妹だった。それが子を持って姉になった。そしてわたしの二つ上ということになっていた。いつの間に年を重ねたのか、皆がどのようにして年を重ねていくのかわたしにはよくわからない。子を持つなんて簡単なことさ。お前もはやく持てば良い。そうしたら年を重ねるさ。姉は他愛もなく笑いながら、多過ぎる髪を後ろ手に結う。紅も点さないのに異様なほど赤に唇が、薄暗い部屋の隅で広がってまた消える。その赤い部分は笑うときだけ露わになる。その赤を見ると姉の病気を見るようで、わたしは眼の遣り場に困る。こちらにかして。お前薄荷を持っていない。わたしは誰の子かもわからない子を、熱い腕の中へ渡してやる。そして懐の布袋から、薄荷で煮立てて固めてから割った砂糖の菓子を一欠片取りだし、姉の口に含ませる。そのときにまた赤を見る。
姉の登場が語り手を相対化して、ようよう「わたし」が登場する。村のなかにおける「わたし」の特異性が露わになってくる。すなわち、年を追い抜かれてしまうほどに、子をなさないこと。だが、それ以上に曖昧な村にあって、語ることで、曖昧なものを明確にしていく身振りがすでにして特異な存在である。畢竟、村もまた相対化されなければならない。すなわち、「わたし」は村を出て大学に通うことになる。このとき、村の外の世界は、われわれがよくしっているこの世界を思わせる。
村における「わたし」の特異性が、だからといって、外の世界で自然に暮らせるはずもないことは、その文章の特異性が示しているだろうし、むしろ、「わたし」は村と外の世界をつなぐ境界点として、両者にとっての特異点でしかありえない。それはまた、「朔」という友人によって相対化されて、顕著になる。そうなれば、特異点「わたし」の存在が、村の在り様を変えてしまうことも容易に想像できる。
話しすぎるとマガゴトになってしまうのさ。ほんとのことではなくなるんだ。
お前、この村が自分で作ったお話に思えるくらい、話しただろう。だからさ。ここでの時間からお前はいっそう放り出されて、今度はお前が作り話になってしまったんだよ。
いったい何を言っているのか、わけがわからない。けれども、話しすぎればその対象が変質する、という道理はわかる気がした。そしてその変質した対象を前にしたら、自分自身が何よりも変質したものになるだろう、ということも。
「文学的」といってもよいような言葉の選び方さえが、村の者らしい特異性に根拠を委ねており、それが文学的な身振りを保証して見せるという手の込んだレトリックが、上に引いた、いかにも言い訳がましい説明的な身振りによって、台無しになった感はある。それでも「変質」だの「道理」だの「対象」といった硬質な言葉選びは、村で語られる言葉として、そしてこれまでの「わたし」の言葉としても、またところを異にしている点は、大学で「朔」以外の友人をもてずに孤立していながらも、村の在り様さえ変えるほどに、外の世界でたしかに変質したはずの「わたし」の出現を語る、といってしまっては言い過ぎだろうか。
終わり方を見ても、単なる寓話といってもいい。わかりきった物語が寓話だといってもよいだろうから、寓話には概ね驚きがない。だが、寓話を物語としてではなく、レトリックのなかで構築して見せるというのは、驚きだった。

「オブ・ザ・ベースボール」について、書こうと思うが、その前に、ズルをして、円城塔という人のことをちょっと調べてみたら、昨年度の小松左京賞最終選考候補者で、結果は該当作なしだったが、その応募作が今月にはハヤカワから本になるという。それで思い出したのが、笠井潔。彼もどこかの文学賞とミステリー賞に応募して、「バイバイ・エンジェル」が受賞したからミステリー作家になった人だった。それ以前に「テロルの現象学」といった評論を出していたはずだが、前後関係について、私の記憶が曖昧。ちなみに、純文学系で応募していた作品も、矢吹駆を主人公とする「熾天使の夏」で、本になっている。それから、マンガ家の低年齢化がいわれたころ、「画家になり損ねた人間がマンガ家になっていたのは昔で、今はマンガ家になれなかった人間が美大にいって画家になる」と冷やかされたものだが、現代アートを見渡せば、まったくそれが現実だと思える。けして否定的にいうのではなく。ただし、マンガというよりアニメーションとか、いわゆるサブ・カルチャーといわれていたものが、アートの最前線に浮上してしまった感があり、それは舞城王太郎が三島賞をもらう文学、筒井康隆や山田詠美が芥川賞の選考委員をつとめる文学もまた例外ではなくて、まして、エンターテインメントの新人賞をとり損ねた人物が純文学の新人賞を受賞するというのは、まったくもって痛快だ。ひとわたり選考委員たちの選評を見ても、彼が理系の出身であることには触れているし、かろうじて浅田彰がエポックなバイアスとしてヴォネガットに触れているが、どうやら彼のSF作家デビューに触れた文章は見えない。ついでにいえば、彼の円城塔というペンネームは複雑系学者・金子邦彦のSF小説からいただいたものだという。
さてさて、純文学の迷走と見るか、多様化、広がりと見るか? 純文学などという言葉がすでに怪しいのだから、どちらでもよいし、それでも文芸誌が純文学の牙城であり続けようとなんだろうと、純文学にせよなんにせよ、面白くあってくれればいい。
さて、「オブ・ザ・ベースボール」だ。
手札にエースが四枚。誰だってこれは負けないと思う。同じカードが四枚、しかもエースで回ってきて負けるゲームがあれば教えて欲しい。俺は知らない。トランプではなく麻雀だろうが勝てる気がする。誰だってそう思うだろう。それでも不足だと云う向きにはもう一人の登場人物を紹介したい。誰あろう名高き道化師。四枚のスペードのエースに並んで、澄ました横顔を晒すクラウン。
書き出しだが、いきなりひっかかる。「同じカードが四枚、しかもエースで回ってきて負けるゲームがあれば教えて欲しい。俺は知らない。」このふたつのセンテンスだ。同じくフォーカードがあれば、残りのカードの強弱、それも同じなら、スペードは最弱のはずだが、もちろん、「勝てる気がする」のはわかる。しかし、フォーカードでも負けるゲームはある。ところがそのあとに「俺は知らない」とある。このとき、それがあえてスペードであった点が、怪しげだ。「俺は知らない」のだから、しかたない。間違いを犯しているわけではない。ただ「知らない」だけなのだから。まして、残る一枚がクラウンなら、ファイブカードだ。最強の手だ。
だが、
四枚のエース。ここまではいい。しかし、四枚のスペードのエースとなると若干の問題がある。一つのデッキで勝負している場合には尚更だ。
この段落はあたかもスペードの弱さをしっているように読める。
「どうせこの町ではこんなことも珍しくないんだろうな」
俺はスペードのエース四枚からなるファイブカードをカウンターの上に放り出す。
「それほど珍しくもないね」
ジョーも不貞腐れたようにカードを放り出す。同じくスペードのエースが四枚に道化師が一人。あらかじめ取り除いておいたはずの道化師が二人。
それをファイブカードと呼ぶなら、その最強ぶりを「俺」は知っていたはずだ。エースのフォーカードから話をはじめるよりも、エースのファイブカードから語り起こすほうが自然ではないか? そして、物語を見れば、ありえないはずのことが起きている。スペードのエースによるファイブカードが、ひとつのデッキ上にふたつある。私たち(読者)はその異常に惹きつけられているが、その影で、「ファイブカード」といったただ一言で、なにやら文章の不穏を醸し出す。
イカサマと呼ぶか、奇跡と呼ぶかは好みによる。俺としては、男二人で顔突合せ、ようやく振り出された奇跡がスペードのエース八枚と二人の道化師でテンカードなんていうポーカーは願い下げたい。
「これは縁起がいいのかね、悪いのかね」
過剰な奇跡。過剰な凶兆。引き算をして丁度零にできる理屈を俺は知らない。首を捻るジョーの首を捻じ切るのはお預けにして、隣の椅子に立てかけてあったバットを引き寄せて立ち上がる。
ここにも不穏な言葉遊びの影がある。スペードとは剣を表す記号だから、おおむね縁起の悪いカードであり、だからこそ、強弱で云えば弱いカードなのだし、そこで「縁起」云々といいだし、訊ね、それをしらないふりを装いながら、その直後には「凶兆」とあっさり書いてみせる。そして、物語では確立の問題として、「イカサマ」と「奇跡」が明示され、さらに、バットというなんとも得体のしれない持ち物が唐突に表れる。仕掛けだらけだ。そもそも、「俺」たちはベースボール・チームじゃないと再三言いながら、このタイトルなのだ。こうした仕掛けをいちいち辿っていたのでは、キリがない。
なので、今回は空間に焦点を絞ろう。
まず、物語を簡単に辿ってしまうと、「俺」は小さな町のレスキュー・チームの一員だが、まったく退屈なこの町には、年に一度の頻度で人が降ってくる(落ちてくる)。「俺」をはじめ9人のレスキューの仕事は、いつ町のどこに降ってくるかわからない人の救出が唯一の任務で、日がな一日空を眺めて過ごしている。レスキューにはユニフォームとバットが支給され、任務中はつねに携帯している。その意味がよくわからないながら、わからないからこそ、「俺」は人が降ってくることとバットの意味、すなわち自分の仕事について延々と考察を続ける。
さて、町を見ると、川が流れている。メインストリートというより唯一の道が川と交差している。人が降ってくる位置はその交差点を中心として分布している。降る日も、年に一度といいながら、分布しているから、おおよその中心は特定できるが、それはあくまで統計にすぎない。ところでレスキュー・チームは9人いて、人が降る場所が特定できないから町に散らばるのだが、その配置は野球のポジションを真似ている。
どこに落ちてくるかわからぬものは、ばらばらに待ち受けるのがよいというのが経験則だ。内野と外野、ファースト、セカンド、サード、ショート、センター、ライト、レフト、ピッチャーにキャッチャー。集会場をベースに見立てて、交差点がピッチャーの攻撃位置。ベースから後方二七〇度はがら空きだが、これはベースボールの宿命ということで諦めてもらうより他ない。少なくともこの配置で、落下者の四分の一以上をカバーしうる。誰も救助できた例しはないのだから、四分の一に集中しようがなんだろうが、実質的な差は存在しない。
彼らは、「キャッチャー」ではない。だが、この配置は不自然である。野球を例に出すなら、ダイヤモンドだけを云うならわかるが、外野がいる。すなわちグラウンド全体を真似ているのだから、それなら中心(交差点)はセカンドの位置のほうが妥当なはずだ。集会場をベースに見立てる必要はない。それをピッチャーの位置にしたほうが、より守備(攻撃?)範囲が落下地点の分布に適うはずなのだ。まして、攻守にこだわるなら、守備といいながら攻撃的であるはずのピッチャーの位置こそ集会場には相応しいのではないか? 些事に拘泥しているようだが、落下者の視線を真似て交差点を十字と呼ぶその俯瞰の身振りを考えるとき、どうにも不穏な気配が漂うのだ。
町とはいうものの、人口は五百人に満たない。誰が棲みつきたいと思うような土地ではなく、隣町との境界は果てしなく遠く、地面だけがだだっ広い。主要な産業は農業であり、畜産業は根付いた例しがない。家畜すらもが日常のあまりの単調さに退屈しきって死んでしまうので育てようがない。
町は広大な麦畑に囲まれており、どちらかというと麦畑の中に間借りしている。百戸ほどの家がメインストリートを挟んで並び、無論メイン以外のストリートはない。鉱物資源があるわけでなし、見渡す限りに地平線が取り巻いている。海を見ることなく死を迎える老人はこの大陸では珍しいものではないが、この町では山すら見ずに自死する若者も少なくない。地図に記すべき特徴というものが全くなく、二本の線を適当に引くとそれだけでもうこの町の周辺図として充当する。東から西に流れる川、脇目もふらず南北に走り抜けていくメインストリート、橋を挟んで道沿いにへばりついているのがこの町という具合で、縮尺なんていう結構なものは必要はない。交差点はいくら拡大してみても交差点のままであるという性質を持つ。
町の施設として特記するべきは、役場とジョーの店、ホテルが一軒、雑貨屋二軒、それにレスキュー・チームの集会場くらいのものに留まる。要するに何もないと言い切ってしまって、何もないの方からもう少し何かあってもよいのではないかと憐れみを頂戴するくらいに何もない。
06章の全文である。すると、その日(後述)「俺」はライトにいたはずだから、北東にあたるが・・・。
それから、この小説の人のいなさ。ジョーしかいないのだ。チームは9人であるにもかかわらず、まったく小説のなかに姿を見せない。学者や好事家が人降りを調査にきては、なにかしら薀蓄を垂れていくが、その受け売りに「俺」がそうした薀蓄を垂れるていどにしか表れない。そして、「俺」はじつはよそ者だ。来訪者である。この町で喰い詰めたから居ついた。外の世界があることは確かなのだ。ところが、「俺」はこの町へくる以前を一切語らない。物語の空間はあくまでこの町の中に閉じられている。息苦しい。出来事らしい出来事もない。どこまでも息苦しいし、思わせぶりは、わからないまま放置されている。
この小説の面白さとは、そうした息苦しさをよく耐えて、わからないことをわからないままに留保し続けることかもしれない。息苦しさから書き手が逃げなかったこと。すなわち物語をあえて開かなかったことにこそ、この小説の力があったようにも思える。
それなら、史上初の落下者との遭遇を果たすカタストロフはどうなのだろう? カタストロフが訪れてさえ、「俺」は走りながら昔話をはじめて薀蓄を垂れる。退屈さを保持する。それでも徐々にその頻度は減り、落下者との遭遇という最大の出来事に収斂していく。そして、カタストロフは、それが自分であったという陳腐きわまる結末に至るし、ここの書かれつつある文章が、血塗れのノートであったというのもまた陳腐といえば陳腐で、それは「俺」が本屋のない町で、読むものがないから自分でノートをつけているといわれた時点で予言されていたとも言える。ところが、それならまたしても、終わりのための終わりとして、説明だったかというと、そうは思えないのだ。むしろ、終わりのための終わりであることに意識的な終わりという、重層化した倒錯が感じられた。ほかにやりようがないじゃないか、という諦めの声が聞こえてくるようなのだ。
だが、それなら、物語の退屈さに「よく耐えた」ことにはならない。やはりこの終わり方は物足りない。これだけ、退屈に耐えたのだから、だが、それはまた読者の忍耐にも訴えていたのだから、その鬱憤を晴らすようなカタストロフの醍醐味か、さもなくば、忍耐のままに晒す終わりようがあり得たのではなかったかと思う。
とはいえ、この人、次も読んでみたい。笙野頼子の「虚空人魚」が退屈に退屈に、ひたすらなにごとかになりかける物語をずらして、なにものでもない世界を構築しようとして、やはり読み続けることの退屈さがただひたすら退屈でしかなかったことを思えば、この小説は、その退屈さを楽しむという楽しみ方があったように思える。それは、中原昌也の物語解体が、退屈であるより面白くあってしまうこととも違う。中原昌也は面白くなってしまうから、むしろつまらない。この段落、すべてのセンテンスが自分で読んでもわけわからん。言葉、文章は難しい・・・。
SF作品「Self-Reference ENGINE」を読んでみようか? それより、この退屈さと忍耐に浸りたい気がする。エンターテインメントでそれはあり得ないだろう。というか、退屈なエンターテインメントなんてほとんど語義矛盾だ。いや、だからこそ読んでみると、なにかがあるかもしれない。SF読みだった昔から小松左京は好きではなかったから、小松左京一人が選考委員をつとめる小松左京賞を取り損ねたことは警戒の理由にならない。
最後にもう一度書いておこう。小松左京賞を取り損ねて文學界新人賞受賞とは痛快だ。
ヤバイなぁ・・・。どうやら飽和はいまだ癒えず、機嫌がよろしくないらしい。なにを読んでも面白くない。やっぱり、というべきかもしれないが、黒島伝治「渦巻ける烏の群」巻頭の「二銭銅貨」が非常に短いから読んでみたのだが、つまらない。すると、そんな状態で木野さんの小説について書いてしまったことが悔やまれる。そもそも「らしい」などと言っているが、飽和は癒えるどころか、噴き零れている。自分で追い込んでいる面も多分にあるが、とにかく精神的に滅入っているし、それには理由もある。もちろんその中身はここには書かないが・・・。
「二銭銅貨」は、母親が二銭を惜しんだために死んでしまった弟、という話だが、そもそもこれで「二銭銅貨」というタイトルがどうかと思う。すくなくとも「銅貨」は必要なかろうし、むしろ「独楽の緒」とでもしたほうがよいのではないか? 余った分だから普通より短くて、二銭安い独楽の緒を買ってやったら、幼い弟は引っ張って伸ばそうとして、こけて牛に踏み潰された。角力の巡業を見たがっていたのに、牛の張り番をさせたこともあり、母親は後悔するわけだが、それというのも、貧乏だから、という前提があり、父親が牛に当たり散らすのも、後ろめたさのようにも読めるし、兄が、自分のお古の独楽を良いのだと言って、弟に新しい独楽を買わせなかったことにも、なにやら後悔の気配が漂う。コッツリコという独楽を当て合うゲームに弟は勝てないのも、まだ幼い弟の手には、兄が施した強化が負担になっている面もあるだろうし、それなのに、あたかも緒が短いせいだと思い込み、緒を伸ばそうとしたのだ、と。
さてこのとき、兄とか弟と書いているとおり、この小説は三人称で書かれているのだが、昨日の記事のあおりを受けて書けば、それにも関わらず、この小説はどうにも兄の視線で書かれているように読めるのだ。語りの場が兄に寄り添って見える。物語は次男と母親を中心に書かれているにも関わらず、目線は兄にある。だが、それがあからさまなわけではない。
独楽が流行っている時分だった。弟の藤二がどこからか健吉が使い古した古独楽をさがし出して来て、左右の掌の間で三寸釘の頭をひしゃいで通した心棒をはさんでまわした。まだ、手の力がないので一生懸命にひねっても、独楽は少しの間立って回うのみで、すぐみそすってしまう。子供の時から健吉は凝り性だった。独楽に磨きをかけ、買った時には、細い針金のような心棒だったのを三寸釘にさしかえた。その方がよく回って勝負すると強いのだ。もう十二三年も前に使っていたものだが、ひびきも入っていず、黒光りがして、重くいかにも木質が堅そうだった。油をしませたり、蝋を塗ったりしたものだ。今、店頭で売っているものとは木質からして異う。
およそ、この書き出しのゆえだろう。それでも、続く物語では、むしろ健吉はきわめて希薄なのだ。
しかし、重いだけ幼い藤二には回しにくかった。彼は、小半日も上がり框の板の上でひねっていたが、どうもうまく行かない。
「お母あ、独楽の緒を買うて。」藤二は母にせびった。
最初の引用に続くのが上だが、これ以来、物語の中心を占めるのはまったく母と藤二なのだ。見てみれば、健吉の科白は、
「阿呆いえ、その独楽の方がえいんじゃがイ!」と、なぜだか弟に金を出して独楽を買ってやるのが惜しいような気がしていった。
という部分だけだ。そして、
そこで独楽の方は古いので納得した。しかし、母と二人で緒を買いに行くと、藤二は、店頭の木箱の中に入っている赤や青で彩った新しい独楽を欲しそうにいじくった。
この段落を見れば、そこに健吉は立ち会っていない。すなわち、健吉は母と店の内儀、そして藤二の遣り取りなどいっさい見聞きしていないのだ。では、なぜ語り手が健吉であるように読んでしまうのだろう? まず、「母」や「父」という呼び方に原因があるだろう。母が名を与えられて、その名で書かれていたなら、この小説を読むものは、母に寄り添ったかもしれない。だが、なぜ藤二ではなく健吉なのか? その答えは、やはり書き出しだろう。小説のなかの今ここの藤二が語られ、健吉はその過去の行いが語られていた。すると、藤二を見る視線が最初に物語のなかに導入され、その視線が説明されたように感じられるのではないだろうか。そして、健吉のあまりの言葉すくなさ。
そして最後には、
それから三年たつ。
母は藤二のことを思い出すたびに、
「あの時、角力を見にやったらよかったんじゃ!」
「あんな短い独楽の尾を買うてやらなんだらよかったのに!緒を柱にかけて引っぱりよって片一方の端から手がはずれてころんだところを牛に踏まれたんじゃ。あんな緒を買うてやるんじゃなかったのに! 二銭やこし始末したってなんちゃになりゃせん!」といまだに涙を流す。……
母の説明的な科白がなんともぎこちないというか、そもそもいわずもがなの数行だが、なにより、「それから三年たつ」とはなにごとだろう。では、四年後には母はそれを言わないだろうか? 十年経とうと、母が藤二を思い出すかぎり、言い続けるだろう。そう、「それから三年たつ」というセンテンスは語りの場を固定している。このとき、やはりどうしようもなく、語りの場は健吉に寄り添う。では、三年後とはいったいどんな意味をもつ時間経過だろうか? そもそも健吉はなにものだろう? 独楽はすでに十二三年が経過しているというのだから、健吉が五歳で使っていたとしても十七八歳、それからさらに三年が経過すれば二十歳だが、五歳というのは、心棒を付け替えるには早いと考えられるから、あくまで最低のラインで、二十歳。すると語り手と書き手がダブってくる。本当らしさが付加される。「貧すれば鈍する」貧乏の悲劇なら、いかにも作り事ではいけない。リアリティーがなければ訴える力に欠ける。・・・そうだろうか? おそらくはそうした意識から、本当らしさを装う仕儀として、書き手が現れたのだ。語りの場を明らかにするとは書き手=語り手の出現にほかならない。言ってみればメタ・フィクション化なのだ。だが、いつどこでだれが書いているのか、そのことに意識的であらねばならないという昨日の私の主張は、それを明らかにすることとはまったく別だ。語り手が健吉に寄り添うのは好し、ところが、「それから三年たつ」と書いてしまったとき、書き手が健吉に寄り添うのだ。すると、この小説を説明しなければいられなくなる。「それから三年たつ」以降は一切必要がないように思う。読者を馬鹿にしているとはこうしたことだ。それまで淡々と、出来事だけを語って、それはそれで読めていたのに・・・。
そう、ごく細かい出来事の連鎖のなかで、なにごとかが起きるし、かといって、そうして起きてしまうこととそれまでの出来事の連関といっても些細なものにすぎず、「たられば」をいっても仕方のないことこそ後悔を呼ぶ。もちろんその連関といっても、そもそもこの家の貧乏のわけとか、年齢の離れた兄弟とか、辿りはじめたらきりがない。だから、その原因を後悔することにはまったくといっていいほど意味などない。責任追及に意味があるのは、社会という場においてのみだ。それでも、やはり後悔するし、なぜああしなかったろう、と思う。今まさに私がそうして煩悶しているわけだが、それはそれとして、そうした連鎖を淡々と書く身振りは、なにかが近づいてくる、取り返しのつかない出来事に向かいつつある出来事の積み重ねとして、楽しめていた。だからこそ、その後悔をどう書くか、大切なのだと思う。あるいはいっそ書かずに読者に預けてしまえばよかったのではないか。
なお、この小説はここで読める。
「野坂昭如コレクション2」を手にとって、「花のお遍路」を読んでしまった。
非常に面白く、一気に読んだし、ほんの原稿用紙50枚程度だと思われるが、これだけの枚数で女の一生を書ききってしまうその手腕もやっぱり野坂は天才だよ! と思うのだけど、問題は、私の側にある。すなわち、野坂についてなにかをいうべき抽斗が、私にはもうないよ、ということ。
手甲脚絆白装束、笈摺はおり金剛杖にぎりしめ、梵字しるした菅笠いただく姿は、天晴れ凛々しい八十八箇所巡拝のいでたち、だが学童用のちいさな赤い運動靴の足もと、いかにも覚つかなくて、それぞれ札所の門前まで乗りつける巡拝バスの、その乗り降りから本堂へいたるわずかな道のりに、足をすべらせ小石にもつまずき、それも道理で盲目の女、よろめくたびに、一方の手は、つきそう男の腕しっかとつかみ、「お兄ちゃま」甲高く悲鳴のようにさけぶ。
我が家の住所には、坂東三十三箇所の第十二番に当たる寺の名が含まれている。近いのだ。駅に向かう途上にその寺がある。それゆえ今でも「手甲脚絆白装束、笈摺はおり金剛杖にぎりしめ、梵字しるした菅笠いただく姿」をときたま見かける。以前は大型バスが寺の前に並ぶこともすくなくなかったが、最近ではマイクロ・バスがたまに数人を乗せてくる程度。かといって、この寺は以前の住職から今の代に変わって、コスプレ紛いの子どもを巻き込んだ妙な祭りなど行って、むしろ商売っ気が出たように見えるのだから、やはり巡礼では一寺の努力ではいかんともしがたいのだろう。とはいえ、上の姿で思い出すのは、映画「砂の器」の冒頭シーンだ。いわずとしれた松本清張原作、野村芳太郎監督。なんとも暗い。中島みゆきの「遍路」という唄も思い出す。ところが、我が家の近くの寺は坂東だが、この小説は四国である。
それはさておき、上に引用した段落はひとつのセンテンスで成り立っているが、たとえば、「八十八箇所巡拝のいでたち、」という読点を句点に変えたところで体言止の文章は充分に成立するはずだし、言うまでもなく、このセンテンスはいくらでも分割が可能だ。それを軽快なリズムでつなげてみせるとき、一気呵成に読み進まされる。本来、文章にスピード感を持たせようとしたら、むしろセンテンスは短くしたほうが、ポンポンと進んでそれらしくなる。ときに助詞を省いて、文節に五七を散りばめ、かといってすべてが五七で統一されているわけでもなく、散文であり続けている。謡曲だろうか? いや、謡曲はやはり散文ではない。落語かもしれない。
「あれ、あにいもというても似てないみたいですな」「声だけ聞いてたら、えらい別嬪みたいに思えるのに」「妹さんの方、あれでいくつくらいになってんねんやろ」話がとぎれると、車中眼引き袖引き二人をながめて噂をする、道中退屈しのぎに助手が唄をうたえば、兄はつきあいよく手拍子をうち、妹はやや首をかたむけて、これも聞き入り、「みいこちゃんも知ってるでしょ、この唄」「はい」常にこの一言だから、「大分、頭もうすいのとちがいますか?」
同乗者たちの好奇の眼、陰口は、だけど、じつは語りの場と無縁だ。鉤括弧で括られたそれぞれの科白が、だけど改行もなくダラダラと並べられる様は、それが今ここの出来事としての会話ではないことを示している。それぞれの科白は別個に存在して、連続した会話ではない。もしこれらが連続しているならば、「妹さんの方」とわざわざことわる必要はない。語り手は遠くから見ている。いや、同乗者たちは背景に過ぎないと見るべきではないだろうか。乗客たちの科白の断片を、ふたりに絡むコトバだけ選りすぐって書き出しているのだ。最後の「大分、頭もうすいのとちがいますか?」といった科白でさえ、「常にこの一言だから」とことわるなら、必ずしも助手の唄を巡る兄妹の会話から出た発言ともかぎらなくなる。ふたりの姿だけが前景にあり、背景の声が断片として聞こえている。助手の唄も「みいこ」も知っているといいながら、その題名も明かされることもないから、顔が見えない。
「どないしなさるね、この四番と五番はもどりうちいうて、往復一時間ほど歩かんならんのやが、とても妹さんの脚じゃ無理とちがうかなあ」巡拝者たち、各札所で詣でたしるしの印をいただくその納経の袋を肩にかついで助手がいい、「いえもう折角、皆さんとご一緒させていただいたのですから、行けるところまで」「しかしなあ、こんなこというてはなんやが、一人だけおくれると文句つける人もおるやろし、バスから近間のお寺だけにしといたらどないですか」「御迷惑かけて恐れ入ります。それでは皆様おもどりになりますまで、この近くで待たせていただいて」「妹さんバスに残って、お兄さんだけ参りはったらどうですの」「いえ、私がおりませんとさびしがりますので」美以子はこのやりとり知らん顔、すぐ前にせまる山の、山鳥のさえずりを白眼で追う。
これは先の引用に続く段落だ。ここにきて突然助手が語られつつある時空に飛び込んでくる。
私はここまで読んでいて、芝居を連想した。ふたりしか舞台上にいないのに、背景の音として、巡拝者の科白や助手の唄がぼんやり、あるいははっきり聞こえていたところに、脇から、唄の声と同じ声をもつ男が突然舞台上に現れ兄に話しはじめるといったところだ。野坂が芝居を考えて書いていたかどうかはわからないが、すくなくとも助手や他の巡拝者たちの姿を希薄にしようとしていたことは間違いないし、それならばこそ、「どないしなさるね」といった科白が唐突感をもつことも承知していただろう。
さて、こうして置いてき堀を喰ったその時空で、あたかも回想のように物語は過去に飛ぶ。とはいえ、誰の回想だろう? 兄が見つけた小さなお堂に向かう途中で、美以子が月のものに白装束を赤く染めて、兄が負ぶってお堂に連れていく。
もともと春の曇り空、まして格子戸の中となれば闇に近く、兄は美以子をござに寝かせると、裾を分け、「みいこちゃん、まだ更年期じゃなかったんだねえ、ここんとこ御無沙汰だったから、てっきりおしまいかと思っちゃった」装束の下の腰巻きを抜きとり、下着を脱がせ、「後で綿花を買うから、これで辛棒してね」ちり紙丸めるとあてがって、左手は、すっかりたるみ切った美以子のふとももをなでさすり、「かわいそうにねえ、もうなくなればいいのに」美以子は下半身むき出しのまま、それでもかすかに洩れ入る光から顔をそむけ、「おや、あんなところに桜が咲いてるよ」格子戸に兄は近寄ると、表をのぞきこむ。
美以子が初潮見たのは、同じ桜の頃、高校二年だった信彦が麻布の家にもどると、まだ陽があるというのに、美以子布団に寝ていて、母一人に兄妹、これまで気易く、冬ならば寒いからとそい伏しもしたし、美以子はまた裸で寝る信彦の布団ひきむしって、キャアキャアと騒ぎ、だから何気なく「どうしたんだ、ずる休みか」枕もとに近寄れば、「いやっ、あっちにいって」えらい剣幕で美以子がさけび、「なにヒステリー起してんだよ」「お兄ちゃまなんかいや、あっちへいって」布団に顔をかくす、浴衣の寝巻きから肘だけがあらわれ、その白い肌に思わず見入るところを「信彦さん、おやつここにあるわよ」母に呼ばれて、「美以子、月経になったんだよ、それでね、学校早退けして、寝かしてあるんだけどね」やれやれ、女の子はたいへんだよ、これから長い間と愚痴るようにいい、母もまだその年齢にあるはず、月に一度、ことさら頭が痛いと騒ぎ立て、ふと共に立ち寄った薬屋で、「やもめになってもなくならないんだから、いやになっちまう」いいつつ、脱脂綿を求め、そのつど信彦は耳ふたぎたい思いだった。洗濯物のいちばん下に、赤く染まった母の下着を見つけたこともある。美以子に月経があった、女になった、一緒に風呂に入った時のすらりと延びたその脚と、まだ幼く、ぷっくりふくれた腹と、そういえばお乳が痛いと母に訴え、その後、乳首の部分だけわずかにつまんだ如く盛り上っている胸、信彦は、自分の部屋へもどって後、急に女になった美以子にとまどい、そのくせ思い浮ぶのは美以子の裸体で、さすが下腹部のたたずまいこそ、今となっては血まみれの感じで追い払ったが、小さい尻、たしかに丸みをおびて来た肩のあたり、急に美以子がこわれ易い陶器でできているように思えてくる。その夜、母は赤飯を炊き、美以子はけろっとしていて、「月経時は、スカートに気をつけなさい、始めはそそうし勝ちだから」あけすけな注意に、うなずく」。
あたかも格子戸の外の桜の向こうに麻布の家があるように、桜と月経の連鎖が信彦の記憶を呼び寄せたらしい。
そして、あたかも信彦の追憶が召喚したように、語りの場はそのまま過去を語りだす。だからといって、信彦に拘泥するわけでもない。この切り替えもじつにあっけらかんとやってのけるのだ。
信彦は中支を転戦し、十九年半ばまでは、軍事郵便と慰問袋になんとかお互いの消息伝えたが、それから先きは、ただ日枝神社に武運長久祈るばかり、母は息子の安否よりも、防空訓練防空壕造り、男手なくとも容しゃなく駈り出されるから、「早くお婿さんもらったらどうなの、この年になって土方の真似までしなきゃならない」愚痴をこぼし、秋も深まると、青空切っ裂いて敵機の飛行機雲が交錯し、つれて地上も騒然となり、美以子が徴用逃れ、軍需会社下請け工場の、名ばかり経理課の勤めから戻ると、茶の間にどっかと五十がらみの男がすわっていて、母は妙にいそいそした物腰、「こちらね、家の部屋に入っていただいたんですよ。明けといても勿体ないし、なにしろ女手ばかりじゃいざってえ時に困っちまうもの」長火鉢の向うから、男に急須をつぎ、「お世話になります、いや、奥さんのお言葉だからいうわけじゃないが、こんな防空壕じゃとてもとても、私がうんと立派なのを作って上げますよ」いやしい口調でいい、名前は寺本、本社を上海に持つ凱南公司営業部の肩書。
それまで信彦に寄り添っていた語りの場が、「お互いの消息伝えたが」あたりまでは、なんとなく保たれながら、なんとなくというのも、それが「お互い」の話、すなわち信彦と美以子両者にかかわり、一気に橋渡しを行うと、戦地にいった信彦は消息もしれずに、三人称が状況説明するかと思えば、「長火鉢の向うから」という文節で視点を固定し、「いやしい口調」という印象も、語り手というよりは、すでに美以子のものとして読める。
それは、「四十五、六の歳はまだしも女の両眼白くむき出していて、細かい血の網がはりつき、色白とみえたのは白なまずで、しかも神経痛なのか、顔半分ひきつれ、唇吊り上ったままひくひくとけいれんし、とても二眼と見られぬ有様」と言われ、出征時の信彦には美しいといわせた美以子の視線だ。そう、美醜を超えて見られる存在だった美以子が、寺本と母を見る側に立ったのである。
物語は、といえば、想像通りではある。兄・信彦は帰ってこない。寺本は母の情夫となるが、やがて美以子も寺本に犯され、それ以来ズルズルと関係を重ねるし、寺本は家屋敷を安く売って、あげくやがて姿を消す。財産もなく、兄は帰らず、母が引いてきた客をとるようになる。野坂の小説なら、寺本の登場のとたんにおよそその成行きは読めたし、しかし、それはすでに冒頭部の美以子の成れの果てが予言して、野坂は充分意識していたと思える。
そして、信彦が戦地から帰ってくるのだが、留置されているうちに罹った悪性マラリアで寝たきりの信彦に献身する美以子の視点が、ようよう起きられるようになって、妹のポン引きに成り果てる信彦の視点に置き換わっていくのだが、この過程はふたりがひとり、ひとりがふたりであるような、眩暈を伴う文章だ。単純に三人称だといってしまえばそれまでのことかもしれないが、これまでが視点をもっていただけに、この駆け足気味の場面には、どちらがどちらともつかない、それこそプラトニック・ラブが展開されるようでさえある。狂い、盲い、容色も変わり果てても男を求める美以子に客を装って抱いてやる。人間の業とか、運命とか、そうしたなにかを持ち出すことは容易だし、悲劇を泣くことも読者には大いに可能だろう。
ところが、どうにも不思議だし、それは私の個人的な感想かもしれず、一般化する論理も持たないが、なぜか、「骨餓身峠死人葛」といい、「マッチ売りの少女」といい、この作品といい、読後感が痛快なのだ。この作品のラストも「マッチ売りの少女」より暗い。それなのに、桜の花びらが流れる小川沿いに桜をもとめて山を登るふたりの姿は美しい。負ぶわれた美以子の白装束の尻には、経血の赤が、あたかも日の丸を思わせるかもしれない。日の丸に感慨などないが、遍路姿のふたりに一点の赤が滲みだしているのだ。たとえ人非人といわれても、野坂の小説は痛快だと私は思う。いつか、「ベトナム姐ちゃん」もぜひ読もう。
「文學界」4月号掲載の藤沢周「跡弔ひて」を読んだ。
正直に白状すれば、文芸誌を毎月買うようになったのは、「文芸同人誌案内」の掲示板で、同人誌評のレポートをするようになって以来のことだから、それほど長いわけじゃない。というより、きわめて最近の話なのだ。偏ってわがままなので、出会い損ねている作家は数知れずいた。「文學界」を毎月買うようになって、はじめて触れる作家が多い。藤沢周も今回はじめて読んだ。
どこをどう読めばよいのか、よくわからない。それは、文学の常道を外れていくことこそ文学的な行為だ、といったこととも違って、むしろどこかに収斂して見せる仕草も見え隠れしているから、なにか姑息な印象を受ける。あまり多くを語る気になれない。息子の顔が見えないことで、なにやら息子が薄気味悪い存在になるあたりに面白さを感じてはいたが、語り手がレポーターになるこうした書き方には、どうも物足りなさを感じないではいられない。K氏になれない「私」が、K氏のことを語るだけでは、作家の想像力を疑いたくなる。なにものともしれない、自分のようでさえある息子と自らが対戦して見せろ、と思う。作家なら、その薄気味悪さ、わけのわからなさを生きろ、と。
とはいえ、地稽古の場面などは、それなりに息を呑む上手さではあり、一種下世話ともいえる幽霊話を絡めるのも、面白いアイデアではある。それでも、平敦盛なんて教養を持ち出して、いかにも納得、というのもいただけない。エンターテインメントのほうがあっている気がするなぁ・・・。純文学しようとして、下手な理屈を捏ねるより、もっと開き直ってしまえば読後感もよかったかもしれない。というのも、語り手と主人公が別という物足りなさはあるものの、過程はそれなりに楽しめたのだから。
いや、もちろん語り手と主人公が別では駄目、というわけではない。そうした小説はいくらでもあるし、それらがすべて詰まらないわけではない。すくなくとも私が読んだ岡本綺堂はすべて語り手と主人公は別だ。とすると、語り手がうるさ過ぎたのかもしれない。この文章ならほかも読めそうではあるが、かといって積極的に読みたいとも思わない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
創作を連載しようと画策し、あれを載せようと思ったモノが、見つからない。「木曜日」20号に書いたものなのだけれど、20号が一冊も見つからない。文学フリマで売りつくしてしまったのだったか??? ちなみに、連載しかけて内容に問題ありで取り下げたのは、19号掲載作だった。より古いモノは、私が見たくもないし、長い。
それから、早めに提出してくれた方にPDF化したものを見てもらって、タイトルが間違っていたことがわかった。危ない危ない・・・。著者校ってやっぱり必要なのかもしれない。じつはタイトルの間違いはかつてもあったのだ・・・。気をつけよう。
PDF公開には、ようやくインターネット環境を手にしたばかりの方だったため、電話越しのAdobe Readerのインストールからはじめねばならず、苦労もしちゃったのだが。
外は雨。こんな日はインターネット接続の調子が今ひとつに思えるのは気のせい?
軽い気もちで「文學界」4月号に掲載されていた小林信彦の「日本橋バビロン」を読みはじめたら、面白くて面白くて、330枚という長編を一気読みしてしまった。「うらなり」が面白いという評判を聞きながらなんとなく読み損ねたのだが、いまさら後悔している。
かつて、私が毎日待ち焦がれ、そして毎日かかさず、最後まで読み続けた新聞小説が、小林信彦だった。ただ、上手なエンターテインメントの印象が強くて、なにかのきっかけがないと読む気になれない人でもある。いざ読みはじめれば、こうして、その練達の技にはまって先へ先へと読まされてしまうのだけど・・・。
書き出しこそ、弟の科白にはじまりながらも、そこで会話が続くわけでもなく、その場も見えない。
「親父さんは男の子二人と両手をつないで、銀座を歩くのが夢だったんだって……。知らなかっただろ?」
弟が突然、言った。
「知らない」
私はそう答える。
「お袋さんから聞いたんだ。それが親父さんの夢だったんだ」
時間が経つにつれて、父の<夢>が心に食い入ってきた。
なぜ、そうなるかについては若干の説明を要する。時代背景というものがわからなければ、弟の言葉はどうということもないからだ。
そして、かつての両国、現在の東日本橋の老舗和菓子舗の主人が、銀座を息子連れで歩くことを夢見ることについて話しはじめるのだが、それは、銀座よりよほど古い両国の、その享保年間にまで遡る歴史を辿るのだ。それから、
改めて生れた町と家について書きたいと思い立ったのは、昭和の旧日本橋区を内側から描いた書物が一冊もないからである。<日本橋>というと、三越、山本山、にんべんといった名店がならぶあの一帯と、人形町に軽く触れて終る。雑誌の<日本橋特集>とはそうしたものである。
といった文章もこの長篇を読み進むとき、忘れずにいて欲しい。ちゃんと後に繋がるのだから。こうしたぬかりなさが上手さだ。
とはいえ、前半ははたしてこれが小説だろうか? と首が傾げる。博覧強記で各書からかつての両国(現両国は西両国で、橋を挟んで東両国があったのが、現東日本橋)について書かれた文章を拾い出してきては歴史を辿ってみせるばかりなのだ。だが、それによって、銀座がまったく新しい場所であり、両国で老舗の九代目が銀座に憧れることの、モダニストぶりが浮き上がってくることもまた確かだろう。
だが、そう簡単に父の話になるわけでもない。ようやく時代が明治に入ったと思ったら、祖父の話をはじめてしまうのだ。
そう、老舗菓子舗の三代記だ。三代記を、まして両国という町の歴史から語り起こすのだから、ひとつひとつの出来事が希薄になる。それでもグイグイと先を読まずにいられないのはどうしたわけだろう? これはもう文章の流麗さとしかいいようがない。とりたてて美しかったり凝った文章や描写、リズムなどがあるわけでもない。ただひたすら流れていく。引用される文章の多彩さもさることながら、演芸(エノケン、ロッパ)やら、そして随所に表れる映画。もちろんそれらが時代を映すすべてではないし、ここに書かれない時代の相貌といったものもあるはずだが、そうした演芸は、やはりなにか、今語られつつある時間の在りようを鮮明にしている。それは、ずるい仕儀かもしれない。それを書いてしまえば、それで済んでしまうという意味で、ずるいかもしれない。だが、「私」がそのときにそれらにたしかに触れていた言葉は、どうしようもない説得力をもつし、いちいちそのときの感想や、ときには、見たが忘れたとシラッと書いてみせる身振りは、静かに語る「私」の長いお話をすぐそこで聞いているようにさえ思える。それも、講演などではなく、私(読者)に語ってくれているようなのだ。
そして結局、三代記は十代目を継がなかった「私」におよぶわけだが、それなら私小説ということになるし(はじめに現れる弟とは、イラストレーター小林泰彦だ)、語りの場も最後には現在に追いついてしまう。だが、その直前を見ると、「私は二十歳だった」という。するとこの間には半世紀が流れてしまうのだ。
そして、なによりこの流れのままの文章が、そのまま終るのだろうと思っていたら、なんとも鳥肌がたつ終わり方だった。
さりげない文章、一人称でありながら、一点に定まらず出来事を欠いた、大河小説。それも、失われた昔。そんなもの、私は好きではないはずなのに、小説の面白さを再認識した気がする。さりげない文章とはこういう文章をいうのだ。そして、それは美しい。文章が気配を消して、語られている内容だけが、こちらに流れ込んでくる。そうでなければ、数百年におよぶ物語がスラスラと読めるはずがない。そしてそのスラスラのまま終わるだけではない。これはやはり芸能の世界で生きてきた小林信彦の技なのだろう。「落ち」がしっかりしている。
小説って、こうした文章こそ理想かもしれない・・・。名人芸とはこれだと思う。絶対に浅田次郎ではない。長い小説なのに、私にしては短いし、引用もすくない。それというのも、私の付け入る隙がない。引用なんかすべき箇所のない小説、これはやはり理想だ。
それなら、「上手い小説」について再三私がこれまで書いてきたことは? この小説はおさまるところなどはじめからない。言ってみればダラダラと書かれたと言ってもいいような、歴史を辿った小説なのだから、時間が今に追いついたら終わるだけだ。もちろん、追い越していくことも可能だけれど、そんな奇抜はいらない。そして、上に書いたように、投げられた賽は、ちゃんとさりげなく回収されている。その手捌きもさりげなく、例えば、終わりになってバタバタと回収作業に追われるのではない。父の銀ブラなど、とうの昔に答えが出ているし、<日本橋特集>だって、時の流れのなかで書かれ、上を忘れていてもなにほどのこともないくらいなのだ。こうした小説を読むと、綺麗に上手に終わる小説と私が書いてきたものが、じつは上手ではなかっただけではないか、とさえ思える。ほんとうに上手に終わるとはこうしたことだった。
かといって小説の時間が今に追いついたから終わるだけではないのだから、まったく恐れ入る。
「文學界」四月号に掲載された第37回九州芸術祭文学賞受賞作、芝夏子「ナビゲーター」を読んだ。
概ね面白く読んだ。などと書くと、いかにもいやらしいが、なにか戸惑わされたのだ。非常に上手い書き手だと思わされながら、ふと、描写をはじめた途端に、妙に稚拙になったり、構成を見たときには、せっかくの面白い素材である鉄塔の使い方が、今ひとつ浮き上がってこないし、終わり方も、まあ、そうなるだろうね、といったところに落ち着く物足りなさがある。だが、それならもうひとつというところで失敗しているだけかというと、そうでもなさそうに思える。そうした思わせぶりを辿ってみたい。
昔、といってもほんの数年前のことだけど、亨は私のことをたんぽぽみたいだと言った。地味すぎると頬を膨らませたら、素朴だけどいつまでも愛らしい、と慌てて付け加えたっけ。それは綿毛になっても? と聞いたら、苦笑いして返事してくれなかった。
そんな可愛げがあることを言うくせに、乗っている車は派手な真っ赤なスポーツカーだった。私には車種なんて分からないが、中古の外国製でオープンカー。亨の自慢の車で私たちはよくドライブに出かけた。デートの帰りは必ず部屋まで送ってくれた。
けれども今日は違った。私は最寄りの駅までを一人とぼとぼ歩いている。花冷えとはよくいったもので、薄着で出てきたことが悔やまれる。右肩にかけた黄色いコーチのバッグの中には、帯が巻かれた百万円の束が二つ、裸のまま投げ込まれている。さっき亨に渡されたものだ。
「少ないかもしれないけど、お詫びの気持ちだから」
「花絵と過ごした四年間は楽しかった。でも、君とはやっぱり結婚できない」
軽い語り口調の一人称が、軽快で、甘ったるいお話だが、それが昔話であることのなかに、ただのラブストーリーではない気配を漂わせる書き出しから、一気に婚約破棄、慰謝料の二百万円を受け取ったところまで進む。語り口調に体言止めなども使って流暢かつテンポのよい文章だと思うし、甘い気配から一気に奈落に落としてみせる点でも、見事な書き出しだと思う。
さて、ここからが、第一関門だ。「私(花絵)」は、悲しくて仕方がない。涙を流してばかりいる。それでも、そこにいたる過程を織り交ぜて進むから、なるほど上手い。上手いのだが、この調子でいくのか? 失恋女の泣き言を延々と読まされるのか? と思うと、ちょっと警戒するし、およそこの小説の終わり方も見えてしまう。亨、あるいは失恋を卒業して、力強く生きていく「私」ってな終わり方しかないだろうな、それも、もちろん他の男を見つけるなんてのじゃなく、ひとりで生きていく「私」だろうさ、どうせ、と思うわけだ。
ところがここに月見町の鉄塔なるものが現れる。幼少時に虚弱だった「私」は月見町の山下病院にたびたび入院していたが、そのたびその町の鉄塔を眺めて暮らしていた。「私」は亨の営む喫茶店を飛び出すと、タクシーに乗って月見町に鉄塔を眺めにくる。
月見町の鉄塔を見るとなぜだか安心する。私は生まれた頃から身体が丈夫でなく、小学校に上がるまではほとんど病院にいた記憶しかない。もうすぐ六歳の誕生日を迎える頃、流感に罹り高熱で昏睡状態に陥ったことがあるそうだ。医者は、こんなに熱が高いとだめかもしれない、覚悟してくださいと両親に告げた。
その晩、私に付き添っていた父は夢を見たという。鉄塔の夢だ。百メートルは高さのある鉄塔を私がよじ登っていたというのだ。夢の中で私は二十歳くらいの娘になっていて、猿のように鉄柱から鉄柱を軽やかに飛び移っていたらしい。登り詰めると、赤く光るてっぺんのライトの上に曲芸師のように座り、そして万歳をした。目が覚めた時父は確信したらしい。大丈夫、この子は命の火を燃やし続けるだろうと。
もうこうなってしまっては、「私」は鉄塔に向かうしかあるまい。さて、鉄塔に辿りついて、「よし! ひとりで生きていこう!!」といった小説だとすれば、少々ネタの暴露が早すぎやしないか? と首が傾げる。やはりそれまで、延々と泣き言か? と。
はたして、そうなのだ。「私」は仕事もせずに亨の喫茶店に通って、泣きつき、終いには、部屋を訪れ強姦紛いの行為におよぶが、それも失敗する。いわゆるストーカー小説といってもいい。だが、たかが鉄塔だ。行こうと思えば、すぐにも行けるはず。そして、カフカになる。ここが問題だ。
駅前の喫茶店に入ってぼんやり眺めていることもあれば、塔に向かって無闇に歩き出す日もあった。月見町の道は複雑に入り組んでいて、鉄塔まで一直線と思いきや、どん詰まりになっていて引き返さないとならなくなったりした。大通りの少ない町だ。駅前は開発されデパートやホテルなどもあるが、一歩奥に入ると路地がくねくねと血管のように広がっている。路地の踏み固められた苦い土の匂いをかぐと、私は心を躍らせ引き込まれるように分け入っていく。路地裏にはときめきが残っている。積まれた古雑誌、窓越しにお隣さんと話す人妻、繋がれた犬が尻尾を丸めて眠っている。手入れされていない紫陽花が、去年の花のミイラを付けたまま今年の花を付け始めている。こうなるとすでに鉄塔探しからはかけ離れる。迷子になって帰れなくなり、這う這うの体で道をうろつくことになるのだ。危うく教室にも遅刻しそうになる。坂の多いところで、中学校の修学旅行で行った長崎を彷彿とさせた。この町は新旧のものがごちゃまぜになって共生している。全面ガラス張りのようなデパートやホテル。しかし一歩裏手の道に入り込むと、木造長屋の商店がずらりと並び、野菜を煮しめたような匂いや威勢のいい掛け声が飛び交っている。
この前は散々道に迷った挙句、ふと見ると目の前は山下病院の裏門だった。表に回り公園の桜を見ると、花のあとの澄んだ緑の時期も終わり、今は夏に向け葉脈も鮮やかに濃い緑の葉に変わっている。ああ、時間はちゃんと流れているのだなあと思い、苦笑いが込み上げてくる。私は今もまだ、満開の桜の下に立っているような気がする。亨が横に並んで歩いているような錯覚に陥る。
教室が終わったあと、平井さんに鉄塔までの道探検報告会をする。
「ええ? 駅からどうやったら山下病院の裏手に迷い込むわけ? 花絵ちゃん、ちょっと方向音痴過ぎない? 確かに月見町は道が入り組んでいるけど、鉄塔に向かって進んでいけば自然と分かるでしょうに」
それが分からないのだ。すぐ近くに見えてきたと思って勇んで歩いて行っても、道は迂回していて、あれよあれよと鉄塔から遠ざかる。近くに行けば、行くほど、ふと見失ったりする。拒否されているみたいで少し悲しくなる。
引用の最初の段落がどうにも気になる。なんとも凡庸な描写、それも点景の羅列ぶりは、どうにも浮いて見えるのだ。いかにもとって付けたような描写が、「私」が出会った景色とは思えなくしている。そう、記憶を辿って語られているのだ。今ここの出来事として「私」がその景色に触れているのではない。ことさらに体言止や「いる」といった語尾を多用して見せながら、たしかにこの段落の書き出しは「駅前の喫茶店に入ってぼんやり眺めていることもあれば、塔に向かって無闇に歩き出す日もあった」とあり、すなわち、再三の散策の記憶を辿っている。ところが、それに続く段落が「この前は」と、やはり過去を語って見せながら、続く会話につながる山下病院の裏手に迷い込んだ話であり、会話はそのまま物語の今ここ、語りつつある場に摩り替わっていく。
この小説が醸しだしているいたたまれなさとは、じつはこうした時間の使い方にあるのではないだろうか。今まさに語るらしい語尾の使い方のなかに、よくよく見渡せば、桜の木を軸として辿る時間経過がある。あたかもカフカ的空間によって先送りされた鉄塔到達だが、先送りされた時間の経過を、桜の木が教えている。それは、あからさまに「いつ」と書くこと、「何ヵ月後」などと書くことを回避した仕草にも見えるが、ここで、この小説が纏っているもうひとつの要素に眼を移したとき、桜が意味ありげに見えてくる。
「私」は美容院で不本意な金髪にされてしまう。「私」は鉄塔のなかでもとりわけてっぺんの赤いライトに導かれている。「私」は亨からもらった慰謝料を上回る金額の絵を買う。
その絵は、「淡色の絵の具で描かれている」。
夜のラストシーンを彩るのは、亨の真っ赤な車であり、常緑樹の緑であり、「私」の金髪、そして赤いライト。暗がりに映える強い色ばかりである。桜が花の淡い色から葉の深い緑になったように、亨の金が淡色の絵になると、「私」は深い色の中で、鉄塔へ向かう。もちろん、この小説のなかで、金の在りようも充分に意識的なのだが、これらの色の使い方が、時間や金に連動しながら、物語を動かしていたように思える。
すると、物足りなさとは、むしろこの小説が担ったあまりにたくさんの仕掛けではないだろうか? 詰め込みすぎたのではないか? 先に見た描写の凡庸さも、意識的だったとしても、そうはなかなか理解されにくいだろう。カフカの真似をしようとして失敗しただけ、と思われても仕方ない。いや、むしろそのとおりだと思う。もっと違う遣りようがあったはずだ。律儀に過ぎたのではないか、という気もしないでもない。村田喜代子の選評に「もう少し年齢相応の無分別を」とある。
それから、私としては、鉄塔を巡る彷徨を、もっと書いて欲しかった。バランスを欠いていたように感じられる。
ちなみに、ナビゲーターとは、ようするに鉄塔の光なのだな。弱い気がするな。
とはいえ、全体を見たとき、とても面白く読んだ。鉄塔の在りようなどは、カフカのみならず、モーパッサンのエッフェル塔やムーミンのおさびし山などを思い出した。それらとの対比をするほどの対応性があるわけでもないのだが、象徴であり目標であるところのもの、その愛憎半ばするなにかといったことで。
ん? なるほど、決定的な物足りなさが、今見えた気がする。亨にせよ、その代替物としての鉄塔にせよ、愛憎がそれぞれに分担されてしまい、亨と鉄塔それぞれが内包するはずの愛憎半ばが見えなかったことだろう。鉄塔は、入院生活の記憶と結びついている。亨とだって、四年間の交際期間中には喧嘩もあっただろうし、嫌な面だってあっただろう。それらが浮かんでくれば、もっと面白くなったように思える。
だけど、ほんとうに面白く読んだ。
「田紳有楽」の続き。
最初の「私」こと億山、焼き物たちの主人は、なんとこともあろうに弥勒菩薩の化身だった。これまでに現れた語り手たちのなかで、イカモノ扱いの骨董商とはいえ、唯一の人間と思われた存在が、人間ではなかったのだから、それもまた、人間のイカモノといってもいいだろう。そのうえ、彼は老人性掻痒症に悩まされている。今でいう乾燥肌らしい。それは、生物ならざるものになりかかっているようでもある。
釈迦の信頼に応えるべく、完全を期しての状況偵察を目的として早々に下向してきたにかかわらず、到着以来わずか千年余りのうちにこうまで急速に心身が枯渇しはじめるとは。水が変わったせいか、それとも人間の毒気にあてられたせいか。不条理というも愚かである。
そのうえ私の声帯は五、六年まえから萎縮しはじめて、今では四六時中ギーギーときしみ、あたりまえの声が出にくくなってきている。喉中鋸木声というのは鋤雲という人の形容だそうだが、まったく私の目下の声はバラックの製材所から漏れてくる音さながらと云っても云い過ぎではないのである。方途如何。しかしそれくらいの悩みは問題ではない。みんな解決済みだ。
菩薩は生物か死物か、などと問うのは、そもそも不遜だろうが、焼き物たちが語るこの小説のなかにあれば、「心身の枯渇」とは、死物の在りようを想像させるだろうし、翻って、焼き物たちの今日の境涯を見れば、池の底、水底にあって、泥水を浸み込まされている。畢竟、弥勒は死物になって、時を待つ算段となり、「みんな解決済み」になる。
「みんな解決済みだ。」といって、一行空きになるのだが、一行空きを挟みながら、これまでのように、語り手はその素性を明かさないから、しばしなにものかと迷う。
美濃生まれのグイ呑み、朝鮮生まれの柿の蔕、丹波生まれの丼鉢、もともとこの連中の呼び名は泥水の底から拾いあげて変化の有無を検査する目安に名づけてあるまでのことで、彼等が邪推したり己惚れたりしているような立派な贋物に仕立てる気なんか私には毛頭ありはせぬ。人体実験も可笑しいが、とにかく私の目的を果たすためのささやかな実験台になってもらっているだけだ。用がすめばビニール袋かなんかに放りこんで手近い道端の危険物集積場に捨てるつもりである。
迷うといっても、最初のセンテンスの「名づけてある」といった言葉遣いでおよそ見当がつくし、「私には毛頭ありはせぬ」と結ばれれば、明らかに先の弥勒が続いて語っているとしれる。先に「死物になって、時を待つ算段」と書いたが、じつはまだそれは書かれていない。だが、この引用中の実験とはすなわちそれを指すのだが、小説を辿っている現在時では、曖昧なままだ。曖昧なままに、弥勒なら、池のなかの出来事をお見通しだといって、話題は焼き物たちのことに移ってしまう。
柿の蔕と丹波丼鉢の身元はもちろんのこと、彼等が滓見を名乗って芸もないやっかみ半分の喧嘩をやっていることなどはなから見透している。阿闍梨ヶ池にとぐろを巻いてる大蛇がサイケン・ラマで、こっちの池にもぐっているのが滓見A号・B号というわけ。つまりどっちを向いても元はひとつというわけ。おまけに私は、人間変身術に驕ったA号のやつが、四本の手脚をはやすととたんに貝谷歌舞麗という嫌らしい二つ名を自称し、バーなんかに出入して女をだまくらかしていることだってちゃんと承知している。だからお返しに私も骨董好きを看板にかけてA号の人世哲学的掘出し法の講釈を大人しく聞きながら、来たるべき大説法の参考としているという次第なのである。
これまで分離していたそれぞれの物語を俯瞰する、あたかも三人称の書き手のように読み解いて、のみならず、いまだ読み手もしらなかった事実、滓見A号がバーで(人間の?)女を騙していることまで語ってみせる。だけではない。サイケンと滓見の関連はすでに丹波(滓見B号)によって語られているが、「元はひとつ」という。ましてA号柿の蔕はほかにも貝谷歌舞麗という名をもつといい、ひとり(ひとつ)が幾多の名まえを持ちながら、「サイケン=滓見」として、多が一であるというわけだ。
すると、池という「井の中の蛙」さながらの小世界を上から見下ろす弥勒菩薩という構図が見えてくるが、同時に、滓見ふたり(ふたつ)が自在であるとおり、池が広大無辺の空間に通じていることも忘れてはなるまい。それでは、グイ呑みやC子の在りようは? 滓見が訪れて言う。
「――旦那はこの夏お庭先きのお池のなかで、かねて御贔屓の出目金がグイ呑みとの恋愛関係より肉体関係に及んだ結果、生無生間誕生の新創造物を大量に生産放出するという宇宙的大事業を敢行いたしたということを御存知でしょうか。そしてまたこれ等の貴重なる証拠物件が、一夜にして無智な魚どものため無残にも一匹のこらず飲みこまれてしまったという事実をも失礼ながら御承知でございましょうか」
自在な移動を封じられていながら、彼らは宇宙的な存在だというのだが、ところが弥勒はそうは思わない。
彼の表情に再び昂奮がたちのぼってきたので、水割り一杯のところを奮発して三杯も飲んできたかと私は可笑しく思ったが、そしらぬ顔で耳を貸していた。――何でもないこと。私はついぞ池に餌を撒いてやったことがないから、魚たちはみんな四六時ちゅう腹をへらしているのだ。おたまじゃくしを入れておけばザリガニが夜のうちに尻尾を食いちぎり、動けなくなった頭と胴体は鯉が飲みこむ。鯉は蛙も食う。田螺も食う。二十年ばかり前のことになるが、私がここに腰を据えたじぶん私の知ってる男が空いてた養鰻池に高級料理屋向けの田螺を養殖して儲けたとき、一石二鳥を狙って鯉を入れたら子供をみんな食われてしまったことがある。田螺は一度に微塵子大の仔を屁をひるようにいくらでも噴き出すのだ。――この間のあれだってただの田螺のお産にすぎないことくらい知れている。宇宙的大創造でなんかあるものか。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
さて、相手は弥勒菩薩である。滓見はそれをしらないが、私たち(読者)はすでにそれをしっている。それなら、彼の言葉は至極もっとも、宇宙の真理に違いないとも思えるが、見直してみれば、滓見の講釈を五十六億七千万年後の大説法の参考にするとか、あるいは、田螺のお産と言い切るにも、知人の失敗談を譬えに使うなど、なんとも胡散臭くはないか? そういえば、彼がかつて「私」を名乗った最初のときには、なんとも難しい「蝌蚪」なんて漢字を使っていたのに、ここでは「おたまじゃくし」である。
前にも記したとおり私は弥勒にはちがいないが、勝手に出てきたのだから天から給料が来るわけではないのだ。食って行くにはそれだけの金を稼がねばならないうえに、兜率天持越しの慢性歯痛は已むを得ないとしても、人間世界に天下ってのちの最近五百年ばかり前からは思いもよらぬ変性現象が次々とあらわれてどうしようもなくなってきた。已むを得ないからいろいろ自分でも考えたすえに、食いもせず息もせず、さりとて腐りもしないという便利な焼ものに姿を変えて呑気に時世時節を待とうと、こう方便を定めた次第なのである。そのためにこそ骨董稼業を看板にかけて買い集めたインチキ物を泥水に沈めておいてときどき引っぱりあげ、彼奴等の外貌生理がどう変るかを逐一研究しているのだし、一方でA号B号の生態を観察しつつその変身の肉体的心理的影響をも糺明しつつあるのである。
ここにきて、ようやく「解決済み」のその解決の方途が明かされたのだが、歯痛だの、食っていかねばならないだの、なんとも人間臭くも、研究・糺明しなければならないほどに、物理の真理を悟った存在ではない、ということになる。すると、滓見が海から揚がったという徳利を見せる。
A号が置いて行った備前焼きは、その高火度長時間の焼締めによって化学的耐久性と物理的堅固さが歴史的に保証されているばかりでなく、海揚がりであることによって当初の清潔さとウブウブしさが完全に護られていることを私に示しているのである。
海底という環境の静謐さも、菩薩という私の身分にはふさわしいであろう。世直しの仏が四畳敷きの泥水のなかから出現するとは(どうでもいいようなものであるが)見かけのうえから云ってもあまり好ましいとは云いにくいであろう。歌舞麗はいいヒントを与えてくれた、と私は思った。
ここに、彼の方向は決まった。
A号B号とはいいながら、丹波にとってそれは名のみのことで、滓見なる人の姿を見せてはいなかった。ところが、A号B号などと呼ぶことで、物語が彼の滓見の姿を召喚する。すると、次の章は滓見B号こと丹波が語り始めるのだ。そうなれば、物語は一気に、大蛇殺しに入っていくしかあるまい。これがまた、なんともいかがわしい。サイケン・ラマは、丹波と別れて後の道程を語るが、
彼はさもうれしそうにぬるぬると苔のぬめった手首を挙げて
「托鉢のときには右手の撥でデンデン太鼓を打ち、左手の鈴をこう振って調子をとりながら御詠歌を称えるのじゃ」
と格好をつけてみせた。坐禅をくむときは腰のまわりに太鼓と鈴、ガンドンと呼ぶ骨笛もならべてしばらく瞑目したのち「仏陀よ、仏陀よ」「パーダム、パーダム」と三遍ずつ妙号を称えたのち、力いっぱい「ペイーッ」と絶叫する。これがすべての宇宙の汚れを清める効能を持っているのだから肝心のところだ。この気合とともにデンデン太鼓と鈴を鳴らしながら、
「天空上座、獅子座上、諸仏諸菩薩、喇嘛守坐」
と三誦し、それからまたしばらく瞑目したのち「ペイーッ」とやって御詠歌にうつるのである。そうしていよいよ御詠歌が終わったら骨笛を口にあてて「プゥーッ、プゥー、プゥゥーッ」と三回吹いて膝前に置き、静かに瞑目凝念する。この笛の音につられて天地に充満する悪霊たちが集まってくるから、その連中に「おまえら立ち去れ」とか「どこどこの方角の婆さんにくっつけ」とかいちいち命令するのである。
この場面には、眩暈とともに、鳥肌がたつ。まず「彼」は蛇体である。すなわち手足はもちろん、前肢後肢さえないはずだ。「ぬめぬめと苔のぬめった」という形容はそうした阿闍梨ヶ池の主を連想させながら、「手首」と言われて、首が傾げる。さらに、「左手の鈴をこう振って」と身振りが示されれば、おいおい・・・、と突っ込みを入れたくなるが、その調子を保って地の文章に入って行ったとき、語られつつある時空が一気にチベットの修行地に飛んでしまうのだ。ところが、はたして本当に彼は蛇体なのだろうか? このとき彼はサイケン・ラマに戻っているのではあるまいか? そのうえ、なんとあっけなく丹波に籠絡されてしまうことか。
「それにいたしましても、お言葉をうかがううちに旦那様の御鼻の障子の溶けようがひどくなりなさったように見受けられまして何とも気がかりでなりませぬ」
「丼よ、そこじゃ。お前の云うとおり近頃ではわしもとんと意気地がなくなっての。――蟇の皮剥きも効くやら効かぬやら」
と嘆息するので
「いかに尊い御修行が実を結んで免状をいただかれたとは申せ、もともとラマと云えば生身の人間、末の御覚悟は肝要でござりましょう」
と様子をうかがうと案のじょう力なげに息を吐いて
「わしもここに居つきはしたもののあれやこれやと思惑がはずれるばかりでのう。この分では弥勒の世まで生きながらえることは難しいかも知れぬと半分ほどは思い諦めておる次第じゃ」
それを聞くと私はいよいよ時節は到来したと感じたからつけ入って
「さすがは大悟徹底の御心境、このうえは弥勒菩薩を待って説法を聴聞なさらずとも、このまま極楽浄土に生まれかわるは必定。人間やっぱり無に帰するよりは、せめて魂だけなりとも浄土に参る方が楽しみでございましょう」
「そんなものかいのう」
「してして旦那様にはどんな御最期をお望みでございますか」
「そうよのう。どうせおさらばするのならば年寄りじゃからあまり苦しまんで行きたいのう」
「ふむふむ、それをうかがって安堵いたしました。このうえは私にかねてからの存じ寄りがございますので早速実行にとりかかることにいたしましょう」
と膝をすすめてラマの手首をしっかりと掴んでたぐり寄せた。
「どうせ死ぬなら、かの大悪陶の手にかかるよりは、なまじ私が御命を頂戴いたしましょう。――まことや永年海山の御厚恩に報ずるはこの日この時でございます。有難や有難や」
欠けた鼻はかねて梅毒に落ちたサイケン・ラマの容貌である。「そんなものかいのう」というけれど、丹波は「人間やっぱり無に帰するより」というが、たしかにサイケンは人間かもしれないが、丹波は人間ではない。この言葉には、自分こそ、永世の命がふさわしいということかもしれない。そして、丹波はラマの「手首」を掴むのである。「大悪陶」といった書きぶりはご愛嬌だが、まったくサイケンの姿は人と蛇の間をいったりきたりするのだ。
と残る左腕で長首を巻き、「オム マ ニベトメ ホム」と呪文をとなえつつ、力いっぱい締めつけた。ラマの口から三股に分れた真赤な舌が伸び出てペロペロと空を嘗めていたが、次第に色を失いながら顎から垂れてしばらく痙攣したのちやがて動かなくなってしまった。驚愕に裂けた両眼の瞼はゆっくりと下降して閉じた。断末魔にのたうつ尻尾で泥が掻きまわされ穴のなかは一時暗黒となったが、やがて力が抜けるにつれて彼の全身は闇のなかで重く冷たく私にのしかかってくる。永年くりかえし続けてきた気息停止の仮死修行の名残りのせいか、息の根がなかなか止まらなかったので、私は身を離して本来の丼鉢に戻り、水中に高速度で回転し跳躍しつつ、丸鋸となってラマの全身を数個体に輪切りしたのち念をいれて細片に刻んだ。そして主の肉二切れを味わい、血を啜って彼の法力をわが身に移してから、残りを池じゅうにばら撒いて鯉鮒亀たちに供養した。
こうして私はかねての望みを果たし、四代目阿闍梨の位にのぼったのであった。
滓見の姿から丼鉢に戻る変身をわざわざことわる素振りが、ことさらにラマの異常を際立てるだろう。阿闍梨ヶ池の在りようは、弥勒の説法に通じる場所として、特異点だった。A号やB号が空間移動を容易に行いながら、五十六億七千万年の永生を約束された場所として、特別な、空間の行き止まりのような場所としていたわけだが、ところが、私たち(読者)はその弥勒自身がどこにいるのか、しっている。それでも弥勒が弥勒足りえ、説法を行うのは五十六億七千万年後だし、なにより、それまでの命を得られる場所としての特異性は失われていない。丹波はその場所を手に入れてしまった。彼は、それでも弥勒の庭先の池と阿闍梨ヶ池を往復しているが、そのほかの場所に出かける様子はなくなってしまうし、A号柿の蔕にとっても、そこは目的とならなくなってしまうだろう。空間が閉じられてしまったのだ。いや、もとより阿闍梨ヶ池が特異点、目的地であるがゆえに、いつもの池と阿闍梨ヶ池の往還のなかに閉じられていた。今出来したのは、目的が失われたという事態である。もちろん、弥勒にとっては、それは目的ではなかった。そこで、弥勒は自分の目的達成に動き出す。物語を見れば、彼が、移動をはじめるのである。すなわち、自分が化身するべき焼物の姿を求めて岡山に向かい、海の様子も検分に出かけ、地蔵に会ったりするのだが、このとき地蔵が「ははァ――何もかもインチキなのかも知れませんなあ」などと呟いて見せるのだが、この章は、柿の蔕の登場といい、どうも、冗長の感がある。阿闍梨ヶ池という特異点を封じられた物語が弥勒の移動を余儀なくしただけのようにも見えてしまう。
すると、弥勒が家に帰り次第、物語は一気呵成に終幕へ向かうだろう。「私」弥勒は、いきなりB号=丹波を呼びつけるのだ。そのいきなりぶりは見るに値する。
私はその日のうちに新幹線終列車で浜松へ帰った。そして木戸をあけて真暗な庭へ足を踏みこんだなり、暫くは佇んでぼんやりしていた。二階の屋根と伸び放題の雑木が、せまい空間を上から囲んで黒く静まりかえっていた。凝っとしていると脚もとの池でパシャリと鯉がはねた。夏も過ぎかけたという気配が深夜の身のまわりをこめていた。私は小声で
「丹波、おい、もう寝たか」
とB号の名を呼んだ。そしてしばらく様子をうかがっていると、静かな池の水面がかすかに揺らいだように思われたので
「あとからあがってこい。心配するな」
かねてB号は弥勒の部屋を訪れたことはあるが、A号の滓見を装っていたし、もとより、A号も柿の蔕の正体を明かしていたわけではない。そして、焼物が人を装うこと、B号がA号を装うこと、そうした重層化したすべてを見破っていながら素知らぬ振りを装っていたことが一気に明かされるのだが、もちろん、私たち(読者)はその事実も、弥勒の空恍けも知っていたのだから、驚きはしない。しかし、そうした騙し合いが崩壊するなら、物語はどこか、なにごとか、大きな局面を迎えたのだろうと想像させられる。騙し合いが無効になるなら、弥勒もその正体を明かす。
「それでは私も正体を明かして是非おまえさんに手伝ってもらいたいことがある。まあ聞いて下さい」
と、例の釈迦との約束を云い聞かせたのち、この運命の竜華樹はいったいどのあたりに生えているものか、今から見当をつけておきたいがどんなものだ、とあてずっぽうに話題を切り出した。とたんに丼鉢の身体はブルブルと電気に打たれたようにふるえて暫くはやまなかったが、ひと息つくと今度は打って変ってさも嬉しそうな叫び声をあげ
「それではやっぱり旦那は弥勒菩薩の化身でいらせられましたか。恐れ入りました。かねてからよもや只のお人ではあるまいと私も内々眼をつけておりましたが、さほどの方のお召しにあずかりまするとは」
さても不穏である。なんのために丹波を呼んだのか、皆目わからないのだ。竜華樹の場所といっても、「あてずっぽう」の話題だという。その後もグイ呑みとC子のようすなど聞き出しているが、それもとんとなんのことやらわからない。すると、ここで起きているのは、騙し合いの終わりだろうか? そうではなかろう。それなら「あてずっぽう」はあるまい。弥勒はいまだ騙している。丹波も、主殺しを白状するわけではない。
阿闍梨ヶ池との通路をかねて持っていたのはA号(柿の蔕)であった。それをB号(丹波)が旧来の主従の関係という、空間ならざる通路を辿って、乗っ取ってしまったとも見える。そして二階の部屋と眼の前の池という閉じられた空間を、五十六億七千万年後の世界に開く通路でもあった阿闍梨ヶ池が、B号に占拠されたとき、五十六億七千万年後を保証する弥勒がB号にその正体を明かすなら、回路そのものを無意味にするのではないだろうか。だが、それは同時に物語空間の閉鎖でもある。
そこで召喚されるのが、弥勒が持っている通路、あるいは回路である。地蔵との会合は、それを予言していたともいえる。弥勒は天界に通じているのだ。
一週間ばかりした日曜日、朝から半晴で季節はずれの蒸し暑い空気があたりをこめているので戸障子を明け放ってビールを飲んでいるうちに、なんだか天気が怪しくなってきた。いいあんばいだと思って廊下の寝椅子に寝転んで少しうとうとしていると
「ミロク、ミロク」
と呼ぶ声に起こされた。ゴマ塩頭の、痩せて小柄な老爺が骨ばった掌でしきりに肩を揺するので眼が覚めて
「どなたです」
と訊ねると
「ワシは妙見じゃア」
と破鐘のような声で名乗ったので、驚ろいて身体を起こし、畳に両手をついて頭を下げた。
「おお、尊星王様。この地球には何時おいであそばしましたか。かけちがって今日まで御挨拶もいたさず失礼いたしました。まずお坐りなさいまし。さて初におめにかかります」
こうなれば、弥勒のイカモノぶりも暴かれていく。A号もB号も訪れて、すなわち田螺ではなく、グイ呑みとC子の子だというし、五十億年後には地球は太陽に呑み込まれ、さらにその先は真黒々の世界に、宇宙全体が呑み込まれるとしれる。さらに大黒までが現われて、ビールを呑みつつドンチャン騒ぎ。痛快痛快。
だが、最後に書かれた言葉のなんと怪しげな・・・。
「田紳有楽、田紳有楽」
それでは、田舎紳士の一場の夢か? 最初の章の「私」の夢想とも取れる言葉ではないだろうか? それとも弥勒が田紳?
さらに遡ってみれば、鰻の死骸は釈迦に来世を約束されたと言っていたが、彼は死につつ、この世で語りながら、釈迦に会ったはずではなかった? 生物死物、生死、それらに境界線を引かざるをえないこととその無意味さは、眼科とはいえ医師でもあった藤枝静男らしいなどともいえようが、無機物と有機物の違いにせよ、科学はとりあえず分類することで成立しているわけだけれど、それはあくまで科学という限定的な領域の便宜に帰する。例えば、加齢臭とは簡単にいってしまえば人間の腐臭である。生きながら腐り始めているのが人間である。あるいは、成長を終えるとともに死に始めているといってもいい。個といった区分を、細胞と言ったレベルで計るなら、つねに死んでいる。無機物になり損ねた有機物は永遠を手に入れられず、しかたなく子をなす。焼物たちのイカモノぶりとは、泥水を浸みこませ、手垢をつけられて、無機物なのに変化するものとなったからこそ夢見られたものかもしれない。
しばらく更新を怠けてみた。アクセス傾向なども見てみようと目論んだわけだが、RSSなどを利用している方々が意外にすくないらしいことがわかった程度で、記事の書き方、読まれる文章の書き方の参考になるようなデータは浮かんでこなかった。もちろんデータ分析の知識などないのだから、それもしかたない。
その間、読んでいなかったわけではない。じつを言えば自作の推敲もせずに、かねていただいていた宿題をこなそうと、本棚を漁って、ようよう藤枝静男「田紳有楽/空気頭」を発掘、「田紳有楽」を読み返した。
言うまでもなく、傑作だから、私になにを言えるだろう。傑作です、といってしまえばすむのではないか、では、読書とはいえない。完全完璧な天下無双の小説は、存在しない。存在し得ない。「田紳有楽」が傑作だからといって、口を噤むしかないなどということはないはずだ。私なりに、なにかが言えるはずだ、と思いながら、読後もしばらく時間を置いてしまった。
まず、タイトルだ。
「田紳」とは、字義通り田舎紳士、すなわち、紳士を気取っても垢抜けぬ人物を指す。「紳士もどき」だ。そして、この小説は「もどき」たちの話である。いや、「もどき」たちによる「もどき」を巡るお話だ。
七月初めの蒸し暑い午後、昼寝を終えて外に出た。
台風の前触れで、時折りの晴れまはあったが俄雨と突風の夕方になっていた。庭木の枝が飽和点まで水をふくんで項を垂れ、重くたわめた身体を左右に緩く揺すっている。いつもは二階の窓の半分をふさいでいるユーカリの大木が今は視界をさえぎるほどに膨張している。庭に降りると小枝まじりの葉が一面に散り敷いていて、拾った掌で揉むと特有の芳香が鼻を刺した。黒い小粒の固い実が無数に落ちてあたりの泥にまみれている。
明らかに一人称の視点でありながら、人称代名詞など、人称を示す言葉は今のところ出てこない。このままそれを見る視点を固定しながら話題はユーカリに偏り、
辞典を見るとユーカリはオーストラリア原産で春に花咲く常緑の巨木だと書いてある。だから日本の秋に咲くのか。鶏の羽の抜け替わりのように、葉は暑くなればしきりに降り寒くなれば艶っぽい柔葉が光る。――彼は土着した今でも、皮膚の記憶に順応することなく、深く長い種族の記憶にうながされて行動するのか。智識がないからわからない。
この小説に表れるはじめの人称代名詞は、ユーカリを指す「彼」である。そして、広く長い時空を空想するこの段落は、この後を読んだ者にとっては、じつのところなんとも象徴的だが、読み始めたばかりの身には、なにか不穏な書き出しといえよう。いや、描写にかこつけて、その不穏さを巧妙に紛らせた書き出しだ。
ユーカリの硬い葉はかたわらの二坪たらずの浅い池にも沢山散りこんでいた。二、三分眺めて再び二階にあがると、いつのまにか書斎のまんなかに白シャツを着た小男が汗を拭きながらキチンと坐って待っていた。
「僕は昔で云えば与力の手下で岡っ引きの、もひとる末端の下っ引きと称する階級に属するスパイで滓見と申すものです。これから僕の処世術を、僕の副業とする骨董品の買出しになぞらえて教えますから、どうか参考にして下さい」と云ったので感謝した。
ユーカリは、南半球の頃の記憶をまとって春ならず秋に花をつけながら、常緑の葉を落としている。「彼」は、ユーカリの記憶をまとったまま、すでにユーカリならざるものになっているのかもしれない。
そして、唐突の来訪者である。さらに処世術を三つばかり告げると、唐突というより、不可思議な立ち去り方をしてみせる。
彼が立ちあがったので送って玄関まで出て池のところまでくると「では」と云ってポチャンと水に飛びこんで潜って消えてしまった。この池には鯉と鮒と駄金にまじって、今年は二十日ばかり前に近くの田圃でとってきた泥蟹一匹、殿様蛙二匹、泥溝蛙二匹、それと食用蛙の蝌蚪(おたまじゃくし)五匹が入れてある。蛙や蟹は容易に姿をみせないが、蝌蚪は避寒用に沈めてある土管の上に何時もならんで凝っととまっている。普通のおたまとちがって体長が二倍ちかくあり、頭は角張ってゴツく大きく、黄色味がかった背中が胡麻をまいたような斑点で覆われている。ちょっと不気味なところがある。田螺も十粒ばかり入れてある。
すると、先に表れていた池のことならば、この池はどこか、もしかしたらオーストラリアにさえ通じる、不思議な通路なのかとも思えるし、あるいは、滓見は、鯉、鮒、駄金、蛙、蟹、蝌蚪、田螺の化身だろうとも思うが、今のところは、そのいずれとも書かれずにいるのだから、ただ、出来事として、滓見の在りようを受け止めておけばよいだろう。
広大無辺に時空を跨ぎ越す池の在りようにも似て、物語もいともたやすく時間を越える。上に引いた段落に続くのが、下だ。
十日ほどした日曜日に周智郡森町旧飯田村地内の高平山に登った。道端に「村松梢風生家跡」とペンキで記した杭棒があり、太田川との間はせまい茶畑になっている。十うねばかりの茶の木のあいだには生薑(しょうが)が植わっていて、そのむこう側の一棟の鷄小屋では黄色っぽく汚れた鷄が濁った声で啼きながら絶えず首を上下に動かして餌を食っていた。その後ろに屋根のずれた荒壁二階建ての物置小屋らしいものがある。これが崖ぎわで、もひとつ後ろにあった梢風の生家は河川改修の際に削りとられてしまったから消滅しているのである。
「鷄」は、鳥が隹なのだが、漢字が出ないのでやむなく・・・。
日曜日はどうでもいいようなものの、「十日ほどした日曜日」という書き方もなにか不思議な気がしないでもない。滓見が現れたのが、木曜日だったことを教えているのだろうか? ともあれ、滓見のこともユーカリのことも、空模様が「前触れ」ならくるはずだった台風のことさえが一気に忘れられて、話は十日後に飛んでしまう。そして、語られはじめて十日の時間を経てようやくに語り手はその姿を明確にする。すなわち下だ。
横手に松と杉でかこまれたせまい墓地があって、そのほぼ中央に高さ一メートルほどの破れた堂がたっている。格子のなかに石塔がふたつ祭られていて一方には「元禄六癸酉七月八日法主当山開基木食秀海上人」一方には「正保二年開山法印秀海上人」と彫られている。「参詣致す人頭痛及腰より下の病治るべし御願果しは煙草を奉納すべし」という額がかかっている。私は別に拝んで治ったわけではないが、今日は数日まえからの腰痛が軽くなって出かけてきたのだから、ハイライト一本に火をつけて堂前の石のうえに置いた。せま苦しい墓地の最奥の一郭は柵にかこまれた神道の墓所で「太郎姫」とか「美津子姫」とか刻まれた石が十数個ならんでいたが、他の墓石は三分の二以上が桔梗紋の村松姓であった。梢風のそれは並みよりやや小ぶりで右に「梢風居士」左に「淑徳院醇風清国大姉」と二行に彫られ、夫人の徳を表現していた。側面に「村松義一昭和三十六年二月十三日歿」「そう昭和三十七年五月十一日歿」とあるから夫人は一年長生したのである。
もちろん人称代名詞が省略されたからといって、語り手がいなかったわけではない。庭に出たり、土を揉んだり、滓見の話に受け答えもしていた。すくなくとも私は、人称が省かれているほうが、語り手に同化する気がしている。語り手の視線で見ている。それが「私」と書かれたとき、語り手である「私」が、読者である私の外側に立ち現れる気がするのだ。土を揉む手を見ていたのが、煙草を供える「私」を見る。
すると滓見がまたしても唐突に現れる。部屋ではなく、散歩する「私」の道すがらに現れるのだ。そして、講義の続きを聞かせると、またしても消えてみせる。
「おおよそのところ、田を主とした村には品物が少なく、畑を主とする山間には獲物が多いと思ってください」と彼は云った。「この場合『部落はおとすとも家はおとすな』で、一部落全体をまとめて見過ごすことはあっても、自分で本日はここと決めた部落にはいったうえはその一軒一軒に余さず顔を出して探りをいれなければなりません。自分ぎめの見当で家を選ぶような無精は禁物、むしろ何かあり気にみえる家にはたいがいすでに同業者の手がついているものであります。つねに旧道を歩き古地図町村史あらば残らず目を通して土地がらの研究を怠ってはなりません。――わかりましたか。では」と頭を下げると身を翻して梢風の墓の下に潜っていった。
すると、かならずしも「私」の家の池だけが、道ではない。時間もまた自在ではない。なぜなら、逆行はしない。
八月の終わりになると池の食用蛙の鰓の下の方に後肢が生えてきた。冬寒くなると女の児は両方の脇の下に両手首を丸く曲げ入れて暖める。ちょうどそういう格好におたまの肢先きが可愛く内側に曲がっていた。もう土管ではなくて底の青ミドロのところに貼りついていて、時々まっすぐに水面までのぼってきてパクリと空気を飲みこんでまた斜めに沈んで行くようになった。九月中旬には先端に水掻きができてそれを不器用に動かしはじめ、続いて首の辺に前肢の芽らしい小疣が生まれた。やがて死に絶えたのか一匹も姿を見せなくなった。
十月はじめ外出から戻って書斎に入ると、また滓見が坐っていて「御無沙汰しましたがお変りありませんか。今日は第五番から申しあげましょう」と云った。
描写を駆使しながら辿る時間の書きぶりも、景色同様に、ある種律儀な素振りではないだろうか。さて、それでもこれまでは、滓見の様子のほかには、不思議なこともなく、事件らしい事件もない。奇妙な訪問者滓見も、これといった事件を起こしはしない。ところが、一行空きを挟んで語り始める「私」は、いきなりこれまでの「私」と趣を変える。
私は池の底に住む一個の志野筒型グイ呑みである。高さ約五センチ、美濃の千山という陶工の作で、三年半ばかりまえに私の主人が仕事で多治見へ行ったとき裸のままもらってポケットに入れてきた品である。わりによくできているというので、暫くのあいだひねくりまわされたり出がらしの茶に漬けられたりしたあげく、玄関前の池に放りこまれてそのまま住みついている身の上である。冬のあいだの魚の溜り場にしてつくられた水底の窪みに、二枚の皿、一個の丼鉢、一個の抹茶茶碗と同居して沈んでいる。どれも捨てられたわけではない。古色をつけるためにわざと汚い泥の寄るところに埋められているのである。
「私」は先の「私」とは違うらしい。のみならず、
私の隣りには「柿の蔕」という滞留十余年の偽茶碗が沈んでいる。彼は余程の才覚があるやつとみえて、円盤状に身体を回転させて水中をのたくり歩いている。ときどき池から姿を消して十日余りも帰らぬこともある。この機動力をどう工夫して得たのかわからない。名前にふさわしい貧相ぶりが増せば増すほど、真物に近づき珍品化するのだから、何時もふてくされたようなことを云っているが案外努力家であるのかも知れない。何のために消えるのかというと、秘密の地下溝を通って日本国中の仲間と交流しているのだということだから、時には本場の朝鮮まで出かけて行って渋がった格好なんかを見習ってくるのかも知れぬ。生まれてから柿の蔕と決められた以上は他になりようがないのだから、主人とぐるになっているとも考えられる。
二枚の皿は唐津と備前で一個の丼鉢は丹波だ。どれもイカモノだ。どれも一様に大人しく無口であるが腹のなかはわからない。もっとも怪しいのは丹波で、彼はほとんど口をきかず、見るからに甲羅を経た歪み鉢であるが、週に一回くらいの割りで夜明けどきの薄明のなかを不意にひらひらと浮きあがって行ったかと思うと、水面から空中に消散してしまうことがあるのである。夢かと思うばかりで得体は知れぬ。
玄関前の池とここにも書かれているし、このあとに書かれるこの池に住む魚の類を見ると、どうやら先の池のようではある。すると、主人とは先の「私」のようだ。滓見が骨董商の心得を教えていたのは、イカモノを扱う骨董商ということになる。
この章の「私」は金魚のC子と恋に落ちる。C子は、サカリの時には雄の金魚を相手にしながら、サカリでもないときに、卵を「私」に産みつける。「私」はC子と子をなすことを夢想する。そして、柿の蔕や丹波同様に、動き出すのだ。
そう云いながら笑をふくんだ表情で私の眼を直視した。そしてそのまま身体を浮かすと倒立して私の腹の空洞に頭を入れこみ、いつものように全身をくねらせて私を刺戟しはじめた。私の内部の厚い皮膚が反応しエロチックに膨れてC子をくるみこむように律動しだした。
「子供を生め。子供をつくろう」
と私は叫んだ。C子はそれに和して叫んだ。
「山川草木悉皆成仏、山川草木悉皆成仏」
次に語りだす「私」は、地底の水脈を辿って空間を自在に往来する柿の蔕だ。さてここに、妙な文章がある。
その夜私は池にもどって、グイ呑みや備前や丹波の寝姿を眺めながらもの思いにふけった。私は偽物として生まれ偽物として育ってきたこの十五年を楽しく思いかえしていた。おかげで私は円盤状物体となって走りまわる能力も得た。いつかの夜、主人が酒に酔払って客の坊主にカランでいる大声を耳にして、ほぼ安心立命の境地にも達することができた。こんなことを云っていた。「あんたはさっきのお経じゃ山川草木悉皆成仏とか云ってたけれど、いつもの説教じゃあ悪人は馬や虫ケラに生まれかわるし善人は贅沢しほうだいの金持ちに生まれかわると云ってるな。それやあ随分ひとを馬鹿にした話じゃあないかね。本当は輪廻の順番には善いも悪いもないんだろう。そんな心掛けとは関係なしに万物は流転する、おまえも来世は石コロになるかも知れんし泥水になるかもしれんからよく覚えとけ、生物も死物も悉皆成仏だというのが、お釈迦さまの本音だろう。あんたの説教は紙芝居だよ」
私は億山のところに出入りするイカモノ師や商売人をいやというほど見てきた。地底の世間を渡りあるいて魚や虫のこすからさを五万と経験した。私は偽物だから、何時でも彼等に全面的に同感した。もちろん主人を尊敬している。
この文脈を辿るなら、およそ「億山」とは主人、すなわち最初の「私」だろう。だが、はたしてそれは苗字だろうか、号だろうか? ここで、名まえが問題化すると、
蛇体の阿闍梨は淵の奥の岩屋のまた奥にとぐろを巻いて、金色に光る眼でこっちをうかがうように見ていた。私は途中の山で用意してきた蝦蟇の皮剥きを彼の鼻先きにぶらさげて
「御無沙汰しました。私です。滓見です」
と挨拶した。これは先度の帰りぎわに阿闍梨が勝手につけてくれた名前であるが、彼は忘れたとみえて、なお警戒の目つきを解かず、じっとして動かなかった。
先の滓見の正体が柿の蔕であったことが明かされるのである。とはいえ、滓見は人間の姿をしていたが、柿の蔕はあくまで焼き物に過ぎない。
「蛇体の阿闍梨」の正体もまたイカモノだとしれる。
弥勒は釈尊滅死五十六億七千万年のちに兜率天から下りてきて、釈尊救いもれの衆生のために説法をする。これは誰でも知っている。そこで鎌倉時代の修験道の院敷尊者という高徳の阿闍梨が、このありがたい説法を聞きたさに身をこの池に投じて大蛇となって永世を策した。――ところがそれから七百年を経た日本敗戦の一年ばかりまえの秋のこと、食料めあての疎開先きで野菜泥棒をやって追い出された挙句乞食となってここまで迷いこんできた黙次という男が、人間の姿に帰ってうっかり池の端を散歩していた院敷を撲殺して大蛇になりかわり、その権利を奪って住みついてしまったのである。もともと水利水害の支配者でもない院敷尊者自体が偽物であったのである。空巣の池におさまったうえ、云ってみれば水神気取りで百姓から食料を欺しとっておいて自分だけ極楽詣りをしようという悪人だったのだ。だから、むしろ旱魃の苦を知っている疎開崩れの現阿闍梨のほうが適格と云った方がいいくらいのものだ。部落民も、放生した鯉や鮒が年々減って行く理由について首をかしげないほうがいい。それは弥勒の説教を聞く気もない二代目黙次が赤飯の足しまえとして取って食ってるのだから。
高徳の尊者を悪人と断じ、あまつさえ、柿の蔕は、三代目に成り代わろうと画策している。だが、この章で見落としてならない点がもうひとつある。死骸となった鰻の科白だ。
「おれは今度の生まれかわりは熊切村の杉の木だとお釈迦さんに云い渡されたから楽しみにしてるんだけど、その後の手続きなんかどうなってるのかなあ。こうしているところを鳶にでもさらわれて山へ運んでもらって、それから水になって地面に浸みて根から吸いこまれるという寸法になるのかなあ」
焼き物たちに生があるように、生死の境界がしれない。すると、生死より、「山川草木悉皆成仏」というときの「成仏」が目的になる。いや、今はまだ弥勒の説法か? ましてこの章でC子はグイ呑みの子を産む。C子とグイ呑みが唱える「万物流転生滅同根、山川草木悉皆成仏」という言葉に柿の蔕=滓見も和する。「山川草木」も、あるいは「生滅」さえ、すべての境界が無化するのだ。そして、
地中のすべては深い眠りのなかにあった。私は暗い水のなかにかすかにきらめく微塵子の層を通して夜の闇を見上げた。すると闇の奥の更に高い空中から「不生不滅、不減不増、万物空無」という轟くような威嚇の声が私を打ちひしぐように響いてきた。そして次の瞬間、何という不思議、私の身体は急に軽くなり、ふわふわと上昇をはじめたと思うとそのまま水面を切って池のはたにピチャリと投げだされたのであった。そして熟柿さながらに軟化して潰れた私の遺体から黄色っぽい手脚がゆっくりと伸びひろがり、頭らしいものが生え、私は人間に変じて立ちあがると上から池を見下ろしていたのであった。
「滓見だ、滓見だ」
「私の遺体」というなんとも不穏な言葉は、しかし、鰻の科白に見るまでもなく、生物死物、生死の境界もない世界だ。また、ここで途端に時間が、あの台風の前触れの日以前に飛んで、時間もまた空間同様に、自在だったことを教えている。そう、グイ呑みの語りもまた、最初の語り以前の話だったのだ。しかし、はじめの章以外は時間軸に沿うようである。というより、人型の滓見誕生につれて、時間はあの時間にもどったようでもある。次に語りだした丹波の言葉遣いは、まるで億山のように、時を明確にしている。丹波の語りの3つ目の段落に「――グイ呑みと出目金C子との合の子騒動も終って秋に入り、池中のあたり十方も静かになった。」というセンテンスがある。さらに、滓見がすでに億山を訪れている。
彼が滓見を詐称し、蟇(がま)の皮剥きを囮りにとうとう大蛇殺しの元乞食偽阿闍梨の黙次をたぶらかして人間変身術をわがものとし、時には水脈を潜り時にはジーパン姿のあんちゃんに身をやつしてその辺のバーなんかに出没しているということくらい、私にとっては先刻承知のことで兎や角いうほどのことではないし、まず功名手柄であったと褒めてもいい。しかし図にのった彼が茶碗と人間、無生有生のあいだをちょくちょく往復してみたり、グイ呑みC子の壮挙に感激してみたりした挙句に、一段進んでこの偽阿闍梨黙次の旧悪に倣ってこれを撲殺して偽倍増の阿闍梨となりすまし、黙次にとってかわって不滅の永生をわがものにしようとたくらんでいるらしいことは、どうにも許し気にはなれないのである。ましてやこの家の主人に智慧をかして御恩の万分の一でも返すつもりだなどと尤もらしいことをほざくに至っては、むしろちゃんちゃら可笑しいと云わねばならない。何故なら、彼の内心の奥の奥にひそむ野心を私はうすうす感づいているからであって、本当を云えば彼は五十六億七千万年後の弥勒の出現なんてことをこれっぽっちも信じてやしないのだ。第一あいつが黙次のところに持って行く蟇の皮剥きだって、実は半分は地鼠の皮剥きなのである。あいつは不滅の大蛇に身を変え、お釈迦さんをだまくらかして五十六億七千万年が来ないうちに自分の手で宇宙輪廻の輪を廻そうとたくらんでいる大泥棒なのである――私がちゃんちゃら可笑しいと云うのはこのことだ。永生だろうと不滅だろうと、一個所に止まってどうなるものか。笑止というも愚だ。
焼き物のなかでも最古参にして、空を駆け、グイ呑みに得体がしれないと言わしめる丹波だが、生死、永生を忖度しているあたりはどうにも笑止ではないだろうか。たしかにその後に彼が語る彼の生い立ちは、波乱万丈で、悟りを得たと言い出せば、なるほどそうかもしれないと思わせる。しかし、丹波は、それが骨笛の記憶にとらわれたゆえか、生死の在りように拘泥する。そのあげくが、滓見の名から、黙次の正体を元の自分の主、サイケンと見破る。だが、彼の語るところは、牽強付会というべきではなかろうか? そしてそれゆえにこそ、黙次の正体を見破るのでは?
まことに柿の蔕が二階の主人に試みつつある嘘説法だって、私からみれば調子の低い代物に過ぎないけれど、しかし総体から云えば相手の焼もの哲学に合わせて噛みくだかれた親切適確なものだと評していいし、前にも述べたように論旨も明快で、この限りでは私に云い分はまったくない。しかしインチキの度は足りぬのだ。したがって、よくよく考えてみると、この方二メートル半の壮大な泥池のなかの重大事は、いったい誰が真の救世のインチキ大王であるかということを、弥勒出現以前に解決決定しておくという点にしぼられているのである。――解決とは何であるか。もちろん私自身が阿闍梨ヶ池のインチキ尊者を殺して大蛇になり替り、その実績で柿の蔕の機先を制するの他にはないのである。本当は人間なんかが弥勒に出会おうと出会うまいと、私たち焼ものの知ったことじゃあないのである。エーケル、エーケル、これが私の本音である。もちろん私が右のような結論のもとに立候補を宣言するに至った動機については、公明正大な理由のほかにも、別に最近柿の蔕と阿闍梨ヶ池の蛇身の主との関係に関する一歩進んだ推理と確信を得たという事情も伏在しているのである。
すなわち、阿闍梨=黙次を殺して三代目になったサイケンという結論を見るのだ。
ところが、話は次の語り手にいたって、途方もなくなる。
私は永生の運命を担ってこの世に出生し、釈迦の遺命によって兜率天に住し、五十六億七千万年後に末法の日本国に下向して竜華樹のもとで成道したのち、如来となって衆生に説法すべき役目を負った慈氏弥勒菩薩の化身であるが、今日只今のところモグリ骨董屋に身をやつして街裏の二階屋に日を送っている通称磯碌億山という者である。
さて、あまりに長くなりすぎた。しかし、まだ半分しか辿れていない。この先は次回にまわそう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タイトルバナーを変えてみた。今回は「Mako's 薔薇素材」さんから素材をお借りした。とても美しい素材ばかりで、長く徘徊してしまった。
昨日買ってきた「奇想天外」に団鬼六の短篇「怪蛇伝」が掲載されていたので、読んでみた。結果的に内臓をひとつ摘出することになってしまった入院が10年くらいまえにあったのだが、そのおり、同人で友人で鬼六好きのS氏に「美少年」を見舞いの土産に頂戴して以来だから、じつにひさしぶりの団鬼六だ。
「怪蛇伝」はSM官能小説を期待して読むと、肩透かしを喰らうだろうけれど、巧い!
あたかも私小説か随筆のように読めるし、そう読んでしまったとしてもいっこうにかまわないだろう。団鬼六の女性遍歴の一端を覗いた気になるのもかまわない。私小説が、私小説を名乗ることの姑息さであり、面白さでもあるひとつに、それが事実だということのリアリティーという名のいかがわしさがある。たとえば、「本当にあった怖い話」といったマンガやテレビ番組があり、あるいはつのだじろうの恐怖マンガがなぜ怖いといって、それが事実だと、すくなくとも書き手たちが言っていることに、依存しているだろう。
「怪蛇伝」は、私小説ともいっていないし、ただ「小説」として提示されている。それをあたかも私小説のように読ませてしまう手腕が、まずある。
大体、蛇という爬虫類は因果によるものか、人間族から相当に嫌われているようである。陰険で陰湿な人間の事をあいつは蛇のように嫌な奴だなどと形容される事もあるわけだが、私はさほど蛇に関しては嫌悪感を持つ方ではないし、蛇を見たって別にこわいもの見たようにも思わないが、蛇を気味悪がる人が蛇を見たときのあの恐怖の顔が何とも恐ろしいものに思われた。
一番最初、そんなに人間、蛇に対する嫌悪感があるという事を知ったのは私が中学時代であった。戦時中で中学生達は山の開墾作業をやらされていた頃だったが、私達中学生グループは作業中にでっかい青大将を二匹捕まえてい土産になるといって作業鞄につめこんだ。何しろ食糧難時代で蛇だった料理の仕方では喰えないことはないと私達中学生は蛇を貴重なる蛋白源になると思っていた。学校へ持ち帰って田舎育ちの小使室のおじさんに頼めばカバヤキか何か適当に料理してくれるだろうと思って電車に乗り込んだのだが、電車の上段の網棚に鞄を置いたのが失敗で二匹の青大将が鞄から抜け出し、網棚の上で右から左へとニョロニョロと気持ちよさそうに移動し始めたのである。
いかにも思い出話にかこつけるようすのこの書き出しは、いかにも私小説を思わせる。書かれているところもまた、いかにもありそうな話だ。
そう、「怪蛇伝」などといいながら、この小説に怪異な蛇の話はいっさい出てこない。蛇にまつわる女の話ばかりが語られる。電車の中の蛇に怯えてパニックを起こすのは女学生たちだし、温泉旅館では、寝床にうっかり蛇を連れ込んでしまい、恋人は失神を起こし、寝込んでしまう。それがきっかけで別れることにもなってしまったという。
マムシではなく、青大将ですから毒はありません。と、人に害を及ぼす蛇でない事を強調したが、人に嫌悪感を生じさせる爬虫類を持ち込んだという事で公安員から手厳しい説教を喰らった。私は蛇を見ても驚かないが蛇を見て顔面蒼白、目がつり上る人の顔の方が恐ろしく思ったものである。
「私」にとって恐ろしいのは、蛇ではなく、人、それも概して女たちの顔である。
私はびっくりして、体ごと揺さぶり、蛇を畳の上にたたきつけたが、その物音に夜具の中の彼女はハッとして目覚めた。そして、青い斑点のある背をくねらせて、スルスル畳の上を這い回るでっかいしま蛇を見た途端、彼女はこの世のものではないようなすさまじい悲鳴を上げたのである。
反射的に布団から飛び上がり、床の間まで突っ走った彼女は血の気を失い、ガタガタ震えつづけた。畳の上をスルスルと泳ぎまくっていた蛇は、布団の上へ上がり込んだ。彼女はそこでまた、血をはくような悲鳴を上げたのである。
「大丈夫だよ。毒を持つ蛇じゃないから心配しなくてもいい」と、私の事より、真っ青になって眼をつるし上げている彼女の方が気になり、布団の上へくねくね這い上がって来た蛇に、しっ、あっちへ行け、などと足の爪先で通せんぼすると、蛇を生意気にも鎌首をもたげて挑戦的なポーズをとりむずかしい顔をするのだ。彼女は唇まで真っ青になり、ほとんど失神せんばかりである。
女とは、こんなに蛇が嫌いなものかと、私はあわてながら、蛇の面を足で蹴飛ばすようにして、追いたて追い立て、やっと廊下へはじき飛ばし、ぴったり襖を閉めたが、その瞬間、ほっと気がゆるんだのか、彼女はフラフラとその場に崩れ落ち、気を失ってしまった。
ところが、ここまで蛇に不思議ななにものもあるわけではなく、なにが「怪蛇」なのか、皆目わからないのだが、とってつけたようにも、蛇がきっかけになって別れた上の女が交通事故で死んだと聞いて、蛇に命を救われたようにも思うのだ。だがこの、なんとも頼りない根拠は、頼りないどころか、むしろいかがわしい。
当時、私は彼女を愛していただけに、彼女をおどかした蛇が憎くて仕方がなかった。その後、彼女は有能な設計技師と婚約したという噂を聞いたが、それから三年ばかりたって、彼女が大きな交通事故を起こしたという事を人づてに聞いた。友人の結婚披露パーティに出席した帰りの事故で、酔っ払っている主人に代わって、免許とりたての彼女が運転し、トラックに正面衝突したというのだ。彼女の主人は即死、彼女は一ヵ月の入院ののち亡くなったという事だ。
その話を聞いた時、私は得体の知れない不思議な気持ちになった。もし、私があの女と一緒になっていたとしたならば、彼女の主人同様の目に遭わされる運命になったのではないか。
すると、あの時の蛇は彼女と私の間を裂こうとしてつまり、私の身を救うために、彼女を私の傍から駆逐したのではないか、と思われるのである。あの時の蛇は、いわば救いの神なのでは、と蛇という生き物は不思議な、神秘的なものに思われて仕方がない。
ここに怪異・不思議が表れるのだが、もちろん、設計技師が「私」に替わったところで、同じことが起こると決まったわけでもなく、蛇が彼女との仲を引き裂いたといっても、それは単にきっかけに過ぎなかったはずである。
ところが、ここに蛇好きな女が現れると、事態は一変する。
「私」の友人たちが、麻雀をせんとて、蛇を身体に巻きつけて踊るスネークダンスの踊り手を伴って現れると、こともあろうに、女は大蛇を「私」の部屋に忘れていくのだ。格闘のすえ、蛇を引き取りにきた女と話していると、自然話は、蛇のために女と別れるはめになったと言い、案の定、女に「それでよかったのよ。ヘビは、あなたからその女性を遠ざけようとして現れたのだから」などという。
何を馬鹿げた事をいっているのかと、私は苦笑して、彼女のためにコーヒーを入れてやったが、ふと、この蛇使いの女のいう事も、間違いとはいい切れないと思った。
もし、彼女との仲が、あれからも続いていたとしたら、彼女の酔っ払い運転する自動車に、私もうっかり乗せられていたかも知れない。それを思うと、時々ぞっとする事があると私がいうと、
「それごらんなさい」
と、英子は、急に得意そうな表情になっていった。あなたは、その蛇に救われたんじゃないの、というわけだ。そういう運命を持つ女を、私から駆逐しようとして、蛇神がその時、出現したのだ。と英子は強調するのだった。
運命論的な彼女の危険さとは、むしろ英子の蛇神信仰が「私」に影響したのではなかろうかとさえ、思える。というのも、英子の事件さえ、30年の昔話なのだ。さらにここで注意したい点が、彼女の死に様である。先の引用を見れば、彼女は酔っ払い運転とは書いていない。夫の酔いを警戒して、免許とりたての彼女が運転したのだったはずだ。もちろん彼女は酔っていなかったとも書いていないが、酔っ払い運転のあげくの事故ではなかったはずだ。また、「蛇」と「ヘビ」というふたつの書き方にも眼がとまる。
数ヶ月して、「私」は酔った勢いで英子を口説いて、蛇を何匹も飼うという英子の部屋を訪れる。このとき、最初の彼女を怯えさせた蛇が、「私」が寝ぼけたままトイレにいって肩に背負って連れ込んだこと、大蛇に気づくときも、「私」は寝ぼけていたことが思い出され、彼女の酔っ払い運転と、酔ったから口説いたのだと強調する今度の仕儀のコントラストが際立ってくる。
「私」の隣には英子がいるが、周囲を埋めて蛇たちがのたくっている最後の場面で、女と蛇の区別がつかなくなる。蛇が嫉妬するというなら、区別がつかないのは、女(英子?)にまつわる存在としての男(「私」)と蛇の区別なのかもしれない。もとより、英子の肉体は、「茹で卵の白身のように艶っぽくて、なかなか粘りがあった」というのだから、蛇の冷たい鱗とは違う。さらに、最初の女も「油断のならない蛇のように不気味なものを彼女は私に感じたのかも知れない」というのだから、むしろ、怪蛇とは「私」あるいは男のことだ。
不思議ななにごとも起こらないままに、自他の区別がつきがたくなる、自分の存在を脅かされる不思議な、そして面白い小説だ。
そうそう、せっかくだから、こんなブログを紹介しておこうって、「愛読してます」にすでに入れてあるけど・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
筑摩書房ホームページの更新予告は、毎度果たされたことがなく、信用できない。じつは、今回の更新を待ち焦がれているのだ。もちろん理由はあるが、それはあえて書かずにおくけれど、私だけでなく、じつはかなり多くの人が待ち焦がれているはず。それだけに、アクセスを稼いでいるわけじゃないだろうな、と疑いたくなる。
今になって、前記事で「長い名前」を褒めすぎではないか、と反省している。一晩過ごして、すこし考え直してみた。
よいと思う点をもう一度再確認してみる。
この小説は「僕」の一人称であり、私たち(読者)はつねにこの「僕」に寄り添いながら、事件や出来事に出会っている。このとき、たとえばミツの遅い帰宅も、新社会人が新しい環境に馴染むのに梃子摺っている程度のこととして認識しているのだし、早朝の掃除も、帰りが遅いから、早朝に掃除して気分を盛り立てているというミツのコトバを額面どおりに受けとめている。「僕」は明け方に眼醒めるたびにトイレにいるミツのそのわけも、心配してはいても、なにが起きているのか、たしかには認識していないし、そのための努力も怠っていたと言えるだろう。だけど、心配かけまいとするミツが言うとおりに、ドアを開けなかったのだし、およそ自分にはなにもできないのだろうと思えば、むしろ心配することがミツに負担をかけることにもなろうから、ことさらに手を貸せない。言ってみれば手を拱いているばかりなのだが、拱くほどには心配しているのでもある。さて、では私たち(読者)は、ミツが毎度毎度トイレにいるさまになにも感じないだろうか? いい歳をしてぬいぐるみに執着せずにいられないその不穏さを見逃すほど迂闊な読者なら、「僕」と同一化できるのだろうが、生活のなかの一部として早朝のトイレがあるのではなく、小説のなかの出来事として早朝のトイレがあるなら、それはことさらに書かれたものでしかありえず、すなわち、読者たるもの「僕」同様に迂闊でいられようはずがない。そして、このとき私たち(読者)は「僕」ではなく、ミツに同情を寄せるだろう。なぜ「僕」は、ミツの異常に気づいてやれないのか、と憤りを覚えるかもしれない。読者の立ち位置が「僕」からずれてしまうのだ。まして、ミツがついに爆発したとき、それでも私たち(読者)はミツの痛みを、「僕」同様に、なにも、どれほどもしらなかったのだと気づくだろう。なぜなら、私たち(読者)は「僕」に寄り添ったまま、会社でのミツの生活をしらないのだから、ただの過労ならざる状態と、ミツをそこまで追い詰めていたものが、ただ就職という新しい生活の苦労ばかりではないことなど知る由もなかった。
このとき、一緒に暮らす婚約者が、それでもなお他者でしかない、「僕」の知り得ない生活を送るものであることを思い知らされる。見知らぬ他人のような、新たな人間を、ミツのなかに見出す。身近だったはずのミツが、変貌するわけではないだろう。しらなかったし、しりようもなかったミツの一部を、新たに発見したのだともいえる。いや、環境の変化とともに、「僕」だって、なにかが変わっていたはずだし、ヒトはつねに周囲の環境によってなにがしかの変化を余儀なくされているはずだし、だから壊れるミツが、壊れる存在であるという一部を秘めていた事実をあらためて知った、ということでもない。
ヒトは多様な相を身につけている。例えば親のまえでは子であり、上司のまえでは部下、先輩のまえでは後輩、さまざまな相を、ときに組み合わせながら生きている。この小説でも、「僕」はミツとともにミツの実家を訪れている。ミツは「僕」の恋人であるとどうじに親の子である。だが「僕」は、「僕」のまえのミツしかしりえない。いくら「僕」のまえではないミツをしろうとしても、そこには限界がある。もちろん「僕」のまえのミツのすべてをしりえるわけでもないが、すくなくともミツが「僕」のまえであろうとする姿をしりえる。
この小説で起きているのは、「僕」に対峙するときのミツとは違う位相のミツが、「僕」のまえに顕われ、ふたりの生活を侵す物語だといえよう。ミツの異相に「僕」が出合う物語だ。こうした物語を書きたいと私はつねづね思っている。だから、面白く読めたのだ。
さて、ながながと褒めちぎったが、上を踏まえ、それならそうした異相がなぜちゃんと書かれなかっただろう。会社の出来事がなぜ書けなかったのだろう? 「僕」がそこにいなかったから? 一人称で視点が固定されているから? いや! ミツはカウンセラーに話をしているし、ミツの会社の人間がわざわざ「僕」に話をしにきている。それなら、ミツや会社の人間の口をつうじて書けばよい。
前半で、「僕」の状況をくだくだしく書いて、ミツとの違いを際立たせようとしたのだろうが、それこそもっと端折って書けるだろう。ミツになにが起きたのか、カウンセラーや会社の人間をわざわざ出したのなら、書けばよかったはずだ。
と、書いているうちに、むしろわざとちゃんと書かなかったように思えてきた。たしかに、ミツの口からどう語りえただろう? もちろん穏便におさめようとして訪れた会社の人間はなおのことだ。それでもなお、たとえば、糸田香奈がジョナスとともに帰ってくることを夢想するといった書き方ができるなら、いくらでも書きようはあったはずだ。それでもなお、あえて書かなかったのだとしたら、そのわけがわからない。タイトルの説明不足もそうか?
なにか出来事の書き方が、チグハグな小説だったという印象だ。書きすぎる、説明しすぎる小説を断罪してきた私だが、書かないことを奨励するつもりはない。バランスが悪いと思うのだけどなぁ・・・。それともそうした小説の「こうあるべき」を廃する試み? もちろん「こうあるべき」は廃したいし、同時に読み心地を両立するのは極めて難しい。なぜなら、「こうあるべき」とは、それがかねて小説が培ってきた洗練だろうから・・・。
といいつつ、この小説は、やはり下手にバランスの悪い小説だったのだと思っている。それでも、上記の部分で、楽しんだことも書いておくけれど。
しかし、度重なる明け方の嘔吐には心療内科かカウンセリングが必要なのか・・・。自分のこととして、考えてしまう。
またしても、記事作成中にPCの電源が落ちて、見事に消えた(T-T) なので、今日の日づけにするためにも、短くすませようと思う。
じつは、PCは怖いなぁ、と思って、モブログ投稿を考えても見たのだが、いかんせん、私は携帯電話を新調したばかりで、また慣れず、入力に梃子摺る。
「文學界」三月号掲載の中山智幸「長い名前」を読んだのだが、前半がなんとも冗漫で、何度となく挫折しかけた。挫折してもいっこうにかまわなかったのだけれど、創作にゆきづまって、すこしずつ読み進めていったら、結果的にはとても面白かった。
そもそも「なんとかなる。」なんて書き出しの小説が面白いとは思えなかった。案の定、事件が起きるたびに、「なんとかなる」といってポンポン先に進むだけで、それらの事件というのも、就職が内定していた会社が倒産したとか、以前からのアルバイトを続けていたら、店主が急逝してその喫茶店の雇われ店主におさまるといったそれぞれに充分に物語たりうる出来事が、中途半端に並べられたのでは、なんとも疲れてしまう。そう、中途半端なのだ。書くのか、説明ですませるのか、バランスが悪い。それに、このままでは、普通の生活、なにも起こらない生活だけがある小説なのかと思う。
そして、ようやく2章に進んだとき、そろそろ落ち着くかと思ったら、いきなり下の文章だ。
四月になると、生活がまた違うパターンを描くようになった。ひとりで回転させるとなると、店での仕事も従来とはまったく違う様相になり、以前の動き方ではやっていけないことが判明したので、応急処置としてテーブルを二つ減らすことにした。それだけでずいぶん違うものだった。
これは単純に下手な文章というべきだろう。「様相」とか「こと」とか「もの」などと余計なコトバが多過ぎ。
そして、このタイトルにも無理がある。
「私は、そうは思いません。きっかけは、そうだったかもしれないし、信じてもらえないかもしれないけど、でも、ジョナスはちゃんといたんです。ほんとうに」
ミツが言うと、それが僕の言いたかったことだとわかった。カウンセラーは訳知り顔に「そうね」と頷き、手元の紙に短い言葉を書き付けていた。便利な言葉があるんだろう。僕たちのぜんぶを簡単にまとめてしまえる短い名前が。それがくやしくて、僕はミツの手を握った。既存の名前をつけて、なにもかもを知ったつもりになられるのがくやしかった。
おそらくは「うつ病」だろうミツの、そのあまりに短い病名に対する、長い長い病名としてのこの小説、なのだろうが、そうした書き込みがあったろうか? すくなくとも私には記憶がない。もちろん、その過程や出来した現象のすべてを捨象するかのごとき、なにかを名づけることの理不尽には共感するし、そして、たしかにここにも「僕たちのぜんぶ」と書かれているとおり、それはミツひとりの問題でないことも共感する。そして、だからこそ、この小説は面白かったのだが、タイトルには説得力がない。
さて、苦言はさておき、上にも書いたとおり、会社勤めという新たな環境に馴染めず、壊れていくミツと、それをただの過労のように見てしまう「僕」の、その共に暮らし、互いに理解しようとしながら、理解できない他者としての同居人に出会ってしまうという物語は、それだけで私が好きな部類のお話なのだ。ともに暮らそうと、互いが互いを思い合っていようと、あるいは思い合うからこそ、互いのすべてをしることはできない。すると、ミツの早朝の掃除の意味などが、充分な意味をもってくるし、なにより、「なんとかなる」という先代店主譲りの「僕」の口癖は無効になっていく。「なんとかなる」といってすませてしまう身振りで、ミツを見ることを回避していたのだと、思い知らされる。
そうした関係性のあやうさが書かれていたというだけで、この小説は充分に面白かった。
前半の何も起こらない、起きても「なんとかなる」といってノホホンと生きていく、普通の生活が書かれた小説なのかと思わせる部分も、決定的なところに追い詰められているミツに気づきえなかった「僕」のその知らぬ間を生み出す効果ではあっただろう。
だけど、それにしてもあまりに冗漫だった。たしかにジョナスの使い方もあざといながら楽しめたし、ジャナス喪失譚が呼び込んだような糸田香奈も、そうとは思わせず、存在感があり、読まされた。さて、それらあざといまでに計画的に構築された物語という点が気にならないでもないが、一方でその前振りのチグハグも気にならなくはない。証券会社の面接官、河岸の警官をわざわざ終盤で登場させる必要はなかったと思うし、逆に、これだけの長さがあれば、地震の際の避難場所といった話は前振っておいてもよかったのではないか? わざわざ地震からずいぶんと間をあけてもいるのだから、もしかしたら当初あった前振りを書き直したのではないかとさえ思ってしまう。前半に削るべきところはほかにいくらでもあったと思うがなぁ。
終わり方は、まぁ、あんなものだろうなぁ・・・。ちょっと物足りないけど。
ところで、中山智幸は糸田香奈の話をどこかに書くつもりなんじゃなかろうか? それともすでにそれらしき人物が、彼の小説にはいるのだろうか? じつは中山智幸の小説ははじめて読んだ。
この小説については、追記をおこなった。よかったらこちらもどうぞ。
なお、同誌掲載の松井雪子「アウラ アウラ」は読めない。挫折。前に連載していたときにも、まったく読んでいられなかった。
「呂宋の壺」を読んで、「湖畔・ハムレット―久生十蘭作品集」を読了した。やっぱり久生十蘭は面白いし、巧い。
慶長のころ、鹿児島揖宿郡、山川の津に、薩摩藩の御朱印船を預り、南蛮貿易の御用をつとめる大迫吉之丞という海商がいた。
慶長十六年の六月、隠居して惟新といっていた島津義弘の命令で、はるばる呂宋(フェイリッピン)まで茶壺を探しに出かけた。そのとき惟新は、なにかと便宜があろうから、吉利支丹になれといった。吉之丞は長崎で洗礼を受けて心にもなき信者になり、呂宋から東埔塞の町々を七年がかりで捜し歩いたが、その結末は面白いというようなものではなく、そのうえ、帰国後、宗門の取調べで、あやうく火焙りになるところだった。寛永十一年に上書した申状には、吉之丞のやるせない憤懣の情があらわれている。
書き出しでこの物語の内容がすべて書き尽くされてしまっている。「面白いというようなものではなく」といいながら、その物語を語って見せるのだが、面白くないのは「その結末」であって、その過程はやはり面白い。探す壺は清香か蓮華王だが、その出自は千利休と呂宋助左衛門だから、どうも怪しい。かつて助左衛門がいったとおりに呂宋にいけば手に入るとはかぎらない。簡単に見つかればよし、もし見つからなければ、姿を消した助左衛門を探し出さなければならない。というわけで、吉之丞は、壺というより呂宋助左衛門の消息を、東南アジアに訪ね歩くことになる。すると海賊には遭うわ、船は沈むわ、大谷刑部の遺児に逢うわで、充分面白い旅をしている。もちろん面白いのは読んでいるこちらで、とうの吉之丞には面白くもない旅だろう。「やるせない憤懣」の旅なのだ。大谷刑部といえば、癩病の武将で、遺児も癩病という。そうなれば遺児姉弟と同行し、その姉が気高くとも、そこに色恋が出てくる余地は、この小説が書かれた当時(昭和32年)のこととして、まず考えられない。するとこの少女の存在も、弟のあっけない死のさまを見ても、物語に華を添える存在でありながら、あくまで吉之丞には近づき得ない、すなわち吉之丞に喜びをもたらす存在たらしめないためにこそいるようではないか。吉之丞にはなにひとつとして楽しいことのない旅でありながら、物語として面白くある。なんとも意地悪な小説だ。もちろん、結末などは、ありきたりで、予定調和そのものだ。皮肉を読み取るのもよいだろう。だけど、私は「心理の谷」にも見たような、十蘭の仕儀、語り手と語られる者との相克のさまにさえ思えてしまう。十蘭は、もしかしたら自分が書く物語の登場人物に嫉妬していたのではないか、とさえ・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
床屋の予約まで時間があるので、ネットカフェにしけこんだ。
ここへくる途中にジュンク堂で「読書人」と野坂昭如+滝田ゆうの「怨歌劇場」を買ってきた。「火垂るの墓」「エロ事師たち」「とむらい師たち」「あゝ水銀大軟膏」「娼婦焼身」「ベトナム姐ちゃん」まで読んだのだが、やはりというべきか、「野坂昭如コレクション」は全巻揃えなければいけないな、と感慨。1巻の表題が「ベトナム姐ちゃん」だが、これはちゃんと読みたい。このお話を野坂があの文体で書いたのだとしたら、「マッチ売りの少女」並みの凄さだと思って間違いないだろう。ちなみにこの本には、滝田ゆうが描いた「マッチ売りの少女」も収載されているが、期待を籠め、温存、未読。
とはいえ、野坂のあの文章をしっていると、滝田ゆうの絵が素敵でも、やはり物足りない。フワフワとした感じはとても気もちいいのだが、明らかに野坂とは別物。そう、別物だと思って読まないと、残念な印象を持ってしまう。「火垂るの墓」から物足りなく感じてしまうのだから。
あと、滝田ゆうといえば、下町の電線が走る風景を期待してしまうと・・・。
「彼と彼女」については、ようするに、なぜか祖母ではなく曾祖母のお墓参りにいくあたりに、母の母になる「私」のありようが反映されているのかな、とか、弟の不在が、あたかも「不思議の国のアリス」(そういえば、「不思議の国のアリス」も最低でも5回は読んでいるはずだなぁ。なぜ「今の私がかく或る理由」に入れてないのだろう???)のお姉さんのような不気味さを醸して、かつ父の半端な描き方と相俟って、「私」が書くとおりに、異性の親族との距離のとり方が表れていた、といった点を書こうと思ったのだけれど、前回あれほど引用しながら書いてしまったので、思い直した。上に書いた点に留意しながら読むのも面白いのではないか、とだけ書いておこう。
今日、読んだのは、岡本綺堂「鎧櫃の血」所収の「人参」と、「湖畔・ハムレット―久生十蘭作品集」のうち「奥の海」。
「人参」は安政の大地震、「奥の海」は天保の大飢饉を背景にしている。綺堂と十蘭を一緒に読むと、綺堂のよくできたお話が物足りなく思える。
綺堂の語りと、十蘭の自在。語りを極めた綺堂と、固まらず、ありとあらゆる文体を駆使した十蘭。それなら、個別に見れば、極まった語りの技のほうがやはり上をいくだろう。語りは語りつつある場と語られつつある場の乖離を当初から引き受けている。これを飛び越えていくからこそ、極まった技になるのだろうけれど、いかんせん、「人参」は場面に欠けた。
「奥の海」もまた、十蘭らしからぬ、場面に乏しい小説ではある。だけど、面白かった。食べ物を間に挟んだ金十郎と知嘉の距離の物語。距離は、京にはじまり飢餓地獄の東北に至るその道程にも表われている。
またしばらく行くと、谷川のそばの萱だまりに、足だけ見せて倒れている四、五人の男女の一組があった。
本土の北の果からでも来たのか、長旅の末にわらじを切らしてはだしになり、青い瓢箪のような足の裏を見せている。福島あたりまで行けば米にありつけるとはるばるここまでやってきたのだが、力尽きて動けなくなったものらしい。
金十郎が、どこの辺から出て来たのか、と声をかけると、もしや奉謝にあずかれるかと、おれは斗南から、わしはどこどこからとつぶやく。
そのなかに京なまりの女の声を聞きつけた。金十郎はわれともなく声のしたほうに行き、五日月の淡い月の光にすかしてみると、猟師のように髪をつかみ乱して荒縄で束ね、垢づいた布子を着て、すさまじい男の格好になっているが、顔を見れば、まぎれもない年若いむすめだった。
聞いてみると、去年の夏ごろまで京に住んでいたものだと、かぼそい声でこたえたが、言葉の端々に、隠そうにも隠しようのない、ゆかしい調子があった。
金十郎は胸とどろかせながら、去年の夏のはじめ、八条猪熊の女衒に連れだされ、大湊という、北の湊の船宿へ、飯盛に売られた人があったそうだが、となぞをかけると、女はうなずいて、おはずかしいが、わたくしもその一人だと、さめざめと泣きだした。
金十郎はせきこんで、烏丸中納言のおむすめはどうされたと、しどろもどろにたずねかけると、月の光のかからぬむこうの小暗い萱の中から声があって、
「烏丸さまのおむすめは、奥州街道を行けば追手がかかる。わたしはここから浜へ出て、陸中の海ぞいを、貝魚を拾いながら上総まで上る、とおっしゃって、陸奥の野辺地というところで別れました」
と、おしえてくれた。
金十郎と他者の距離は、食べ物を介していた。ところが、このむすめは萱の中から、それは奉謝を期待しない、食べ物を介さない遣り取りだった。だから、のちになって金十郎は思う。
金十郎も鉾先を折り、尻内へ帰ってぼんやりしていたが、いろいろと考えあわせると、笹木野の萱の中からものを言いかけたのが、知嘉姫だったように思えてならない。もしそうだったら、なぜ出て逢わなかったのか、その辺がどうしてもわからない。
三日ほどクヨクヨと考え詰めていたが、結局は、またしても読みの深い女心を読みそくない、なにかたいへんな失敗をやらかしたのにちがいないと、はかないところへ詮じつけた。
ようやくにふと近づいたはずだったのに、たしかな距離とは反対に、心を読み損なって、より離れてしまうこと。知嘉姫が残した手紙には、ふたりの関係に食べ物が介在していることの恨み言が書かれていたのだ。
父は物臭で、なにひとつ娘たちに身の立つようなこともしてくれなかったが古沼の淀みから出て、幸福になることを、心から願っているので、世間が評判しているような、金穀でむすめを売り沽かすなどということはなかった。
こんどの縁談は父も祝福してくれたが、あなたが息を切らしながら米を運んで来るので、あいつめも、つまらぬうわさを信じているのだとみえると、ひどくがっかりしていた。
私どもは貧苦の世界に住み馴れ、どうあろうと、食の道などは、ものの数でもなかったのに、あなたは一年先の扶持米まで借りだし、代渡し手形に裏判をつき、二度の食をつめ、水を飲んでまでいたわってくださるのだが、その親切が重石になり、あるにあられぬ思いがした。
食うものがなければ、水を飲めといってくれればいいので、苦労を分けあうこそ、夫婦というものではなかろうか。
あの夜、切に、おそばへ帰りたくて、長屋の出窓の下をいくたびか往復し、おしずまりになるのを待っていたが、朝まで行灯のそばに坐っていられたので、そのため、とうとう帰りそびれてしまった。云々とある。
私は犬でもねこでもないのだから、糧で飼われているのでは、いかにも空しい気がする、という意味なのであった。
手紙の内容が、自由間接話法で語られて、それまで正体のしれなかった知嘉姫が、一挙に立ち現れたのが、物語のうえではすでに金十郎のまえから姿を消してずいぶんと時間が経ったあとの、ここだった。
なお、「奥の海」というタイトルも意味深いね。「奥」というコトバが持つ意味の多重性が面白い。
今夜は、時間がなかったので、読んでいない方には、距離といい、食べ物の媒介といい、なにがなにやらわからないだろうな。読まれたし。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
創作は、1万字を超え、原稿用紙の設定にしてみたら、すでに30枚を超えていた。50枚かな。でも、前回も1/3を削ったから、今回も推敲でバサバサ削るかもしれない。
「湖畔・ハムレット―久生十蘭」の解説をサワリだけ読んで、ちょっと驚いた。「新青年」の編集長も勤めた水谷準と交流があり、その縁で「新青年」に書きはじめたことはしっていたが、長谷川海太郎も知己だったとは・・・。念のために書いておくと、長谷川海太郎とは、とんでもないお方だったのだ。谷譲次の名でめりけんじゃっぷ、林不忘の名でかの丹下左膳(大友柳太郎の丹下左膳が大好き)をはじめとする時代物、牧逸馬は欧米の怪奇実話ものを書いていた人だ。水谷準は後輩で、長谷川海太郎が先輩とのこと。ちなみに、十蘭は岸田國士に師事した時期もある。
そして、「鈴木主水」が直木賞だが、今回取り上げる「母子像」は、なんと世界が認めた作品。ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙主催、第2回国際短篇小説コンクールの一席を受けている。なお、このとき英訳したのは、吉田健一。しらない方のために書いておくと、吉田健一はかの吉田茂の子息。大久保利通の曾孫。だけどそんなことより、文章が見事。
吉田健一のことはさておき、こんな久生十蘭の認知度が低すぎる気がするのは、私だけだろうか・・・。
たとえば、私のしる範囲で言うと、十蘭は「紀ノ上一族」という小説を、戦時中に書いている。平成2年に沖積舎から出た本書の巻末に、「解説―“滅びの一族”について」という川村湊の文章がある。私は川村湊は好きではないので、ずっと読んでいなかったが、今、ちらりと見たら、下の文章がある。
久生十蘭の『紀ノ上一族』が、戦時中の〈反米宣伝〉の一環として書かれ、発表されたことは紛れもない。「亜米利加の誤った文明」に対する誹謗、過度な日本精神の強調は、この頃の〈国策〉に合致した文学の特徴をはっきりと示している。だが、歴史の遠近法の位相が変わってしまった現在から見ると、この作品ほど、現代の国際的なボーダーレスの世界の問題点を凝縮して描き出した小説は、日本の近代文学史においてもなかったと感じられるのだ。
なんとも貧相な論旨だが、それはともかく、たしかにこの小説を読んだとき、その戦意高揚ぶりに気味が悪くなり、こうした小説を書かせてしまう時代の在りようなのか、十蘭の人柄なのか、と迷いながらも、これでは干されても仕方ないとさえ思えたものだ。だが、「母子像」は戦後の話だ。戦中に「紀ノ上一族」を書いた十蘭が、戦後にアメリカの新聞による賞をもらっている。初出は29年。
では、「母子像」を見ていこう。
進駐軍、厚木キャンプの近くにある聖ジョゼフ学院中学部の初年級の担任教諭が、受持の生徒のことで、地区の警察署から呼出しを受けた。
年輩の司法主任が、知的な顔をした婦人警官を連れて調室に入ってきた。
書き出しだ。「知的な顔」などと、「心理の谷」を書いたおなじ書き手とは思えない形容が見えるが、それに触れるまえに、この小説を英訳したのが吉田健一だ、ということに、苦笑が浮かぶ。松浦寿輝が指摘したように「本当のような話」が、主格の助詞が「が」ではじまっていたわけで、ところが、「母子像」の冒頭は二度までも、格助詞が「が」なのだ。いや、じつはまだ続く。
「お呼びたてして、どうも……」と軽く会釈すると、事務机を挟んで教諭と向きあう椅子に掛けた。尾花が白い穂波をあげて揺れているのが、横手の窓から見えた。
「こちらは少年相談所の補導さん……この警察は開店早々で、少年係がおりません。臨時に応援にきてもらったので、事件を大きくしようというのではありませんから、ご心配なく」
「司法主任がおっしゃったように、私どもはたいした事件だとは思って居りません。廃棄した掩体壕のなかに、生憎と、進駐軍の器材が入っていた関係で、やかましいことをいっておりますが、器材といっても、旧海軍兵舎の廃木なんですから、ちょっと火いじりをしたくらいのことで、放火のどうのと騒ぐのはおかしいですわ……ですから、理由はなんだっていいので、あそこでギャングの真似をしていたとか、キャンプ・ファイヤをやろうと思ったとか、書類の上で、筋が通っていればすむことなんですが、石みたいに黙りこんでいるので、計らいようがなくて困っておりますの」
「私のほうでも、これ以上、とめておきたくないのですが、書類が完結しないので、返すわけにもいかない……先生はクラスの担任で、本人の幼年時代のことも知っていられるそうですから、家庭関係と性向の概略をうかがって、それを参考にして、適当な理由をこしらえてしまおうというので……」
「いろいろご配慮いただきまして、ありがとうございました」
教諭が丁寧に頭をさげた。
「では、さっそくですが」
婦人警官が机の上の書類をひきよせた。
会話以外の地の文章に、いまだ「は」という格助詞は表れない。このあとしばらくは会話だけが交わされ、地の文は丸2ページ以上に亘って出てこない。
一座が沈黙して、暫くは、枯野を吹きめぐる風の音だけが聞こえた。
「先生は、長い間、本人を見ていらしたのですから、おっしゃるような子供だったのでしょう」
婦人警官が慰めるような調子でいった。
「つまり、最近になって、急に性格が変った……原因はなんであるか、想像がつきませんが、やっていることの意味はいくらかわかるような気がします。女になってみること、泥酔してみること、パイラーの真似をしてみること、火気厳禁の場所で火いじりをすること……現れかたはそれぞれちがいますが、禁止に抵抗するという点で、通じあうものがあるのですね……本人には、なにか煩悶があるのではないでしょうか。たとえば、過去の思い出に不快なものがあって、無意識に破壊を試みているといった……そういう点で、お気づきになったことはありませんか」
教諭はうなずきながら答えた。
ここで、ようやく「教諭は」という文節に出会うのだが、このあたりまできていたら、見てもわかるとおり、すっかり動き出し、主格などどうでもいいと言ってもよいだろう。
どういうことか? 私たち(読者)は、もうどこにも寄り添う主格はないつもりになっている、ということだ。「担任教師が」「司法主任が」「婦人警官が」と3人の登場人物たちを見る視点、その誰のものでもない視点で、この会話を眺めている語り手≒読み手に、すでになっている。それでも、もう一度。
「辛い話ですな」司法主任が湿った声をだした。
「母親に首を締められて殺されたという思い出は、戦争というものを考慮に入れても、子供としては、たいへんな負担でしょう。ショックも、相当あとまで残るでしょうし」
教諭が椅子から腰をうかしながらいった。
「あれは、どこにおりましょうか。どういうことだったのか、よく聞いてみたいので……気のついたこともありますから」
「かまいませんよ。いま、ご案内します」
どうぞこちらから、と婦人警官が左手の扉を指した。
一度は「教諭は」と書きながら、あえて再び「教諭が」と書き、婦人警官もわざわざカギ括弧を外した科白のようにも、ただの仕草のようにも曖昧にしてまで、「が」と書き付けるのは、このあと、一行空きを挟んで、下が表れるからだ。
太郎は保護室といっている薄暗い小部屋の板敷に坐って、巣箱の穴のような小さな窓から空を見あげながら、サイパンの最後の日のことを、うつらうつらと思いうかべていた。
薄暗い部屋のようすが、湿気が、小さく切りとられた空の色が、おしつけられるような静けさが、熱の出そうな身体の疲れが、洞窟にいたときの感じによく似ている。
洞窟の天井に苔の花が咲き、岩肌についた鳥の糞が点々と白くなっていた。洞窟の口は西にむいてあいているので、昼すぎまでじめじめと薄暗く、夕方になると急に陽がさしこんできて、奥の方に隠れている男や女の顔を照らしだした。
一気に、太郎という主格に寄り添ってしまうと、口にされてもいないその心理を語る。あげく、それは記憶だ。薄暗い小部屋がふうっと洞窟の中に移行する。このとき、記憶はただの記憶ではなく、過去の時間そのものになってしまう。「奥の方に隠れている男や女の顔を照らしだした」という文節は、思い出す主体の意思を無視した「照らしだした」という述語で結ばれていることを見れば、それは明らかだろう。もちろん、それはただ景色の類似性から洞窟を思い出したのではなく、洞窟の記憶が、ある特定の時間を思い出させたと考えればよいだけのことで、太郎が時間移動を演じたわけではないが、語られつつある時空は、過去になる。畢竟、私たち(読者)もまた、いつの間にか過去にいる。
骨と皮ばかりになった十四五の娘が、岩の窪みに落ちた米粒を一つ一つひろっては、泥を拭いて食べている。そのむこうの気違いのような眼つきをした裸の兵隊は、オオハコベを口いっぱいに頬ばり、唇から青い汁を垂らしながらニチャニチャ噛んでいるいる。そういう人間どものすがたも、間もなく薄闇のなかに沈む。そうして日が暮れる。
「そろそろ水汲みに行く時間だ」
ところが、ここでさらに太郎は自分の記憶を探る。すると、語りの時間は揺らぎ、夢見るように漂いはじめる。
あれは幾歳のときのことだったろう。ある朝、母の顔を見て、この世に、こんな美しいひとがいるものだろうかと考えた。その瞬間から、手も足も出ないようになった。このひとに愛されたい、好かれたい、嫌われたくないと、おどおどしながら母の顔色をうかがうようになった……
太郎は頭のうしろを保護室の板塀にこすりつけながら、低い声で暗誦をはじめた。
「旅人よ……行きて、ラケダイモンに告げよ……王の命に従いて……我等、ここに眠ると」
最後の日に近いころ、母がひと区切りずつ口移しに教えながら、いくども復唱させた。
「ラケダイモンというのは、スパルタ人のことなの。二千年も前に、スパルタの兵隊が、何百倍というペルシャの軍隊とテレモピレーというところで戦争して、一人残らず戦死しました。その古戦場に、こういう文章を彫りつけた石の碑があったというんです……スパルタ人は偉いわね。あなただって、負けちゃあいられないでしょう」
母は親子二人のギリギリの最後を、歴史のお話とすりかえて夢のような美しいものにしようとしている。
そして、また一行空きを挟むと、いよいよ、文章は自在になる。
婦警が迎いにきて、太郎をいつもの刑事部屋に連れ行った。
板土間のむこうの一段高い畳の敷いたところに、ヨハネという綽名のある教師がいた。サイパンにいるときは砂糖黍畑の監督だった。
いまさらに教師の綽名をいうさま、サイパン時代の彼をいうさま、それをしるのは太郎と教師本人だが、ここでもまた、格助詞が「が」になり、あるいは、教諭が教師になっていることから、その視線が太郎のものであることは明らかだ。今、物語は太郎になって見ている。
太郎が膝を折って坐ると、ヨハネはいつもの調子でネチネチとやりだした。太郎は神妙に頭を垂れたまま、板土間の書類を書いている、警官の腰の拳銃を横眼でながめていた。
「あのピストルとおなじピストルだ」
洞窟にいるとき、海軍の若い少尉が、胴輪のついた重い拳銃を貸してくれたっけ。
「お前は女の子のセーラー服を著て、銀座で花売りをしていたそうだ」
とヨハネがいった。
「当り」……と太郎は心のなかでつぶやいた。ヨハネでも、やはり言うときは言うんだな。女の子に化けたのは、たった一度だけだったけど、誰から聞いたんだろう。あのときの婦警かしら。セーラー服を借りた二年A組のヨナ子がしゃべったのかもしれない。
これはすでに自由間接話法だろう。このあと、一人称の主格こそ省きながら、自由間接話法で進む。この本の帯に見える「小説の魔術師」とはこうした身振りのことではないだろうか。
しかし、はたしてこの文体を、いったい吉田健一はどんな英語に訳したのだろう。といっても、それが手に入ったところで、私には英語がわからないのだから、意味がない。
ところで、あのコトバの過剰さはどうしてしまったのだろう。
ううううううむ・・・。中途半端な記事だ。時間が・・・。
なんだかんだといいながら、吉村昭「星への旅」を読み進めている。「少女架刑」に続く「透明標本」だ。
じつを言うと、私は自分を「骨フェチ」と認めているし、人にいって憚らない。おかげで、知人間の認知も得ている。「わからない」という人には、「ツィゴイネルワイゼン」の原田芳雄演じる中込を例にあげている。最近は、それでも判りづらいとて、骨グッズのコレクターに仕立てられてしまった。
そんな私が、骨フェチを喜ばせてくれる作品に眼が向くようになるのもまた宜なるかな。マンガなら、はっきりと骨が描かれたわけでもない山田章博(おっ! ようやく「BEAST of EAST」の新刊が出るらしい)の「素描集・みづは」。小説なら、横溝正史の「面影双紙」。じつは、ともに偏愛している。
「素描集・みづは」は執着している絵のモデルの貝殻骨で作った風鈴の話で、「面影双紙」は医療器具を扱う店に届いた人骨による骨格標本のお話。
さて、「透明標本」も、人骨を使った骨標本を作る男のお話だ。「骨フェチ」としては、読まないわけにはいかない。また、それが「透明」というなら、「少女架刑」を読んだものには、ふたつの連続性がタイトルに予言されている。「少女架刑」について触れたおりに書いた、少女の骨標本を作る男の話だ、と、「少女架刑」のあとに掲載されていれば思いながら読む。というのも、「少女架刑」には下のとおりの記述があるのだから。
骨は白味をおびていたが、どの部分もギヤマンのように透きとおっていた。ことに骨の薄い部分は、後方の物の影を淡く映すほど透けてみえた。
骨すべてが、滑らかなまばゆい光を放っていた。ただ骨の厚い部分だけが、卵をはらんだ目高の腹部のようにほのかな黄味を浮かべていた。
この骨標本の製作過程が語られたのが、「透明標本」だろう、と、予感しながらページを捲るのは自然だろう。
雨があがって、乗客がガラス窓をあけた。
冷えびえとした外気が流れこんできて、窓ガラスの曇りがまたたく間に薄れていった。
バスは、日の射しはじめた舗装路の上を走りつづけた。通りすぎる街々の濡れ光った色彩が、窓ガラスを通して明るく車内に入りこんできた。
ゴーストップにかかって停車すると、バスの中に乗客たちの軽い波動が起る。その度に、倹四郎の感覚は、鋭敏な触覚に似たはたらきをした。かれの神経は、かたわらに立っている若い女の体に集中されていた。女の体はむしろ華奢な部類にぞくしていたが、スカートの中に張られている骨盤は、たらば蟹のように逞しく張られているようだった。
かれは、車体の震動を利用して巧みにその感触をさぐる。出勤のバスの中で女のかたわらに身を寄せてゆくのは、毎朝のかれの習性になっている。自然とかれは、痩せた女の体をえらんだ。顔の美醜には関係なかった。ただ、衣服を通して感じとれる骨の形態だけが目的であったのだ。むろん、失望することの方が多かった。が、その日、触れた女の骨盤は、かれの感覚を十分に満足させてくれた。それは、豊饒な中身を蔵した見事な骨の容器にさえ感じられた。
骨フェチには、大いに期待を持たせてくれる書き出しである。そして、だからこそ、この書き出しは失敗なのだ。こうした倹四郎の仕儀はこれ以降まったくなりを潜めてしまう。
かれは、死臭が染み着き、次々と妻に去られ、自分の職を卑しいものと恥じている。恥じながら、高度な技術を保ち、さらに合成樹脂製のものでも間に合うだろうといわれると、人骨でなければできない美しい標本を作ろうと画策し、半透明の骨標本を開発しつつある。このときかれは、いつもどおりの腐爛死体ではなく、新鮮な死体を求める。その仕事を恥じながらも、なお誇りと楽しみを見出し、研鑽に励むというのは大いにけっこうなお話だが、書き出しに見えた、倹四郎の、女性の骨格にたいする執着が、たとえば次々と女に去られながら女を求めてやまないさまが語られているのに、まして今の妻が病身で、医師にとめられながらも求めてしまうかれなのに、妻の体に骨を見出さないというのでは、どうにも物足りない。倹四郎にとって骨が死体の中にあるものでしかないというなら、あるいは職業的な範疇のものであるなら、上の書き出しは不要だった。むしろ、あの書き出しがなければ、それなりに楽しめたのではないだろうか。
助手の加茂の使い方も物足りない。
やっぱり下手な作家だ。さすがにこれ以上は読み進む気になれないが、太宰治賞の「星への旅」くらいは覗いてみようかな・・・。今や見る影もない太宰賞だが、中断前の太宰賞といえば、吉村をはじめ、加賀乙彦、一色次郎、金井美恵子、宮尾登美子、宮本輝を輩出しているのだから。といっても、私が喜んで読むのは金井美恵子ぐらいだ。
ところで、自作が、まだ途中とはいえ、すっごく面白くない。やる気がうせるくらいつまらない。困った。現在5000字を越えた。いまさら引き返せない。なにが悪いのかもわからないまま、つまらない。困った。困った。
それから・・・、やはりまともな記事を書かないせいだろうか? 近頃めっきり再訪者が減り、一気にリピート率が一桁に落ち込んだ。気にしないつもりだが、逆に、読書記事を書くことがリピート率を高めていたことを思い知った。私の読書記事、まんざらでもないのかもしれない。それなら嬉しい。
休止期間ではあるが、たまにはちゃんと読書記事を書こうと思う。
吉村昭の「星への旅」所収の「少女架刑」だ。
さて、この小説について、なにを書こうか、と迷う。面白くなるはずのネタなのに、面白くなかったのだ。なぜ? と不思議なほど退屈だった。もしかしたら、面白そうなネタ、それだけで書いてしまったのではないかとさえ思ってしまう。
だから、ここは勝手に論点を絞り込んでしまおうと思う。感覚の在りようを追ってみたい。この物語をあえて一人称で書くならば、その必然として感覚的にならざるを得なかった。いや、そうではあるまい。むしろ感覚的になりたいからこそ、一人称を選択したのだと思われる。感覚的ではない一人称だってありえるのだから。そう、感覚的な死体を書こうとしたように思えるのだ。だけど、コトバの選択が、甘いんだ。
呼吸がとまった瞬間から、急にあたりに立ちこめていた濃密な霧が一時に晴れ渡ったような清々しい空気に私はつつまれていた。
澄みきった清冽な水で全身を洗われたような、爽やかな気分であった。
私は、自分の感覚が、不思議なほど鋭く研ぎ澄まされているのに気づいていた。
書き出しから、触覚に触れるけれど、すぐにそれを気分の問題に置き換えるが、またすぐに、「自分の感覚」の話題を提供する。だとすれば、「清々しい空気」は、触覚の問題ではなく、「私」がいうとおり、あくまで「気分」の問題なのだろう。この小説は、終始、死者の「私」の触覚について、書きようを見出せないままだったように思えてならない。
「呼吸がとまった」というとおり、「私」は死んでいる。にもかかわらず、目で見、耳で聞く。
家の軒から裏の家の軒にかけて、雨滴をはらんだ蜘蛛の巣が、窓ガラス越しに明るくハンモック状に垂れているのがまばゆく眼に映じている。
はじけるような乾いた単調な音は、勝手口の石の台の上に落ちる雨雫の音。明るいなんとなく賑やかな音は、窓ガラスの下の砂礫の浮き出た土の上に落ちる水滴の音。水滴が土を掘り起し、その小さな水溜りの中で細やかな砂礫が、雫の落ちる度に互いに身をすり合わせ洗い合っている気配すら、私の耳には、はっきりとききとれた。
だが、身体が動かない死人にしては、「私」の視線はやけに自在だ。死人なのだから、眼球もまた動きを封じられているはずなのに、窓ガラス越しに蜘蛛の巣を見たり、あるいは入り口のガラス戸を凝視してみせる。
痩せた頬の赤い男の骨ばった手が、私の腋にさし込まれ、若い男の肉付きのよい手が、私の両腿をかかえた。私の体が冷えているためか、二人の男の手が、私にはひどく温かいものに感じられた。
私の体は、二人の手で持ち上げられ棺の中におさめられた。鉋をかけていない粗い板のなので、私のシュミーズからむき出しになった肩のあたりにかなり大きな木の節目があたっていた。しかし、新しい板らしく、棺の中には木の香が満ちていた。
ここでは、嗅覚とともに、明らかな触覚が表れている。すると、あくまで身体のなかで五感を保持しているようにも見えるが、そうではない。
不思議なことに私の眼は、四囲を棺にさえぎられながらさらにその上自動車の車体にさえぎられているのに、雨に濡れた細い路地の光景が、妙に明るく、丁度水を入れかえたばかりのガラス張りの魚槽の中を透し見るように瑞々しくすきとおって見える。
路地の両側に並んだ家からは、好奇や蔑視の奇妙に入りまじった人々の顔が無遠慮にのぞいている。これほどの高級車が、この路地に入り駐車したことは今までなかったことなのだ。
「私」はあくまでそれを自身の目で見ているつもりだが、仰向けに横たわった「私」が、路地の両側を見渡そうとすれば、眼球を動かさざるを得まい。まして、
私は、自動車の後方をながめた。富夫が番傘を肩にかつぐようにして、雨に濡れた道を遠くなって行くのが見えた。
それきり、自動車はとまったままになった。自動車の前方には、広い舗装路に雨の名残りを残した自動車が、兜虫のように濡れた車体を光らせて間隙なくつまっている。警笛も、しきりに湧き起っている。
自動車の前後を見渡すのである。それにもかかわらず、この一章の終わりに書き付けられる文章は、下なのである。
私は、棺の中で手を組んだままじっと仰向いて横たわっていた。
おそらくは、このブログを読んでいるだれも、そしてこの小説のなかの「私」も、かつて死を経験したことはないだろう。なかには前世の記憶などいったものをもつ人もあるかもしれないが、そうした特殊はひとはさておき、「私」ははじめての出来事としての自分の死を経験しているのであり、かねて「私」にとって視力とは目に依存した肉体の出来事だったはずだから、視力をいまだ自分の目に帰するのも必然かもしれない。吉村昭は、それを意識的に書いているとしか思えない。病院に向かう車中に前後左右を見渡す仕草、ましてや「不思議なことに私の眼」は、棺の中から見ている、と吉村昭は書いているのだ。目によって見ているのではないはずだが、「私」は目で見ているつもり、という語り手と書き手の乖離を演じているはずだ。ここで、覚えておきたい点がある。「魚槽の中を透し見るよう」という書き振りだ。「魚槽の中から」ではなく、「魚槽の中を」見るようだというのだ。
さて、「私」は新鮮な人体標本として、解体されるのだが、それでもなお「私」は感覚を保っている。だが、ここにきて、触覚を書き得なくなるのは必然だろう。解体がはじまる以前から、「私」は触覚を語らなくなる。
背の高い男は、大股に近づいてくると棺の蓋を取り、いきなり私の腕を無造作につかんだ。そして、指を組んだままの私の腕を乱暴に上げ下げさせた。
私の体は、係員の手で棺から出され、硯石に似てふちだけ高くなっている石造りのベッドに仰向けに置かれた。
髭の濃い男は、私の体を見まわしながら胸の隆起を撫でた。ゴム手袋をはめた指が、私の細く突き出た乳頭にひっかかりながら上下した。
肌に起きた事件も、視覚的に、客観的ともいえそうな素振りでただ描写される。それなら、魂と肉体の乖離がはじまったのかというと、そうでもない。
メスは、まず私の頬に食い込んだ。私の眼の上に、瞳を凝らした浅黒い男の顔があった。男の顔をそれほど近くに見たことは、初めてであった。私は息苦しく、顔をそむけたい気がしきりにした。
「息苦し」いとはなんの冗談かと思うが、身体に起きる呼吸困難とは別に、あたかも書き出しのように、それは気分の問題だろうが、身体の出来事のように書くことには、その直前に、「男の顔をそれほど近くに見た」という、その距離感、やはりいまだ身体を離れていない感覚の在りようを強調しているだろう。また、それらの身体的な書きようが、「まず私の頬に食い込んだ」というそのときに書かれ、触覚的事件をうやむやにする。それなら、魂と肉体はすでに乖離していながら、「私」の魂はいまだ肉体の感覚器官をつうじて感じていると誤解しているのだとしたら、次はどうだろう。
髭の濃い男は、私の足部の方にまわっていた。腿に指がふれると、私の両足は大きくひろげられた。私は激しい羞恥を感じた。
私の腿の付け根に、男の視線が集中しているのを強く意識した。自分の姿態がひどくはしたないものに思え、息苦しくなった。
「私」の視覚は、ふたたび不自由に、身体に寄り添ったまま、男の仕草を見るのではなく、「意識」するしかない。すると、今再び「息苦し」さを感じる。羞恥のなかで、肉体に依存する。いや、その羞恥が、肉体(姿態)がもたらしたものであるなら、それも必然かもしれない。
ふと、下腹部の腿の付け根に落ち込んでいるなだらかな隆起に、なにかが触れる気配がした。そこには、まだ十分には萌え育たない短い海藻のような集落があった。ふれたものが男の指であることに気づいた時、自分の体が一瞬ぴくりと動いた気がした。
私の耳に、指とその集落の触れ合うかすかな音がきこえてきた。それは、体全体につたわってゆく繊細な、しかも刺戟に満ちた音であった。
触覚がもどり、あまつさえ、身体が動きかねない。にもかかわらず、音の事件に置き換えられる。音の事件になるのだが、それはあくまで耳という器官が聞いている。そう、じつは触覚の事件ではないのだ。「触れる」のは「気配」としてしか感じられていない。ふれられても、それが男の指であることに「気づく」ことしかできない。だから、ふれたときにぴくりとするのではなく、気づいたときにぴくりとする。すくなくともこの引用部では、「私」は触覚を感じていないのだ。「私」の解体が進行中なのだから、触覚を書けなかったのではないか、と思わずにいられない。同時に、一章に見たような自在な視覚も失っている。視覚が不自由だから、聴覚を持ち出したようにさえ見えなくもない。
二人は、生真面目な表情で黙々とメスを動かしはじめた。肋骨がはずされ、台の上に置かれた。肺臓が取りのぞかれると、胸部が妙にうつろになった。
私は、白布につつまれたまま横たわっていた。自分の体が、奇妙に軽くなったように思えてならなかった。胸から腹部にかけて、私は隙間風の吹き抜けるのに似た冷えびえした感覚におそわれていた。
なんとも口籠もった書き振りではないだろうか。ところが、重要な臓器を取り除かれると「私」は「自分の体の使命がこれで完全に終ったにちがいないと思」うとともに、またしても、視覚をとり戻す。
ガラス窓の明るさが薄らぎはじめた頃、私はあるかすかな音がシートの上でしているのを耳にした。それは、私の首の上部にあたる個所であった。
私は、眼をこらした。鬼百合の雄蕊の先端のような頭をもった小さなかまきりが首をもたげていた。
かまきりは、透けた薄い華奢な翅を糸鋸状の後脚で時々しごいて緑色の翅の下から引き出しては、翅を小刻みにふるわせている。そして時々、眼の大きく張り出した頭を悠長に立て、前肢を擬すように宙にかざした。
そんなことを何度も繰返しながら、かまきりは、乾いた音をさせて少しずつシートの上を腹部の方へ移動して行った。下から間近に見上げると、多くの節のついた膨らんだ腹部は絶えずふるえ、尾部の尖端は生々しく動いている。
かまきりは、私の膝頭の上までゆくと、体を直立させた。そして、薄く透けた翅を不器用にひろげると、ガラス窓にむかって弱々しく翅を羽搏かせながら戸外に飛んでいった。
眼をこらさなければ見えないという制約を蒙っているさまは、一章の自在さを欠きながら、下から間近に見上げるなら、眼球は動いているのかと思わせる。死体でありながら眼をこらしうるならば、「私」の眼は、不自然に自在だといってもよかろう。
ここで、ことわっておくが、魂となった「私」という存在を想定したうえで、この小説の不自然さ、あり得なさを論っているわけではない。あいにく私は死の経験がないのだから、こんなことはあり得ないという根拠をもっていないし、なにより、小説のなかでおきる出来事にあり得ないことなどありはしない。
小説はここで三章に入る。「私」の体には朱色の液体が注入される。
内臓を取りのぞかれた私の体の役割は、まだ終っていないのだろうか。私は、美麗な交通図さながらに彩られた自分の全身を不安な感情で見まわした。
男は、億劫そうに私の頭部を撫でてから、私の頭の頂きを中心に、後頭部から額にかけて縦の一直線にメスを入れた。そして、左右に頭皮をつかむと、頭髪ごと豆の皮をむくように剥いだ。細かい血管の交錯した下に頭骨が見えた。
これは自在な視覚ではないだろうか? 「私」の身体はすでに臓器を取りのぞかれ、人間らしくもない。それなら、「私」もその身体に、取り縋っている必要はないだろう。ところが、体の役割がまだ終っていない。「私」は脳を摘出され、すでに多くの死体が漂うアルコール液の槽に放り込まれる。
私は、液の中に俯伏せになって、口を開いた老婆の顔と顔を密着させていた。顎の所にだれの爪か、白けた爪が突き立ってあたっている。
私の体の役目は、まだ終らないのか……。私は、自分の体が薄茶色をおびはじめ、アルコール液が脳のない頭部にも開腹された腹部にも、そして口や鼻の中にも深く浸みてゆくのを感じながら、なんとなく落着かない時を過していた。
これは触覚ではないだろうか?
「私」は何度となく、学生たちの実験体に使われ、肉片と骨片の塊にすぎなくなり、ついに焼かれる。私は、炎に見惚れるのだが、すると、
私は、自分の骨に視線を据えた。それは、よく熾った良質の炭火に似て赤い透明な光を放っていた。
いったいこの視線はどこから「私」自身を見ているのだろう。骨と「私」は分離してしまったようではないか。
壷の中は、ぬくぬくとしていて温かかった。地虫の鳴くようなかすかな音をたてている骨もあった。
そういえば、この小説には、「私」と対象をなす死体があった。骨格標本をとるはずだった医者は、「私」の身体を手に入れ損ねたが、違う死体を使って、美しい標本を作り上げていた。
人骨は、少女の骨であるらしかった。骨標本は、頭蓋骨をかすかに傾け伏せ加減にしている。姿態が、初々しくみえた。
私は、その人骨が自分のものであるかのような錯覚をおぼえた。人々の視線にさらされて、恥しさに顔を伏せて立っているような気持であった。
しかし、私の体は、茶色い肉塊と薄汚れた骨片の集積でしかない。あの背の曲った老人の手にかかれば美しい骨標本にされるが、これからかなりの年月、医学部の教室で立ちつくしていなければならないはずであった。
私は、その人骨より自分の方がまだ恵まれていると思った。危うく老人の手をのがれた私の体は、すでに分解されつくしてこれ以上人間の役に立つとは思えない。
自分の体の使命は、終りに近づいているらしい。役割が完全に終れば、私にも、死者としての安息にひたることが許されるだろう。深い静寂につつまれた安らぎが……。
骨標本は、悲しんでいるように見えた。顔を伏せ泣きむせんでいるようにも見えた。
そして、ようやくすべての役割を終えて骨壷に納まって家に帰ると、母はいらないという。
私は萎縮した気持になっていた。白衣を着た男たちにも、また母にさえも、全く無用の厄介物になってしまったらしい自分が情なかった。自動車に乗せてもらっていることも肩身の狭い思いであった。
それなのに、骨壷の中から、「私」は見、聞くのである。まして、終わりに近くなってさえ、
私の耳は研ぎ澄まされた。
と書き付けられる。
「私」は、魚槽「を」見るように、「私」もまたその一部である世界を見、聞いているのではないだろうか。あらゆる臓器を失って、脳もなく、すべてが細片となり、ついにはわずかな灰になっても、その身体(?)に寄り添っている。「私」は、いってみれば「器官なき身体」なのだが、昭和三十四年に書かれたこの小説が、もちろん、「私」はどこまでも眼や耳といった器官を持ち続けるのだから、アントナン・アルトー(「神の裁きと訣別するため」)やドゥルーズ=ガタリ(「アンチ・オイディプス」)の用語にかなってこうした小説を書いたとは思えない。まして、「私」は最後の最後に言う。
私の骨は、すさまじい音響の中で身をすくませていた。
「身」というのである。ところが、この主語がまた奇怪である。「私」ではなく、「私の骨」なのだ。すなわち、「私」は「私の骨」について語っているのであり、「私」が身をすくませたわけではない。上で、私は「語り手と書き手の乖離」と書いた。それは、小説のうえでは珍奇な出来事ではない。たとえば、推理小説において、書き手は犯人をしっているし、書き手が読者にたいしなにがしかのヒントを与えることはよくあるし、それがまたワトソンをはじめ一人称の語り手によって物語が進められることもきわめて多い。
すると、「私の骨は」と語るとき、「私」の寄る辺が完全に失われたのかもしれず、耳や眼を持ち続けているのだから、それは「器官なき身体」というより、「身体なき器官」かもしれない。もちろん、スラヴォイ・ジジェクとは関係なく。
ようするにさ、「私」の感覚の在りよう、すなわち語り手が世界に触れるその在りようを、ちゃんとイメージしてから書けよな、ってことだ。特殊なお話だからこそ、世界観を構築してから書くべきなのではないか? それが不全だったと思えてならない。
ようするに、面白くなかったのだ。下手だなぁという印象しか残らない。こんな面白そうなお話が、どうしてこれほど退屈なのか、首が傾げるほどだ。長すぎる気もするが、触覚の使い方とか、もっと書きようがあるだろう、と思う。あるいは触覚なんか、書かなければいいのに。ようするに、吉村昭って、下手な小説家だったのだな。
引用を見てもわかるとおり、そもそも文章が退屈なのだ。こうした物語だから淡々と書いたというより、単調な文章しか書けないように見えてしまう。ググッて(なんてコトバを使ってみる)見れば、けっこう評判いいし、ネタがネタだっただけに、惜しい小説だった。
「週間 読書人」のサイトを見てみたら、「文芸同人誌評」はなかったけれど、中沢けいさんが、難波田節子さんの「晩秋の秋」について、書評を寄せておられるようだったので、買ってきた。
すると、「晩秋の客」については触れておらず、ほかの作品について書いておられた。とりわけ「冬の雌蘂」が「一番、印象的だった」という。そうか、「晩秋の客」が表題で巻頭だからといって、それだけで読んだつもりになってはいけなかったようだ。じつは「晩秋の客」の次が「星の声」で、これは「季刊 遠近」さん掲載時に読んでいたものだから、つい手がとまっていたのだ。手直しされていると聞いてもいたのに・・・。反省。執筆がひと段落したら、読みすすめよう。
しかし、この記事で難波田さんのお歳をしってしまったのだが、古希を過ぎておられる。なんという健筆であろう、などといったら、古希を超えた方々にむしろ失礼かな・・・。それでも、ほぼおなじくらいの年齢の父をもつ身としては、すなおに敬意を表したい。
というわけで、もないが、「お世話になってます」と「愛読してます」を更新。
創作具合は、一日一枚分ぐらいずつだけれど、着実に進んでいる。予定の1/3くらいに達したつもり。ようするに、10枚分くらい。
せっかくの週末、一気に書き進むつもりでいたのに、開始早々に大事件を起こしてしまったので、描写も人物の動きもままならず、遅々として進まず、人から借りていたDVD宮崎駿の「ハウルの動く城」を観て、「みんなのゴルフ4」を2コース周り、さらに、頂戴していた馬場駿さん(「岩漿」同人)の「小説太田道灌」を一気に読んでしまった。改行がとても多く、サクッと読めてしまった。
原稿用紙400枚ほどで評伝では、あらすじっぽくなるのではないか、と心配したが、太田道灌晩年の、死に至る出来事のみに集中しており、つねに出来事のなかで読ませてくれた。ひとりひとりの人物造形が細かくなされていて、読んでいて人物ごとにはっきりとした好き嫌いを感じさせられる。愚かな主というのも、人間的に可愛いといえば可愛いし。人物の書き分けは、紋切り型に陥る危険を孕みながら、やはり重要だ。それさえできれば、三人称は成功したといえるかもしれない。
「ハウルの動く城」についてなにかを言おうとすると、長くなりそうだから、やめておこう。そういえば、どうでもよいが、期せずして、どちらも駿氏だ。
「ハウル~」以外に、じつはVHSのテープを数本お借りしているのだが、我が家のビデオデッキは、いまやテレビにつながっていないのだよなぁ。
今は、自作のことで頭がいっぱい、ってことにしなければいけない。自分の気もちをそちらにもっていかねば。なので、今日もこれだけの記事。
これだけでも書いているあたりが、まさに行き詰まっている証拠。不定期更新とか言いながら、しっかりカレンダーが埋まってるじゃん。
今日の成果は、おっ! それでも1000字も書いている。あしたには、今の場面を終わりにしたいものだ。
さて、「石川淳短篇小説選」を読み終えた。
ところで、1/23、突然、「焼跡のイエス」または「石川淳」のワードによる検索アクセスが、撥ね上がった。いったいなにごとだろう? と思って、おなじように検索してみたが、わからなかった。「焼跡のイエス」は、euripidesさんも記憶に残っているというとおり、たしかにとてもよい小説だし、記事も、私としてはまあまあのできだと思うので、ほっとしているが、しかし、それで石川淳の記事を辿って読んでくれる方もいて、すると、「かよい小町」や、あるいは昨日の記事のような迂闊な書き込みが悔やまれる。石川淳の女性の描き方に、アニマなんてコトバはおよそ相応しくない。他者だと書いていながら、ユングなんぞ持ち出してはいけない。いや、ペルソナはまんざらでもないと思えるから、ユングを持ち出すことではなく、アニマがいけない。読書にユングを援用する自体に、抵抗を感じないでもないし、そもそもユングって、いかがわしい。ユングを読むことには、それなりに面白さがあるのだが、だからといって、信じられない。かつて勤務していた病院にユング派の先生もいたし、彼らが医者でありえるのだから、実用的には意味があるのかもしれないが。
それより、いつか、石川淳の衣裳と身体というテーマをちゃんと考えてみたい。
「ゆう女始末」を見ても、その突き放した書きようは、いっそ他人事だ。そして、伝奇でもない。三人称で、というよりもゆうという女の一生を記録をもとにたどったという体裁の、たしかにその書きぶりは洒脱を極め、いざこれを真似ようとしてもまずできるものではない。東京を経って京都に向かうゆうが使った金や手にいれた金を細かく書いていくさまなど、いかにも記録をきどっている。
池ノ端から浅草馬道まで、車代五銭。馬道は質屋佐野屋の町ところである。そこに行く途中、ゆうは下谷の髪結床に寄って、かみそりを研がせた。とぎ代一銭五厘。これはきれあじをたしかにしておく必要があった。佐野屋の店では、もって来た荷物をひろげて、ちりめん、銘仙、二子なんどの反物いくつか、帯を添えて十円、すこし無理をきかせた。その馬道からまたも人力車をいそがせて新橋のステーションまで。車代二十銭。せかせか駆けつけてきたときは、一番列車はすでに出たあとで、大時計の針は九時まぎわをさしていた。そこでステーションの前のつる屋で休む。茶代五銭。手まわりに用のあるものを買いこむ。この代五十八銭。やがて、二番列車に乗って京都にむかう。時間はたっぷりかかって、車中夜となる。この車中でまた書置三通。汽車代は新橋から静岡まで一円二銭。静岡から京都まで二円九銭。その京都についたのは、すでに夜があけたばかりの、翌五月二十日午前五時ごろだった。
もちろん、これ以前もあればこの後もある。さらに、再三にわたって、「官の書附に依れば」といった文節が表れるから、およそゆう女がなにやら大それたことを仕出かすということも見当がついている。
ところが、その為すところを見ると、おや? と思わずにいられない。たしかに事件を起こしている。だが、はたして官の書附がこんな些事にわたるほどの事件かというと、そうは思えない。所詮は女の自害である。そして、たしかに語り手も、それについて官の書附に依るなどとは書いていない。すなわち、でっちあげだ。もちろんそこには当時の汽車賃だの車代だの、はては質草の相場についてさえ、石川淳のことだから、およそ間違いがないのではないか、とも思うが、それがこと質草にまでおよべば、これはもう、たとえそれが実話にもとづく事件であったにせよ、官の書附やら、知恩院に残した鉛筆(!)書きの歌やら、あるいは書置やらが実在したとしても(まさか!)、やはりこれは創作なのだ。
創作がいってみれば当たり前のこととして、では、なぜこうまで金勘定を書いて見せたのか? 本当らしく見せるためであり、本当らしく見せることがすなわち、嘘であることを明らかにするためだと思われる。上に書いたように、それがことさらに書かれるほどに、その場では、ある種の真実らしさが醸されてきながら、読み進むにつれ、そのじつ、それが知り得なかったことに思い至る。石川淳の女(あるいは他者)は、ついに語り手の他者になってしまったのだ。
とはいえ、記録をたどられたのでは、どうにもイメージが浮かんでこないから、さみしい。京都に向かうまでは、それこそあらすじなのだもの。それは、人物造型を、型通りのコトバにおさめるのではなく、その人生をたどることで、見せるという、石川淳なりのモラルだろうが、うぅむ・・・、やはり、すなおに物足りない前半だ。
「鸚鵡石」はそれこそ軽妙洒脱にして粋、単純に面白い。ついに、他者は完全な三人称にいたったといってもよいのではなかろうか。すべて登場人物を俯瞰の眼で見下ろしながら、かといって神ならず、ただ出来事を眺める眼。物語は、幻術使いが変幻自在、時空自在に飛び回っている。だとすれば、豊臣秀頼の落胤や「焼跡のイエス」を髣髴させるような異形の少年のあっけない死のさまも、出来事をコントロール不能な、他者の出来事をただ眺め書きつけるだけの、ある種無力な、そして敬虔な仕草にも見えてくる。
そう、ここまで匂っていながら書かなかったこととして、石川淳の宗教観がある。散見するキリスト教、とりわけカソリシズムにたいする言及のさまなのだが、けしてただの否定ではない。「鸚鵡石」にはキリスト教はまったくでてこない。だが、石川淳には敬虔のさまが見て取れる、と断言してしまおう。でも、それを追求するほど私は野暮ではない。
「鏡の中」でこの本は終わりなのだが、たしかに一人称の語り口調のなんとも、(もう一度)軽妙洒脱。だけど・・・。
はいって来たときから、へんなやつだとおもった。ここには椅子が三つしかなくて、親方のおれのほかに職人としてはさしあたりかみさんが手つだっていようという床屋のことだから、客はあらかた近所の顔なじみだが、それでもたまにはあたらしい顔が見えないこともない。それがちかごろこの界隈に引越して来たひとか、ただの通りすがりのひとか、しぜんと一目でわかる。わかってみても、どうということはない。どんな才槌あたまをもって来られようと、こっちは蟹の床屋さんで、仕事はちょきんちょきんとやるだけだ。客の身許なんぞ心配しちゃいないよ。ところで、きょうの夕方ぶらりと舞いこんで来たやつはといえば、見ず知らずのくせに、いきなりおれの顔をじろりとにらみやがった。こっちの身許を一目で突きとめるとでもいうような、うさんくさそうな目つきでさ。あべこべじゃないか、はなしが。そのとき、おれとしたことが、商売の癖はこわいもので、いらっしゃいと、つい出た。そういっちまえば、向うは客だ。椅子にすわりこまれたあとで、にらみかえしても間に合わない。あいにく、ほかに客はなし、かみさんは晩のオカズを買いに行った留守で、おれが鋏をとるほかはなかったが、その鋏がいらないと来たよ。すこし白いのがまじった髪はきれいに刈ってある。年ごろはおれよりはだいぶ上の、四十いくつと見えて、なにをしてるやつか、みなりは一応わるくない。ひげもそうのびてないのに、ひげだけといって、かみそりは丁寧にほじらないで、さっと撫でるように、不人情にやってくれと註文をつけて来た。なにをいいやがる。フリの客のいうセリフじゃない。不人情にやってちゃんと仕上げるのが一番むつかしいんだ。かみそりがすんで、蒸タオルの段になると、こいつ、むっつりした口をひらいて、おい、ノブくん。ノブくんだったな……いかにもおれはノブだが、知りもしないやつにこころやすく呼びかけられるおぼえはない。すぐには返事しなかった。いや、じつをいえば、さっきからどうも知ってるやつのようにおもっちゃいたが、声をかけられてすぐ返事ができるほどはっきりたれと名まえの見当がつかなかった。
書き出しだが、まず確認したいのが、はたして語り手のノブくんが語りつつある今はいつだろう。「きょうの夕方ぶらりと舞いこんで来た」というのだから、きょうの夕方以降、ということになる。それなら、すでに「おれ」はその客の正体を知っている。しっていながら、あたかも知らない素振りで語るのだ。そして、思い出す素振りで、過去を語り、
こういう因縁があるからといって、伊田が今さらこの店に来てどうするというわけのものじゃないだろう。かみさんも、もう三十を踏み越した。あいかわらず妙ちくりんな顔をしてる。亭主のおれが見てすっとんきょうないいやつだが、伊田が見たらなんというか。どういおうと、どんぶりが飛ぶほどのことにはなりそうもない。伊田だって古いことはおくびにも出さずに、すこしなにかしゃべって、かみさんがかえって来ないうちに、つい腰をあげた。そして、今度はにらみつけたりしないで、また来るといった。
カギ括弧を使わず、字の文章のなかにセリフも紛れ込ませて、スラスラと読ませるのだが、じつはここでもしらばっくれた素振りが演じられている。すなわち、「なにかしゃべって」などと、その内容はどうでもいいようにも、あるいは忘れてしまったようにも振舞うのだが、続くのが下なのだ。
また来るというのはくせものだ。おれはゲタをあずけられたような気がする。これは伊田がしゃべったことに関係がある。伊田は要領のいい口調で重大なことでもさりげなくしゃべるやつだから、こっちも釣りこまれてうかうか聞いていたが、考えてみると、内容はそうお軽いはなしじゃない。伊田は今でもずっと例の仲間につながってるらしい。ただし、やつらはちかごろべつに仲間割れしてるようだから、この男がどの組にはいっているのか、外から見当をつけかねるが、はなしの模様じゃ、こいつどうやら反主流のくちだなと、おれはにらんだ。こういうはなしだ。
ノブくん。出しぬけのようだが、きみはちょっと香港をのぞきに行ってみる気はないか。なに雑做もない。わしは今やっている商売の用件で近いうちに香港に行く。滞在は三週間ぐらいの予定だ。きみは秘書という名儀になるが、仕事は大したことはない、あそびも同然だ。もしおくさんも行く気があるなら、同伴でもいい。費用はむろんわしがもつ。向うに行って、途中でいやになったら、すぐ飛行機で飛んでかえればよかろう。また都合に依っては、大陸にわたることも……これがはなしの口火だ。おれは肚の中でせせら笑った。なんの商売か知らないが、財閥のボスでもあるまいに、勝手なオダをあげやがる。土方を狩りあつめるようにおれをつれ出して、行先は香港の監獄部屋か。そんなあまくちに乗るものか。そうはおもったが、あっさりいなしてやった。突拍子もないことをいい出したぜ。からかっちゃいけない。おれは裏町の床屋のおやじだよ。ジェット機で洋行するほどえらくないんだ。すると、伊田はたちまち切りかえして来た。わしはえらいやつをさがしてはいない。ちょうどきみぐらいのえらくないやつ、下積の人間が必要だ。ただの下積ではこまる。きみのような経験をもった下積が……下積とは遠慮なくぬかしたものだ。経験といったって、おれには商売の経験はないぜ。そのとき、伊田は口調をつよめてはっきりこういった。いや、火炎びんの経験だ。
「なにか」こそが、この物語の核心になり、会話が交わされながらも、カギ括弧は省かれたままだから、たとえば、「おれ」の「下積とは遠慮なくぬかしたものだ」というセンテンスははたして声にして言われたのか、あるいは「おれ」の心内語だったのか、判然としない。もとより地の文章も語り口調だったから、科白と地の文章の見分けがつかなくなり、それがすすめば、畢竟、だれの科白とも判別不能になってしまう。
はなしの風むきがかわったようだった。おい、伊田さん。おれは長いあいだ現場からおりっぱなしの人間だよ。火炎びんをおぼえてるやつさえ今じゃもうすくない。ネジを巻きかえして、そこの逆もどりすればあ、どういうことになるんだ。むかしの経験という古道具に値がでるような世の中じゃないだろう。伊田はひるまなかった。いや、現場からおりたのはきみではなくて、仲間のボスどものほうだ。かれらは今まで火炎びんが消えたあとの地べたに手ぶらでうろうろ足踏していただけだ。舌を使いわける演壇はあっても、手足がうごく現場はない。その証拠には、時計の針は、あれからちっともすすんでおらんではないか。時計はとまっていたのだ。逆もどりとはちがう。あらためてうごき出すことだ。ただ今度は火炎びんよりはちっとはましな道具を使いたいものだ。大陸では……また大陸と来た。香港はうわべの釣出しで、目あては大陸が本筋なのか。
どうやら一応は、三点リーダー(……)が、科白と地の文章の、境界線らしいが、たとえば「時計はとまっていたのだ。逆もどりとはちがう。あらためてうごき出すことだ。ただ今度は火炎びんよりはちっとはましな道具を使いたいものだ。」という4つのセンテンスをはたしてどちらの科白とたしかに言い切ることができるだろうか? おそらくは、すべてが伊田の科白だろうが、現代国語の問題にでもなりそうではあるまいか。私なら、書いてないのだから、わからない、と答えるが。だが、この後の段落になると、それどころではない。
伊田はおれの顔色を気にしないでつづけた。ざっとこういうことだ。これは新聞でもテレビでも毎日じゃんじゃんふれまわっていることだから、知らないものはなかろうが、ちかごろ大陸にはやるもの、なま若いやつらが天下御免の大あばれ、にらみのきくお墨附をふりかがして、百万二百万とかたまっては大道狭しとのしあるくという一件さ。年ごろむかしのチャリンコのおれとおっつかっつの連中、男も女も鼻息あらく、獅子の子の子獅子の大行進だ。伊田のオーバーな解説に依ると、真偽は保証しないが、このいさましい大仕掛の祭はおそらく今後もときどきわすれた時分にやるのじゃないかという。十年に一度は文化小革命。二十年に一度は文化大革命。そのねらいはといえば、つぎの世代をになう(いやなことばだな)コドモたちにだらけ癖をつけさせないように、治に居て乱の革命という体験をぶっつけるためだそうだ。最初の大大革命の筋をつたえて、コドモがオトナになるまでのあいだには一度は革命実演のよろこびにめぐり逢わせてやろうというありがたいおぼしめしらしい。伊田はこの大あばれのさいちゅうに乗りこんで行く料簡だろう。ひとりで行くのじゃない。こっちからもおなじ年ごろの少年少女を引きつれて行くようだ。そのコドモたちの附添に、勇敢な火炎びんの経験者とあって、おれたち夫婦が目をつけられたにちがいない。香港だなんぞと自由主義的にごまかして、向うに行ってからなにをさせるつもりか。学習じゃないのか。そこまでは下積の附添候補にはまだいって聞かせない。だが、引きつれて行ったコドモたちがいずれかえって来たあかつきには、こっちになにがおこることになるか。向うで見たり聞いたりしたもの、身につけて来たものの実演と考えても、そう見当ちがいじゃあるまい。伊田がリーダーとして、おれはまたてっきり呼出しをくう。学校の例でいえば、伊田が教頭でおれは代用教員かな。兵隊の位でいえば、伊田が部隊長でおれは伍長……ちくしょう、それだ。下積が必要だといいやがったわけだ。
伊田の科白は「おれ」の聞き書きに摩り替わり、それはさらにいつの間にやら、伊田が語らなかった、「おれ」の想像の世界に入っている。三点リーダーという境界線も、間に摩り替わって、境界線としての意味を無効にする。もとより、過去を回想する形で語られていたのだから、感情的にもなる。言ってみれば意識の流れだから、科白と地の文に境界線などありはしない。伊田の科白さえ、「おれ」の意識のなかに立ち顕れたコトバに過ぎない。そう、過去を回想しているのだが、意識の流れなら、語りの場はつねに過去ではなく、今なのだ。語られつつある場が、今日の夕方であっても、語りつつある場は今のことにほかならない。すると、語られつつある回想は、やがて、語りつつある今に追いついてしまう。
今、おれはひとり店の椅子にかけて鏡のまえにいる。もう夜ふけで、店はしめてある。かみさんはとっくにかえって来て、晩めしのあと、テレビのスパイものに溶けこんでいたっけが、さっき寝ちまったようだ。伊田が来たことは、かみさんにはいってない。もしいったとすれば、しぜんはなしの内容までのこらずしゃべっちまうことになるだろう。それはまだ早い。というのは、このはなしを呑むか呑まないか、おれの決心がまだかたまっていないからだ。かみさんと相談してはどうか。いや、これは相談にはならない。そんなことをしたら、とたんに土壇場だ。おれはいやがる自分の尻をひっぱたいても遠くに駆け出す羽目になるにちがいない。じつはこれこれだといって聞かしたとき、かみさんの飛びあがって賛成とさけぶようすが目に見えるようだ。なにしろうちのやつと来たしには、いくつになっても、チャリンコ精神にかけてはおれよりも向うみずにかーっと燃えあがるたちなんだから……そうか。伊田はそこまで読んでやがったかな。
この小説は失敗作というべきではないだろうか? 昭和42年初出、およそ前41年執筆らしく、だとすると、1966年、来るべき1968年を予言したとでもいうことになるかもしれないが、結局、そこに落ち着いただけの小説という気がする。革命だの火炎びんだの、およそ「おれ」たちは60年安保闘争を闘ったのだろうが、それを思想的に書かないあたりが、私がさきほど、石川淳の宗教観について慎んだことにも通じるのだが、それでも、火炎びんやチャリンコということさらなコトバが、なにか小説をフリーズした感が否めない。たとえば、「戦争」を「戦争」とはいえず、「いくさ」と書きつける仕草がなかった、ということではないだろうか?
さて、「石川淳短篇小説選」を読み終えた。そのために、3作を一挙公開、まして3作中一番面白く読んだ「鸚鵡石」がもっともコトバ少なといった身振りでもある。それは、書き始めたらまたぞろ長~くなるだろうと想像できたから。
読了して、石川淳はなんといっても昭和21・22年だなぁ、と思う。「焼跡のイエス」は圧倒的だし、「かよい小町」「雪のイヴ」の女性たちはとっても魅力的。楽しい読書だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なにを急いだかというと、本格的に尻に火が点いている。同人誌の〆切は3月末日。編集を担当していれば、多少の融通は利いてしまうとはいえ、筆の遅い私は、いよいよ書きはじめないと間に合わない。このブログをしばらく休もうと思うのだ。いや、読書備忘日記だから、何を読んだか、何を買ったか、くらいはメモのように書き込むつもりだが、これまでのような記事はそうそう書かないと思う。創作の息抜きていどにするつもり。
とはいえ、まだ書き始める準備ができていない。もしこのペースが続いていたら、いまだ書けずにいるということ。最低でも今月中には・・・・・。
以前書いたとおり、私が石川淳に親しんだ端緒は、晩年の長篇伝奇ものだったのだけれど、石川淳の晩年は伝奇ばかりなのだろうか? いや、「石川淳短篇小説選」をパラパラ覗いてみれば、かならずそうでもないらしく、どうやら最後に入っている「鏡の中」は「おれ」という一人称の現代ものらしい。ちゃんと見ていないから、確かなことはいえないが、コカコラなんて単語が見えた。「鏡の中」の初出は「新潮」の昭和四十二年新年号だというから、おそらくその前年に書かれたのだろう。だとすると、「喜寿童女」といい「金鶏」といい、それに続く「ゆう女始末」「鸚鵡石」といい、どうやら編者・菅野昭正の趣味ということだろうか。
「金鶏」もおよそ伝奇小説といってよいだろうが、「喜寿童女」のようなあざとさが見受けられない。たしかに「金鶏図」というのはよくあるし、中国の話なら、いかにもこんなお話がころがっていそうで、あたかも芥川龍之介の遣り口のようでもある。もしかしたら、有名な話で、しらない私が無知なだけかもしれない。それは続く「ゆう女始末」も同じ。
蒋山の竹林の中に生ける黄金の鶏が棲むと聞いて、呂生はそいつを手捕りにしようとおもい立った。竹林は涯知れず深いので、その奥まで分け入っても、ひとの目のおよぶかぎりでは、そこに鶏の影すら掠めおちない。もっとも、めったに見えなくてさいわいである。千年前にたった一度これをちらと見かけたものがいたそうだが、とたんに黄金の霊気にあてられてか、そのひとは総身氷となって息絶えたという。見るべからざるものを見たればこそ、たたりを受けもした。これを見ずして捕えるにはかりごとをもってすれば、かの霊鳥はすなわちわが手中となりえるだろう。それに、ただ形容を見るだけのことならば、なにもいのちを賭けるまでもなく、一幅の画図で間にあう。げんに、その図が江寧の酒店の壁にかかっていた。
なんとも淀みのない平明な、それは言いようによっては、石川淳らしからぬいたって普通の書き出しだ。そして中国で霊的なものを追うなんて話なら、さしずめ中島敦ばりの、寓話がはじまりそうでもある。
続く段落で霊鳥・金鶏の由来を衒学的にも長々語ってみせる仕草も、見事な手並みとはいえ、さてはて、どうなることやら、と、少々腰がひける。ロダーリにしてもそうだったが、私は寓話というやつの教育的な身振りがどうにも好きではない。
図は低俗でも、これを見るものの目が高きを射て真に徹することをさまたげない。またその目がすこしは酒に酔っていたからといって、見るところ的にあたらずときめつけるわけにはゆかない。呂生はひとり酒店の卓にさかずきを手にしながら、まのあたりのあざとい壁の図の向う側に突き抜けて、遠いむかしの名人の画を、それよりもまえの薄絹の画を、いや、げんに生きているに相違ない金鶏そのものを見たとおもった。その画すがたが巷の隅にまでやすっぽくながされているのに、見たものは死ぬという実物の霊鳥が今に存在しないという法はない。詩人ならば、いのちに別条のない遠くのほうから、のんべんだらりとこれを讃えて歌いあげることもできるだろう。また画工ならば、もはや手本にもおよばず、目をつぶったままでも彩色たっぷりに図を仕立てて市に売ることができる。いいあんばいに呂生はそのような無用の才はなく、ただ酒色を好むという可憐な癖があり、酒色の荒亡に於て生活上の危険を踏むことのほうをさらに多く好むというあっけらかんの習性があった。総身氷になるかも知れぬ危険を踏まえてかの霊鳥を手捕りにしようという考は、酣中みずからこれを発して、たちまちみずから気に入った。この考は、酒よりも香がつよい。かたわらにいる美女なんぞは、すでにその味を知ったあとは、かさねて賞玩するにたりない。もしむかしの呉姫がその場にいたとしても、呂生は照りかがやく呉姫の裸身に目もくれずに、その身にまとった運命的な薄絹の舞いあがるかなたにこころを飛ばせたことだろう。このとき、地上になにも信じないこの江寧のわかものはうまれてはじめて金鶏というものを完全に信じたことになる。
酒色だけが趣味のわかものにしては、やけに教養をもった男で、その衒学的なさまは、三人称とも相俟って、石川淳そのひとの身振りに見えていたのだが、さにあらず、それもこれも呂生の「精神の運動」である。だが、信じるものを見出した呂生のさまをして精神の運動と呼ぶなら、ずいぶんあっさりと成し遂げられてしまったものだ。そして、このあっけなさは、呂生の行動にも顕れる。「あくる朝はやく、呂生はまず竹林の下見におもむくため江寧から蒋山へと十四里の道に踏み出した。」と上に続く段落が書きはじめられてしまうのだ。さらにその次の段落が下だ。
行くこと七里、道なかばにして、半山寺のほとりにちかづいた。これはちかごろできたばかりの俗な寺だから、足をとめるにおよばない。すたすた行きすぎようとすると、向うから土けむりの中に馬に乗って来る人物があらわれた。このあたりにかくれもない老人である。呂生は何のゆかりもなかったが、かねてそのひとの顔と名とは知っていた。かの俗な寺のあるじ、半山先生という俗人にほかならない。ちなみに、この先生、本名の王安石をもって後世にきこえている。しかし、当時に生きていたわかものである呂生にとって、後世だの歴史だのは知ったことでない。ただ老人が政治に手を出してしくじったといううわさは聞いていたが、失脚せる官人のごときは無視しておけばすむものではないか。道をよけてすれちがったとたんに、老人の馬蹄に風がおこって、一つかみの砂がぱっとわかものの顔を打った。じじいめ。呂生はむかむかとした。老人は人間のかつぐ輿というものをきらって馬に乗ることを好むそうだが、その馬のあと足が人間の顔に砂をかけたとすれば、なにが人間を尊重したことになるのか。馬からおりて砂の中をあるかなくては、砂の味は、いや、人間の味は身にしみまい。呂生は顔をあげて馬上をにらんだが、半山先生、そこにわかものがいるとも知らぬふぜいで、馬をすすめながら、しぶい声でひとりくちずさんでいうには、
かなしみよ、行け行けと、
戸の外に逐いやっても、
かなしみはしつっこく去ろうとはしない。
それがどうだろう。
春風が吹き出すと、
かなしみよ、とまれとまれと、
追いすがって引きとめても、
かなしみはそわそわと去って行く。
「ちなみに、この先生、本名の王安石をもって後世にきこえている。しかし、当時に生きていたわかものである呂生にとって、後世だの歴史だのは知ったことでない。」とはなにごとか? やはりここにも語り手が現出してしまった。澁澤龍彦の「高丘親王航海記」(最高に面白い小説!)では、歴史を俯瞰した語りをもっとふざけた遣り口で見せてくれたが、そのふざけぶりは、あからさまな素振りでもある。ところがここはふと読み飛ばしてしまいそうな、軽やかな書きぶりではないだろうか。まして王安石の名に、思い当たるひとなら、むしろそのことに幻惑されて、ニヤニヤして納得してしまうのではなかろうか。もちろん無知な私はそんな人しらなかったが、衒学趣味を逆手にとった仕儀とも取れる。そこであえて、さきに飛ばした、金鶏図について語る段落を見てみよう。
むかし、呉の国の姫が蒋山にあそんだおりに、にわかにつむじ風がおこって姫をつつみ、きりきり舞させて、その身にまとった一枚のまっしろな薄絹を剥ぎとって空に飛ばせた。風はまもなくしずまり、絹は竹の茂みに落ちたと見えたが、これをさがしても、ついにどこに消えたものとも知れない。後日、樵夫が竹林になにやらきらきらしたものが虹のように照りはえているのを見つけて、これを取ればすなわちかの絹であった。ただし、絹はもとまっしろであったのに、目を打って五彩かがやき、何の花か、四弁うつくしい花のかたちをあらわしていた。そして、花の蕊にあたるところに、金色まばゆく、羽をひろげて舞う小さな鶏が光った。その金光あざやかなのは、まさに純金の粉をもって吹きつけたものとみとめられた。按ずるに、絹は花にたわむれる金鶏の上に落ちてその不思議のすがたをまざまざと写しとったのだろう。この絹は歴世秘宝とされたが、いつうしなわれたか、今は伝わらない。ただ東晋のころまではそれが世に存したと信ずべき筋合がある。右の金鶏のすがたは顧愷之の模するところとなって、霊筆のはたらき神妙をきわめたという。この顧氏の真蹟もまたいつかほろびた。しかし、後人のこれを模したものがわずかに残って、この模写を手本に、後人またさらにこれを模し、後代から後代へと、模写はかさねて模写をうみ、類型の俗化、おいおい下落して、ついに先人の霊筆とは似ても似つかぬあやしげな金鶏図が広く世におこなわれるに至った。世は北宋の末ちかくにおよんで、江寧の酒店の壁をかざったのは、そのあやしげな金鶏図の中でも、筆つきもっとも拙劣、彩色おもいきって俗悪な一幅であった。
その語るところは、どう見ても語り手(石川淳らしき人物)でありながら、先に見たとおり、呂生もまた、その教養を身に纏うらしく見える。ところが、いざ蒋山にたどりつくと、その身振りはなんとも白々しいまでに、ポンポンと、進むのだが、四つの段落の書き出しだけを引こう。
蒋山についた。日は午。・・・・・・・・・・・・・・
たちまち世界が闊然とひらけた。・・・・・・・・・・・・
一年たった。・・・・・・・・・・・・・・・・・
呂生かさねて蒋山におもむく。・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさに呂生に寄り添ったまま、素っ気ない文章で進むのだ。それが狂うのが、いざ呂生が金鶏を手にしたときである。
籠を手で撫でると、その中に軽くころがる物は手ごたえにひびいた。あらためて見るまでもなく、それは金鶏に相違ない。げんに、両眼をしばった手巾の上に金色の光が迫って来て、あわや白布を刺しとおして目を突きとおして目におよぶかとおもわれた。おそらく金光は水の一滴すらもらさぬ籠の編目をも突きやぶっているのだろう。呂生は白布の下できつく目をつぶった。そのとき、目をつぶればつぶるほど、これをぱっちり見ひらいて、かの軽くころがる物をあらためて見たいという慾望を、わかものはおさえかねた。その物がいかなるものか、目をもってじかにたしかめなくては、せっかくここまで乗りこんで来た苦心のかいがないだろう。このどんづまりに来て、一年の辛苦は水の泡ではないか。総身がちぎれるようなものすごい誘惑であった。誘惑はついに勝った。たぶんそれが正しいからだろう。すなわち、片目をひらいて見ることにした。
いまだ、呂生に寄り添うようでありながら、「わかもの」などというのは、あきらかに第三者の仕草である。金鶏を見た呂生は、およそ人間らしからぬ存在と化し、すると、語り手さえ、もう手に負えぬとばかりに、まるで、他人事になる。
江寧と蒋山とのあいだは呂生があいかわらずあそぶところの地である。半山先生もまた馬に乗っていつもこの道を往来する。間放一年、先生もちかごろはだいぶ政治ばなれ俗物ばなれして、わるい癖の憂国のアクが抜けたせいか、大師匠の貫禄にすっかり尾ひれが附いて来た。ただ馬の上でぶつくさいう癖はやまない。これは詩を作っているのだからわるくないだろう。その詩のほうでも一段と手なみをあげたことは、かなしみのなんのと、ぶつくさの文句を聴かされなくてもわかる。馬の乗り方を見ればよい。手綱さばきあざやかに、先生は鞍上にあれどもなきがごとく、春風の吹くところはすなわち心の欲するところのようである。馬もこころえたもので、すれちがう人間のあたまにあと足で砂を蹴りつけるというわるい癖はやめた。馬もまた駿馬に格があがったのだろう。先生が馬を飛ばして行けば、行くこと速く、たれも追いつけるものはいない。いや、たったひとり呂生がいる。呂生は先生の七里あとから飛び立っても、つい先生を追い越して、七里さきに行ってしまう。その縄飛びの縄は地を払って砂をふりまくおそれはない。縄は宙にめぐって、ひとはさらに宙高く飛び、塵一つあがらない。追い越された半山先生はあっけにとられて、鞍上にのびあがってかなたを見れば、野の末のかげろうが立つあたりに呂生のすがたは空に翔けって消えた。
この小説には、呉姫と樵夫が過去のこととして語られる以外は、上のふたり(と、じつはもうひとり)しか登場しない。見たとおり、ふたりは会話を交わすでもない。それなのに、ここへきて、語りの場は半山先生に寄り添って、驚いてみせるのだ。そこで再びさかのぼり、呂生二度目の蒋山訪問のおりを見てみよう。上で「呂生かさねて蒋山におもむく。」とあった段落の途中からである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。したがって、半山先生とすれちがったかどうかもおぼえがない。いや、そういえば、先生はやっぱり向うから馬に乗って通りかかったような気もする。じつは、このわかものがわき目もふらず、ぱっぱと砂を蹴ちらして、まっしぐらに突きすすんで来たのに、半山先生のほうが馬を道ばたによけて目をぱちくりさせる番になった。これは先生の供にしたがった童子が見とどけたことである。
じつはここにも「わかもの」というコトバがあり、まさに他者の眼から見た呂生を指すことが明らかになっているのだが、さらに、ここでは、半山先生に寄り添うのではなく、わざわざもうひとり、供の童子を介するのだ。上でカッコ書きに「もうひとり」と書いたのが彼だが、このためだけに登場した彼は、このとき、語り手が寄り添う宿木として召喚された。すなわち、この時点では、語り手は、半山先生にはなれなかったのだ。なぜなら、宿木としての半山先生は、後にとっておかねばならなかったから。
さて、この作品でも、女性は衣裳をめぐって語られる。だが、金鶏の在りようも、見てはならぬ肉体と纏ったもの(籠)さえ突きとおして溢れてくる肉体の力(金光)、さらにいえば、呂生が失うのが下半身であるといったことのなかに、金鶏をユングのアニマ的なものとして読むことも可能かもしれず、衣裳ならペルソナだろうから、すると、石川淳のアニマのペルソナ、なんて複雑怪奇ないい方をしてみたらどうだろう? 無茶か・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「リイルアダン短篇集」に気づいていなかったなら、去年のリクエスト復刊を確認していない可能性が高いと思い至り、岩波文庫の棚を目当てに本屋に寄って、案の上見落としていた本を見つけてしまった。森田草平「煤煙」。今まで、読んでなかったのだなぁ。平塚らいてうも長谷川時雨の「近代美人伝」でくらいしかろくにしらなかったけれど、「煤煙」の話はむしろ、関川夏央・谷口ジローの「坊ちゃんの時代」というマンガで覚えていた。あまり期待はしていないけれど・・・。
それから、「岩漿」という同人誌の代表である馬場駿氏からご著書「小説太田道灌」を頂戴した。ありがとうございます。太田道灌はわが町ゆかりの人物で、区役所前の道は道灌通りと名づけられているくらいだ。
石川淳にもどる。
「喜寿童女」だが、タイトルがすでに魅力的だ。わけがわからないといえばたしかにわからないけれど、そのわからなさとは、漠然としたわかっているなにごとかが含まれるから起こる事態である。すなわち「喜寿」というコトバを私たちはしっているし(しらない人はこの際お呼びじゃない)、「童女」というコトバからも、イメージを得る。そのふたつのイメージがかけ離れたものであるからこそ、「喜寿童女」というコトバは「わからない」のであって、なにもイメージできない、まったく意味を欠いたわからなさではない。すると、そのかけ離れているはずのイメージの出会いように、私たちは期待をもつだろう。もちろん、かけ離れているといっても、「喜寿」と「童」はどちらも年齢にかかわり、いってみれば反対語で、おなじ年齢にかかわるコトバであれば、それらが結びつくのはそれほど難しいことではない。童女のような老婆を連想することも可能だろう。だから、タイトルを見た今のところは、なにか年齢を越えた女性を想像するだけで足りる。
さて、本文を読みはじめて、私は花田清輝の「鳥獣戯話」を思い出した。花田清輝は、評論はイメージが浮かぶように、小説はイメージが浮かばないように書こうとしたとどこかで読んだが、武田信虎を描いた「鳥獣戯話」も、まるで古書を辿った評論のように読めた。武田信玄が信虎を追放したのではなく、それを装って、信虎が、都の状況を逐一信玄に伝える、いわば間者の役回りを演じたのだ、と、歴史を読み解いてみせる仕草に見えたのだ。それは「小説平家」でも同様だった。すなわち、動きや出来事の起こらない、あらすじ小説。念のために書いておくが、それがまた、不思議にスリリングな面白さなのだよ。とはいえ、やっぱり花田清輝は、小説よりエッセイのほうが刺激的ではある。ちなみに、「鳥獣戯話」のほうが、「喜寿童女」よりあとに書かれている。
そして、「喜寿童女」もまた、「わたし」が手にいれた写本をたどり、花という「喜寿童女」の喜寿以降を語るだけだし、その書き方は、それこそあらすじなのだ。
まずは、昔花という妓があり、喜寿の祝いの日に神隠しにあったという話があると、「わたし」はいう。だが、その後手にいれた写本「妖女伝」と「妖女伝続貂」が、神隠し以降の花の消息を伝えているといい、それを小説にすると「わたし」はいう。
妖女伝、筆者の名字号をしるさず、序跋年記もないが、本文の記事から推して、おそらく嘉永末年ごろのものか、美濃罫紙にて墨附十七丁、すこぶる達筆の細字をもってカナまじりに書かれている。ただし、達筆のわりに、文章は妙といえない。ときには論孟なんぞの章句を引いて時世をなげく口ぶりもあり、ときには平談俗語をはさんで稗史まがいの手つきを見せながらも、この漢文くずしはどうも生硬である。学殖はあっても、筆をとることに慣れないひとが書いたものにちがいない。したがって、原文そのままに写したのでは、読みづらいのみならず、漢字漢語を目のかたきにする今日に通用しないであろう。そうかといって、この材料を仕立直して、週刊雑誌むきの絵入読物を一箇でっちあげても、わたしの自慢にはなるまい。わたしはほぼ原文の意を取って、無用の叙述をけずり、またみだりに潤色をほどこさないようにして、その大体を左につたえる。もし拙文にも稗史まがいのところが出たとすれば、それはつい商売の癖というよりは、むしろ原文の影響を受けたものと見るべきだろう。
こうした書きようは、たとえば芥川龍之介の「奉教人の死」が歴史学者たちまでも欺いたといった経緯もあるとおり、珍しくもない。芥川の歴史もののほとんど(全部?)は、なにかの焼き直しだから、学者たちを騙しおうせたといって北叟笑んだといっても、それさえが、「黄金伝説」の焼き直しだったのだから、笑止なのだが、それでも、芥川であれば、絵入読物とはいわないまでも、物語世界のなかに読者を巻き込んでくれた。ところが石川淳の、すくなくとも「喜寿童女」は、「妖女伝」を辿るばかりの仕草なのだ。これは昭和三十五年に書かれたという、ただ石川淳の未熟なのだろうか?
上の引用部に、章を改めながらも続くのが下だ。
かの天保四年三月一日の夕ぐれ、花女のすがたを消したころ、河内屋からほど近く、おなじ上野の山下に岡村といって、これは当時てんぷら茶漬をもって売りこんだ店の、いれごみの座敷の隅に、柱を背にして、坊主あたまの客がひとり、ちびちび酒をのんでいた。あたまは丸めていても、あきらかに僧侶ではない。年のころは四十がらみ、あぶらぎって、渋ごのみの風采はわるくないが、いくぶん伝法の気味があった。そこに、武家の若党と見えて、こころきいたらしいのが、つとはいって来て、坊主あたまのまえに、「先生」と、声をひそめてなにやらはなしかけた。世間ばなしのていで、ふたりとも、さりげなく茶漬まで食って、やがて座を立った。そのおりに、坊主あたまのもらした一言。「うまくいったな。」そばにいた女中がふと聞きつけたが、なにがうまくいったのか、もとより気にもとめるわけがない。ことばはたれの耳にも入らないにひとしかった。しかし、花女の神かくしの件につき、外部にもれたことばといえば、この意味不明の一言のほかになにも無かった。
岡村の店からすこし離れたところに、薄闇にまぎれて、黒塗の駕籠が一丁待っていた。坊主あたまが乗り、若党が徒でしたがって、棒鼻は小石川白山のほうにむけられた。駕籠の著いたところは、薬草園のほとりの、庭ひろく構えたるさる「下屋敷」であった。妖女伝はここに「下屋敷」とのみ記して、その大名のなにものであるかをいわない。伝中、公儀に係りのある固有名詞はつとめてこれを伏せているように察せられる。ただかの坊主あたまの名は、これをあらわして憚らない。すなわち、千賀一栄というものである。
これなら物語はイメージを伴って、その世界に私たちを連れていってくれそうな気配だろう。それなのに、「しかし、花女の神かくしの件につき、外部にもれたことばといえば、この意味不明の一言のほかになにも無かった」というとおり、こののちは、ただただ妖女伝に書かれたことを辿るそぶりなのだ。たとえば、
さて、下屋敷の離れにつれこまれて、「茶番の趣向」じつはこれこれと聞かされたとき、花女はおどろくかとおもいのほか、にっこりしていうことには、「妾は幼より淫を好み、男とあらば武家と町人とをきらはず、優倡より緇衣に至るまで、これと交わらざることなし。然れども、身は溌賤の妓なれば、いまだ高貴のおん方のあぢはひを知らず、揣らざりき、今ふたたび花容のむかしにかへつて、大樹に侍し、情の発するところをおこなつて、無上のたのしみを極めんとは……」と、二つ返事で、今日のことばでいえばゴキゲンですらあったが、さすがに一抹の不安を示した。かの五色鶏とおなじように、七日とたたぬうちに、いのち死ぬのではないか。その懸念であった。このとき、かたわらの千賀一栄、からからと笑って、さとしていうことには、「知らぬうちこそ、さもあらめ。案ずることなかれ。そなたの前生はことし七十七歳をもって終れども、わが秘法の力をかうむるときは、そなたの後生はことしよりかぞへてさらに七十七年目の、己酉の年まで、玉の緒の絶ゆることなしと知るべし。しかも、花の色もまた永く移ることなからん。これこそ不老長生の秘術なれ。むかし、秦の始皇帝、万乗のおん身をもつて、この術を東海にもとめて、つひに得たまはず。そなた、身は塵網の中に落ちたれど、たまたま時のよろしきにめぐり逢つて、今まさにこの至福をさづからんとす。ゆめ疑ふべからず。」不老長生。このことばに、いつわりは無かった。ただその「不老」とはどういうことか。それはのちに花女が身におもい知らなくてはならぬことであった。
ちゃんと出来事が起きているではないか、と思われよう。だが、この小説のなかで、花の声はこれきり、ほかには二度と花の科白はないのだ。
それなら、ただ下手糞な歴史小説ということになりそうだ。しかし、私は「わたし」の存在が気になっている。なにか、いたずらなのだ。およそ、私たちは、妖女伝なる写本など存在しないとわかっている。すべてが創作なのだと気づいている。だが、それなら、それを創作しているのは誰だろう? 「わたし」? もちろん、石川淳なのだが、石川淳ははたして「わたし」だろうか? そもそも、花の物語を物語るのが「妖女伝」であり、「妖女伝」について物語っているのが「わたし」である。
家斉はこの非常の童女をえて「われ王母千年の桃をえたり」とさけんだそうである。しかし、妖女伝はただ「御喜悦の状筆紙につくしがたし」とだけ記して、さきの五色鶏のときほど形容のことばを費していない。おそらく筆紙につくせなかったのは、筆者みずからのなげき、いきどおりのように推される。美辞をつらねるまでもなく、「千年の桃」のききめはてきめんにあらわれた。このころより、家斉ほどのvert galantも、気力にわかにおとろえ出して、翌天保十二年閏一月三十日、行年六十九をもって死んだ。その死の床にあっても、なお花女の手をもとめて、よだれをながしながら号泣したという。
「妖女伝」はただ「御喜悦の状筆紙につくしがたし」とだけ記して」いるなら、「「われ王母千年の桃をえたり」とさけんだそうである」とは、なにに縁っているのだろう? 語りの重層化による混乱? これほど安易な混乱があるだろうか? むしろ語りの重層化による、語り手の拮抗とでも呼びたくなる。なぜなら、「わたし」の興味は、花女のことよりも、妖女伝の筆者にむかい、その詮索をはじめるのだから。
妖女伝はこのあとに花女一栄の「奸智」のいろいろ「栄華」のさまざまを記して、悪人かえって善果をうる世のすがたをなげきつつ、筆を投げている。末段に至って、文字の書きぶりのみだれているのは、筆者の憂患のせいか、老年のためか。しかし、みだれながらに、草行の字画あやまたず、文章の意気かえって揚がっているように見えるのは、尋常書生の筆写には似ない。さだめてこれ自筆の稿本である。筆写の正体はついに知れない。おそらく天保より嘉永の間、政治の外に立って、幕府の運のかたむくのを見つめていた直参の士だろう。その蘭方の禁を難ずる口吻をおもえば、あるいはこのひとみずから洋学にこころざしを潜めた医官の一人か。
あたかも「妖女伝」の存在を真実らしくみせる素振りにも見えるが、その書かれている物語の奇想天外さを見れば、その嘘は明らかにもかかわらず、それをあたかも真実らしく書くなら、真実たらしめることよりも、真実らしく書くことのなかに、この小説の目論見があるのではないだろうか。
その作者を探りかねて、話は「妖女伝」から「妖女伝続貂」にうつるが、こちらには蔵書印があり、その名から、およその見当をつけてしまうと、話はやけに早い。
明治以降、花女のすがたが最初にひとの目にとまったところは横浜であった。そこに、十一歳の童女が水のほとりをあるいていた。ひとは迷子かとおもったそうである。しかし、つれがあった。つれは異人すなわちイギリス人と見られた。場所は横浜とはかぎらない。東京に、横須賀に、大阪に、神戸に、また札幌まで、花女は転転とした。そして、つれはいつも異人。それがときにフランス人、ドイツ人、ロシア人、アメリカ人、イタリヤ人、中国人、ついに国籍不明のものにまでおよんだ。十一歳の童女は万国旗をもって飾られたようである。服装もまたそのときに応じて万国旗であった。そういっても、日本のきものと縁が切れたわけではない。剣客榊原健吉が剣術興行をぶったとき、その小屋掛に振袖をきた花女があらわれて、剣舞を演じたという。その剣舞のすがたはのちに日比谷雷風一座の呼物にもなった。すでに剣舞である。さらに玉乗の小屋にも出たにしても、あやしむにたりない。ひとが花女をもとめて見つからないときには、やっぱり振出しの横浜に行って、そのいつかあらわれるのを気ながに待つほかなかった。この土地に富貴楼の倉ときこえたものが花女のめんどうを見ているといううわさであった。やがて、明治も四十年を過ぎた。十一歳の不老にとって、たった四十年が何だろう。ある日、盛装した花女がハルピンの駅頭に立った。つれは、異人ではなく、このときはじめて日本人であった。突然ピストルが鳴って、伊藤博文という名の、その日本人が血に染んでたおれた。その場から、花女はすがたを消して、どこに行ったのか、ひとがあちこち行方をさがしたが、ついに見つからずじまいになった。のちに、伊藤博文の遺品である旅行用のシナ鞄がひらかれたとき、その鞄の底に、あまたの淫具の下にうずもれて、小さい童女の人形がひそんでいたのを、ひとが見つけ出した。人形の顔は生ける花女の顔そっくりに光をはなって冴えていたが、著せられていたものはといえば、どこの国の服装とも知れず、ふれる手に音なく、たとえば枯葉の枯れきっておのずから裂けるように、つい剥げ落ちて、さらし出された胴体はほとんど人間の死体と変わらなかった。
これはすでに、「わたし」が語り手の身振りにほかなるまい。最後のセンテンスの、枯葉の比喩などは、およそ「わたし」の声に聞こえる。
だが、ここまで読んで、ふと振り返ってみれば、ふたつめの引用の最後のセンテンスが、なんとも思わせぶりに見えてくる。すなわち「それはのちに花女が身におもい知らなくてはならぬことであった」という文章だが、おもい知った花女の、そのおもい知りようがまったく書かれていないではないか? それなら、私たち(読者)はこの段落から、花女のおもい知りようを読み取らなければならないだろう。ただし、ヒントも充分に与えられている。「わたし」は「身に」おもい知らなければならないと書きつけている。花女の顔をした人形は衣裳をはぎとられ、その胴体は、さながら人間の死体と変わらない。すると、やはりというべきか、石川淳の、「衣裳」については、それだけでなにかが語れそうだ。最後のセンテンスにかぎらず、ここに引いた段落に散見する衣裳への言及を見ても、かねてより石川淳が書かずにいられなかったようにも、衣裳を書いていたことが思い出される。おそらく、石川淳論のうちにはすでにそこに着眼したものがあるだろう。
ああぁぁ、読み直してみたら、かなり強引な記事だ。語りの重層化とその拮抗なんていうなら、ふたつめの引用部はどうなるんだ! かなりいいかげん記事だ。
もう、ふいの出逢いから、なにかが起きてしまうのではない。ふいの出逢いがあり、なにかは起きてしまった。だから、ふたたび、ふいの出逢いを辿りなおす。それが、「裸婦変相」だ。だが、辿りなおしたところで、なにが得られるのだろう? むしろ混迷を生み出し、深めるばかりのようだ。
「あぶない、そっちへ行っては……」
突然そういう声がした。友助は足をとめてふりかえった。うしろから呼ばれたと、はっきり聞きわけたのではない。たしかめて見るまでもなく、うしろには、声がとどくほどの距離に近づいて来るものは無かった。ここはわたりかけた橋のなかばである。鉄の橋は広く長く、夕方の光に黙して、いましがた真中の道をトラックがすごいスピードで吹っ飛ばして行ったほかには、両側の歩道に通行はほとんど絶えていた。橋の下のどす黒い水も、遠くにモーター船を二つ三つうかべただけで、暑さにだらけきって、ながれの音はたたない。声はどこからきこえて来たのか。そら耳に、あらぬ声をきいたようにおもったのかも知れない。茫と耳鳴がするほど、つよい西日の照りかえしであった。友助は前にむき直ってあるき出した。そのとき、ずっと前のほうに、橋の尽きようとするところに、ひとりの若い女の立ちどまって、こちらにふりかえっているのが見えた。帽子のつばがあがったかげに、わずかにすずしく、白い顔がほのめいた。そこまでのあいだに、さえぎる影は無い。もしかすると、声は女がこちらにむかって発したものか。いや、そうは見えない。あきらかに、女はうしろから呼びとめられてふりかえったという姿勢であった。それはこちらが追いつくのを待っているようなけはいにも受けとれた。友助はことさらに女を見ないふりをして、ゆっくりあるいて、一本道の、その場にすすみ寄って行った。先方では、どうやらこちらをまともにみつめて、距離のちぢまる間合を目測しているかとおもわれた。やがて、まぢかに、目をあわせると、
「あなたでしたの。」
すぐ問いかけて来た。
「なにがです。」
そういっても、まったく見知らぬ女であった。
「今、声をおかけになったのじゃありません。」
「いや。」
「あぶない、そっちに行っては……そうおっしゃったように、きこえましたわ。」
そのことばに、そうきこえたという実感があった。おなじ実感を、友助はかさねて自分にたしかめた。どこからきこえて来たのか知れなくても、声がしたことはしたにちがいない。
「そうでしたか、やっぱり。」
「やっぱりとおっしゃるのは。」
答えようがなかった。また問いつめられもしなかった。
「このさきに道路工事があるのかしら。」
なにか怪談めいたはじまりである。橋なら避けようもない一本道を並んで歩くと、女は画学生で、堤を走るバスに乗って煙突を写生にいくというが、友助も画家だ。こうして、石川淳が描く女としては性懲りもなく、画学生は友助と同道してしまう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。ただ予定からはみ出したことといえば、浦子が煙突をとりやめにして、何となくいっしょに、絵馬堂にも寄りうなぎ屋までついて来たことであった。そして、うなぎ屋からまた橋の向うに逆もどりすると、あたらしい女弟子とその「先生」とは芸術上の意見が完全に一致して、えがたい出逢のよろこびを行動にあらわすために、あちこちのバーへと、観念的に酔いが螺旋状に上昇するようなコースをとった。浦子は見かけに依らず酒がつよかった。コースのはてに、夜明ちかく、女画学生は星が落ちるように友助のアトリエに酔いつぶれた。日がのぼったときにはすでに一組の恋人がそこにいた。
かつての石川淳であれば、この過程こそ書いただろう。
友助は積極的に浦子をものにしたわけではなく、ダラダラと呑み明かしたあげくの仕儀なのだが、あえてその成り行きを演出した者を問うなら、「ついて来た」浦子こそ、それだろう。とはいえ、浦子ばかりに罪を着せるわけにはいかない、というよりも、「かよい小町」の論理を敷衍して、ふたりの出逢いと成行が罪なのだとしたら、罰を受けるべきは男たる友助のはずである。とはいえ、「かよい小町」と「裸婦変相」はまったく別個に書かれた小説であれば、「かよい小町」の論理などを持ち出す謂れはない。
すべてこういうことは、友助にとっても浦子にとっても、気に入らぬ成行ではないようであった。げんに、その後いくたびか、いわば暗黙の共謀に依って、このような夜の状況がはなはだ芸術家的らしく、すなわち計画的につくりあげられた。やがて、女弟子は下宿を引払って、身柄をアトリエに据えつけた。そして、この身柄をモデルにして、友助は五十号の裸婦を仕上げることに成功した。ただ女弟子はもはや画は描かない。いつまでも単なるモデルであることを、もはや欲しない。また友助が手前勝手に放埓な夜をもつことを、もはや許さない。それは芸術家の伴侶というよりも、むしろ尋常のうるさい女房に似るという因果なコースにすべりこんだことになる。そういっても、一点のいいところとして、当人は双方とも自分のしていることに夢中であった。すなわち、アトリエの生活はまず幸福であったといえばいえた。したがって、かの西日の照りつける橋とか堤とか、うしろに遠く去ったものを、今さら汗をかいてふりかえって見るようなひまはなかった。
芸術家たろうとしていた浦子が一介の主婦になっていくさまもまた、小説的といえば小説的ではあっただろうが、それこそ「無尽燈」でいうところの、忌むべき私小説なのだろう。そのさまは、六田登「海が鳴く時」の第二話「砂塵」の抄子を思い出さないでもないが、そういえば、「砂塵」でも抄子のさまは物語たりえなかった。それはともかく、なんともあっけなく、ふたりの生活が生まれかつ成熟の域にまで達している。
ところで、かの堤のことでいえば、かの葉ざくらのかげに立ったとき、もし友助なり浦子なりがほんの一目あたりをながめるひまをもったとすれば、わざわざ注意して見るまでもなく、道はあからさまに坦々と伸びて、そこには道路工事らしい影もささなかったことを見てとったはずだろう。あぶないというほどの危険がどこにあったのか。こどももあそび、ひともぽつぽつ通り、車ものんびりはしっていた。はじめのバスはのがしたにしても、あとのバスがすぐつづいて来ていた。煙突のほうにも行けば行けた。しかし、これといって目に入らぬようなけしきは、見えても見えなくても、どうということはない。ただ、そのときその場で目に入らなかった無用のけしきが、後日になって、ついまのあたりに切実なかたちをとって見えて来たとすれば、これは時間の魔のしわざとおもうほかないだろう。すでにして、一年たっていた。
すべてを「時間の魔のしわざ」に帰す身振りは、男と女の関係のなかに起こることが、どちらの所為ともいえないところのものである、といった、感傷的な身振りだろうか。そして、この俯瞰の視線。「すでにして、一年たっていた」時点から、友助や浦子には「今さら汗をかいてふりかえって見るようなひまはなかった」過去を振り向いて語ってみせるさまは、語り手の姿が仄見えてこよう。
すると、なんの必要があったのだろう、ふたりはその出逢いの場所に立っているのだ。
「そう、このへんだったな。去年きみとはじめて逢ったところは。」
タクシイは橋をわたりきろうとしていた。友助が窓から乗り出すようにして、こころおぼえの地点を目でさがしたときには、車はさっと堤のほうにはしり抜けていた。浦子は気のない返事をした。
「そのようね。」
とたんに、車がとまった。
「通行止です。」
運転手がふりかえって、
「通れません。堤の工事ですね。」
行手に小さな赤い旗を立てて、危険のしるしが出ていた。道を掘りかえし、堤のところどころを崩して、岸をかため直す工事がおこなわれているようであった。
堤に工事がおこなわれているなら、それは一年前のことではないだろうか。一年前と今が、隣接している。いよいよ怪談めいてきた。
「土手下の道を行きましょうか。煙突が見えるところまで行くには、だいぶ遠まわりになりますが。」
運転手が車のむきをかえようとした。
「いいえ、ここでおります。」
はっきりいいきって、浦子はもうドアをひらきかけた。
「こんなところでおりたって……」
しぶりながら、友助もつづいておりて、車をかえしたあとの道に立つと、むかい風が砂まじりにざらざらと顔に吹きつけた。
「どうするんだ、ここで。」
「何となく、こういうことがあるのじゃないかという気がしたわ。やっぱり、こうなのね。」
「なにがやっぱりだ。」
友助はきょうは手ぬぐいを首に巻いていないで、ハンカチーフを出して、鼻をおおいながら、
「なにをいってるんだ。せっかく煙突のそばまで行こうとおもって出て来たのに、こんなところでまごまごすることはないじゃないか。まわり道をしたって……」
なにかが起きようとしていることは、浦子が嗅ぎつけているが、友助は友助で、目的をもっている。すなわち、浦子を描いた裸婦像によって友助の名は画壇に轟き、次の画題を決めたのだ。「そのうつくしい煙突を背景にして、夕焼の光の中に、このとらえがたい裸婦を置く。空に吹きあがる黒けむりに、このはだかの肉体の謎はおそらくいぶり出されるだろう。この著想は気に入った。」では、肉体の謎とはなにか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。また裸婦を描こう。モデルは浦子。掛替のないモデル。きものを著たときと、ぬいだときと、まったく別の女がそこにいて、しかもそれはいつもおなじ女ではなかった。きものの下に叛逆があり、なめらかな肌の蛇の智慧があぶらのように乗って、このはだかの肉体はときに晴ときに曇、およそ変化しうるかぎりの線と色とをもって、画家の筆を絶望させるまでに、さまざまな女の謎の深さをのぞかせた。友助が画筆に於て謎の一つをからめとったとおもったとき、その意味はたちまちうしなわれて、カンヴァスにはうつろの影しかとどまらず、目のまえのはだかの女は光の中にただよった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ここに、ふたりの人間が、それぞれひとりひとりとして、理解不能な存在になっていく。画家の目をもってしても、浦子をただしく捉えることができない友助が出現する。それは、もうはだかの肉体だけの問題ではない。
「おい、待てよ。なんだって、そうせかせかあるくんだ。どこまで行くつもりだ。」
さきに行く浦子を呼びとめて、友助は木の下で汗をふいた。暑さにはまいるたちであった。うすい上著をぬいで、腕にかけているが、あたらしいホワイトシャツはぴんとして、もじゃもじゃの胸毛をのぞかせるようなことはない。服装をみださない趣味が浦子にあって、それにつれて、友助のいでたちも去年の無雑做には似なかった。浦子のほうは、きょうは洋装ではなく。画学生ばなれして、白結城をかたちよく著こなしたうしろすがたに、歌舞伎の女形のような色気がにおい出ていた。襟あしはつめたく、汗の一しずくもにじませない。そして、立ちどまりはしたものの、こちらにふりむくようすはない。くちびるは、おそらくきゅっと結んでいるだろう。友助は待った。当然のこととして、浦子がふりむいてなにかいうであろうことを待った。しかし、そのうしろすがたはうごこうともせず、ことばを発するでもなく、剛情に立ったまま、葉ざくらの影に染んで、そこに作りつけられたようであった。このとき、はじめて、画家の目は浦子に於て尋常ならぬけはいを見てとった。
それなら、浦子が嗅ぎつけたなにごとかの気配とはなにか? 浦子の魂は、ここにいないようだ。では、その居所は一年前か?
「どうかしたのか。」
いたわる声で、肩に手をかけようとすると、浦子は鳥のように飛び立って、つい足の下の斜面に駈け出した。堤をおりれば、しずかな町筋である。そこにおりるまでに、斜面にはほそい道がついていて、それが途中で二つにわかれていた。片方はなだらかな道であるのに、他の片方は土が崩れて、草のかげに穴ぼこがひそんでいるかと見えた。浦子はその崩れた道のほうに駆けおりて行った。友助は上から見おろして、
「あぶない、そっちに行っては……」
そうさけんで、どきりとした。それは自分の声ではなくて、たれかが自分にむかってうしろから呼びかけた声のようにきこえた。そのひまに、浦子は土にすべってたおれていた。友助はすぐ駆けつけて、
「だから、あぶないといったじゃないか。」
いうまでもなく「あぶない、そっちに行っては……」とは、一年前に友助と浦子が聞いた声である。まして友助は、うしろから呼びかけられたようにも思いながら、なお、それが一年前の反復であることに気づいていない。ここで、さかのぼって、浦子の最初の科白を思い起こせば、「あなたでしたの。」二人称がやけに親しげで、なるほど、いかにも友助の声に違いなかったろうし、すでに時を越えていたのは浦子で、だからこそ、ふたりの仲を先導したのも浦子だったのかとさえ疑われてくる。たしかに、浦子は時を越えているのだ。ところが、その時を越える幻視は、一年前を通り越している。あるいは、未来のことかもしれない。
「あなたはこの堤で、こんなふうにして、わたくしをうしろから抱いて、やさしく抱きしめるようにして、そうして……」
浦子はことばをさがして、ゆっくりとつぶやきながら、
「わたくしを絞め殺したのね。」
この最後のことばは胸の底から吐き出されたひびきをつたえた。これでたしかにおもい出した。記憶にとどめを刺したという気合であった。
「なにをいう。なにをいい出す。」
ここで、浦子はどこかいつかもしれない時代に生きた人間になり、それは、とりもなおさず友助が模写した絵馬の女だという。あまつさえ、友助の絵は、身体こそ浦子でありながら、その顔は絵馬の女にほかならないというのだ。もとより友助にその気はなかったし、できあがったもののなかにもそれを感じていなかった。それなら友助が見ていたのは、浦子の裸の肉体だけだったという話だろうか? そうかもしれない。なぜなら、この後、浦子のコトバは得体がしれなくなる。友助と会話が成立しないのだ。うなぎを食べようといえば、絵馬の女はうなぎ屋の帰りに殺されたという。しかし、友助もまた、さっきうなぎを言い出しておきながら、いざ、浦子がうなぎと言えば、見るのもいやだと言い出す始末だ。ようやくたどりついた煙突も、その所在がしれない。煙突があるのかないのか、しかとは判断できないような在りかたをしてみせるのだ。
それでも、煙突をともに見たとき、友助と浦子は、一年前にもどったのだろうか? それとも一年後の夫婦のような関係を確かにしたのだろうか? しかし、友助は煙突を背景にした浦子を描けない。
浦子も聞いた声ではあれ、友助が聞いた声としての「あぶない、そっちに行っては……」とは、今日の日のことを危険、浦子という存在こそが危険だったから、浦子に近づくことに警戒を与えた声を一年前の友助は聞いたのだったかもしれない。
「まぼろし車」にいたって、主格が、女性になった。とはいえ、冒頭から相も変らぬ唐突の出逢いが、これまたどうしたことか、なんとも凡庸の極みである。
雨あがりの舗道の、裏通にしても盛り場というのにあちこちでこぼこの穴があいて、水のたまったところを、ハイヒールの足もとあぶなく、買物の包二つと傘をかかえて、ひょっと飛びわたったはずみに、踵がぐらついて、包の小さいほうが一つ、あっけなくすべり落ちた。水たまりからははずれたが、包は石の面にあたって、うすい紙箱の音をたてた。中みはデパートで買って来たばかりのシュミーズであった。はずかしかった。千世は腰をかがめて、ついその包をひろおうとしたとき、いちはやく、横からさっと出て、それをとった男の手をそこに見た。からだを伸ばすと、千世はしぜんその男を足からあたまへ逆に見あげたかたちになった。若い男。青年紳士という印象であった。光る靴にも、渋ごのみのりゅうとした服にも、派手なネクタイにも、くるいのない趣味が行きとどいて、ゆたからしい生活のにおいの中に、せい高く立った男の、その目鼻だちまでが、むしあつい夕日の光をあびながらも、別あつらえのようにすずしく冴えた。一瞬のあいだ、千世は見とれた。
まして、この書きぶりは、目鼻だちをろくに語らず、服装ばかりが詳細に描写される。そういえば、「無尽燈」にも見たとおり、衣裳と身体ということを再三書いてきた。そして、「まぼろし車」では、衣裳はもっと広い意味に膨らんだようでもある。
家出娘の千世は、手もなく青年に籠絡されてしまう。
どこにつれ出されて行くのか。千世はひそかにおののいた。しかし、喫茶店からあるいて間もない道の角に、大型の車が一台待っていた。赤く塗った舶来のうつくしい車であった。金モールのついた服をきて黒いひさしの光る帽子をかぶった運転手が、ドアをあけて、丁寧におじぎをする。あきらかに青年の車と見えた。それに乗りこんだとき、自分の手の上に、また膝の上に、何となくふれて来る青年の手のうごきを、千世は子宮に感じた。恋がはじまったとおもった。
広がった衣裳とは、タイトルにもなった車である。ましてここには運転手までがいる。ある人物が社会と係わるその象徴となるのが、衣裳であり、車だとすれば、千世は青年の社会的立場を踏まえて、恋をしている、ともいえよう。「子宮に感じた」という表現が、いまだ処女の千世に適切かどうかは、女性ならざる私の身のしるところではないが、安易に思えるのは、平成19年という時制のゆえで、当時としては斬新な表現だったのだろうか? そうは思えない。むしろ、ここには千世という主格の内向しないさま、精神活動を身体活動、肉体のこととして受け止める千世が書かれているように思われる。すこしだけ遡ってみよう。
「それで、夏のあいだなにをしてくらします。」
そういう青年の声がきこえた。千世は問われもしないのに、さすがに家出とまでは口ばしらなかったが、身の上のあらましをとぎれとぎれに青年にはなしていた。ことばは堰を切って、なにをしゃべっているのか、頬を赤くして、茫としたようすであった。「それで……」なにが「それで」なのか。しかし、答はすらりと出た。
「あそびたいと思います。」
あそび。その漠然たることばの中に、じつは恋をもとめていたと、千世はみずから知った。家出をしてなにをするかといえば、バレエ、音楽、新劇、洋裁、割烹、さまざまの目的はありえたが、それはどうでもよいというにひとしかった。いかなる計画にも、恋という核があった。恋をしたいとおもいます。しかし、そうはいえなかった。そういう資格が無かった。うまれた土地の十七年の生活の中に、恋はまだ体験的に知るに至らなかった。
意識するともなく「すらりと出た」自らの「あそび」というコトバに促されて、ようよう自分の欲するところに気づき、それはとりもなおさず内向だったはずだが、内向によって手に入れた自分の欲求を満たすものは、なにより体験、身体活動であらねばならなかった。畢竟、というべきか、あるいはいつもどおりというべきか、いとも簡単にふたりは身体を合わせる。といっても、千世はナイトクラブでしたたかに酔い、そのたしかな記憶がない。
気がついたときには、寝ているあたまの上に、にぶい電燈の光が落ちていた。くずれた壁にかこまれた狭い部屋。アパートの一室。そう、アパートのようではあったが、それは自分の部屋ではなかった。自分の部屋よりもずっと狭く、ずっときたなく、装飾どころか、棚一つ、鞄一つ置いていないけしきの、そこのあやしげなベッドに、千世はシュミーズまで剥ぎとられた自分の素はだかを見た。そして、そばにぴったり寄り添って寝た男の、まぶしいまでにみごとな素はだかをとたんに見た。泥江寒一。夕方の喫茶店でみずからそう名のった青年がそこにいた。
車も衣裳もなければ、ましてそれらによって保証されていたはずのゆたかな生活さえ見えず、泥江寒一という一個の身体の美しさに出逢うのだが、
千世がついおきあがろうとすると、眠っていたとおもっていた男の手がぐっと肩にのびて来て、
「きみはじつにうつくしい。」
そのことばの中に、くちびるが合った。うつくしい。それこそ千世のほうから発しようとしたことばであった。毛ほどのすきも無いと見えた昼の服飾を脱ぎすてて、青年の素はだかはさらに申分なく、すこやかな四肢の、骨太に力を秘めて、照る肌の色、燃える血のにおい、すべて千世が今までに夢みたかぎりのいかなる男性の像をも越えたところに、実物の威令が破裂した。たちまち、ふたり一体に、炎のとぐろを巻きあげて、恋は成就した。むしあつい夜は油のように快適であった。千世はあえぎのはてに眠り、眠の底に沈んで、なにも見えなくなった。この部屋のけしきのきたなさ、まずしさ、みじめさは、すべて炎に焼き消されたようであった。
陳腐といえば陳腐。だが、かねての石川淳の文章を見ていれば、ここの眼目はその陳腐さにあるのではないかとさえ、思わないでもない。もちろん、性を描くこと読むことのいかんともしがたい陳腐さともいえようが、それならそれで、官能小説を書こうとしているのでなければ、書かないという選択肢もある。すると、この陳腐さは、むしろ、社会性を剥ぎとったうえの男の身体こそが語られていると見るほうが、むしろ自然ではあるまいか。もとより、気がついたときには素はだかだったという先の引用で、千世の処女はすでに疑わしく、「恋の成就」はセックスを意味しているとは限らない。今起きていることを認識しながら行われたセックス、そこに美しい存在を認めながら行われた行為だから、「恋の成就」といえたのだ、とも読めなくはないはずだ。
目をさますと、晴れた朝であった。千世はベッドにひとりでいた。そして、そばの椅子に、これはもうきちんと服装をととのえた寒一を見た。とたんに、千世は自分のはだかをシーツでかくして、
「見ちゃ、いや。」
寒一のほうでは見ていなかった。いや、見むきもしないというようすであった。
「ぼくは事務所に行く。」
寒一は立ちあがって、しめたばかりのネクタイのかたちをちょっと直した。あきらかに千世の起きることをうながしている態度であった。千世はいそいで支度をした。寒一はキスもしないでさっさと外に出た。
千世のアパートを見つけてくれた先輩がいる。ナイトクラブでは酩酊していてなにがなにやらわからないまま、一枝という名の先輩の平手打ちを喰っていたのだが、寒一と別れて一枝を訪ねて聞けば、寒一はどうやら女衒らしい。一枝もその被害者だし、なにより千世を海外に売り飛ばすために呼び寄せたのでもあったという。そしてふたりは寒一に復讐しようというのだが、そこに、寒一の姿が見えないまま、寒一の車が現れ、運転手の導きによって、ふたりともに乗せられる。さて、ここからである。
車ははしり出した。すると、運転手が指のさきさえふれもしないのに、突然ラジオが鳴りはじめた。
「運転手に気をつけろ。おまえたちがつれ出されたところは、この車の中だ。」
演芸放送ではなかった。いや、尋常の放送ではなかった。あきらかに千世と一枝とにむかって呼びかける泥江寒一の声とききとれた。運転手はあわててラジオを切ろうとした。しかし、鳴りはじめた機械はいうことをきかない。声はさらにはっきりとひびいた。
「おまえたちは……」
運転手はスパナでがんがん機械をたたいた。その音に応じて、声はがんがん鳴った。
「おまえたちはすでにおれを殺すという目的を達してるんだ。」
もちろん、泥江寒一を殺す計画は、つい今しがた、千世と一枝ふたりだけの場所で約束されたものである。泥江寒一は姿を見せずに、自分はすでに昨夜、ナイトクラブからの道すがら、唐突に心臓がとまって死んだという。
「はっきりいってきかせる。ゆうべ、おれはこの車の中で死んだ。」
「えっ。」
「ナイトクラブからアパートにかえる途中で、だしぬけに心臓がとまった。千世はおれの腕の中でねむって、ほとんど人事不省で、なにも知らない。いわば、おれはひとりで勝手に死んだ。しかし、いくぶんかはおまえたちの恋と復讐とのせいであったかも知れない。おれは心臓にそれを感じた。」
千世は勇気を出して問いかけた。
「それでも、ゆうべからけさまで、あたしがあなたのアパートに泊ったことは、あたしの器官のよろこびに賭けて、確実じゃないの。ちがうというの。」
「ちがわない。まさにそうだ。おれはたしかにおまえといっしょに寝た。」
「あなたが死んだというのに……」
「運動の惰性というものだ。」
肉体をもたない存在になった寒一でありながら、千世の肉体の事件として、「器官のよろこび」を与えた。それは「運動の惰性」だという。寒一がいう運動とは、はたして肉体の運動だろうか、精神のそれだろうか。だが、この小説には肉体と精神という二元論は、千世という女性の主格化によって崩壊していたのかもしれない。恋が精神のこととも肉体のこととも分かちがたくあったのだから。そして、ここにはもうひとつの二元論があったはずだ。裸の身体と衣裳をまとった身体だ。ところが、寒一は身体のない衣裳だけの存在になったともいえよう。寒一が死んだのは、ナイトクラブからの帰途である。服装や車におよそ似つかわしくもない貧相な部屋もまた、たしかに千世の眼に存在した。だから、社会性の象徴としての車でありながら、それだけの存在になったとは思えない。寒一と車は一体ではない。社会的存在と、一個の身体的存在の二元論ではない。それでもなお、衣裳を脱ぐだけにとどまらず、美しさそのものを失った精神のみの存在となって、社会に囚われている千世と一枝のまえに姿を現しているのである。ちなみに一枝は服飾デザイナーである。
最後には、車を降りたふたりが、老女になって街中に立つ。ここにも石川淳お得意の、というべきか、時空の歪みが顕れたわけだが、ふたりが鏡の中に見出したのはなんだろう?
「皺くちゃばばあになったら、なまじ生きているよりもさっさと死んだほうがましだと、おもいもし、いいもしていたけれど、やっぱり生きていたほうがよさそうだね。」
「死ぬ智慧も出ないということだよ。」
老女であることは問題ではなくなっている。だがそれよりも前を見てみよう。
店さきの大きい姿見に、ふっと影がうつった。その硝子の面には、老女がふたり、ならんで立っている。老女、そう、年はいくつとも知れず、皺だらけの、目鼻もおよそ古風にしなびて、あさましいまでに老いた女ふたりのすがたであった。しかも、その著ているものだけは逆に今日の流行の、派手な、わかわかしいよそおいで、老醜なおすさまじく、ものほしそうに、また笑止にさらけ出されていた。
衣裳と肉体の齟齬に晒されているのである。社会性などと大仰な問題を持ち出すまでもない。意思をもった衣裳のような車を見ても、この小説には、衣裳を身に纏うことのなにごとかが、書かれていたのだ。
ここのところ、読書のペースが鈍っていたのだが、今日は一気に「影ふたつ」「灰色のマント」「まぼろし車」「裸婦変相」まで、4作品を読んでしまった。
ただ自分の眼で見る他者たちが、変わりつつある。他者たちは、石川淳の手に負えない存在になってきた。それは、時空の歪みを伴っている。それは、「焼跡のイエス」で、昭和十六年と二十一年の間に五千年の隔たりを見ていた石川淳の時空の歪みだろうか。それだけではない気がする。そういえば、彼の晩年の伝奇長篇は、まさに時空を駆け巡るものばかりだった。
とはいえ、まずは「影ふたつ」からはじめよう。
唐突の出会いから、その女あるいは少年の在りように、いわば自分勝手な解釈を施し意味づけをなし、妙な納得を得る、その出会いと、意味づけという精神の運動に出会うことが石川淳的な出来事だったこれまでを、「影ふたつ」でもまたくり返すように見えなくもない。ここでもまさに、唐突の出会いからはじまっている。
与介は湖のほとりの小道ではじめて賀名子に出逢ったとき、びくっとして、おもわず一足あとに引いたかたちになった。そのとき、ゆっくり走ってはいたものの、自転車に乗っていたので、引いた足がとたんにペダルを踏みはずして、車ぐるみ、もろに横だおれに、いや、たおれはしなかったが、かたわらの木の幹にぶつかって、がちゃんと止まった。賀名子のほうでも、あきらかにびくっとしたけはいで、これはちょうどそこの道のさきをあるいていたのが、片方の靴のかかとで弧を描いてあとにさがった。・・・・・・・・・・
段落の途中だが、段落があまりに長いので、ここまでにする。
見たとおり、ついに(とさえ言いたくなる)三人称を使っているのだが、最初のセンテンスでいきなり、与介と賀名子のどちらにも、名が与えられたとき、その中の「はじめて」という文節も、賀名子に係るのか、あるいは小道に係るのか、判然としないから、与介と賀名子が既知の間柄なのか、たがいに未知の存在なのか、迷う。だが、このあとふたりがたがいに未知の存在でありながら、いきなり賀名子が「その自転車貸して下さいません。」というと、与介も、あっさり貸してしまう。さて、ふたつめの途中から引用しよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・。そういえばそのとき賀名子はいくらか野獣じみた身のこなしで、自転車を引っさらうようにして、つい飛び乗ると、与介の目のさきに遠く走って行き、もうかなたの坂の上に、あ、あぶない、そこで車からおりるべき急な坂を、一気にすっ飛ばして、だーっと下って行った。無鉄砲な、頸の骨を折りやしないか。casse-couというフランス語をおもい出した。与介はもちおもりのするどぶろくの壜を地に置いて、自分の手頸をさすった。たったいま、木の幹にぶつかったはずみに、打った手頸がほんとうにすこし痛かった。
「ちぇっ、くだらねえ。」
与介はストーブのそばに椅子をずり寄せて、テイブルの下にしのばせてあるどぶろくの壜を取ろうとしたが、すぐそれを置いて、手頸をさすった。たったいま賀名子をぶんなぐった手頸がすこし痛かった。湖のほとりの出逢から、やがて四年目の春さきになろうとしていた。ここ東京山の手の焼跡に建てたアトリエに、賀名子といっしょにくらすようになったのは去年からである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほんのひと言の科白をはさんで、小説の「たったいま」は四年を隔て、場所も移動しているのだが、その移動は、賀名子の移動でもある。かつて石川淳の小説のなかでは、出逢いから、女を理解(誤解?)する過程、その心理の移動のさまを執拗に書いていながら、その反面、それは女のあっけないほどの同意にささえられてもいた。そのとき、女の心理をまったく無視したような、居心地の悪さもあったのだが、かといって、ここでは女の心理を無視するどころか、三人称のゆえに、だろうか、男の葛藤もなく、男女もろともにあっけなさに落ち込むのだ。だが、ほんとうに? 与介が賀名子と出逢って、自転車を貸すだけのことに、石川淳はなんと、この私が引用を控えたいと思うほどの長さ、4ページも費やしている。そこで、すこし遡ってふたつめの段落から一部分を引こう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。ただ、女を追い越そうとしたとき、与介は女がふっとつぶやいたことばを聞いた。「水はもうあたたかだわ。」湖のおもてをながめながら、女はたしかにそういった。与介を顚倒させたのは、じつにこのたわいのない一語であった。というのは、まさにこの刹那に、与介は車を走らせながら、湖の向うにそびえる山山の、晴れた空にクサビを突きあげたように、いただき白く光るのをながめて、山はまだ雪なのに……と、心にそうおもったばかりだったからであった。それを口に出さないのに、女のことばは自転車よりも速くさきに走っていた。のこる雪、ぬるむ水。ちぇっ、くだらねえ、陳腐なる童子属対の語ではないか。しかし、このときはいくさがおわった次ぎの年、つまり天文地文ことごとく人間の火に焼きつづけられた数ヶ年ののち、やっとめぐって来た最初の春であり、止まっていた時計の針がいつかうごき出したように、ふたたび天地の運行がはじまっていて、山のいただきに消えのこる白い光すら新鮮に目にしみた。この季節感覚の回復は味のよいたばこに火をつけたというほどの淡い興奮をともなったが、与介は興奮の中に自分ひとりしかいないことが物たりなかった。たまたま、道ばたに一箇の女があるいていて、女がいきなり声を発して、その声は一発をもって孤独を破るに似た。まったく唱和であった。とたんに自転車が横だおれにがちゃんと来た。ひでえ狼狽、前後不覚というのだろう。たれとも知らぬ人妻を新鮮な雪の光と見まがったのと、結果に於てはおなじことであった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
すでに、心理的葛藤は起きて、たとえば「かよい小町」の赤い斑点、「雪のイヴ」における靴墨の汚れといった聖痕めいた印は、コトバによって見つけるまでもなく、そこにあった。さらにここに引用したなかには、さきの場面転換を挟んだ科白が見える。すなわち、「ちぇっ、くだらねえ。」という科白が吐かれた「たったいま」とは、いったい湖のほとりのことなのか、その四年後の東京山の手のことなのか、どちらともしれないままなのだ。
小説はこうした連続性のなかにある。コトバの連鎖、文章の連鎖によって成立している。畢竟、文章体験を文章によって語ろうとする読書感想文や、紹介などの行為は、そうした文章体験を追体験させることはできない。出逢いだけのことに4ページを費やし、四年の月日を、その境界線も曖昧に飛び越える、その曖昧さも含めて、文章体験はある。
それはさておき、さきにすすもう。
たとえば、「与介は賀名子の過去にさかのぼって附合わされることを好まず、あたかもこの女人が突然ここに生れて来たものとして設定したいと望んでいるようであった」とは、「設定したい」というコトバも暗示的に、まさに石川淳の書きようそのものではないだろうか。だが、今、賀名子と与介は生活をともにしてしまった。そのとき、過去にかぎらず、賀名子という存在そのものと附き合わざるを得ない。それはまた、精神の運動よりもなお、生活そのもの、肉体の事件として、他者を受け止めなければならない。賀名子が前の夫である船形と会っていると知って与介が詰問すると、
「金のためでないとすると……」
「あなたの力がたりないからよ。」
「何の力。」
「あたしを愛する力。」
「おい、おれがこれだけおまえを愛していてもか。」
「空疎だわ。実績が貧弱だわ。」
「実績。」
「あなたは一週間にたった二回しかあたしを愛してくれないじゃないの。あなたとしてはそれが全力でも、あたしにとっては不足だわ。あたし、どうしてもあなたひとりの愛だけじゃたりないのよ。」
与介は息がつまった。愛するということばの具体的な仕方に限定された意味に於て、自分のいのちのよわさ、力のまずしさがあばかれたようであった。ぴしりと、面上の鞭にひとしかった。打ちのめされた犬のように上目づかいに向うを見ると、長椅子の上にはだかの片足がひらひら跳ねていた。
与介のいう愛という観念的なものが、賀名子によって肉体的なものに転換される。とたんに、逆上した与介は斧を手にして、
「あっ。」
さけんだのは当の与介であった。立ちかけて、おもわず振った手から、ぴゅっと斧がふっ飛んだ。あなや、長椅子のほうに、あやうくその上部にそれて、するどく壁に……壁にはかなり大きい硝子張の額が掛かっていて、それに写真が入れてあったが、斧は硝子にあたってこなごなにぶち割り、写真をつんざいて床に刎ね落ちた。しぶきのように、硝子のかけらが散った。とっさに賀名子は身をしなわせて長椅子から遠くに飛びのいた。与介は自分がなにをしたのか判らないという顔つきで茫然と壁の額を見あげた。額はよっぽどしっかり取りつけられてあったとみえて、すこし歪んだだけで、落ちはしなかった。写真は風景である。湖があり、山があり、湖の水はぬるみ山の雪はまだ消えない。すなわち、これは与介がはじめて賀名子に出逢った場所のけしきにほかならず、与介みずから撮影して、おもいきり大きく引伸ばして、手製の額縁におさめたものである。その写真の端のところ、湖のはてと山の裾との堺のあたりに、斧の刃がぶつかって、そこが縦に裂け深くえぐられて、あたかも底知れぬ谷にのぞんだ断崖のようなかたちになっていた。
ヒチコックの「断崖」を思い出す。断崖絶壁の写真を眺めて、そのままカメラが写真に寄っていくと、その波の音が聞こえ、波が動き、そのまま断崖絶壁の風景のなかに入っていくあの場面だ。だが、それでも賀名子がその部屋を逃げ出すと与介は我に返った。それでも、このとき時空は決定的に狂った。賀名子が姿を晦ますと、入れ替わりに、舟形の今の妻・薫子が現れ、あろうことか、あるいはまたしてもというべきか、与介はあっさりと関係をもってしまう。
「じっとしていられない。夜があけたら、どこかへ旅行したいわ。どこか遠いところに、車に乗って。」
「それは同感だ。脱出したい。」
「山が見えたり水が見えたりするところにドライヴしたいわ。」
そのとき、かすかに物のうなる音が聞えて来た。うごく機械の音のようである。どこから聞えて来るのか。工場なんぞでベルトの鳴る音であろうか。いや、そうではない。音は次第に大きく近くひびき寄せて来て、あきらかに疾走する自動車のうなりと聴きとれた。窓の外を車が走っているのだろうか。いや、そうではない。紙鳶が風にうなるように、音は高いところに聞えた。ふりあおぐと、ついあたまの上の壁面に、あけがたの薄あかりのただよう中に、額の写真の、さわやかな風景がまざまざと、山は山、水は水、質量たしかに、距離くるいなく浮み出て、空の碧、雪の白、森の青、土くれの赭も色彩あやまたず、風そよぎ、草もえて、自然のいのちにあふれつつ、天地歓喜の声、波打つまでに現前した。
「まあ、いいけしきねえ。湖水が光ってるわ。遠くに花のつぼみのにおいがするわ。」
「すると、今きこえたのは春雷かな。」
「いいえ、やっぱり自動車よ。あすこに見えるわ。あの森のあいだに。」
「なるほど。こっちにむかって来るぞ。轢かれるな。」
「だいじょぶ。湖水のまわりをぐるぐるまわってるわよ。」
「すげえスピードだなあ。」
「いい車ね。高級車よ。」
「あ、あれだ。あの車だ。いつか駅のまえで見かけたやつにちがいない。たしかにそうだ。さてはあいつの車だな。」
「あら、あら、運転してるのは賀名子さんみたいだわ。あ、ほんとに賀名子さんだ。ねえ、賀名子さんよ。あきれた。」
「はたせるかな。」
ヒチコックの「断崖」そのままに、物語の世界までが、写真の中に入り込んでしまった。それなら、斧が作った断崖は、その風景のなかでたしかに断崖になるだろう。だが、そのまえにその車に同乗する者の影を見て、与介は言う。
「あの黒い影は俺の不純の部分だ。つまり、おれの全体ということになる。なぜといって、おれには純粋なんぞというものがじつは微塵も無いんだからねえ。今になって、やっとそれに気がついたよ。おれの愛は不純一本だ。そのくせ、一本建では力がたりないという惨状を呈している。黒い影、あいつ、別人ならず、すなわちおれだ。」
もちろん、その男とは、賀名子の元の夫であり、薫子の今の夫、舟形に違いないのだが、薫子の語りとも、幻聴ともつかぬ、賀名子との電話らしき会話にしか表れなかった舟形の在りようは、かねてより石川淳の描く男性として、主人公の影でしかなく、ここにいたって、ついにそれに気づいたらしい。愛とは、与介にとって観念であった。それが不純なのである。それなら、小説の、コトバの真実もまた、不純に相違ない。肉体の弱さを承知しながら、精神の不純に気づき、さて石川淳は、他者にむかわざるを得なくなる。
ところが、「灰色のマント」はいまだそこにたどりつかない。というより、出来のよいコントの域をでていないという印象だ。物足りない。初出を見ると、「影ふたつ」と「灰色のマント」の間には六年の隔たりがある。たしかにここで石川淳はかわろうとしている。他者に意味づけする「私」ばかりの、ある種独りよがりな、孤高の身振りが、ついに他者を見出していくようなのだが、そういってしまうには、次の「まぼろし車」を待たねばならない。他者を見出していこうとしながらも、見出しえない石川淳の、戸惑うさまが、「まぼろし車」「裸婦変相」に見えてくる。それは、また次の記事にしよう。
引き続いて「石川淳短編小説選」を読み進めている。今日読んだのは「雪のイヴ」。これまた文芸文庫で、表題になった作品だ。
しかし、石川淳の女性の描き方が気になってきた。このまえの「かよい小町」で、首が傾げてきていたのだが、いよいよ首はくじるほどに傾げている。私はフェミニストを気取るつもりはないが、たとえばいわゆるリリツの信奉者たちが石川淳を読んだら、なにを言い出すだろう、と考えてしまった。川端康成が描く女性像は、あれこそ旧弊でありながら、幻想の女性美を追って、追うばかり、触れられない、なんとも意気地がないが、石川淳の女性像は、もちろん触れるということもあり、幻想の女性像というのとも違えば、かといって女嫌いでもなく、むしろ女、あるいは情欲を執拗に書いているといってもいいだろうし、そしてなにより、男尊女卑ととられても仕方のない科白を書きながら、それをただ時代性とか、石川淳の人間性といってしまうことが憚られるなにごとかがある。
ところで、審判の当否はともかく、もし負わされた罪というものがあるとすれば、それはかならずや自分が負わされたものについて因果にも自分で意識してみせる人間があるからだろう。人間といえば、男と女とをもってできている。しかし、一般に女は罪の意識からいつもけろりとして解放されているようである。騒動の禍のたねをまきちらすものはつねに女ではあっても、それほど多忙な女の身にみずから自分のしわざについて反省をめぐらしたり、跡始末に苦心したり、責任をとったりするようなひまがあるだろうか。こういうむだなひまがありあまっているところは男の生活を措いて他に無い。男はみな可憐にものべつに身銭を切ってぶらぶらあそんでいる代りには、ときに生活の破滅に於ていわば女の分まで荷物をしょいこまされる憂目に逢う。成年の男子にして、星まわりわるく婦女子と何らかの関係に入るものは、ことごとく罪人たることをまぬがれない。
男女雇用機会均等法だの、セクシャル・ハラスメントだのというコトバが一般化した現在の、良識ある婦女子がこの文章を見たら、憤慨しても不思議ではない。などという書き方をすると、時代性によるジェンダー概念の差異に寄りかかるように聞こえようが、はたしてそれだけのことだろうか。上に続く段落が下だ。
実際に、たとえば女が林檎の十分の九まで食ったあとで残りの一きれを男にかじらせたとすれば、林檎を食ったものはすなわち男であって、ただちに代金を支払わなくてはならない。もし事の違法に属する場合には、咎をこうむるものはやはり男のほうである。女のほうから禁制品の林檎を売りつけたにしろ、その現場を押さえられたときには、あわれな女は一身に世の同情をあつめ、まぬけな男は遠く佐渡の金堀に送られるだろう。なにゆえに女のみひとりまぬがれて恥じないか。女だからである。なにゆえに男のみひとり貧棒籤をひくか。男だからである。大むかし、すでにエデンの園にあって、イヴにすすめられたおかげで、その食いのこしの木の実をたった一口かじっただけのことで園の持主から雷霆の叱を受けたのはアダムであった。女の勘定はかならず男の帳面に於て借方に記入するというこの不易の関係の上に、罪観念の根柢が胚胎したのだろう。今日なお依然として、女とともに道を行くすべての男は、その面色をはなはだ引負の牢払いに似ている。まことに男子の冤に泣くこと、これをアダムよりする。
さてはて、こうまでいわれては、フェミニストでなくとも、婦女子なら怒り出してもしかたがない。げんに私は、昔「男女の仲にあれば、結局最後に泥を被るのは男だ」と豪語した友人が、女性たちの非難を浴びるのを見た。いや、正確にいうと、その科白に女性陣が不平たらしい顔つきで、なにをか言いたそうにするのを見て、思わず「それもまた、男の見栄。たまには、女性にも泥を被らせてあげろよ」といった私に、女性陣の賛意を得たのだった。などと、自慢たらしくいうが、若かったなぁ・・・(恥)。それはともかく、「かよい小町」から一部引こう。
ふだんはキモノをかぶっているから判らないが、その下の中みをまぢかに展望すると、女人の肉体には女人相応にこまかい部分、小癪な器官が備わっていて、どれも重宝のようで、見た目がにぎやかで、この世のものともおもわれない。つまり、キモノこそ地上の皮膚で、中みは幻影でしかないということを、たれでも痛感するだろう。幻影というならば、とりわけ乳房こそ一番形態がととのい、丸くて、やわらかくて、なめらかで……ええ、まわりくどい、こういう愚劣ないい方をする手はない。もっと俗っぽく、もっとべらぼうに、ぬけぬけと一事を主張するつもりであった。すなわち、女人の肉体の中で、もっとも上等なものは乳房だといえばよい。笑うべし、他にれっきとした豊饒な器官もあるのに、それをさし措いて、乳房を高いところに祭り上げるとは何事か。そもそも肉体のある器官が他の器官にくらべて上等とか下等とかいうのは、何たる無意味な、ばかげた心配だろう。しかし、一般に俗物というものは、達人の大観とはちがって、そのようなばかげた心配に意味をなすりつけて、人生観を作りたがる。こちらも極めつきの俗物だから、体裁を作ることは大好物で、せいぜいきどって、じつはワイセツなことがいいたいのを我慢して、偽善とすれすれに見えるまでの危険をおかしても、おくめんもなく乳房が一番上等だときめこんで、涼しい顔をしていたい。この涼しい顔は心臓をもって人体の一番高尚な微妙な器官だと信じこむところの思想に関係している。事が心臓となっては、さしあたり女人にもやはり心臓の設備があると仮定しても、それを取り出してみせるためには、刀をふるって胸を割り裂き、手を体内に突っこんで、血だらけにならなくてはすまない。それでは野蛮であるうえに、手数がかかる。所詮、位置的に心臓に一番近いらしい乳房をもてあそぶことの、小ぎれいで便利なのに如かない。何といっても、これは撫でるにたのしくて、たれでもわるいきもちはしないだろう。けだし、俗間に聖心の信仰のおこる所以である。
ちょっとした薀蓄を垂れれば、女性の乳房がなぜかくも膨らんでいるのかと問えば、たしかに不自然である。ましてそれが第二次性徴として顕われる。乳腺はきわめて小さく、乳房のような大きさを必要としないし、守るためのクッションであれば、むしろ人体では毛が生えるほうが自然なのだ。ではなぜか? 二足歩行によって性器を隠してしまった人類の女性が、自分が子どもを成せる身体であることを男に示すために、膨らんでいるというのが、現在の説明だ。だとすれば、乳房に欲情するのは、男の必然ではあろう。
と、これは余談。
石川淳のこうした女性を人とも思わぬ書きぶりはいったいなんだろう。さて、このとき「かよい小町」と「雪のイヴ」に共通することがある。どちらでも、語り手は「こちら」とは言いながら、明確な人称代名詞を欠いているのだ。すると、「こちら」とはなにか? 一個の誰かでもあり得、あるいは不特定多数でもあり得る人称といえる。もちろん「こちら」は人称代名詞ではないのだが、ここで使われる「こちら」とは明らかに語り手であるが、それと同時に、こうまで女性を相対化するのであれば、たとえば男性一般を指すようにも見える。それなら、これらの語り手は、男性の代表者たろうとでもするのだろうか? そうではないだろう。これらの小説に現われる語り手以外の男たちのなんと希薄なことか。「かよい小町」には、ほとんどいないといってもよい。「雪のイヴ」には語り手の影のような存在も現れるが、影のようなら、それは語り手でもあるといってしまってはいい過ぎか?
そのとき、うしろのほうで、かすかに遠くなにか声がしたようにおもったので、ふりかえって見ると、ずっとうしろから、このおなじ道を来る人影があった。犬をつれている。ひとも犬も雪の中にちらちらして、かたちはしかと見えないが、どうも先刻酒場に来た男のようであった。いや、たしかにあの男にちがいない。男はただ何となくこの道を来かかったのだろうか。あるいはとくに目的があってのことか。突然、追跡されていると感じた。それはいわれのない錯覚かも知れないが、身ぶるいするほど痛烈であった。男は何のために、なにゆえにわれわれを追跡して来たのだろう。この園の持主。いや、そんなことはない。今はこの土地の真正確実な持主はたれとも判明しないときなのだから、あの男がそれであるわけはなかった。女の持主。どきりとした。この素はだかの女の肉体を所有する特定の個人というものがかんがえられるだろうか。何にしても、追跡されている以上、ただごとではない。追いつかれたらば、百年目である。女はなにも気がつかない。さきへ、さきへと、無心にいそいでいる。その女のからだを腕に掬いあげるようにして、すこしもはやく、さきのほうへと、夢中で駆け出した。
この世界には、語り手の「こちら」と女たちしかいないのだ。そのほかの存在はあってないに等しく、だから、女をどのように認識することも、それは「こちら」の他者のことにすぎない。それは、「こちら」とおなじ人間、といったあたりまえの認識を超えたところにある差異、「こちら」と「あちら」の違いを明示している。すると、イエスになぞらえられた少年もまたおなじだろう。他者を、だけどそれをイエスにせよイヴにせよ、あるいは癩病の小町にせよ、なにものかに擬すのは「こちら」の勝手である。他者の明示といっても、その他者を他者たらしめているものは、「こちら」の精神活動であり、その精神活動が、そこにいる他者に意味づけする。他者のあずかり知らぬ意味づけを「こちら」が身勝手におこなう。身勝手だが、他者と関係を結ぶとは、まさにそうした身勝手な意味づけによるだろう。そして、こうした意味づけという出会いこそが、石川淳がいう「精神の運動」ではあるまいか?
とはいえ、「かよい小町」の書き出し同様、やはり女が登場する場面が素敵だ。ここだけで、「こちら」でなくとも、イヴに惚れる。素敵なので、長いが、引いてしまう。
すぐ向うに、広い道幅ひとつへだてて、大きい建物が立っている。見世物小屋である。ときにちょうど入替りの刻限と見えて、小屋の前にわかにさわがしく、中からどっと押し出されて来た人波が街路にあふれて、どよめきながら四方に散って行ったが、その一むれがガード下の道にもながれて来た。まっさきに二人づれの若い女の、赤い花模様のきれをあたまからすっぽりかぶったのが、だいぶくたびれたみじかい外套をやけに肩でゆりあげながら、いそぎ足で靴みがきの列のまえを行きすぎようとするうしろから、これも女ばかり五六人、年ごろも風態も似かよったのが、追いかけるようにして、けしきばんだ調子あらく、
「ねえさん、ちょっとお待ちよ。」
くりかえして声をかけられて、ふりむいたさきの二人を、ぐるりととりかこむかたちで、顔と顔まぢかに詰め寄りながら、
「あんたたち、どっから来たのさ。」
二人づれの、どちらも見るからに鼻柱の低くふてぶてしいのが、いっそ居直ったけはいで、
「どっから来たっていいじゃないか。よけいなお世話だよ。」
たちまち殺気立った五六人の一組が、
「なまいきいってやがら、ここをどこだとおもってるんだい。ラク町だよ。ブクロ(池袋)あたりをうろついてるのたちがうんだよ。あんたたち、どっから来たんだか知らないけど、このへんにまぎれこんで来てへんなまねされちゃ、ラク町の顔にかかわら。」
「変なまねって、なにしたってえのさ。」
「泥棒したじゃないか。」
「なんだって。」
「こないだ、ここでお客をひろって品川の宿屋で五千円盗んだのは、あんたたちじゃないか。ちゃんと判ってるんだよ。ラク町にゃそんなことするのはひとりもいないんだからね。」
「盗んだんじゃないよ。もらったんだよ。お客からお金とるの、あたりまえじゃないか。なんだい、ラク町ラク町って、あんたたちだってパンパンのくせにさ。」
そばを通りかかるもの、靴をみがかせていたもの、靴みがきまでがちょっと手をとめて、みなめずらしげに、事あれかしという顔つきで、このいさかいを眺めていたが、そのとき、すでにみがきおえた靴の右足をおろして、代りに左足を載せかけたみがき台の、ついその向う、眼の下の地べたから、いきなり疳高いさけびがあがった。
「のしちゃえ、のしちゃえ。」
たしかに、靴みがきにはちがいない。しかし、あやめも判らぬよごれた布きれで頬かぶりして、仕事服の、泥と靴墨とでどすぐろくなったやつをだぶだぶに著て、夕ぐれの道ばたにうつむきの姿勢でいるのだから、年のころ面体など見定めがたく、男とも女とも気にとめずにいたのに、今ぱっと立ちあがったそのすがたの、刷毛を手につかんだまま、すさまじくあらくれながら、しぜん若い女のしなやかさで、だぶだぶの仕事服が肩からずれかかって、ぼたんのとれている胸もとに色あざやかな真赤なセーター、乳房のかたちがうかがえるまでにむっくり盛り上って、はだかった襟の、頸筋からあらわに白く、そこにちょっと靴墨のはねの附いたのがいっそなまめかしかった。もっとも、ずぼんは男物で、これもだぶだぶの茶褐色のやつで、靴はゴム底のぼってりしたのを、踵かるく踏んですすみ出て、いさかいのまんなかに割って入ると、二人づれのほうにむかって、噛みつくように、
「パンパンだって。なにいってやがんだい。パンパンならどうしたってんだい。男がみんないくじがないから、あたしたちがはたらいているんじゃないか。パンパンと泥棒はちがうんだよ。おまえたちみたいに、泥棒だなんて、古いんだよ。気をつけろよ。」
私の屁理屈はどうあれ、こんな素敵な登場をされたら、先を読んじゃうよなぁ。無条件降伏。この場面だけでも、映画で観てみたい。
石川淳がとまらない。「かよい小町」を読んでしまった。おそらくこのまま「石川淳短篇小説選」一冊を一気に読み切るだろう。
だが、「かよい小町」についてなにかを書こうとしたとき、はたしてなにを書けばいいのか、まったく困っている。けしてよいお話でも感動的でもない、さしたる動きがあるわけでもない。それでも、私はとても気もちよく読みながら、その気もちよさを説明できない。
とりあえず、いつもどおり引用してみれば、なにか見えてくるだろうか・・・。
月の無い夜道の、星は出ていてもたよりにならず、片側は小さな牧場、片側は田圃、もとより当節は街燈の設備などあるはずもないくらやみの中を、ついさっき夕方までふっていた雨のあとで、あちこち道のくぼみにできた水たまりに、ともすればぼちゃんと足をさらわれながら、それでもふだん通りつけているだけの心あたりで、靴のさきで探るようにして、しぜんうつむきがちの姿勢であるいて行くうちに、いきなりうしろからぱっと光がさした。それが懐中電燈の光だとはすぐ知れたが、あからさまに照らし出されたこちらの姿とは逆に、先方は闇にかくれてなにものとも判らず、ただ「ごめんなさい。」と女の声で、ふたりと見えたのが、かすかに脂粉のにおいをのこして、さきに通り越しながら、もう二三間むこうを照らしている電燈の光の中に、わかわかしい、はしゃいだ調子で、
「あ、そこ水がたまってるわよ。染香さん。」
「わかってるわよ。」
「あら、せっかくおしえてやるのに。」
「よしてよ、押さないでよ。」
チチチチと、田圃の中で、虫の声がしきりであった。
これだけでもう、やられた、と思う。いや、読書に、やるもやられるもないのだが、暗闇のなかを足許に気を遣いながら歩くさきに、懐中電燈の丸い光に照らされ、ふいっとゆきすぎる女の匂いとひと言の詫び、続いて、無邪気な女同士の会話に虫の声。ゾクゾクしてしまった。そして、そのゾクゾクが語り手に伝播したわけでもあるまいに、語り手はやけに怪しげな行動に出る。
さて、どちらへ行こう。どこへ行くという宛もなく、牧場の裏の仮寓から、それもよその軒下を借りたひとりぐらしの狭いところから、毎晩さまよい出る癖でここまで出て来たのだから、このさき電車に乗って遠くへ行ってもよく、まぢかの酒ビール牛乳と附合ってもよいのだが、漫然と電車に乗ることにして、駅にまぎれこんで切符売場に立つと、すぐまえに例の女が上り三つ目の駅までの切符を買ったのにつれて、やはりおなじ切符を買い、やがて来た電車に、どやどやとひとに押されながら、女とおなじ箱に乗った。
さきほど染香と呼ばれた女をつけていくのだ。ここで断っておけば、染香という名は、「そう聞けばまず芸者にちがいあるまい」と書かれたとおりだ。
このまま語り手(ととりあえず書いておこう。いまだ人称らしきものはない)は、今時ならばストーカーとも呼ぼうか、染香をつけて、あまつさえ、染香がはいった料理屋に、一見お断りというのも聞かずに、染香の連れだと言って押して入ってしまう。
うぅむ。たしかに語り手の人称がない。といっても「こちら」というコトバがそれに相当しているから、人称代名詞がないだけで、人称を省いた書き方というにも当たらないだろう。しかし、語り口調に似ていなくもない。物語は物語で、またずいぶんひどいような話で、たとえば粗筋を書いて、それを褒めたら、ただの人非人めくだろうし、精神の運動というなら、思索のような長口舌の、そのいうところも、ずいぶんとひどいといえばひどい。「閨房では、女人は窮極のところ乳房でしかない」などというのだから、始末に負えない。いったい私は、この小説の、なにを面白がっているのだろう。赤い斑点と赤旗、その色遣いだろうか、とも思ったが、どうもそれだけではない。
駄目だ。時間を置こう。あるいは、ほかを読み進めるうちになにかが見えてくるかもしれないが、とにかく楽しみながら読んだことはたしかなのに、そのわけが自分でもわからない。文章かなぁ・・・・・。書き出しの「やられた」の勢いと、会話も含めてテンポのよい文章、それらで一気に読まされた、といったところなのかなぁ・・・。駄目、とにかく今夜のところは、ギブアップ。
うううううう、ひどい記事。
またしても、メンテナンスだった。ココログのお知らせはまめにチェックしないといけないな、と、反省。そもそも前回のメンテナンスに失敗したというのだから、近々にあろうことは想像できたはず。深く反省。
昨日は、池袋のジュンク堂に寄って、岩波文庫の「リイルアダン短篇集」上下巻を買ってきた。
それはさておき、「石川淳短篇小説選」のうち、「焼跡のイエス」だ。これも、短いにもかかわらず、文芸文庫の表題になった作品。メンテナンスで記事が書けなかったせいもあるが、すでに2回読んでしまった。
炎天の下、むせかえる土ほこりの中に、雑草のはびこるように一かたまり、葭簀がこいをひしとならべた店の、地べたになにやら雑貨をあきなうのもあり、衣料などひろげたのもあるが、おおむね食いものを売る屋台店で、これも主食をおおっぴらにもち出して、売手は照りつける日ざしで顔をまっかに、あぶら汗をたぎらせながら、「さあ、きょうっきりだよ。きょう一日だよ。あしたからはだめだよ。」と、おんなの金切声もまじって、やけにわめきたてているのは、殺気立つほどすさまじいけしきであった。きょう昭和二十一年七月の晦日、つい明くる八月一日からは市場閉鎖という官のふれが出ている瀬戸ぎわで、そうでなくとも鼻息の荒い上野ガード下、さきごろも捕吏を相手に血まぶれさわぎがあったという土地柄だけに、ここの焼跡からしぜんに湧いて出たような執念の生きものの、みなはだか同然のうすいシャツ一枚、刺青の透いているのが男、胸のところのふくらんでいるのが女と、わずかに見わけのつく風態なのが、葭簀のかげに毒気をふくんで、往来の有象無象に噛みつく姿勢で、がちゃんと皿の音をさせると、それが店のまえに立ったやつのすきっ腹の底にひびいて、とたんにくたびれたポケットからやすっぽい札が飛び出すという仕掛だが、買手のほうもいずれ似たもの、血まなこでかけこむよりもはやく、わっと食らいつく不潔な皿の上で一口に勝負のきまるケダモノ取引、ただしいくら食っても食わせても、双方がもうこれでいいと、背をのばして空を見上げるまでに、涼しい風はどこからも吹いて来そうにもなかった。
焼跡の景色ばかりでなく、この文章のリズムを孕んでドクドクと流れるさまが、なるほど野坂昭如を思い出させて、やがて戦後焼跡派に名を連ねるわけもわからなくはない。とはいえ、むしろ、野坂が小説を書こうとしてただそればかりを読んだと伝えられているのが、織田作之助だというから、その真偽はともかく、野坂のほうにこそ、無頼派の影響を見るべきなのかもしれない。いずれにせよ、無頼派と焼跡派は近しいといえそうだ。焼跡派=野坂に偏った物言いだが、しかし、そうした石川淳の在りようにかまけている暇はない。なぜなら、「焼跡のイエス」という作品についてこそ、今日は書きたいのだから。
この世界は、時空を明確にしている。けだし、「きょう昭和二十一年七月の晦日」の上野ガード下である。同時に、その世界は明日には、市場閉鎖によって消えてなくなるはずの世界でもある。そして、「ここの焼跡からしぜんに湧いて出たような執念の生きもの」たちが跋扈する場所。生きものたちが「しぜんに湧いて出た」とはなんだろう? このとき私たちは、焼跡というコトバ、昭和二十一年というコトバから、なにかを読み取っている。
焚きたての白米という沸きあがる豊穣な感触は、むしろ売手の女のうえにあった。年ごろはいくつぐらいか、いや、ただ若いとだけいうほかない、若さのみなぎった肉づきの、ほてるほど日に焼けた肌のうぶ毛のうえに、ゆたかにめぐる血の色がにおい出て、精根をもてあました肢体の、ぐっと反身になったのが、白いシュミーズを透かして乳房を匕首のようにひらめかせ、おなじ白のスカートのみじかい裾をおもいきり刎ねあげて、腰掛にかけたままあらわな片足を恥らいもなく膝の上に載せた姿勢は、いわば自分で自分の情慾を挑発している格好ではありながら、こうするよりほかに無理のないからだの置き方は無いといふようすで、そこに醜悪と見るまでに自然の表現をとって、強烈な精力がほとばしっていた。人間の生理があたりをおそれず、こう野蛮な形式で押し出て来ると、健全な道徳とは淫蕩よりほかのものでなく、肉体もまた一つの光源で、まぶしく目を打ってかがやき、白昼の天日の光のほうこそ、いっそ人工的に、おっとりした色合に眺められた。女はときどき声を張り上げて、しかしテキヤの商業的なタンカとちがって、地声の、どこかあどけない調子で、「さあ、焚きたてのおむすび一箇十円だよ……」
恥じらいを忘れて無理のないからだの置き方を選ぶ女の、いっそ潔い仕草に「健全な道徳」すら覚えるのは、そこが昭和二十一年夏の上野ガード下という場所だからだろう。そこは、この小説の舞台になったという意味でも、すでに特殊な時空である。だが、それ以上に、その時点・地点が特殊なわけがある。
まったく、その少年が突然道のまんなかにあらわれたときには、あたりの店のものも、ちかくを行きずりのものも、みな一様にどきりとして、兵隊靴の男とおなじく身をかがめるふうにして、足のすくんだ恰好であった。そして、めいめいにおもいがけないこの一様の姿勢をとらせたものは、ここにいきなり襲って来たある強い感情のせいだということ、その感情とは恐怖にほかならないということを、さしも狂暴なかれらの身にしても、ひたとさとらざるをえないけはいであった。けだし、ひとがなにかを怖れるということをけろりと忘れはててからもうずいぶん久しい。日附のうえではつい最近の昭和十六年ごろからかぞえてみただけでも、その歴史的意味ではたっぷり五千年にはなる。ことに猛火に焼かれた土地の、その跡にはえ出た市場の中にまぎれこむと、前世紀から生き残りの、例の君子国の民というつらつきは一人も見あたらず、たれもひょっくりこの土地に芽をふいてとたんに一人前に成り上ったいきおいで、新規発明の人間世界は今日ただいま当地の名産と観ぜられた。このへんをうろうろするやからはみなモラル上の瘋癲、生活上の兇徒と見えて、すでに昨日がなくまた明日もない。天はもとより怖れることを知らず、ひとを食うことは目下金もうけの商売である。正朔の奉ずべきものがあたえられていないのだからきょうはいつの幾日でもかまわず、律法の守るべきものをみとめないのだから取締規則は其筋でもあの筋でもくそを食らえの鼻息だが、そのくせほこりといっしょにたたき立てる商品は今日禁制の、すなわち巷間横行中の食うもの著るもの其他、流通貨幣はやはり官の濫造に係る札束で、したがってせっかくの新興民族の生態も意識も今日的規定の埒外には一歩も踏み出していない。劣情旺盛取引多端の一事は旧に依って前世紀からの引継ぎらしく、急にもまして今いそがしいさいちゅうに、それほど大切な今日というものがじつはつい亡ぶべき此世の時間であったと、うっかり気がつくような間抜けな破れ穴はどこにもあいていないのだろう。その虚を突いてふっと出現した少年の、きたなさ、臭さ、此世ならぬまで黒光りして、不潔と悪臭とにみちたこの市場の中でもいっそみごとに目をうばって立ったのに、当地はえ抜きのこわいもの知らずの賤民仲間も、おもわずわが身をふりかえりみておのれの醜陋にぎょっとしたような、悲鳴に似た戦慄の波を打った。
昭和十六年とはいうまでもなく大東亜戦争、太平洋戦争勃発、すなわち真珠湾攻撃がなされた年で、それから五千年がたったという。歴史は終わった。つい前世紀の君子国の民さえ消え失せたときである。歴史が終わり、なにもかも失われたはず。そして、そこにいるのは、「新興民族」、最初の引用にある「ここの焼跡からしぜんに湧いて出たような執念の生きもの」たちがいる、新世界だ。するとこれは黙示録かもしれない。だが、彼らはまったき「新興民族」ではなかった。「せっかくの新興民族の生態も意識も今日的規定の埒外には一歩も踏み出していない」。上野ガード下という新世界、黙示録世界には、外側の世界がある。前世紀の戦争を引きずりながら、官の支配下にある世界が、いまだ野蛮ゆえに「健全な道徳とは淫蕩よりほかのものでな」いような新世界の外の世界があって、そこにふいに湧いて出たような新しい人類たちも、じつはその外の世界と交通を保ち、あまつさえ、むしろ外の世界こそが彼らのいるべき世界であった。いってみれば、彼らは新世界に逃げ込んできたようなものだ。そこに、どうしようもなくその世界の住民である少年が立つ。だから「おのれの醜陋」とは、むしろ外の世界の小綺麗さのことにほかなるまい。旧弊の世界にしか生きられず、しかしとうてい賤民でしかない。だから、彼らにとって上野ガード下も、新世界などではなく、ただお仲間のいる場所だったはずだ。
いや、もとより、上野ガード下を離れてさえ、世界はすでに五千年の時を越えている。
少年はふた目と見られぬボロとデキモノにも係らず、その物腰恰好は乞食のようでもなく掻払いのようでもなく、また病人とも気ちがいともおもわれず、他のなにものとも受けとれなかったが、次第に依ってはずいぶん強盗にもひと殺しにも、他のなにものにでもなりかねない風態であった。しかし、ウミのあいだにうかがわれる目鼻だちはまあ尋常なほうで、ぴんと伸びた背骨の、肩のあたりの肉づきも存外健康らしく、もし年齢をあたえるとすれば十歳と十五歳の中ほどあたりだが、いわゆる育つさかりの、四肢の発育がいじけずに約束されていて、まだこどもっぽい柔軟なからだつきで、それが高慢なくらいに胸を張りながら、まわりの雑鬧にはふりむこうともせず、いったい何の騒動がおこったのかと、ひとり涼しそうに遠くを見つめて、役者が花道に出たようにすうとあるいて行くのは、どうしておちつきはらったもので、よほどみずから恃るとことがないと、こうしぜんには足がはこぶまいとおもわれた。少年はどこから来てどこへ行こうとするのか。たれも知らない。この新開地では、種族を判別しがたい人間どもがどこからともなくわらわらとあつまって来て、どこへ行くともなく右往左往している中に、ひとり権威をもって行くべき道をこころえたような少年の足どりの軽さはすでに十分ひとをおどろかすに堪えた。もし一瞬の白昼のまぼろしとして、ひょっと少年のすがたがまのあたりに掻き消えたとしても、たれもこのうえおどろく余地はなかったろう。
ところで、ここに意外の事件がおこった。少年がイワシ屋の店を出てすうとあるきはじめたときには、たれの眼にもつい消えうせるかと見えたのに、それがとたんに身をひるがえして、となりのムスビ屋の店に飛びこみ、どこに入れてあったのか折目のつかないまあたらしい札を一枚出して台の上におくと、まっくろに蠅のたかったムスビを一つとって、蠅もろともにわぐりと噛みついた。はたからさえぎる隙もない速い動作で、店番の若い女がなにかさけびながら立ちあがろうとしたひまに、ムスビはすでに食われていた。そして、おなじくすばやい身のうごきで、少年は今度はムスビではなく、立ち上ろうとした女のほうにおどりかかって腰掛の上に押しつけるぐあいに、肉の盛りあがったそのはだかの足のうえに、ムスビに噛みつくようにぎゅうっと抱きついた。女の足の肉と少年の顔とのぶつかる音が外にまで聞えたほど烈しい力であった。女は悲鳴とともに飛び立って、「なにしやがんだい、畜生、ガキのくせに。」これも懸命の力で振りもぎろうとするが、少年はなかなか離れない。そこへ、兵隊靴の男がまた駆けつけて来て、ほそい竹の棒を振りまわしながら、しかしただ「畜生、畜生」とさけぶだけで、やはりボロとデキモノに怖れをなしているのか、揉みあう二人のからだのまわりを飛びまわって、ぴゅっぴゅっと竹を鳴らすにとどまって、よく手を出して引き分けることをしかねた。女は少年とは一体になって、搦んだまま店の外に出て来て、よろよろと倒れそうになったのが、もろにこちらへ、ちょうどそこに立っていたわたしのほうにぶつかって来た。そのとき、わたしはムスビ屋のとなりの飴屋のまえに立っていて、飴屋が石油鑵の中にかくしてあるたばこを買い、その一本に火をつけかけたところであった。
少年の絶対的な他者ぶり、なにものとも同じでなく、必要と欲望だけで行動するその、まったき新人類ぶりに、上野ガード下という新世界にあるべき存在の真実らしさを見せつけられて、だれもが慄き、その「だれも」とは、ほかでもない語り手をも驚かせたから、ここにいたって(8P目にしてようやく)、「わたし」と名乗りをあげてしまう。
すると、世界が一変しないだろうか? 昭和十六年から五千年がたったなどと言ってみせる存在が、今そこに立ち現れるのだ。時空を超えて世界を観照して見せていた存在が肉体をもったとき、小説世界の事態は一変する。上野ガード下の描写が、「わたし」の心象に照らされた世界認識に基づいた擬態の様をまとうのだ。もちろん、私たち(読者)はその小説が石川淳というひとりの人間によって書かれたことをしっていて、描写の背景に石川淳の現実や世界、歴史にたいする認識が反映されていることを漠然と感じとりながら、その認識を共有している。ところが、ここに「わたし」が現れたとき、読者は「わたし」をとおして世界を見ることになる。すると、昭和二十一年七月晦日を昭和十六年から五千年をへた世界だと語ることが、私たち(読者)の世界ではなく、「わたし」の世界観に帰せられる。そのように世界を見ていた私たち(読者)が、そのように見ている「わたし」を見ることになるのだ。私たちが「わたし」になって世界を見る、そのための一工程が、「わたし」というコトバによってつけくわえられる。それはどういうことだろう。「わたし」の精神が出来事として描写される。
わたしはとっさによろけて来る一かたまりの肉塊を抱きとめようとする姿勢をとった。そうしなかったとすれば、わたしは倒れかかるもののいきおいに圧されて、ともに地べたにころがったにちがいないだろう。その一かたまりの肉塊は女のからだと少年のからだとの合体から成り立っている。わたしはやはりとっさに判断をはたらかして、ボロとデキモノとウミとおそらくシラミにみちた部分よりも、ふれるにこころよい柔かな肌の部分のほうに抱きつくことを撰んだ。というのは、はずかしいことだが、わたしは先刻から女のはだかの足のみごとな肉づきに見とれていて、公然とそれに抱きつくことをしなかったのは単に少年の示したごとき勇猛心に欠けていたためにほかならず、揣らずも今あたえられた機会に、いわば少年の勇猛心の余徳を利用して幸便に陋劣なおもいをとげようとしながら、しかも少年のからだのほうは邪慳に突き放して、もっぱら女の背中をねらって組みとめるに努めた。しかし、わたしはてきめんに罰をこうむったかたちで、非力をもって支えるによしなく、実際には女の張りきった腰のあおりを食って跳ねとばされ、したたか地べたにたたきつけられてしまった。
肉体が与えられてしまったからは、その運動の背景に精神がある。出来事とは事物のうえにだけあるのではなく、精神にも起きている。まして「精神の運動」をいい続けたのが、石川淳である。叙情と叙事とは分かち難い、というより、小説というコトバの事件の場にあれば、情もまた事にほかならない。いや小説にあらずとも情とは、精神の上におきた出来事にほかならないが、小説では、それがコトバに転換されるその過程もまた、創作という出来事だから、出来事を離れた情などというものは、小説においてはありえないのだ。だから、ただぶつかってきた女と少年を組みとめようとすることにも、過剰なまでにコトバが費やされる。
少年はすでに去り、どうやら、「わたし」が持っていたタバコの火が女のシュミーズに穴を開けただけのことで、支えようとしたはずの「わたし」は、取り囲む皆から敵意の眼を向けられて、とたんに「わたし」は逃げ出す。
せまい市場の、すぐ外側が電車通で、そこまで駆け抜けてほっと息をつき、ふりかえって見るとさいわい追いかけて来るものもなかった。気がつくと道を行くひとがみな咎めるような眼つきでこちらを見ている。なるほどあたまから泥まみれ、手足のすりむきで血が染んでいて、おまけにつらつきの市場じみたところがまだ改まっていないようだから、さだめて異様な風態だろう。わたしは生れつき虚栄心満満としてもっぱら体裁をつくることに苦心し、恥知らずの市場の雑鬧に入りまじってさえ、たとえばムスビ屋の店番の女にちょっと岡惚れしてみたにしろ決して劣情は色に出さず、なるべくきどって、品のよさそうな恰好をこしらえあげることに努めているのに、それがこういう惨憺たる結果になって来ると、市場の中のいちばん恥知らずよりもなお恥知らずで、まことに賤民中の賤民とは自分のことであったと、照る日の光とか他人の見る目などへの気がねはさておき、なによりもわが虚栄心のてまえいいわけ立ちがたく煩悶ひとかたでなかった。わたしは泥をはらい血をふいて、ほどけた靴の紐をむすび直し、さりげないふうをよそおってあるき出したが、どうも足どりがまだすらすらと行かなかった。それにつけても先刻の少年はどうすればあのように沈着に、かつ機敏に、むしろ堂堂たる態度をもって市場の悪党どものまんなかを押しあるいていられるのだろう。どこの天の涯からか、またはどこの地の底からか、この新規にひらかれた市場の土地に遣わされて来て、ここの曠野に芽ばえる種族の先祖はおれだといっているような押し出しである。かくのごとく律法の無い、汚辱のほかにはなにも著ていない、下賤のはだかの徒に、たれが味方するのか。しかし、メシヤはいつも下賤のものの上にあるのだそうだから、また律法の無いものにこそ神は味方するのだそうだから、かの少年は存外神と縁故のふかいもので、これから焼跡の新開地にはびころうとする人間のはじまり、すなわち「人の子」の役割を振りあてられているものかも知れない。少年がクリストであるかどうか判明しないが、イエスだということはまずうごかない目星だろう。市場のものどもはいったいにあまりおしゃべりをしないようだが、少年はとくに一言も口をきかなかった。按ずるに、行為がことばというわけだろう。そしてその行為は一つ一つ、たとえばイワシをよこせとか、ムスビを食わせろとか、女の股に抱きつかせろとかいうように、命令のかたちをとっている。それが命令である以上かならずやなにか神学的意味がふくまれていて、俗物がまださとりえないでいるところの、ものの譬になっているにちがいない。けだしナザレのイエスの言行に相比すべきものがある。もしだれかが少年の日常の行動を仔細に観察し、これを記録にとどめて集成したならば、「山上の垂訓」にくらべられるようなあたらしい約束の地の説教集が編まれるだろう。おもえば、あの風采とてもどうして大した貫禄のものであった。ボロとデキモノとウミとおそらくシラミとをもって鏤めた盛装は、威儀を正した王者でなくては、とても身につけられるものではない。わたしも平常おしゃれに憂身をやつしたいというひそかな念願があって、例の虚栄心で物資不足のおりずいぶん苦労しているが、まだまだ王者の盛装には手がとどきそうもない。すでにして、敵はイエスである。わたしがムスビ屋の女を引張り合って手足をすりむいたぐらいのことは、まあ災難がかるかったと、あきらめるほかないだろう。わたしはすこし気がしずまって来た。
「わたし」は上野ガード下を逃げ出しながら、ガード下の顔のままだったから、恥じる。その境界線を越えるための、儀式を怠ったらしい。虚栄心満満のものが小説を書けるだろうか? すくなくとも、「わたし」はムスビ屋の女に岡惚れしたと書きつける。あまつさえ、それ以前すでに、女の足に抱きつかなかったのは、勇猛心がなかったからだと白状している。ここでいう虚栄心にまったく反する行為だろう。こうして「わたし」が語る小説、私小説とこの小説は画然と袂を分かつ。そしてここで起きているのは、一人称の語り手が出現によって起きてしまったはずの語り手と読み手の乖離を解消する、読み手の「わたし」化ではないだろうか。そして私たち(読者)は「わたし」になる。遠く歴史を超えて俯瞰していた読者が、やがて、女と少年に跳ね飛ばされてさらに上野ガード下という新世界を追われる「わたし」を眺めながら、ついに、「わたし」になって、新世界の外の世界を歩くことになる。このとき物語は、少年はイエスになっているが、この時点でおのずと「わたし」が辿るところが見えてこよう。
ところがことはそう簡単ではない。
わたしは気をしずめて広小路の四辻のほうへ行く電車をしばらく待っていたが、どうも来そうなけしきがなかった。わたしはまたあるき出して上野の山にのぼった。これから東照宮の境内を抜けて、山の下の道をおりて、谷中まであるいて行こうというつもりである。その谷中に行くということは、わたしがきょうわざわざここまで出て来た目的であった。
「わたし」は説明をはじめてしまうのだ。俄然、わたしたち(読者)は「わたし」たり得ない。ましてこのあと、「わたし」は拓本をとろうとしているのだという。そのために包に、紙墨とコペ(コッペパン)を携えていると。そうなれば、「「山上の垂訓」にくらべられるようなあたらしい約束の地の説教集」を編むべきは「わたし」にほかなるまいと思われる。そして、ここに一篇の小説がある。すなわち「焼跡のイエス」という小説である。「わたし」が説明の身振りをもって私たち(読者)を退けるのは、まさにここに書かれつつある新約聖書のためではないだろうか? それなのに、
さて、わたしは上野の山にのぼって清水堂の下あたりまで来たとき、なにげなくうしろをふりむくと、二町ほどあとからボロとデキモノの少年のこちらへむかってあるいて来るのが見えた。まがう方なく、先刻の少年である。わたしはすでに市場で道草を食うことをやめて、拓本への方向をとりもどしていたので、少年についてはもう大して関心がもてなくなっていた。それに、不思議なことには、この山の上の広い場所で眺めると、少年の姿は市場の中に於けるがごときイエスらしい生彩をうしなって、ただ野獣などの食をあさってうろつくよう、聖書に記されている悪鬼が乗り移った豚の裔の、いまだに山のほとり水のふちをさまよっているかのようであった。わたしは興ざめて、少年をうしろに見捨てたまま、さきにすすんだ。このへんまで来ると、もはやものを売る店もなく、ひと通りもすくないので、わたしがどれほど浮気の性があったにしろ、女の足の肉づきに見とれて道をまちがえる危険はない。
少年は、上野のガード下という新世界でこそイエスでありえる。だが、少年はイエスであろうとしているわけではない。そして今、少年は悪鬼である。それは新世界の外の、すでに秩序を獲得している世界にあってみれば、イエスもまた悪鬼だということだろうか? そうではない。少年の仕儀は、ガード下でもなお、秩序を壊すもの、すなわち律法を革めるものとして、イエスだったのだ。「わたし」はガード下用の顔をもっていたはずだ。その顔のままガード下を飛び出したことを恥じていたはずだ。だが、もちろん少年にはそんな境界線など存在しない。境界線の内と外で、彼を別様に見るのは、じつのところ「わたし」の眼にほかならない。
前面のいちばん大きい木のそばまで来たとき、わたしは決心してくるりとふりむいた。とたんに敵はぱっと飛びかかって来た。土を蹴ってぶつかって来たものは、悪臭にむっとするような、ボロとデキモノとウミとおそらくはシラミとのかたまりである。それを受け止めようとして揚げたわたしの手に、敵の爪が歯が噛みついて来て、ホワイトシャツがびりりと裂け、前腕にぐいと爪が突き立つのを感じた。そのあとは夢中であった。わたしはボロとデキモノとウミとおそらくシラミとのかたまりと一体になって、地べたにころがった。その無言の格闘の中で、わたしはかろうじて敵の手首を押さえつけることができた。ひどい力で、すばやくうごく手首である。しかし、それはおもいのほか肌理がこまかで、十歳と十五歳の中ほどにある少年の、なめらかな皮膚の感触であった。わたしは死力をつくして、どうやら敵を組み伏せた。今、ウミと泥と汗と垢とによごれゆがんで、くるしげな息づかいであえいでいる敵の顔がついわたしの眼の下にある。そのとき、わたしは一瞬にして恍惚となるまでに戦慄した。わたしがまのあたりに見たものは、少年の顔でもなく、狼の顔でもなく、ただの人間の顔でもない。それはいたましくもヴェロニックに写り出たところの、苦患にみちたナザレのイエスの、生きた顔にほかならなかった。わたしは少年がやはりイエスであって、そしてまたクリストであったことを痛烈にさとった。それならば、これはわたしのために救いのメッセージをもたらして来たものにちがいない。わたしはなに一つ取柄のない卑賤の身だが、それでもなお行きずりに露店の女の足に見とれることができるという俗悪劣等な性根をわずかに存していたおかげには、さいわい神の御旨にかなって、ここに福音の使者を差遣されたのでもあろうか。わたしは畏れのために手足がふるえた。そのすきに、敵の手首はつるりとわたしの手の下から抜けて、逆にわたしのあごをはげしく突きあげて来た。わたしはあおむけに倒れた。ちょうど、倒れたあたまのところに、わたしの風呂敷包が破れて落ちていて、白紙が皺だらけになって散り、二きれのコペが泥の中にころがっていた。敵はすばやくそのころがったパンを拾いとると、白紙をつかんで泥といっしょにわたしの顔に投げつけて、さっと向うへ駆け出していった。
出来事に深遠な意味を見出ながら、「わたし」は格闘する。出来事のなかで、精神が運動を余儀なくされる。
それなら、「わたし」は少年と行動をともにしなければならない。そうではない。なぜなら、神が少年を差遣したのは、「わたし」の「俗悪劣等な性根を」見込んだからで、石川淳のほかの小説に再三表れる「貧棒書生」だからではない。これまでの小説で、「わたし」といえば文筆を業とするものであったし、この小説中にも、「銘文は服元喬の撰に係る。服部南郭ならば江戸の詩文の大宗として、わたしとはまんざら縁のないこともない。」と、あたかも石川淳本人を思わせる「わたし」なのに、まして、すでに引いたとおり、記録者があればなどと書いているのだから、あえて、記録者たろうとしないといってもよいだろう。それは、石川淳のテレだろうか? 福音書の書き手足り得ないという謙遜の身振りだろうか? その答えは、この小説を終わりまで読めばわかるだろう。いや、わからなくてもいい。「わたし」が少年をイエスと見たことは、少年には関係のないことなのだ。「わたし」は少年と出会った。その出来事に、石川淳が意味を与えた。だが、石川淳は、それが「石川淳の」精神の運動にすぎないことを、弁えている。だからこそ、「精神の運動」なのだ。だとすれば、少年がイエスであることや、「わたし」が使途であることを問うのは、ナンセンスではないか。少年の在りように出会い、その在りようにイエスを見る「わたし」に、私たちは出会ったのだ。
石川淳は、段落ごとの引用は辛いな・・・。長すぎる。今後は考えよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上野さんの読書日記が今日の日付で更新されている。閻連科「人民に奉仕する」は、本屋で平積みになっているのを見て、気になったが買わなかった本だ。バタイユの「マダム・エドワルダ」を引き合いに出すなんて、気になってしまうではありませんか。
今日、岩波文庫のエミール・ゾラ「テレーズ・ラカン」を探しにいったのだが、見当たらず、かわりに「リイルアダン短篇集 下」を見つけてしまった。ところがこれが2006年春リクエスト復刊本。今まで気づいていなかった。これはヤバイ。早く上下巻揃ってるところを見つけて買っておかねば、絶対にすぐなくなる。リイルアダンなんていうからわからないのだよぉ。「未来のイヴ」のヴィリエ・ド・リラダン卿ではありませんか! リクエスト復刊は、以前のままの版を使うから、最近の版組になれている眼にはけっこうきついのだが、それゆえに安上がりにこうして復刊できるのだろうし、岩波流の、売れる程度に少量を刷って、すぐ絶版にし、またときがきたら復刊する、という商売に大仰に「リクエスト復刊」などという帯を巻いただけなのだけれど、回転の早い文庫本事情を考えれば、やはりありがたい。新訳、新版ではあの金額が維持できないのは、やはり消えてしまった本を出している講談社文芸文庫などを見ればわかる。その点、光文社の古典新訳文庫は頑張っているが、悪ふざけが過ぎる翻訳もあり、残っていくのだろうか、という疑問も感じる。
それはともかく、「石川淳短篇小説選」が、読み出したらとまらない。「無尽燈」と「焼跡のイエス」を読んでしまった。
「無尽燈」
私小説というコトバを、「私」という一人称で書かれた小説と解釈すれば、この本で今まで読んだ小説はすべて私小説だし、「無尽燈」もまたその例に洩れない。しかし、私小説というコトバはそれほど広い意味には捉えないのが一般的なのだが、ではそうした狭義の私小説とはどの範囲を指すのか、といって、その基準も曖昧だろう。もしかしたらアカデミックな場所などでは、もっと明確な基準があるのかもしれないが、およそ、作家本人の実体験に基づく小説といったところだと思う。だが、はたして、作家の実体験なるものを誰が保証するのだろう? まして、作家の実体験とはどこからどこまでをいうのだろう? 頭のなかで体験したことは、「実」体験とはいえないのだろうか? では、小説という場に、コトバや文章に置き換えるという抽象化の作業のなかで、「実」とはどこまでをいうのだろう? 当たり前のことながら、その場そのときに体験した、五感がとらえたすべてを文章にすることなど、不可能だ。そのうえで、書いたコトバ・文章(シニフィアン)が、書いた事象(シニフェ)と、合致する、などということもまた幻想にすぎないし、よしんば、多少のズレは仕方ないとしたうえで、これ以上ふさわしいコトバはないと思えても、はたして作家のそのコトバはそれを読んだ読者のそのコトバとまったくおなじものを喚起するだろうか。コップといったところで、あなたと私が思い浮かべるコップは、素材や大きさ形、すべてが一致するなどということはまずあり得ない。それがコトバだ。
弓子がいかなる心願の筋を秘めていたのか、じつはわたしは正確には知らなかった。ただ判っていたのは、その心願の筋とは、げんに当人の身柄がわたしのもとに来ているという事実とは無関係ではないということで、わたしはそれを弓子とわたしとの愛情の交渉の中に感じあてていた。すなわち、わたしはわたしの生活の中に弓子をむかえ入れたことに依って揣らずも弓子の心願の片棒をかつぐような廻合せになったわけだが、しかもそのかつがされた荷物の中みは明かでないという状態であった。そういう状態に生活を食いこませてしまうことは、精神の衛生学にとってありがたくないものである。そこで、弓子の心願の正体を突きとめにかかるとすれば、わたしはわたしという質点に於て傾斜して来たところの、ひとりの女の心情曲線を微分して行くことになるだろう。そして、わたしが無芸の一つおぼえにもっている思考の方法は散文よりほかに無いのだから、この微分の操作をつづけて行った揚句はしぜん小説の形式に出来上ってしまうかも知れないだろう。そのとき、わたしはいいつらの皮に、出来上った作品からわたしの現実の生活にむかって細目の照し合せを要求されるという窮屈な目に逢わされるにちがいない。弓子がわたしの女房であるかぎり、またわたしが女房を愛していて、めったに人目にさらしたくないほど、外の世界の荒い風にあてたくないほど痛切に愛しているかぎり、この女人像の身許については、わたしの生活が保証に立つほかあるまい。どこまで行っても地上のくされ縁がたたき切れずに、行ったさきから振出しに跳ねかえって来るようなぐあいに、所詮作者の生活に還元されてしまうべきことを見越しながら、書かれるであろう作品というものは、わたしの小説観にとってぞっとしないものである。
「わたし」は作家としての「わたし」より、弓子の身許を保証して見せる。だが、「所詮作者の生活に還元されてしまうべきことを見越しながら、書かれるであろう作品」とは、私小説にほかなるまいに、ここには明らかな転倒がある。自分が見つめるところの妻・弓子を描くことで成立するはずの小説だと自らが保証していながら、その小説が私小説として読まれるだろうといって、小説の在りようを読者の側に帰してしまうのだ。まるで、俺は俺の女房のことを書いちゃうけど、それを私小説と読むのは読者の勝手だ、とでもいうようではないか。上の段落に続くのが下だ。
しかし、わたしが女房の心願を戸棚の隅の棚の上にあげて、当分知らぬ顔ですませておいたのは、あながち小説観がぞっとしなかったせいではない。単にわたしは戦乱このかた気が永くなりはじめていたからである。これが一むかしまえならば、なにか身辺にえたいの知れぬ事件がおこると、あたかも事あれかしと待ちかまえてでもいたかのように、生れつきのあわてものの、さっそく呼出しに乗って、盲滅法に波瀾のただなかに飛びこんで行き、ずいぶん傷だらけになりながら現象をごちゃごちゃ攪きまわして、事態を悪化させ自分を茫漠とさせるためにしか運動しないという芸当を演じて見せたことだろう。それというのも、わたしは青春の数年間、きょう死ぬかあす死ぬか、いや、たった今死ぬかと、のべつに死の観念の立合をもとめつつ、ばたばた騒ぎをしていなくては生活の意味を見うしなってしまいそうな性分であったためだろう。しかるに、いくさはあわてものに附ける妙薬であった。われわれの生活を力学的に無理な恰好に捩じまげたところの、いくさの世の中という特別の仕掛が作り上げられたような形勢になって、そこに必死に追いこまれるに至ったとき、わたしはとたんに不死の権利を身に附けてしまった。歴史のながれも人間のあゆみも、すべてうごくもの走るものはみな暴力をもって堰き止められて、ひとりてまえ勝手に空を海を横行しているかと見えた軍艦飛行機のたぐいでさえ、じつは政治の恣意に依って描かれた空虚なる観念図形の中をうろうろしていただけの有様であってみれば、どこをむいても理念ばやりのわるい循環の中に閉じこめられた生活にとって、もはや時間は無くなっていた。そして、わたしという生理的存在はいつの日か遠い世界像につながりをもちうるであろうとき、はじめて歴史のながれに合せるべき現実の呼吸を回復するはずのものなのだから、それまでの空白を填めるものはわたしの寿命よりほかはなく、またその空白の長さは、すでに時間が無くなっているのだから、かりに一秒であろうと一億光年であろうとわたしの寿命に比してこれを零とおくことができる。すなわち、いくさ仕掛の世の中にあって、わたしの寿命の無限につづくべきことが約束されたようなものである。わたしは羽根のはえた使者がひょっとお迎えに来てくれても目下死んでやりようがないという不幸なる権利をえた。せっかちにばたばた騒ぎをしてみせようと、気永にのんびりかまえてみせようと、どのような身ぶりでも、わたしの生活の意味あるいは無意味にとってもうおなじことである。わたしがいかに生れつきのあわてものであったにしろ、しぜん気が永くならざるをえない。わたしは気が永くなった。そして気永に待った。
阿木耀子の作詞になる山口百恵が唄った歌謡曲にもこうした誤用があったが、「光年」とは距離の単位で、時間の単位ではない。それはともかく、いったいこの段落はなにをいっているのだろう? 時間があって、ない世界、一秒と一億光年が同時に存在する世界である。戦争という非常時のことである。
「まあ、いいさ。じつは、浮気の筋ならおれも好物だ。へたにほんとのことをいって、味噌醤油のぐちみたいなものを聞かされるよりは、器用にウソをついてくれたほうがいい。そのほうがほんとらしい。」
「それがいけないのよ。」と、ふつうの調子になって、「あなたはあたしのいうことは何でもウソだとおもってる。心願成就のわけを言いましょうか。あなたとごいっしょになれて、よかったということなのよ。」
「それは御奇特なことだ。」
「すぐそういうふうにおっしゃるじゃないの。あなたのほうがよっぽどウソつき。」
「そうかね。」
「さっき隣組で勤労奉仕に出てくれっていって来たとき、なんていった。胸膜炎で出られないって、いったじゃないの。」
「いったさ。」
「ウソついて協力しないじゃないの。」
「おまえが軍のまわしものた知らなかった。勤労奉仕に出ないというところに、おれの真実がある。胸膜炎だって、まんざらウソじゃない。おれのからだは、こうして平気じゃいるが、医者に見せたらきっと難癖をつけるにちがいない。勤労奉仕に出たら請合って胸膜炎になってみせる。なんだか血を吐きそうになって来た。」
「それが自分勝手よ。あたしはほんとのこといっても、何でもウソにされちゃうとおもうもんだから、ついウソをいうようになるのよ。あなたがあたしにウソをつかせるのよ。あたしのいうこと、あたまから信用しないおつもり。」
「そんなことはない。なるべく信用したいとこころがけている。」
「きっと、そうか。信用するか。もうウソだなんていわないか。」
とたんに、弓子はわたしの膝の上に乗って来て、ふわりと、しなやかに、指さきが肩にすべって……どうも、いけない。色模様になって来た。世の中はいくさ模様、女房は色模様では、わたしもそうそう附合いかねた。
ウソは真実に根ざし、真実はウソにされるからもとよりウソしかいわない。コトバのウソと、観念の真実の間で、書かれたコトバはなにものともしれなくなる。「何でもウソにされちゃうとおもうもんだから、ついウソをいうようになる」なら、やはり弓子のコトバはウソだったのだろう。だが、ウソと真実の境界が崩壊している世界だから、ウソが真になり、真がウソになる。だがその前に、
ところが、わたしは弓子をわがもののように女房と呼んでいるが、じつは他人の女房というべきであった。それがわたしの生活の中に闖入するに至った来歴と事情とは、けだし世の私小説業者とその愛読者とが結託してよろこぶところの好話柄だろう。しかし、わたしはここでそのような文筆の店をひろげるつもりはないし、また女房の過去の身上噺などは愚にもつかぬ俗事談でもあるので、千枚二千枚にも書きのばすに堪える材料の中からたった一行抜きとって、弓子の先夫はわたしとはふるい附合の、弁護士を業とする人物であったということだけはことわっておく。その先夫の弁護士は弓子と別れるとき、「おまえはあの男のところに行ったら、しまいには玉の井に売りとばされるような目に逢わされるぞ。」といって、声をあげて泣いたそうである。「あの男」とは、いうまでもなくわたしのことをさす。むかしの友だちだけあって、弁護士はよほどわたしを買いかぶっていたらしい。わたしは一介の貧棒書生にすぎず、とても女房を「玉の井に売りとばす」ことができるほどの豪傑ではない。それはともかく、すこしは世間に知られた法律家でもあり、上品な紳士であるその人物が声をあげて泣いたと聞いて、わたしは旧友の性質のひたむきであったこと、弓子への愛慕のふかかったこと、またわたしへの友情のあつかったことをおもい、「あのばか野郎」といいながら、こちらもほとんど声をあげて泣こうとしたほど、きれいな印象をうけた。そして、わたしは当分のあいだ、弓子が依然として弁護士の妻であるような、なにか大切なあずかりものでもしたような気がしていた。
「ここ」とはとりもなおさず、「無尽燈」と題されたこの小説のことだろうから、語りつつある「わたし」は、語っているのではなく、あくまでこの小説を書きつつある。すると、最初の引用に表れた「書かれるであろう作品」とは、この小説ではないのだろうか? また、この段落の中においてもこうした転倒が起きている。私小説は書きたくないが説明のために、ほんの一行分だけ、私小説を書くといって、弁護士と女房のことを書くのだが、それなら、この段落だけが私小説だというのだろうか。ほかの部分と、いったいなにが違うというのだろう。
あるとき、わたしは町の四辻で弓子と待合せる約束をして、定めの時刻にその四辻の角にある喫茶店の中にいて待っていた。店は窓を広くとってあって、硝子張なので外がよく見えた。やがて、向う側の舗道に弓子の姿が見えて、電車道をななめにこちら側にわたって来た。真昼の秋の日ざしの、ほこりが透きとおるまでに明るい光の中をさっさとあるいて来るそのすがたは烈しくわたしの眼を打って、アパートの狭い室内では気がつくに至らなかったところの、この広い場所に置いてこそはじめてそれと知れるような、そういう弓子を突然そこに見た。あたらしく仕立てた衣裳を著たすがたが別様に見えたということではない。室内では似合ったようには見えなかったその衣裳がここではよく似合って見える、いや、それが似合って見えないというところに美しさが不意に露出していた。この衣裳にかぎらず、今やなにを著てもかならず美しくしか見えないだろう弓子のすがたが、窓硝子ごしに、まのあたりに迫って来た。裸身に衣裳をまとうと、ただそれを著るという数秒のうちに、あたかも肉体と衣裳とのあいだにしぜんの黙契があるようなふぜいで、双方からとたんに調和の一点に結びついて来て、狂いのない女人像ができあがるという美しさとは、それはちがうものであった。反対に、すがりつこうとする衣裳を刎ねかえして、いわば決してそのような親和を受附けまいとするために、弓子の肉体は猛烈ないきおいで、ほとんど胸がはだけ裾をひるがえろうとするほど、すさまじく格闘している。著ているものが突き放され、すべり落ちて、弓子が白昼の街頭であやうく裸身にならずにすんだのは、わずかに一本の帯がそれをきゅっと食いとめていたからだろう。わたしは弓子の裸身のみごとなことをつとに知っていた。しかし、ここに見る弓子の、衣裳に抵抗する肉体の、たたかいのすがたは、裸身よりも一段と立派であった。じつはこのときまで、わたしは自分が弓子を愛しているのは主としてその裸身がもてあそぶによきものであるためではなかろうかと、ひそかにそうおもうほうに傾いていたが、ここに至って、そのかならずしも然らざることをさとった。弓子の肉体と衣裳とのあいだのたたかいの場、弓子の生理の究極のことばが語られている瀬戸ぎわこそ、わたしの切羽つまった惚れどころであった。
弓子でなくとも、「白昼の街頭であやうく裸身にならずにすんだのは、わずかに一本の帯がそれをきゅっと食いとめていたから」にほかならないだろう。だが、そういわせるのが、弓子の肉体である。ほかのだれの肉体も、その事実を忘れさせるが、弓子の肉体だけが、その事実を「わたし」に訴える、これこそ石川淳の文章の力の源泉かもしれない。ウソとは、真実をコトバの力によってねじ伏せられることでもあろう。
ところが、「わたし」は小説を書き始めてもいた。それでも「わたしはなにか書いてみようとおもった。書こうとしたのは一つの物語だが、これも実際にはノートを作りかけただけのことにおわったものである。」という。
そして、物語では、やがて、戦禍の進行とともに、これまで提出された真ともウソともつかぬ弓子の行状が、まさに現実と化していく。芸能事と無縁だったといいながら、ハイクをはじめ、あまつさえピアノを習っていたといい、浮気が起き、あらゆるウソ(コトバ)が転倒していくかのようなのだ。そして、ついに弓子は去る。それはまさに私小説的な物語ではないか。それもまた、私小説は書かない、といってきた「わたし」のコトバが、ウソの形をとりながら真実を語ることにほかなるまい。真実を語ることとは、「わたし」の真実であって、事実の謂ではないのだから。
弓子はどうしたか、その行くところを知らない。郊外の親戚の家というのは、うわさに聞くと焼けた地域のまんなかに当っている。しかし、家は焼けても、弓子が死ぬということはないだろう。生きて巷をあるいていて、ことによると、もう何遍も町の角ですれちがっているかも知れない。ただ、わたしはもはや弓子を、いや、ある女人を他の女人から見分けることができない。ちかごろでは、ひとごみの中にはいって行っても、そこに、ここにと、女のひとがいることに気がついたためしはとんと無い。衣裳がほころび服飾がおとろえているので、盛装の女人を見ることがないせいだろう。女のひとはかならず精根のかぎりをつくして綺羅をかざらなくてはならない。身支度が非の打ちどころなくととのわなくては、気のきいた色事はできないだろう。すなわち男女の心情の附合が、きもののよごれの増すにしたがって、日ごとに堕落して行く所以である。これを救援するためには、繊維製品の出まわりを待つほかない。それまでは、聖者といえども、燈を挑げて女人のぼろとじくりを照らすという残酷な仕打はさし控えるべきだろう。わたしもまた当分婦女子には目をくれない。
弓子の肉体と衣裳の拮抗さえが、うやむやに霧消されてしまった。
「焼跡のイエス」は傑作だ。これについても書くつもりだったのだけど、「無尽燈」にすっかり梃子摺ってしまった。といっても、ほとんど、引用しかしていないのだが、とにかく時間を喰ってしまった。それでも「焼跡のイエス」についてはどうしても記事にしたい。明日にでも書こう。傑作なのだ。石川淳は、殿堂(今の私がかく或る理由)入り決定。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2007/2/5石川淳「六道遊行」を「今の私がかく或る理由」に加えた。
「石川淳短篇小説選」を開いてしまった。こうやって、読みかけの本を増やしていく。とはいえ、巻頭の「マルスの歌」にせよ、次の「黄金伝説」にせよ、既読だろうから、思い出して投げ出すだろうと思って読みはじめたのだ。すくなくとも「黄金伝説」は講談社文芸文庫に「黄金伝説・雪のイヴ」があるのだから、間違いなく持っているはずだ。積読のままだったらしい。ちなみにこの本には「雪のイヴ」も収録されている。文芸文庫に「焼跡のイエス・善財」という本もあるが、「焼跡のイエス」も入っている。
石川淳といえば、私が学生のころに箱入りの「六道遊行」が出て、学生の癖に無理して買って読み、狂喜した。あまりに面白かったから、続けて、箱入り上下巻でそれこそ高かった「狂風記」を買って読むと、これまた打ちのめされた。さらに「至福千年」。ところが、その後長く石川淳の本がことごとく絶版で、出会い損ねたまま、いつしか私のなかから石川淳の名まえが希薄になっていった。そして、私にとって石川淳とは、長篇伝奇小説の人だった。もちろん、高校生のころにはSF小説好きだったのだから、半村良の「産霊山秘録」なんて傑作(後半だれるが)や、「妖星伝」とも付き合っていたし、最近石川賢によってマンガにもなった「神州纐纈城」(未完だけど)をはじめとする国枝史郎だってそこそこには読んでいたから、伝奇小説に驚いたわけではなく、伝奇小説といってしまうことが憚られるなにごとか、単なる奇想譚ではない文章の力、奇想を捻じ伏せてみせる怪力に感激したのだ。と、書いているうちに、「六道遊行」を「今の私がかく或る理由」に加えたくなってきた。検討しよう。
「マルスの歌」
「マルスの歌」について書こうとしながら、石川淳のことを考えている。太宰治や坂口安吾、織田作之助が中心といえよう無頼派に列せられ、だが、戦後には、「焼跡のイエス」などといった作品をつうじて、野坂らの焼跡派に数えられたりもする。だが、戦後に登場した野坂や開高健などと違い、石川淳は1935年に「佳人」でデビュー、翌年の第4回の芥川賞を「普賢」で獲っているし、「マルスの歌」も昭和十三年新年号の「文學界」に発表されている。ただし、この号は発禁処分を受けたそうだ。戦時中のことだ。
なぜこんなことを書くかというと、焼跡派といわれるのは、これよりずっとあとになってからのはずなのに、「マルスの歌」を読んでいたら、野坂を思い出したのだ。象徴主義を思わせる歌の使い方ゆえかもしれないが、だが、やはり象徴主義の枠にも収まらない、もうこれは文章の力としかいいようがない。戦争にいき損ねた虚弱質だったらしいのに、どうしてこの人の文章はかくも強力なのだろう。
歌が聞えて来ると……だが、この感情をどうあらわしたらばよいのか。今、黄昏の室内でひとり椅子にかけているわたしの耳もとに、狂躁の巷から窓硝子を打って殺到して来る流行歌『マルス』のことをいっているのだ。
神ねむりたる天が下
智慧ことごとく黙したり
いざ起て、マルス、勇ましく
…………………………………………いぶり臭いその歌声の嵐はまっくろな煤となって家家の隅にまで吹きつけ、町中の樹木を涸らし、鶏犬をも窒息させ、時代の傷口がそこにぱっくり割れはじけていた……しかし、いったいこんなふうの文句をどれほど書きつづけて行ったならば、わたしは小説がはじまるところまで到達することができるのか。実際、わたしはこの数日小説を書こうと努めつつ、破れ椅子の上でひそかにのたうちまわりながら、しかもペンが記しえたかぎりのものはこんなふうの、ああ、無慙にもおさない詠歎の出殻に過ぎぬ拙劣な文句のかずかずでしかなかった。『マルス』の怒号に依って掏りかえられた鬱陶しい季節の中では、こんなあわれな芸当しかわたしにはできないというのか。嘲笑する窓外の歌声に赫となって、わたしはいらだつ指先で書くそばから一枚一枚びりびりと紙を裂き、それを宙に投げつけ、床に散った紙屑の中に依然として整理されないままのわが感情を踏みにじった。そもそも地上の出来事に、どうしてこれほど本気になるのだ。およそ小説を書くべきペンはどんな地上的感情をも、その乱雑をもかならず切断してしまっているはずではないか。わたしは立ち上がってはるかに街頭の流行歌に向いNO!とさけんだ。そして、すぐにそのあとから歯ぎしりしてこみ上げて来る感情の揺れかえしをぐっと噛みしめ、またもペンを取り直し、もうすべてを刎ねつけ、きちがいのようになって、さあ、是が非でも、小説……。
力技の書き手は、だけど、その力を信じていたわけではなかったらしい。メタ・フィクションの身振りに入ってしまう。
今、銀座の裏町に在るこのアパートの一室で、日ごとに高くなる街頭の流行歌『マルス』の声に耳を打たれながら、わたしはまたも黄昏の光に浸ってペンを取っている。もうきちがいのようにではなく、わたしの正気をペン先に突きとめるために、まだうごかぬペンをうごかそうと努めているのだ。すると突然うしろのドアのほうで、かちりと引手の鳴る音がした。振りかえると、ドアがばたんとあいて、駆けこんで来た一人の若い女がいきなり壁ぎわのベッドの上にからだを投げつけ、おさえきれぬさけびに身もだえして、「わーっ」と泣き出した……
たちまち、小説の世界はまだはじまらないのに、室内の空気が切り換えられた。しばらくペンを曲げて、事実のほうから書き出すことにしよう。
もちろん、小説の世界といい事実といいながら、どこまでも嘘である。小説などはじまっていなかったし、かといってここから書かれていることもまた事実ではない。ではなにか。メタ・フィクションとは、とりもなおさずフィクションなのである。はじまっていなかった小説とは、冒頭の二つのセンテンスと続く『マルス』の歌詞の引用だけなのだし、『マルス』の歌に苦しめられる様が小説でありながら、この先もなお、『マルス』の歌は「わたし」を悩ませ続けるのだから、小説と事実の境界などない。だから、「事実のほうから書き出すことにしよう」というなら、では事実を終えて事実ならざるものになったその境界線などどこにも見出しようもないまま、泣き出した女、従姉妹の帯子とその、突然に死んでしまった姉の夫、召集令状を受け取った矢先の三治の道行のその後のことさえ、謎にさえならぬまま、あるいは暗示もないまま、投げ出されてしまうのだ。かわりにあるのは、いつまでも、どこまでも付き纏う『マルス』の歌だけ。すべてを放り出してしまうこの身振りは、それでも有無をいわせず、力技というほかない。この身振りのまえでは、小声にそっと、「だから、なんなんだよぉ」と力なくいうことしかできない。
「黄金伝説」
既述のとおり、ほんの10Pほどの短さでありながら、講談社文芸文庫の表題になった作品である。なるほど、素晴らしい。
だが、ほんとうにこれを素晴らしいといってしまっていいのだろうか? おそらく、小説作法的なものに親しんだ人が見たら、困惑するのではないだろうか。「マルスの歌」にしても、「黄金伝説」にしても、書き出しの悪ふざけが過ぎるように見える。
どこに行ってもお米が無いというときに、ごはんのものを、よしんばできたにしましても、気がとがめてさし上げられないじゃございませんか。そりゃ向う側のお店はシナさんですから平気なんでしょう。どんぶりでもなんでも白いごはんが出るようですが、てまえどもの店でできますものはまあこんものでと、そういって出してくれるまっしろなパンにしろ、砂糖ミルク入のコーヒーにしろ、ハム入のかすてらにしろ、たしかにたまごがはいっているドーナッツにしろ、やはり米のめし同様今日どこに行ってもざらにあるような品物ではない。初穂を神に供え来ったところの日本の米は神がかりがたたき出されたあとでもなお陰然として生活心理上の禁忌なのか、米でさえなければなにをあつかっても品物のよいのが大いばりだという女商人の良心の論理にちがいない。この横浜の一ところ、年のくれに迫って、焼跡に建てた小さなバラック店では、どの客もみな洞窟の壁にうつる影法師のようにふらふらとはいって来て、平べったくかたまりながら、顔かたちも見分けられず、音も立てず、めいめい手を口をうごかしている。わたしもまたその影法師のひとつで、たばこに火をつけながら片隅のあやしげな腰掛の上に休んだ。
どんな世界、どんな時空とも、なにがはじまるとも知れぬ段階の、書き出しのこの段落を、はたして一度読んだだけで正しく理解できるだろうか? リズムさえ纏った丁寧な語り口調ではじまるセンテンス。だが三つ目のセンテンスでようやく、それがカギ括弧を省かれただれかの語りに過ぎないらしいとはわかるのだが、そのセンテンスがまた長い。寄ってたつべき場所を容易に教えてくれない。そう、この小説は、時空が歪んでしまった世界を巡る物語だ。では、時空の歪みはどうしてもたらされたのだろう。
焼跡のまんなかでのんびり休むという瞬間はめったにない。わたしは東京で焼け出されて以来ずっと立ちどおしで、おおむね汽車に乗っていて、ひとごみと荷物のあいだに搾めつけられながら、息のつき場もなく駆けつづけて来た。八月十五日の正午すぎには、倶利伽羅峠の下を走る列車の中にいて、ついさっきおこなわれたというラジオ放送のことをうわさに聞いたが、そのときわたしの前に立っていたじいさんの背負った大きい麻袋の、先刻からあやうくよろけぎみであったのが、どしんとこちらにぶつかって来て、とたんにわたしのふところの時計は止まってしまった。もともとこの時計は火災の夜からすこし調子がおかしくなっていたもので、一日に三度ねじを巻くことに依ってどうやらうごかして来たのではあったが、あたらしい打撃を受けてのちはそれがますます狂い出して、一日に四度ねじを巻いてもなお渋りがちなので、針の進行を要請するためにはときどき手でつかんで振らなくてはならぬようになった。今日どこの時計もたいがいこわれている模様で、合わせるべき正確な時刻の標準は求めるすべがないのだから、わたしはその日その日の天候ぐあいとわたし自身のからだぐあいとを睨み合わせながら、針をすすめたりもどしたり、文字板の上に任意の位置をあたえて、およそこの見当というところで時刻を測定している。つまり今日的条件においてわたしの生理的時間の経過状況から物理的時間の目盛を割出しているようなものである。
時空の歪みはどうやら八月十五日の正午、天皇が肉声を国民に聞かせたあの時に歪んだらしい。それ以前から歪みはあった、時計は狂っていたけれど、それ以来狂いは決定的になり、時間を計る尺度は自分になった。だが、「わたし」はラジオを直接聞いたわけではないし、その時に時間が狂ったわけでもない。うわさに聞いたそのときに狂う。
だが、この時計の狂いそのものがまた妙なのだ。「八月十五日の前後三四ヶ月のあいだ、わたしは狂った時計をふところにしながら、北陸近畿四国にかけてあちこち走りまわった」といいながら、その放浪のわけのひとつが、時計を直してくれる時計職人をもとめてのことだというのだ。もちろん、八月十五日以前、焼け出しをくらった時から狂い始めていたのだが・・・。
ところで、いったいなにゆえにこうして寄辺なく諸方を走りまわったかというに、わたしはひと知れず三の願をいだいていた。その一は右の時計のことである。わたしは元来からだぐあいがあまり狂わないというほうではないのだから、その頼みがたいものに拠って時刻を定めようとするのはどうも心もとなく、かつは不便なので、せめて手でつかんで振らなくてもすむぐらいの程度に時計を修繕してくれるような確実な時計職人をどこかの土地で見つけたいとおもった。その二は帽子のことである。わたしは以前もっていた黒のソフトを焼いてしまって、わずかに火災の夜にかぶって出た戦闘帽ひとつがあるばかりだが、この異様なかぶりものを永遠にあたまの上に載せてあるくことは好まないので、中折帽なり鳥打帽なり、真人間のかぶる帽子をどこかの店で見つけたいとおもった。その三は、はずかしながら、わたしのひそかに懸想している女人のことである。こちらからついぞ打ちつけにいい寄ったこともなく、先方ではどうおもっているのやら判らぬままに、わたしの久しい恋はわたしのからだぐあい同様たよりないものであったが、そのひとの家もまた東京で焼け、その夫は死に、しかしそのひとの身はつつがなく、西国のしるべの方に落ちたと聞いて、わたしはおおよその心あたりで縁故先とおぼしい国国をたずねあるき、どうしても消息をつきとめなくてはおかぬとおもった。
「わたし」の旅が八月十五日の前後三四ヶ月のことならば、旅立ったときには振らなくてもすむぐらいの時計であったはずである。そして、いとしい人が西国にいるなら、なぜ北陸にいったのだろう。この小説が同人誌にでも掲載されていれば、およそ同人たちからこうした矛盾点を論われたことだろう。だが、これこそが石川淳の真骨頂ですらある。長いセンテンスと段落によって有無を言わせず先へ進む。そしてうやむやにしてしまうのだが、そのうやむやが、いいしれぬ捉え難さになる。三の願など嘘だったのだ。だから、「しかし、わたしのささやかな三の願は三とも叶えられな」い。だが、叶えられる必要などなかった。なぜなら、「やがて、年もくれようして、ある日、すなわちきょうの朝」、体調が回復し、時計を必要としなくなる。時空が「グリニッジ天文台の時計にくらべてあまり大きい誤差はないだろう」とまで是正される。まして帽子まで見つけると、あげくにいとしさまでが忘れられていくのだが、ところが、女にまで出会ってしまうのだ。
わたしは口がきけるどころか、意外の逢瀬に気もそぞろになって、恋慕の熱情いまさらにはげしく、とても外部の事件ではなく、総身たちまち燃えあがって来たうえに、このひとからこのように親密な態度であつかわれることはついぞなかったことなので、まったくおもいがけない事の仕儀にただまごつくばかりであったが、やっと挨拶をしぼり出して、むかしどおり慇懃に、今どちらにお住いですかときくと、判ってるじゃないかというふうに、投げた調子で、ハマよ。
西国にいるはずの女がハマにいるのだ。それは時空の歪みにほかなるまい。すると当然のように「わたし」の時計は狂う。
やがて、バラック店を出て、いい合わせたともなく桜木町の駅のほうへあるき出したとき、このひとは無雑做にわたしの腕をとって、ちらと横顔をのぞきながら、あなた相変わらず蒼い顔してるのね、とあざけるように、からかうようにいった。そういわれるまでもなく、わたしは先刻から体内の血の気が次第にうせて肉がげっそり落ちて行くのを感じ、悪寒にふるえ、手足がだるく、呼吸くるしく、からだぐあいが急にわるくなりはじめていた。わたしのあたらしい鳥打帽はぶざまに横にゆがみ、ふところの時計のかちかち鳴る音はとだえて、針はすっかりとまっていた。
手に入れたはずの三の願がことごとく狂ってしまう。それでも、ふたたび「わたし」は平穏な時空を手に入れるのだが、そのために「わたし」が見るものを、ここには書かずにおこう。
だけど、なぜこのタイトルなのだろう? 物語からは、読み取れなかった。ちなみに「黄金伝説」といえばヤコブス・デ・ウォラギネ、芥川龍之介の「奉教人の死」や「きりしとほろ上人伝」の元ネタになった聖人伝説集のタイトルだが、それと関係があるのだろうか? おっ! いつの間にか平凡社ライブラリーに入っている。抄訳は読んだが・・・。ん? 抄訳は見つからない・・・。我が家の「黄金伝説抄」が、意外なことにあっさり見つかったので画像をUPしておこう。ハハ、こっちはヤコブス・ア・ウォラギネだ。
村上春樹の「アンダーグラウンド」を読んだとき、オウムにたいして憎悪を剥き出しにするのは、むしろ被害者の家族か、軽症者で、重篤な被害を被った人々は怒りより、なぜ、と問うていた。戦争を主題にすえて、その悲惨や痛みを声高に叫ぶばかりの戦争小説には、いわくいいがたいいかがわしさが漂うように思えていた。石川淳は戦争小説ではない。だが、戦争にたいする苛立ち、息苦しさ、そして空気とのズレ、それらが小説になるとはこうしたことなのではないだろうか。
三崎亜記だって、そうしたズレこそが書きたかったのだろう。
「世の中へ・乳の匂い―加能作次郎作品集」の巻頭作「恭三の父」がまったく退屈だったこと、それでも表題作くらいは眼をとおして見ようと思っていることは、先日の記事に書いたとおりで、「世の中へ」を読みはじめ、1章を退屈でもなく読み終えて、さきを読み進むつもりだ。私は、私小説が嫌いなわけではない。たとえば、近松秋江の「黒髪」を好きな小説だといえるし、「黒髪」三部作を読みたいのに、「続・霜降る春」が見つからなくて、長年探し続けている(近松秋江は書くつもりで予言しながら、じつは書かれなかった、という説もある。というか、私の知人がそう言っていたが、ほんとうか?)。「黒髪」なんて、田山花袋の「蒲団」なみにメメしいだらしない話だが、田山花袋とは違う、といいたい。宇野浩二だってかなり好き。第三の新人より、内向の世代のほうが好きでもある。なので、「世の中へ」も読めている。では、「恭三の父」や田山花袋と「世の中へ」や近松秋江・宇野浩二のなにが違うのかといって、それはまた別の機会に譲り、今回は、「世の中へ」を閉じかけて、眼にとまった「屍を嘗めた話」というタイトルに惹かれ、短い小説だったから一気に読んでしまった、という話。
大正期に生きているわけではない私たちは、いまどき人肉食を扱った小説だからといって驚きはしない。などと書くことには、巷でバラバラ殺人事件の話題が喧しいこととも相俟って、照れを感じないわけにはいかない事情が私にはあるのだが、それについてはここを参照してもらうとして、たとえば、武田泰淳の「ひかりごけ」、野上弥生子「海神丸」、あるいは「猟奇文学館〈3〉人肉嗜食」などという本もある時代に生きていれば、屍を嘗めるくらいのことに、驚きはしない。そうそう、佐川一政「霧の中」なんてのもあった。それでも、なぜ屍を嘗めるのか、食べるのではなく、嘗めるというのは、なんなのだろう、と興味をそそられる。帯にある「人情味溢れた世界」の人が書いたとあれば、もしかしたら単に比喩として「屍を嘗める」のかもしれないが。
その年はことによく烏賊が釣れた。旧暦の盆も過ぎてもう秋らしい涼風の立ったころだったが、北陸の或海岸のS漁村では、曾てこんな例のなかったほどの大漁続きで、その上世間の好景気で値が高く、村は近年になく活気立った。天候の変わり易い秋口に向かって居て、常ならば一寸沖へ出るにも細心の警戒を要する季節ではあったが、そのころには珍しく凪回りがよかった上に、打ち続く大漁の喜びに酔うて、幾らか心驕り且つ弛んだ漁師達は、少し位空模様の険しい日でも、深く顧慮することもなく、夕方になると先を争うように沖へ出て行った。
「命取りの烏賊ではないかしらん。こんなことは珍しい。」
ある古老はそんなことを呟いてから若い漁師達にそれとなく警戒を与えた。
「あんまり欲張るな、欲をして反対(あべこべ)に烏賊に釣られるな、何でもこんな時には気をつけた上にも気をつけて、少し景色が悪いなア思うたら、用心して一晩位休むとか、沖へ行っても少し模様が変わって来たら、いい加減に切り上げて来なけりゃ、うっかりすると讐(あだ)を打たれるぞ。こんな時というものは、兎角欲をしたがるものでの、幾ら釣っても釣っても、烏賊の方からもっと釣ってくれ、もっと釣ってくれとせがんでるようなもんだから、みすみす損するようで惜しくて中々切り上げにくいもんだけれど、そこが漁師などいう危い職業(しょうばい)をして居る者の気をつけんならん所や。そら気をつけろ! 危いぞ! ッて、お天道様が雲行きや風の工合でちゃんと知らせて下さっても、欲に眼がくらんで居て眼や耳に入らなんだり、何糞ッとお天道様に逆うような無理をしたり大胆なことをしたりすると、終いにやられるのだ。漁師でも船乗りでも、いつもお天道様の心を読んで、それに逆わんように気をつけるのが一番肝心な点や。」
この書き出しを読めば、おのずと「海神丸」を思い出すだろう。もちろん、大正九年に書かれた「屍を嘗めた話」のほうが早いのだから、理不尽ではあるが、平成十九年の現在に小説を読むというのは、そうした体験なのだから仕方ない。
十日ほども経ったけれど、死体はまだ五つ六つしか揚がらなかった。眼は抜け鼻は落ち、耳は離れ、胴は大樽の様に腫れ膨れ、皮膚は剥げ、肉は腐り爛れ、手足は或は傷つき或は捥がれ、誰の者ともはっきりと分からなかったが、或は歯の形に或は爪の形に、或は何処かの傷跡に、或は手首に千切れ残って居るシャツのボタンに、どんな些細な特徴でも、その者らしいものがあれば、人々は自分の身内の者として引き取った。或る者はまるで何者だか見当がつかなかったが、その母親が死体の顔を撫でると、落ち窪んだ眼窩と鼻孔から血が流れ出たというだけで、自分の息子に違いないと引取ったものもあった。
帯の文章を読んで、平和な人情話でも読むつもりでこの本を手にとった者には、ゾッとする描写で、それはそれで罪なことだと思うが、だが、飯塚訓のドキュメンタリー「墜落遺体」などといった本が文庫で読めてしまう現代にあってみれば、その現実としての恐ろしさ、描写にさえ「新鮮さ」はない。
さてそこで、「墜落遺体」でも遺体と遺族の対面、あるいは遺体の特定の問題が書かれていたが、そこには、科学という後ろ盾があった。すると、ここに妙な転倒が生まれていることに気づかされる。御巣鷹山の遺族たちには、むしろ科学的根拠が得られるまで、それらを身内の遺体だと信じられず、根拠が示されるや、一転信じていたことだ。それらの、どちらが正しいといった問題ではない。
他の乗組の人々の遺族は、自分達の愛する父や息子や兄弟の死体が拾いあげられなかったことを恨み悲しんだ。ころころと海鼠が藻の上から落ちる様に縛っていた帆綱を離れて深く海底に沈んで行ったというその哀れな惨たらしい浅間しい有様を眼に描いて泣いた。最早到底その肉親の者の死体の得られる望みのないことを思いあきらめ、せめてもの心やりに、彦八の息子の骨を分けて貰ってそれを仏壇にまつった者もあった。
帯にあった「人情」とはこうしたことをも含んでいるのかもしれない。こうして、私は、現代を離れて、大正時代の北陸の漁村という時空における信仰の在りように触れていく。もちろん、加能作次郎がこの小説に歴史的意味付けを与えようとしたとは思えないし、ここから日本の宗教史的なものを読み取る必要などない。小説の時空というその場における今ここの出来事のなかに、普遍性などない。普遍性とは、出来事に意味を与える行為にほかならなければ、それは読者による二次的創作の謂だ。
或る日村から一里余り離れたB町の海岸に二つの死体が漂着した。そこは昔から潮の加減かでよくこうした水死人の死体の打ち揚げられる所で、一帯の砂浜であったが、その付近の砂丘の下の仮埋葬場には、昔から何処の国の何者のとも知れぬ死体が数限りなく埋められてあった。冬などその砂丘の下の砂が吹き立てるような強い風の日が続いた後には、白い頭蓋骨や手足の骸骨などが、幾つとなく露出し散乱して居ることがあった。町の子供達はよくそれらの頭蓋骨を投げ合ったり、足の骸骨を持って叩き合いを始めたりして遊んだ。
それなら、こうした在りようが大正期の北陸の漁村の在りようだ、といって、その時空を隔てたという意味における異界の様を遠く見ているだけだろうか。ここには、海難事故という特殊な事件が書かれている。その特殊な出来事によって露出したその場における民族性ともいえよう。そしてだからこそ、ここに、その場を揺さぶる存在として、お鶴という女が現れるのだ。
「これが喜三さんや? どうしてこれが家の大事な喜三さんやと思われるもんか!」
彼女は検死に来て居た警察やその他多勢の人の前にも拘らず、こんな風に口走った。
「家の喜三さんは、もっともっと立派な人やった。」
「そりゃお前、幾日も幾日も浪に揉まれて居たんやもの、誰のだって元の姿のままで居るもんかいの。」と皆が言った。
「そんなら、その顔を嘗めて見さっしゃい。喜三さんのなら舌に引っ付くし、喜三さんでなけりゃ引っ付かないさかい。」とある年老(としより)の女が言った。
水死人は、親か子か夫婦の中の何れか、最も近親の者がその死体を嘗めて見れば、きっと舌にくっつくという言い伝えが昔から一般に村の人達の間に信じられて居た。
「嘗めって?」とお鶴は叫んだ。
「あ、嘗めて見れば分かる。」
「本当にね?」
「あ、本当や。昔から皆そう言うとる。」
「そんなら……」とお鶴は全く無感動な表情をしながら腰を屈めかけた。
腐り爛れ、悪臭を放つ水死体に舌を這わせうるとすれば、それはやはり喜三さんだったのではないだろうか。村で信じられていたこととは、むしろそれがしうることの試しではなかったか、とさえ思える。そもそも「引っ付く」とはなにを意味するのか、あまりに曖昧である。唇が触れるということが「引っ付く」ことなのだといえなくもあるまい。
立ち列んでいる人達は、皆な無気味さに打ち震えながら色を失った顔を見合わせた。
昼の暑さを思わせる様な午前九時頃の晴れた太陽は、ぱっと浜一面を照らしていた。何人も鼻を押えずにはいられないような譬えようもない悪臭が、あたりの空気を濁して、無数の蠅が菰を被せた死体の周囲にブンブンと群がっていた。
お鶴は菰を少し刎ねめくったかと思うと、いきなり眼を瞑って、死体を抱くようにして自分の唇をその爛れた額の上に押しあてた。
皆な「あっ!」と微かな叫び声をあげて顔を外向けた。
「おう、お鶴さん!」
一人の朋輩の女はけたたましく叫んでそれからおいおい声を揚げて泣き出した。
一瞬の後に刎ね返るように身を起こしたお鶴は、真蒼な見るも物凄い顔付きをして、周囲に輪を作っていた人達の間を掻き分けて、物も言わず五六歩走り出した。そして驚いて彼女を見つめている人達を凄い眼で睨んだ。
「物凄い顔付き」とか「凄い眼」などという工夫の影もない描写が読むものを白けさせるが、お鶴は「顔を外向けた」者たちを「凄い眼で睨んだ」のである。また、ここには警察官をはじめとして、男たちもいたはずなのに、男たちの気配があまりに希薄だ。
「どうやった、どうやった? 喜三さんやったろう?」とさっきの女が追いかける様にして言った。続いて五六人彼女を取り巻いた。
「どうやった、どうやった?」
お鶴は黙って首を横に振った。そして決まりの悪そうな微笑さえ浮かべて、チュッと砂の上へ唾を吐いた。
「引っ付かなんだかいの?」
「引っ付くことは引っ付いたけれど、うちの喜三さんやない、喜三さんはあんな人やない。」
お鶴はこう早口に言って、やがて村の方へ一目散に駆け出した。
それなら、その死体は引っ付くほどの「親しい」誰の者だというのだろう? お鶴は喜三郎の死と、その無残な姿を否定している。だがそれだけなら、「引っ付いた」などといわずともよかったはずだ。「引っ付かなかった」と言えばよかった。それでも、お鶴は「引っ付いた」と言う。それを迷信の否定と受け取ることも可能だろうが、それより、彼女は喜三さんの死を認めることと認めたくないことの間で、格闘する。それゆえに水死体を嘗めるのだ。おぞましい光景とは、なんと美しいのだろう。
とはいえ、小説全体を見渡したとき、やはり物足りなさはいかんともしがたい。記録文学のような三人称ではなく、お鶴に集中して書いて欲しかった気がする。喜三郎の生前の姿が書かれていたらどうだっただろう、と思わずにいられない。この書き方は、お鶴の葛藤を生み出す社会性こそが、加能作次郎の提示したい問題だったのだろう。お鶴の在りようからそれが浮き上がってくるということもありえたと思うが、(当時にとっての)漁村の在りようを訴えようとすると、こうならざるを得なかったのかもしれず、すると、個人の問題として描くことにこそ意味を見出すというのも、時制的な問題意識が働いているのかもしれず、そこにも普遍性といった問題意識の立て方のいかがわしさが窺われる。これもまた主題論の限界である。読書とは、往々にして時制的な体験なのだ。だれもがカール・ケレーニーのように、その時代にいけるわけではない。およそ、フーコーの外の思考とはこうしたことであり、だからこそ、彼は知の考古学という概念を経る必要があったのだろう。
ようするに、こうした小説的な出来事に出会いえたとき、たとえそれが時制という制限を受けながらでも、読者はなにかを感じとるのであって、それが作者の意図とすくなからずズレたとしても、いや時制という制約を超えてなお感じ取らせるものがあることにおいて、むしろズレこそが小説の力となるのであり、作者の意図・主題に寄りかかって、ズレを封じるほどに、小説は力を失うだろうということだ。
チマチマした読み取りが身上だったのに、やけに大袈裟な話になってしまった。
昨日の予言どおり、三崎亜記「となり町戦争」を読み終えた。
そして、昨日書いた以上の収穫はなし。それはそれで、充分意味のあることだ、というなら読む価値があるだろう。まして、文庫版特別書き下ろしの「別章」で、ご丁寧な読み解きまでされているのだから。
まったく、どうしてこう親切なのだろう。どこまで読者を馬鹿にするのだろう。それとも読者がここまでしないとほんとうにわからないのだろうか。まさかクリーンセンターの正体や、香西さんの弟の末路や、主任の正体が、いちいち書かれなければわからないだろうか。「僕」がわかっていなかったことには「リアリティー」のなさとか、戦争や死にたいする認識の欠如といった意味があるだろう。それはそれでいい。しかし、この書き方では、「僕」が気づいて驚くことが、ただ滑稽に思えてしまうのだ。わからなかったことに意味があればこそ、そうした気づきは、小説的な出来事であるはずなのに、ただの頭の悪さに見えてしまう。あげくがこんな男に、どうして香西さんが惚れるだろう。ラブ・ストーリーに仕立てなければ、香西さんの異常さにいたれないからではないか。
それから、香西さんの弟や、小学校の軍事教練があり、「死ねる」と豪語する小学生もいたなら、すくなくともそこには、戦争の正当性、理屈づけがなされていたのではないか。香西さんの弟の正義感はなにに根ざしていたのか。それこそ「僕」が探していたものではないのか。香西さんの弟が正義感から戦争に参加するなら、その正義感を支えていた根拠が、わからないし、「僕」がそこに思い至らないというのも、ただ頭が悪いだけではないか。
あとさ、「鎮魂の森」って、靖国神社そのものだろうけれど、こうした押し付けがましさが、主題論的小説の厭らしさだ。
意識するともなく戦争に参加している自分を思い出し、アウシュビッツに行かないままユダヤ人を殺し続けたアイヒマンを思い出し(これらはどちらも私が勝手に思い出したのであって、アイヒマンについても、小説中にはいっさい出てこないことは、書いておく)、そうしたことのなかに、この小説の意味を見出すことはできても、すでにそれらは昨日書いたとおりで、この長さの小説である必要が見えないし、これはこれとして、それだけでは小説として、足りないと私は思う。
一晩考えてみて、書き加えている。
主題論的な書き方が、ただ悪いとはいうつもりはないし、見えない戦争というアイデアはたしかに面白い。それも、「見えない」ということが、しだいに、「見ない」ことに摩り替わっていくのも悪くはない。結局、戦争を探しているはずの「僕」は、戦争を「見ようとしていない」のだし、さらに探すことが楽しんでいるような罪悪感にとらわれるなら、それもまた戦争の捉え難さなのかもしれない。すると、「僕」の人物造形と、読み手を馬鹿にしたような読み解きのさまこそ、私の反発のわけなのかもしれない。さらに、「別章」が、文庫版特別書き下ろしなら、もしかしたら、読者の側にこそ問題があるのかもしれない。文庫になるまでのあいだに、読者が理解してくれない、といった思いが三崎亜記に生まれたればこそ付け足さなければならなかった、という可能性もある。だが、それこそ、主題の押し付けだろう。見えない戦争「となり町戦争」という出来事を提出してしまったからには、その出来事とどう出会い、どう関わるのか、それはもう読者に委ねられるはずではないだろうか? 三崎亜記の現実認識なんてものに、私たち(読者)は付き合う必要はない。哲学者や評論家になりたいのならば、哲学書や評論を書けばいい。
また「見えない」戦争が「見ない」ことに摩り替わることも、それは主格が「戦争」から「僕」に摩り替わること、「見えない」戦争から「見ない」「僕」に摩り替わっただけで、見ようとすることの厭らしさ、リアリティーから一歩下がったままにしか見ようとしないことの卑屈さに過ぎず、そして、香西さんの弟の正義感の根拠に考えがおよばないのだから、「見えない」戦争はじつは「見えない」戦争ではない。実際に人が死んでいる。すなわち、「僕」が見なかっただけなのだ。
香西さんの在りようだってどうなの? こんな、仕事のため(町のため?)ならなんでもする女に惚れる? たとえそれが原田知世(映画の香西さん役)でも、いやだね、私は。ふと見せる仕事を離れた仕草に魅力を感じるのはわかるが、それは仕事を離れた姿を想像させるからだろうに、香西さんは「僕」のまえで、一緒に暮らしてさえ、絶えず仕事のなかにいるのだから、これでは、セックスしたから情が移ったんじゃないのか? とでも突っ込みをいれたくなる。「僕」も単純で優柔不断なのだから、香西さんの好意らしきものも同じこと。結局、なによりこうした登場人物の魅力のなさこそ、楽しめなかった原因かもしれない。
「別章」は、今の香西さんの在りようを説明するようにも読めなくはないが、だからといって、それで香西さんの今を愛すべき存在たらしめると思えない。そのうえ、せっかくでてきた香西さんの弟も、結局、この小説中最大の謎、町民の側の正義感にもとづく戦争の肯定は説明しない。よけいなことばかりくどくどしく説明しながら・・・。
それとも、香西智希を理解できない私こそ頭が悪いのか・・・?
三崎亜記の「となり町戦争」を読んでいる。はじめのうちは、「おい、おい」と突っ込みを入れたい箇所が散見したが、お話に乗っかってしまえばサクサク読めて、もう半分くらいまできている。明日には読み終えるだろう。そのていど、ということでもある。驚きやワクワクがないけれど、アッサリ味、というより無味乾燥だからサクサク読めるだけで、けして楽しんでいるわけではない。
それでも、あえて記事にするならば、10年が一昔というなら一昔以上の昔に、私は戦争を経験した。1991年のことだ。もちろんほんとうに戦争にいったり、空襲を経験したひとが聞いたら、怒るだろうが、すなわち、湾岸戦争を経験したわけだ。それを「経験」というのは、空爆の模様がテレビで放送されていたから、といってもいいし、事務所で仕事をしている自分に妙な居心地の悪さを感じていたから、といってもいいのだが、私がそのころいた事務所というのが、税理士事務所で、ある日、法人税の確定申告書を拵えていたら、「湾岸戦争特別税」という欄が、いつの間にやら別表にあり、税理士事務所に勤めていながら、しらなかったほうがどうかしているけれど、それはともかく、それまでさんざんテレビなどで、「日本は金だけ払ってすませていてよいのか?」といった議論を聞かされていながら、金を払っているということにも実感がなかったのに、「湾岸戦争特別税」という文字を見て、ギョッとしてしまったわけだ。もちろんその「ギョッ」は、その、あまりに直接的なネーミングのゆえもあるのだろうが、それでも、その欄を埋めるためにPCに向かい、電卓を叩いている自分がいて、戦争に加担している自分、といった気分を味わってしまった、なんてことを、役所の様式の辞令やら報告書やらが再三でてきたり、
「あなたの記述如何によって、議会の非常任委員会の判断も変わってまいりますので、よろしくお願いいたします。それから二点目です。これは報告ですが、あなたの偵察業務によって、町の被損害率が三・六パーセントほど下降しました。担当部長会議でもこの点について喜びの声があがっていました」
などという文章を読んで、思い出してしまった。
ガラにもない記事だ。はたして最後まで読んで、これ以上なにか書くことがあるのだろうか? この手の小説の限界って、そういうことではないだろうか? 主題論的なお話なら、最後まで読むまでもない。
装丁はよいと思うけどね。
ところで、サルバドーリ・エリソンドの「ファラベウフ」も20Pほど読んだのだが、これ以上は無理。しんどすぎる。この小説はいったいどうやって終わるのだろう、といった興味は覚えるが、そこまで付き合えないし、かといってじつのところをいえば、最後だけ読んでも、おそらくはこのままだろうな、とも思ってしまう。それなら、どこで終わってもいいんじゃない? 最後を見もせず、いうことでもないが。
池袋リブロに山尾悠子の「ラピスラズリ」を探しにいったのだが見つからず、なにげなく文庫の新刊平積みを眺めていたら、買ってしまった。文庫本を3冊。そう、文庫本を3冊。レジの液晶が示した数字は\4,515! はあ? 文庫本3冊だけなんですけどぉ・・・。まして、そのうち1冊は、短篇集だが、他の文庫本とかなり内容が被ってるんですけどぉ・・・。やっぱり文芸文庫は高い、と思ったが、ちくま文庫も高いのだった。
「北京飯店旧館にて」中薗英助(講談社文芸文庫)―ざっと見たとこ楽しめそう。
「世の中へ・乳の匂い―加能作次郎作品集」(講談社文芸文庫)―本当は、「となり町戦争」が途中だから、巻頭の「恭三の父」(リンクは「青空文庫」。読めてしまう)を記事にしようと思って読みかけたのだが、挫けた。あと5Pくらい、というところまで我慢したのに、その5Pが耐えられなかった。表題作くらい眼をとおしてみようとは思うが、どうやらハズレらしい。
「石川淳短篇作品選」(ちくま文庫)―文芸文庫と被りまくり。でも買ってしまうのだなぁ。
「ラピスラズリ」は、ジュンク堂に売っていたのはしっているので、そちらで買おう。
せっかく「季刊文科」36号を頂戴したのだから、ほかも読もうとて、追悼特集のために掲載された吉村昭「夜の道」を読んでみた。吉村昭の小説にははじめて触れた。
昨年2006年8月24日に亡くなったのだから、追悼の思いを込めたいところだが、1952年、作者25歳のときの作品だそうで、かくありなん。まったくもって残念な読書だった。1966年に第2回の太宰治賞でデビューしたはずだから、デビューに先立つこと14年前の作品で、そう思えば仕方ないのかもしれないが、とにかく下手なのだ。それでも、「見えない橋」という短篇集に載せているらしいから、プロの作品として、自負はあったはずだ。それはまずいだろう。当時のままなのだとしたら仕方ないですまされるかもしれないが、「見えない橋」に載せるために手直ししなかったのだろうか。それとも手直しして、これなのだろうか? いずれにしても、このまま平気で本にしたのだとしたら、ほかを読む気にはなれない。なお、「見えない橋」という本が出版されたのは、なんと2002年のようだ。
僕は、なにかひょっとした拍子に不意に笑い出す癖があった。それは大部分説明のできない質の、自分でもなぜ笑ったのかわからぬ類いのものであった。が、この時の電報を受けて宿屋にもどりかけた路で生じた不意の笑いは、不思議と理路が整然としていた。結論からいえば、僕は、自分の母親が人間の例に洩れずに死んでしまったということが可笑しかった。例外ではなかったということが可笑しかった。「お父さんが死んだら、そんなわがままなんか言っていられませんよ」。母の、そんななにげない言葉で、幼い僕は自然と父の死の光景を予想することができたが、母の死ということに対しては考えることさえできなかった。
これがプロの作家の文章とは思えない。あるいは、「けれども、果たして嫂が、その行為を母に対する愛情の表現として行為しているのかどうか……。」とか、「小柄な叔母が、しきりに僕のことを落胆しないようにと、くどいように言っていた。」などといったセンテンスは、プロ以前の問題だ。
僕は、何気なく襟を指先で直した。僕は心の中で色を失った。それは、僕のかなり目に立つ癖で、着物を着たくつろぎが不覚にも習癖を動作させたのだ。僕は、自分の心底をのぞき見されたと思い込んだ。が、それは杞憂に終った。
??????
そして、まるであだち充のマンガでも読んでいるような気がした。すなわち、「タッチ」でカッチャンの事故死の場面を描けないあだち充のように、決定的な場面を回避する仕草だ。たしかにモルヒネをねだってすり寄ってくる母を抱きすくめる場面は、文章の稚拙はあれ、書かれているが、しだいに気が抜けるように書けなくなっていくのだ。
ある晩、友達の家から帰ってくると、奥の間で、叫び声がしていた。本の包みを投げて急いで奥の間に入ると、父が兄の上に馬乗りになって「貴様は、貴様は……」と、同じことをくり返していた。無抵抗の、大きな兄の体の上で、父が、ぎこちなく拳を振っていた。嫂が、その腕に必死にとりすがっていた。
私小説だからといって、事実に即す必要はないし、これが事実なのかどうかもしらないが、そこにいたる過程を見損ねる。すなわち書かない。それでもまだ、ここでは書かれていたといえるかもしれない。
家の者は、根が疲れはてていた。その間に、初めて妊娠した嫂が、二階から転げ落ちて流産し、長年勤めていた女中が二人とも暇をくれと言い出したりして、一人が帰ったりするようなこともあった。
「帰ったりするようなこと」とはなにか、まったく稚拙な文章だと思うが、それより、この書きぶりは、逃避以外のなにものでもあるまい。書くことさえ逃げ出したい事件なのか? 「僕」をさん付けで呼ぶ媚を見せながら、モルヒネをねだる「擂子木のような骨だけの股」の母を書きながら、これだけのことが書けないわけもあるまい。それはただの怠慢でしかない。しかし、怠慢はなによりこんな小説を、プロになってから臆面もなく、手直しもせずに短篇集に掲載してしまったことだろう。ただし大学文芸部の雑誌「赤繪」に初出したときは「虚妄」のタイトルだったというから、もしかして、手直しているのかもしれない。もちろん、「虚妄」よりは「夜の道」のほうがふさわしいタイトルだろうが、本文が手直しをしてこれなのだとしたら、それこそ問題だ。
せっかくモルヒネをねだる母の姿は鬼気迫っていたのに、いかにも私小説のつまらなさに堕したように「僕」の声が煩かった。
とはいえ、全部が全部、つまらなかったわけではない。ここはよかったな、と思う場所も、書き出そう。
僕は、拍子抜けした思いで、潜りの木戸を押した。頭の上で、鈴が鳴った。その音に、僕は、母が死んでも変化しない家のことを不思議に思った。その考えは、飛石づたいに玄関の外に立つまでつづいた。しかし、呼鈴を押した時、その音が、いつもの音と少し異なる気がして、やはり母は死んだのだ、と思った。
考えてみれば、1952年は昭和27年、吉屋信子の「生死」と同じ年に書かれているのだな。ましていかにも私小説でありながら、戦争の影がいっさいないというのは、ある種の特殊性を纏っているといえるのかもしれない。なお、今とっさに、このころ書かれた小説といっても、ほかに思い浮かばない。ちなみに調べたら、この年の芥川賞は、上半期(27回)受賞作なし、下半期(28回)五味康祐「喪神」と松本清張「或る「小倉日記」伝」だった。いずれも未読。「或る「小倉日記」伝」は、探せば家のなかのどこかにあるはずなのだが、かといってそれほど1952年に執着することもないだろう。
「季刊文科」36号が発行されながら、店頭に並ばず、店頭に並ばないのに発行されたというのも、なにかおかしな話だが、例えば定期購読者たちや執筆者の手許にはすでに昨年末には届いていたという。そして、すでに手に入れた方々から聞こえてくる納富さんの作品「渦」の評判に、それこそ、うずうずしながら、「売ってないよぉ」と繰り返していたら、見かねた納富さんがお手許の誌を送ってくださり、ようよう手に入れたわけだが、なるほど店頭に並ばないわけがわかった気がする。そのわけについて、書いてしまいたい気もしたのだが、編集委員の代表格のような大河内氏の病と療養、編集委員のひとりであった吉村昭氏の急逝、それに伴う追悼特集の作成、そうした突発事がいわゆる年末進行にぶつかる、と、不運が重なった上のことなのだろうし、なによりお優しくも納富さんが、「そっとしておきましょう」と仰せなので、納富さんのお顔をたてて、論うことはせずにおく。すでに消去してしまった記事だが、せっかくkatsuさんからコメントをいただいたので、生産管理学的な見方をすれば、編集委員と編集者との二重構造にも問題がありそうに思えなくもない。
ここで論ったところで、鳥影社さんや「季刊文科」の関係者さんの耳に届くとも思えなければ、耳に届いたところで、どうということもないとも思うけれど・・・。
さて、「渦」である。なんともいえない座りの悪さを抱えた小説である、などと書き出すと、いかにも否定的に聞こえそうだが、先般の辻原登「沈黙交易」の、主格と主題が揺れ動くさまにも似て、座りの悪さは浮遊感といってもよく、爽快とはほど遠いながら、けして悪寒を伴うものではない。
例のごとく書き出しを見てみよう。
鍬山の源吾の養家は、筍が終るころから、背後に迫った山林全体に若葉がモクモクと膨れあがってくる。
梅雨時の雑木林も、たっぷりと重く膨らむ。雨水を含んだ枝がずしりとしなだれ、棲みついたカササギが羽音高く飛び立ちでもするなら、下を通る者は頭からずぶぬれだ。屋敷の途中の十段ほどの磨り減った石段にも雨水が溜まり、ぬるりとした水の層に、あやうく滑りそうになる。
はたして鍬山とは源吾の姓だろうか、それとも地名か。そして、いまだ文法学者を悩ませているという「象は鼻が長い」という主格の不分明にも似たセンテンス。「若葉が」という文節が主格たりえていながら、「養家は」と書きはじめるならば、この文節は、このセンテンスのみならず、この小説全体をつうじた主格を印象づけるようである。ましてここまで、源吾という名こそありながら、「鍬山の」という書き出しの文節が、先に書いたとおり、姓とも地名ともつかぬ座りの悪さを抱えたままだから、源吾の正体もしれない。
ふたつ目の段落にいたっては、景色が動き、「ずぶぬれだ」としながらも、そのずぶぬれになる者は「下を通る者」と、仮想的な人物である。それに先立って、「するなら」と、これもまた仮想のなかの出来事なのであり、実態としての人間はおろか、実態のある出来事さえ、いまだ姿を現わなさい。畢竟、この小説の主格、語られる主体として、養家、それも家族関係といった養家というより、建物としての養家が印象づけられよう。このとき、「沈黙交易」にあった読み手のヤドリギたる主格の不在が、座りの悪さを感じさせるのだが、もちろん、小説において、読み手のヤドリギが必要不可欠なわけではない。それでもここには源吾という名が早々と示され、とりあえず、語りの場に登るであろう人物が書きつけられてもいる。
家を主格とする小説といえば、納富さんが「午前」79号に書いた「母屋」が思い出されるが、同人誌「午前」に書かれた小説の読者がどれほどいるか、と思えば、それには触れずに先を読もう。なお、念のために書いておくと、「母屋」は「午前」誌において、小説ではなく、小品(ある記録)として掲載された。
福岡市に住む源吾と深真子の夫婦は共働きなので、週末にしか、佐賀県のはずれにある鍬山の養家には行けない。往復、車で六時間もかかる。福岡のマンションに病気がちな老猫を飼っているので外泊は無理だ。息子は二人とも、転勤で遠方に暮らしている。
養母の龍子さんが老いて死に、源吾が相続をしたときには、江戸時代に建った古家や手入れの要る面倒な山林、すぐ雑草に覆われる畑や過疎化で小作人を捜すのが困難な田など、譲られても始末に困るばかりだ、と深真子は思いあぐねた。
源吾は深真子ほど物事を生真面目に考えないので、なるようになるさ、と言って、家の前の荒れた畑を耕し、畝を作って種を蒔いた。
一行空きを経て前に続く場面である。
最初の段落で、いきなり鍬山が地名であること、そして、源吾・深真子夫婦というヤドリギから、養家と夫婦の位置関係までが示され、一応の安定を得たように思える。だが、この段落にもまだ、なにか得体のしれなさが付き纏っていないだろうか? 先に、家族関係としての養家ではなく家としての養家、とは書いたが、いまだ家族関係としての養家の影は、一掃されたわけではない。そこに住まう源吾の養い親やその家族とその関係が、「養」の文字がいかんともしがたく何事かの気配を漂わせながら、見え隠れしているのだ。
それが、改行されて次ぎの段落に移るやいなや、すでに養母が亡くなっていることが告げられ、と同時に、以降では「古家」「家」と書かれて「養」の文字が消える。それは、すでにその家が、「養」という形容を必要としなくなったということだろう。
ここには注目したい点がもうひとつある。たったひとつのセンテンスで書かれたふたつ目の段落が、「深真子は思いあぐねた」としめられて、その内面を語るさまが、語りの場、読み手のヤドリギを、一気に、深真子に降りたたせたように見える。ところが、続く同様にひとつのセンテンスで成り立つ段落が、直前の「深真子は」に対抗するようにも、いきなり「源吾は」とはじまり、わざわざ「物事を生真面目に考えない」とことわって、そのありさまを語るのだ。「物事を生真面目に考えない」から語り手もその内面に触れ得ないようにも見える。触れ得ないから、触れないのであって、だから、内面が語られた深真子こそがヤドリギなわけではない、と思える。
いまだ読み手はヤドリギを確定できず、源吾と深真子というふたつのヤドリギの間を揺動する。では、夫婦ともにヤドリギなのだろうか? それもまた小説の場なら充分にあり得ることである。そして、「龍子さん」という「さん」付けする仕草。これはなにを意味するだろう? 語り手の顔が仄見えないだろうか? ただ三人称というには、この仕草はあまりにも思わせぶりである。
そして、またしても一行空きを挟むとすぐに、
古い家の厠には、とても入る気がしなかった。扉もひび割れ、灰色の床は斜めになっており、迂闊に入ると床板とともにご先祖様がたの乾いた糞便の上に落ちてしまいそうだった。大工を入れて修理をする気持ちにもなれない。福岡市で暮らしてきてマンションや会社のビルなどの小綺麗な環境に慣れた深真子は、畳が沈む古家に踏み入るだけで黴や汚れが空気感染のように体中に染みつく気がした。
厠の不便と、畑の泥汚れや真夏の全身の汗を洗い流すシャワーが欲しいこともあって、雑木林や竹林から離れた榎の大木の横に、龍子さんが遺してくれたお金で小屋を建てた。厠と台所と風呂場と、体を休められるくらいの狭い部屋だけである。
近くに住む大工は、小学校では龍子先生に教わったと言い、普請に入った日と終った日に母屋の通り土間に立ったまま、つきあたりに見える仏壇を短く拝んだ。
大工はそのついでに金尺で天井板から長押までの壁の寸法を測り、「この家は、確かに百七十年以上は経っている」と言った。
古い「家」の厠に入る気がしないのは誰か、と、迷う。そして、この段落の最後のセンテンスにいたって、どうやら今度こそようやくヤドリギが深真子になったらしい。そう思えば、「龍子さん」という呼び方も、納得がいく。それでもあくまで主人公は家なのだ、というように、ここでも最後は家の在りようが語られる。
さて、延々と、ほぼ1ページに相当する書き出しを辿ってきたが、これ以降、語りの場は、すっかり深真子に寄り添いながら、進む。だが、ここまで辿ったような主格の揺動を引き摺るかのように、深真子のさまも、茫洋として、それは時さえも越えて漂うように、それでもなお存在している。あたかも神のごとき書き手が作中で語りだすメタ・フィクションの仕草にさえ見えながらなお、語られつつある時空を生きているから、神のような不確かな存在ではない。不思議な存在である。
では、本当に不思議な存在だろうか? なぜ時空を超えるのか? 深真子の過去は、上の引用にある部分以外にはいっさい語られることがない。あたかも深真子には過去などなかったかのように、その家族のこともなにも語られない。
そして、なにより物語が、源治の成長を辿るような長い時間の中の、源治の養母・龍子さんと実母・お鶴さんの物語であり、深真子は、龍子さんの「記録帳」を読むものであり、お鶴さんの話を聞くものであり続けている点において、深真子の存在の浮遊感が際立つ。
それはまた、ふたりの母が、源治という支点を軸にして成り立つ関係でありながら、支点は支点に終始するように、ぼんやりと、希薄なままに、ふたりをそっと見ているさまにも、似ていよう。
実母と養母の繰り広げる派手な喧嘩を、小学生の源吾は、どこにも居場所のない気持ちで見ていただろう。深真子は、記録帳のその時代のページをめくるが、子供の辛い気持ちを推し量る言葉は一言もない。源吾はどちらの母親にも愛されることが少なく、気弱で心優しい父親は寡黙だった。
ふたりの母同様に、深真子の視線もまた、小学生の源治に届かず、「見ていただろう」と想像するしかない。
夢中で言い争っている母たちの間で、「筍どろぼう」と呼ばれて竦んで立っている子供の姿が、見えるような気がする。古い写真で見た、坊主頭の、くたびれた木綿のズボンをはいて、いつも眩しそうな眼をした少年だ。
幻視は、「気がする」だけで、深真子はけして源治の子供時代に立ち会えない。
このとき、語るものであるお鶴さんと、書き遺し死んでしまった龍子さんのその在りようの対比も面白いが、すると、なにかが妙なのだ。遡ってみよう。
ずいぶん前のことだが、源吾の実母であるお鶴さんは、深真子と源吾の新婚家庭に入り浸っていて、一ヵ月のうち三週間くらいは長逗留した。深真子を話し相手にして、なかなか佐賀には帰らなかった。
その日々に、お鶴さんからたっぷり聞かされた話と、龍子さんから十五年の空白を置いて聞かされた話や遺された記録帳などによると、源吾は、昭和二十五年、七歳のときに、実父寅太郎の姉である龍子さんの家に、養子縁組で貰われている。転校した先の小学校の担任教師まで、龍子さんだったという。養子を一日中眼の届くところに置いて躾け直すつもりで、上司に頼み込んだに違いなかった。
ようやく物語がその姿を明確にする端緒といってもよいが、さて、いったいこの視線はいったい誰のものか? 前の段落は素直に三人称なのだといってしまえばよかろう。だが、日本語において、純粋な三人称とはいかにして可能だろう。後ろの段落でいきなり出てくる「聞かされた」という受動は、つぎの段落の「という」と聞き手を呼び込む。さらに「違いなかった」という推量のさまにまでいたれば、ここに深真子の声が聞こえずにいない。深真子こそがこの物語の牽引者、主導者であることは、先に見たとおりなのだけれど、なにかが引っかからないだろうか? 上に続く段落を見よう。
寅太郎もお鶴さんも、子供を大声で叱ったり命令口調でものを言ったりするタイプではなかったので、源吾のショックと不安はさぞや大きかったに違いない。
さらに、すこし進んだ先、龍子の家(養家とはいうまい)を逃げ出した源治が実家(とあえて書く)に戻った場面を引用する。
実家では、年子の兄の一郎が熱を出して学校を休んでいた。「源治がね、叱られると思うたのか戸口の蔭でうなだれて立っているのを、手洗いに立った一郎がみつけたのよ。一郎が土間に駆け下りて、ぐしょ濡れの弟に抱きついて、『もう源吾をよそにやらんで。僕たちとずっと一緒におる』と泣き叫んで、二人で固く抱き合ったまま離そうとしても離れなかったのよ」と、お鶴さんから深真子は聞かされたのだった。
「のだった」という語尾が、三人称を強調するような距離感を生み、なるほど、まだ違和感の正体は明らかにならないかもしれない。それなら一気にページを進み、お鶴さんの死の場面を抜き出してみよう。
源吾とふたり、秋の薄ら寒い日の広い家に一人でいるお鶴さんを訪ねた。「一郎とはもう親でも子でもない」と本心ではないことを大声で叫ぶお鶴さんは、おそろしく痩せて、水しか欲しがらなかった。週末ごとに訪ね、どんなに思いを尽くして励まし慰めても、源吾は一郎の代わりにはなれず、お鶴さんは意識を失うまで一郎の名を呼びつづけ、脳溢血で、すとん、と死んだ。
今度は、寅太郎の喪服は、きちんと寸法が合っていた。
喪主代表になった一郎の挨拶が母親を恥じたものであったので源吾が激怒した。深真子は、物陰で源吾をなだめた。
それぞれの車で寺に向かうことになった。全員が車で来ていたので、運転をしない深真子がお鶴さんのお骨を抱えて一郎の車の助手席に座った。
一郎は横目で深真子の膝の上を見たが不意に顔を強張らせて「こんなもの、抱かんでいい」と叫んで骨箱を奪い取り、着替えの服などが乱雑に置いてある後ろの座席に投げた。兄嫁がつんのめるように走ってきて一郎を叱り、「深真子さん、しっかり抱いとかんば」と、骨箱を押し付けた。
龍子と鶴とは一体だれなのだろう? と書いてみたら、違和感の訳がわかるだろう。深真子とは、あるいは語りつつある主体は、一体だれなのか? なぜ龍子と鶴だけが、敬称を纏うのか? それなら、今、引用した場面の直前を見てみよう。
龍子さんが死んで、次の春にお鶴さんが転んで大腿部を複雑骨折した。そのあと腰が直角に曲がってしまったお鶴さんは、この身で広い二軒の家の見張りは大変だと言いだして、一郎との同居を強く望んだのだが叶えられなかった。すると一転してお鶴さんは、自分がこれまで一郎夫婦へ施してきたさまざまな金銭的援助を数え上げて「恩知らず」と攻撃し、会う人ごとに一郎の悪口を告げて、あちこちに手紙を書いて送った。お鶴さんは、過去に龍子さんから受けた仕打ちを、刷り込まれたように、そのまま反復しているのだった。お鶴さんは、「長男らと違って次男夫婦は優しくしてくれる」と要らぬことを言い、一郎夫婦の気持ちをわざと逆撫でする。
かつて同じひとつの出来事を語っても、お鶴さんの科白と龍子さんの文章には、なにをその背後に据えるか次第で、大きな意味の異なりを見せていた。しかし、ふたりは同じ出来事を経験していた。別の立場からひとつの出来事に対峙していた。
そして、また違う場所から、まるでタイムトラベラーのような、異界のからの視線で、それはまた読者や聞き手の視線で、絶えず吹いている風に揺られて、フワフワとその空間を漂うように、それらの出来事を見ているのが深真子だ。
季節になると、筍が母屋の床下にぞっくりと立つようになった。龍子さんに止められ抑えられていた竹林はある日、油断の隙間に気づいたのだ。繁殖する快感を隙間に向け、歓声をあげて押し寄せてくる。深真子の体のうちにもぞくりと筍が立つ。
龍子さんが筍や竹を業者に売っていたのは、吝嗇だったからではなく竹林の勢いと戦うためだったのだ、とようやく気づく。侵略されてしまったあとではもう遅い。子孫が住まない家は崩れるしかない。母屋のなかでは、日記も賞状も手紙も何もかも湿って歪み、灰色になり茶色になり、日に日に意味を失い、つくも神さんすら淡くなって消えてしまった。
深真子は、科白にも文章にも、コトバにならなかったことに気づく。その気づきは、だけど、源治が筍を盗んだことを咎める龍子さんを説明しないが、それは問題ではない。深真子は、龍子さんやお鶴さんを理解した自分に出会っているのだ。いや、龍子やお鶴さんになってしまうのだ。
穴に刀を納めた。落としたとたん、家がかすかに揺れたような気がした。一心に覗き込んだが、あいかわらず沈黙している穴だった。刀の落ちたあたりから見上げると、きっと明るいひび割れの空があって、そこから覗きこんでいる女がいるのだ、と思った。覗きこんでいる女も、いずれ落ちてくるように見えるかもしれない。
何となく立ち去りがたいまま、しゃがみこんでいた。しばらくすると、蛇の山の小道を強い眼をした小柄な和服の男が早足に下りてきて、マムシのように深真子を睨み、ふっと消えた。陰翳が濃く、あまりにあざやかな一瞬だったので、生身の人間ではなかった気がする。そのあとあたりが急に翳って激しい夕立がきた。小屋に走って雨宿りをしていると眠ってしまい、目覚めると、穴に刀を落としたのも和服の男を見たのも、夢だったように思えた。
畑に立てた風車が、風の表情を伝えていた小説のなかで、もうひとつの風が、床下に開いた罅割れのような穴からかすかに吹き上げてくる風だった。ここに引用した場面については、龍子にでもあらかじめ武家の子孫としての誇りといった話が書かれていたなら、より刀が活きたのではないかとは思うが、それはさておき、見聞きするものだった深真子が、その穴から見上げられる視線を思い描く。視線が逆転し、見られている。続く段落でも得体のしれない男の視線に曝される。
そしてこのとき、穴からの風を、深真子は感じていない。穴の呼吸が止まっている。
最後の場面を引用してしまう。揺れ動いていた自他、已今当、此彼の境界が溶解していく。それでも、ただ、穴の中だけが、まだ彼方であり続けているようにも思える。
穴がまた、少し大きくなったような気がする。穴の暗闇を覗き込んでいると、ふっとなかから誘われる。前のめりに落ちていきそうになる。
お鶴さんはあんなにお喋りに夢中だった。龍子さんは一心に弟の家への道を歩いていた。寅太郎は、畑から収穫したばかりの作物を宅急便でマンションに送ってくれて、それはもちろん音たてて張り裂ける水気たっぷりとした大根で、お礼の電話をすると電話口で、ほっほっ、と笑った。「深真子ちゃぁん」お鶴さんの甘えた声が、耳元から肩にまつわりつく。龍子さんの「帰らんでよォ。私のそばにおってよ。明日も、明後日も、明々後日も来んばよォ」と哀願する声が、背中に聞こえる。親たちの声も姿も昨日のことのように親しく鮮やかなのに、なぜ、いま、あの人たちはいないんだろう。どこに消えてしまったんだろう。これはいったい何なのだろう。
柱時計の躊躇うような音が、ゆっくりと時を打つ。源吾が来るたびにネジを巻く磨いた竹の根でくるりと丸く縁どられた振り子時計だ。時計の柔らかに尾を引く音に誘われて、俄かに鳥肌が立ち、穴のふちに足元が不安定になる。
いそいで畑の源吾のそばに行って、素手のまま、玉葱畑の草取りを始める。引き抜いた草の根から土の臭いが、クンと立ち上る。現実が身体の中に戻ってくる。生えたばかりの草は柔らかで抜きやすい。肥えた黒い土が、粘るように指にまつわりついてくる。
土って気持ちがいいだろう? と源吾が言う。地面と身体が繋がって新しい力が流れ込んでくるだろう? 空っぽになるだろう?
不意の風に、雑木林がざわめき竹林がしなった。庭の木々を覆った蔓が、曇天の空に向かってぶわっと膨らんだ。色褪せた風車がどれも激しく廻っている。
立ち上がって眺めると母屋は小さくうずくまり、裏山に溶けるように繋がりかけている。
源治の科白から鉤カッコが消えている。「これはいったい何なのだろう」という叫びにも似たセンテンスを見ても、たしかに深真子に寄り添っているはずなのに、なお、いまや三人称の書き手は、だれともしれない。
畑をいじる際の、まさに今を語るらしい語尾と、源吾の問いかけ。過去は字のとおりに、過ぎ去ったのだろうか?
ところで、深真子という名だが、家の奥行きと穴があれば、ときに紙面に「深」という文字ばかりが浮き立つほどで、まして、深真子という名がはじめて紙面に表われたときにはわざわざ「しまこ」とルビを振るのだから、その名まえは際立つ。「深さ」を強調するのは、あざといのではあるまいか?
「文學界」二月号掲載の小説を見渡して、黒井千次の「多年草」を数行で投げ出し、高井有一「鯔の踊り」は退屈しながらも最後まで読み、鉤カッコをまったく廃して、一場の回想という書き方について記事にしようかとも思いながら、先を見、辻原登の「沈黙交易」が面白くて、41P、けっこうな長さを読んでしまった。
辻原登を読むのは、「村の名前」以来だ。
最初に腐しておくと、この小説で「沈黙交易」というタイトルは安直だ。魅力的なタイトルというわけでもない。津島佑子の「黙市」を思い出させるが、もちろん「黙市(だんまりいち)」というタイトルのほうが魅力的だし、この小説に表われる沈黙交易の場も黙市を思い出させてしまうという意味でも弱いのではないか。
いまだマジック・リアリズムの定義といったものがよくわかっていないし、そもそも「リアリズム」とか「リアル」というコトバに抵抗を感じているので、安易に使うべきではないと思うけれど、とりあえず、これは、マジック・リアリズムといってもいいのではないか? といってみよう。
一体なにがはじまるのか、まったく読めないまま書き出しが、10Pにも亘って延々と語られる。
敗戦の直前、昭和二十年六月、陸軍省より命ぜられて北ボルネオ民政調査に従事中、ポリンのジャングルで消息を絶った民俗学者三上隆の行方を追って、十年後の昭和三十年(一九五五)に第一次捜索団が派遣された。さらに第二次が三十五年(一九六○)に、第三次捜索団が昭和五十七年(一九八二)に派遣された。
生存の望みを託して結成された民間の捜索団だったが、結局、三上隆をみつけられなかった。しかし、ボルネオ島の最奥部、キナバタンガン河の支流、ミリアン川源頭域まで三上の足跡をたどることができ、彼がミリアン・ムルットの部落に住んだこと、しかもウネというムルットの少女と結婚していたことをつきとめることができた。こうして、終戦直後から存在した三上に関する情報、憲兵隊による撲殺説と原住民ゲリラによる処刑説はともに粉砕された。
書き出しであるが、物語の中心を占めそうな三上隆の消息はいっこうにしれないし、書きようも、あたかも資料にでも頼って事実のみを追いかけるさまに見えるから、読者のヤドリギともなろう存在はいまだ見えない。「三上隆はさておいて、都合、三回の捜索団に加わった人たちはその後、どうなっただろうか。」と断わっても、それらの人物、村上三六、ベルナルド・ハウレギ、湯山敬三、京極豊、青木明彦、出水裕二のその後も、ほんの数行で片付けられてしまうのだ。その後になって、ようやく読者は、寄り添うべき存在を手に入れる。
さて、二○○四年十一月二十日、〈私〉は、およそ十五年間、無人のまま放置してきた紀州田辺市下屋敷町の〈私〉の家、というより父の家が、まちの不良高校生どもの夜の溜り場になっていて、ボヤを出したとの知らせで、急遽帰省した。父の書斎を片付けているとき、偶然、ベルナルド・ハウレギ博士の手紙をみつけ、それを読んだ。〈私〉のこの小説の構想はそのときなった。
メタ・フィクションの身振りだが、寄り添うべき〈私〉が登場しながら、いまだ物語りは動き出さず、この小説がいったいどこに向かおうとしているのか、いまだ私たち(読者)は五里霧中といったところだ。
手紙の日付は一九六一年(昭和三十六年)九月十五日である。これよりハウレギ博士と〈私〉の父の、三上隆をめぐる交流がはじまる。そして、二十年後の昭和五十六年(一九八一)に当のハウレギが、新しい三上の消息を持って、とつぜん田辺にやってきた。かくして、翌年七月、第三次捜索団の派遣が実現する。この捜索団に新たに加わった人物の中に出水裕二がいた。不完全な小人村訪問譚の中心人物としての出水は、こうして三上隆捜索団の一員となって再度登場してくる。
出水裕二がキーパーソンである。彼のその後をこそ正確に追わ