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2008/05/06

同人雑誌評打ち切り(読売新聞より)

Yomiuri この記事のおかげで、昨日から、アクセスがとんでもない数になっている。それも、同人雑誌評の打ち切りとは無縁の記事にリンクを貼られているのだから、ちょっと困る。

私は、新聞というものをあまり信用していない。まして要約にかけては、新聞ほど下手なものも少ないと思っている。だから、大河内氏の文章に依拠するらしい読売新聞の記事もあまり信用していない。「文學界」の六月号が出るまで待つつもりだ。

そのうえで、読売新聞の記事によるならば、「同人雑誌評」の打ち切りは、偏に同人誌の側に責任があるように読める。あるいは、文学を取り巻く環境にたいして同人誌がその存在意義を失ったかのようだ。例えば、

同人の高齢化が進み、この10年で同欄に寄せられる同人誌が月に50~70冊と半減したため。

と、書かれている。送られてくる同人誌が高齢化しているだけではないのか、という問いがここにはなく、それはなぜか、という問いもないが、それはいったん置いて、月に50~70冊もの同人誌が送られ、それぞれには、平均すれば四つや五つの作品はあるだろうから、今でも毎月200以上の作品が送られているはずで、そこに評するに値する作品がないというならまだしも、数が少ないことが打ち切りの理由になるとは思えない。
ここでいう高齢化した同人誌が若い同人を獲得できずにいることは問題にしてもいいだろうが、だが、一方で同人雑誌評なんてものを考えていない、あるいはその存在さえしらない同人誌が数多あるのではないか、と思えるし、そうした同人誌を取り込めない同人雑誌評の在りようには問題はないのか、と問いたい。

単純にいえば、同人雑誌評の打ち切りは、評者の高齢化と、後継者がいなかったことが原因だろう。もちろん、後継者を生み出せないのは、同人誌に期待する新たな批評家を生み出せなかった同人誌の側にも責任があるとは言えよう。

とりあえず、読売新聞の記事から思うところはここまで。同人雑誌評の大河内氏の文章を読んでから、もう一度考えよう。

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