ペドロ・パラモ―フアン・ルルフォ
ゆっくりと読み進めていたフアン・ルルフォの「ペドロ・パラモ」をようやく読み終えた。じっくり味わった、という感じ。とてもとても楽しんだ。以前にNさんに教えてもらった小説だったのだが、ようやく出会え、楽しめた。また、再版を教えてくれたのは、読了後すぐに二度までも読み返したというクロエさんだった。Nさん、クロエさん、ありがとうございます。それから、euripidesさんは、フアン・ルルフォの短篇集「燃える平原」に触れておられた。「燃える平原」も興味津々だ。
前半は、あちらに飛び、こちらに飛び、しかし、飛んだ先がどこなのか、わからないままだから、なにが起きているのかわからず、かなり戸惑わされた。だが、時間もひとの生死も飛び越えていく空間としての、地の底のような、あたかも地獄とも煉獄とも見えるコマラという場所に立ち会っていると、やがて、ペドロ・パラモというひとりの男の、極悪非道でありながら、妙に切なくもある一生が、その空間のなかの景色として、浮かび上がってくる。ひとりのアウトローの物語なのに、さまざまな人々、生死さえ越えて語り出す人々のなかで、やけに濃密な空気に閉じ込められたままゴーストタウンと化したコマラという町ばかりが眼前に開ける。
風景描写にかまけているばかりの小説でもなく、絶えず誰かがなにかを語っている小説なのに、会話のなかにも、独り言のなかにも、哀しいような、濃密な空気が満ちた町がある。かつてそこで暮らしていた人々が、今もゆきかう町。その町をゴーストタウンにしてしまったのも、ペドロ・パラモ。
もう何年も昔のことだが、彼女がまだ小さかった頃、父親は彼女にこう言った。
「スサナ、下におりて、何が見えるか教えてくれ」
彼女は一本のロープにぶら下がっていた。そのロープが腰にあたって痛かった。手から血が出ていた。しかし放したくはなかった。そのロープだけで外の世界とつながっていると思った。
「何も見えないよ、父さん」
「よく捜してみろ、スサナ。何か見えるはずだ」
ランプで照らしてやった。
「何も見えないわ、父さん」
「もっと下におろしてやろう。地面についたら言うんだぞ」
板を押し分けて開けた狭い隙間から下りた。ねばっこい土がこびりつき、朽ちてボロボロになった厚い板の上を歩かねばならなかった。
「もっと下に下りるんだ、スサナ。そうすれば見えるはずだ」
彼女は前後に揺られながら穴の中を下りて行った。「踏んばるところがないわ」と思いながら、足でむなしく宙を蹴った。
「もっと下だ、スサナ。もっと下。何が見える?」
足場が見つかると、無言のままそこにたたずんだ。恐ろしさのあまり、口もきけなかった。ランプは円を描いてまわり、光線は目の前を素通りしていった。上からの大声は彼女をビクッとさせた。
「そこにあるものを渡してくれ、スサナ!」
彼女は両手で頭蓋骨をつかんだ。しかし光線で照らし出されたものを見ると、あわてて手放した。
「死んだ人の頭蓋骨よ」
「そのそばにまだ何かあるはずだ。そこにあるものを全部渡してくれ」
死体はいくつもの長い骨になって崩れた。顎骨はまるで砂糖細工のようにはずれた。かけらごと渡していくうちに、しまいには足の指だけが残り、それも間接ごとに手渡した。最初は頭蓋骨だった。手の中でつぶれたあの丸い球。
「もっと捜すんだ、スサナ。金だぞ。丸い金貨だ。それを捜すんだ、スサナ」
それっきり気を失ってしまったが、何日かたって意識を取り戻した。冷たい感じがして、目を開くと、そこに父親の氷のような冷たい視線があった。
そんなことを思い出して、いま笑ったのだった。
「あんただったのね。ちゃんとわかってたわ、バルトロメ」
彼女の胸に泣き伏していたフスティナは、はっとして起きあがった。スサナが笑っていることに気づいたからだ。それは、すでにけたたましい笑い声に変わっていた。
外では雨が降り続いていた。インディオたちはとっくに引き上げたあとだった。月曜日だったが、コマラの谷は、相変わらず水に浸っていた。
いったいスサナを見ていたのは、スサナがそのとき感じたことをしっていたのは、誰なのか? もちろん、スサナだ。だけど、この小説は、「おれ」の一人称ではじまっていた。もうこのときには、語り手などどこにもいない。町を彷徨う死者たちが、いや、町が、町を包む空気が、語っている。
きっとペドロ・パラモは、立派な口髭をピンと立てていたのだろう。そう、ペドロ・パラモが町そのものでもあった。町が語るたび、すべてが、ペドロ・パラモのことなのだ。
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コメント
最初入っていくのが難しかった覚えがあるのですが、最後になって情景がどんどん分かっていくにつれ、「うわ~、すごい~」と思って少し興奮したことを思い出しました。これは希有な小説ですよね。こんな小説が一個でも書けたら、もうあとは書けなくても満足だ、と思いませんか? 私は足下はるか及びませんが。
こういう小説は、自分の宝物なのですが、いろんな人に教えたいですね。
教えたい作家として、最近、牧野信一という1936年に自殺した作家の「西瓜喰う人」という短編を読み、あの時代にこんなレベルの高い面白い発想の小説を書いた人がいたのか、と驚きました。古い作家に、普遍的で深みと驚き、緊張に満ちた作品を書く人たちが大勢いるのですね。ファン・ルルフォの作品を、私ももう一回読み返してみたくなりました。
投稿: N | 2007/10/26 06:20
ああ! 牧野信一ですか! 牧野も凄いですよね。「西瓜喰う人」は記憶にないので多分未読だと思います。探してみます。
フアン・ルルフォは、長編はこれ一本きりのようですね。あとは短編集の「燃える平原」があるだけ。作家は満足しても、読者としては、残念です。もっと書いてくれたらよかったのに、と思います。
とはいえ、面白い小説を教えてくださり、ありがとうございました。
投稿: Lydwine. | 2007/10/26 15:20
もういっかい本を見ましたら、題名は、正確には「西瓜喰ふ人」でした。ごめんなさい、いいかげんで……。この短編、Lydwineさんは、お好きなのではないかしら、と思います。初めは分からなかった作者のからくりが分かって、びっくりしました。
投稿: N | 2007/10/26 18:02